お気楽忍者のブログ 弐の巻

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2023 お気楽行楽記総集編(12)

2023年12月25日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記6

8月

天台宗清涼山 明王寺(滋賀県甲賀市)

延暦年間(782-806年)に伝教大師最澄が比叡山延暦寺諸堂建設のための用材を求めにこの地に入り、里人が悪病に苦しんでいることに心を痛め、一刀三礼のもとに五大明王を刻まれてこれを安置すると里人の病が平癒したと云われています。後に堂宇を建てて、五大明王を祀ったことが明王寺の始まりと伝えられているそうです。

明王寺本尊の五大明王

そして、明王寺はNHK大河ドラマ『どうする家康』の第29回「伊賀を越えろ!」(7/20放送)の最後に流れた「どうする家康ツアーズ」のコーナーでも紹介されたお寺でした。

昭和40年にこの寺で徳川4代将軍(家康、秀忠、家光、家綱)の名(戒名)が刻まれた位牌が見つかり、家康の伊賀越えにゆかりのある場所ではないかと云われてます。

信楽の多羅尾城から伊賀の加太峠の間で、家康の通ったルートは今もはっきりと分っていないそうですね。

8月15日から16日にかけて近畿地方を直撃した台風7号

当初の予報より西側を進んだものの、管理人の住む甲賀でもこの台風で、170~250mmの雨が降りました。市内でも川の水があふれた場所もあったようですが、住宅等への被害は無かったようで良かったです。

長久手古戦場(愛知家長久手市)

父の初盆供養のために里帰りした時に立ち寄った史蹟 長久手古戦場。

信長亡き後、羽柴秀吉軍と織田信雄(信長の次男)・徳川家康連合軍が激突した場所ですね。

天正12年、秀吉軍は楽田城、信雄・家康軍は小牧山城に陣取り、睨み合いが続く中、秀吉方の池田勝入、森長可、堀秀政、羽柴秀次は小牧山城から家康を引っ張り出すために家康の本拠地三河へ進軍を開始。秀吉諸将軍とその後を追った家康軍は長久手の原で激突しました。前線で戦っていた森長可が狙撃されて討ち死にしたのを機に秀吉諸将軍は態勢を崩し、戦いは信雄・家康連合軍の勝利となりました。

羽柴秀吉方の武将、池田恒興の戦死地を示す勝入(しょうにゅう)塚

池田恒興は剃髪してからは池田勝入を名乗りました。

長久手市郷土資料室の裏手には、長久手の戦いの中心となった地形が縮景という形で表現されていました。

清州城(愛知県清須市)

名古屋市の北にある清州城は、かつて織田信長の居城であり、信長と家康が清州同盟を結んだ城でした。

信長亡き後は、信長の後継者と領地配分を信長配下の武将たちが話し合った清州会議の舞台にもなった城です。

関ケ原の戦いの後、家康によって清須から名古屋への遷府が指令されると、清須の城下町は名古屋城下に移転され、清州城は慶長18年(1613年)に廃城となりました。

北斗の拳でお馴染みの漫画家、原哲夫氏が描いた信長が、天守閣の入り口に飾られてました。

天守閣四階のテラスから撮影したドクターイエロー(笑)

今年の7-8月は、統計がある1989年以降の夏で、最も気温が高くなったそうです。北海道函館でも観測史上初めて猛暑日が観測されました。世界的にも各地で気象の異常が続いた2023年でした。

つづく

過去記事<2023 お気楽行楽記総集編(11)

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