靖国神社に行ってきました。
「九条の会」2周年全国交流会に、夜行バスで行ったんですが、早朝に着いて行くとこもないし、「神社なら開いてるか」というわけで。
で、「皆さんの仲間が一人も増えないように、自分のやり方で頑張ります」と拝んできたわけです。
入り口の大鳥居。25mあるそうです。園児や児童が多いと思ったら、実は靖国神社の周りは文教ゾーン!白百合幼・小・中・高や法政大、九段高、家政学院など学校だらけなのです。
神門。拝殿が見えます。
神門のところにこんなのがあったので、写真はこれまで。すみません。
境内で気づいたのは、献木の多さ。
「奉納 ○○連隊」みたいのが各所にありました。
プレートには初代からの会長の名前を連ね、その下に、「○○少将閣下」とか当時の位が書かれていました。
それが平成13年の献木だったりします。
当時の社会が、今も仲間うちでは通用するのでしょう。それだけ強烈な、自分にとって特別な社会だったのだと思います。
絵馬コーナーは、いったいどんなこと書いてるんやろと見てみると、「○○大合格」「インターハイ優勝」「○○君といっしょにいたい」「再就職できますように」など、ふつうでした。
そしてメインの遊就館。
(サイトでいろいろわかりますからよければ見てみてください)
入った瞬間これです。(てか入る前から、入り口脇にふつうにキャノン砲がおいてある)
いろいろありますが、一番衝撃だったこと。
人間魚雷「回天」で散った兵士が、死ぬ前に録音した遺言がヘッドホンで聞けるのです。
父よ、母よ、弟よ、妹よ、・・・よくもまあこんな我儘なものにありがとう。
春は春風が都の空に踊り、みんなと川辺に遊んだっけ。
夏は・・(略)
こうやってみんなと愉快にいつまでも暮らしたい。
しかし僕はこんなにも幸福な家族の一員である前に、日本人であることを忘れてはならないと思うんだ。
12月8日のあの瞬間から我々は、我々青年は、余生のすべてを祖国に捧ぐべき輝かしき名誉を担ったんだ。
(その後、軍国的な言葉が続き・・)さようなら!
ヘッドホンから聞こえる声に、それを吹き込む塚本太郎大尉(きっと死んで昇進したんだろう)が、たしかに存在していたことを思い・・
「愛国心」とは、こうなのか。
これでいいのか。
涙があふれそうになるのを、何とかこらえました。
神社の狙いと違う方向で、確信を得た日でした。
もう少し書きます。クリックを→
靖国神社まで徒歩3分。もちろん何度か行ったことはあります。
最近は韓国や中国の方も相当の人が毎日訪れます。マスコミではあまり報道されませんが「遊就館」の戦争賛美の姿勢は異常です。人間魚雷や人間爆弾の桜花などを賛美する展示の仕方に普通の神経の持ち主なら悪寒がします。
こういうものを作る人間がいるかぎり戦争は無くなりません。
(ただ、共産党のなかでも、宗教用語と一般用語を区別しない(というより、マスコミなどが「普通名詞」で使うから、宗教用語と知らない)方がけっこう多いです。
「無宗教」を貫くなり、勉強するなりしていただきたいなと思います。議員さんは付き合いが広いから、お葬式に参列することも多いかと思いますので、恥かしくないよう…。)
だいたいが、靖国に祀られた人は「神様」扱いだから、「安らかに」眠ってはいないはず。
(なくなった方が、「安らかに眠る」、というのはキリスト教の考え方ですね。靖国に「安らかに」と拝む対象の戦没者はいない。)
小泉が、参拝を強行する「理屈」は、靖国自体の理屈と矛盾する。
だいたい、遺族会が望む(といわれている?)「8月15日の参拝」というのは、靖国の思想からいえば、「負けた日」を悔しがることでしかない。「この悔しさをばねに次こそは…」という意志しか見えない。
安らかに・・は、ダメなんですね。知りませんでした。そう祈ってしまいました。
「そういう思想」の人は参拝すればいい。
小原議員の日頃からの主張を規準にすれば、「戦争讃美」の神社に参拝することは、反則です。
さらに、小泉の理屈(マスコミなどに語る)でも、靖国の思想から外れている。(無知な人々に支えられている神社というのもかわいそうなもんだと思うが。)
「安らかに…」は、キリスト教では普通につかいます。(このへんは小原さんの宗旨が分からないので、なんともいえませんが)靖国に相応しくないだけで、一般的におかしいわけではありません。
(こくた議員のお悔みの言葉は「安らかにお眠りください」が多いようです。)
まあ、キリスト教のお葬式に行って「御香典」は恥かしいし、浄土真宗のお葬式で「御霊前」も恥かしい。(「御霊前は万能」だという「ものの本」はウソですよ。そもそも、仏教では「霊」といわない。普通名詞のように「慰霊」というのは、神道用語のおしつけによるもの。)
わたしは、5・27に参加したときに、靖国神社と遊就館を見てきました。
フツーに本殿の写真も撮ってしまいましたが…w
遊就館については、歴史のツマミ食いともいうべき展示に、ばかばかしさすら感じてきましたよ。
国に尽くすことを叩き込まれた青年たちが、どんなに「英霊」として祀り上げられようとも、一人一人に光を当てていけば、結局「人の命と人生をこういう形で断ち切っていいのか」という当たり前の視点がじわじわと浮かび上がってくると思うんです。
その点では、私たちがいかに歴史に向き合う視点を学び伝えるか、が、大事なんだろうなぁと思った次第です。
激しく同感です。
「戦争か平和か」と聞かれたら、よっぽどの軍国主義者でなけりゃ「戦争だ」と答える人はいない。
しかし、食糧を外国に握られて「戦争か餓え死にか」と選択をつきつけられたときに、それでも平和を言えるかどうか。
そういう選択をさせるような状況をつくっちゃいけない。
いまの日本。食糧を海外に頼っているだけでなく、残飯や期限切れで捨てられる食品が年に約2000万t。(年間のコメ生産量が約1000万t)
これは国際的な犯罪だと思う。
しかし、日本人の発想というのもいい加減なもので、ちゃんとした思想体系の宗教や、伝統的な土着の先祖崇拝がある一方で、豊臣秀吉やら菅原道真やらの生身の人間が「神様」になっているのは、なかなか理解できんところです。
日本最大の宗教集団は「みんながやるから教」
日本最大の政治集団は「みんなが言うから党」
かな。
小田実さんが言ってました。「食料自給率が40%で、石油もない日本が『普通の国』になどなれない。日本には自衛をする能力すらない。そんな国が生きていくために、九条はしごく現実的な選択だ」
という選択をつきつけられて、「迷う人」がいちゃ困るんですが…。戦前には「共産党か獄死か」という時代がありましたが。
(「S学会か飢え死にか」と言われたら、「武士は食わねど高楊枝」で行きたいが)
http://minami-lo.jp/kenpou_quiz/q.html
京都南法律事務所の「憲法クイズ」をみつけました。
挑戦してみましょう。
(流石に弁護士先生はせこい「引っ掛け」を作ってないから、すなおに答えられます)
遊就館の展示はけしからんけども、そんなに全部読む人もいないとは思います。しかし、おっしゃるとおり、ざっと見ただけでも、戦争のあった時代に精いっぱい生きる生き方もカッコイイやん。アリやん。とか思うようにできていますよね。小林よしのりのマンガと似てるかもと思いました。
コメントありがとうございます。
靖国神社では、「英霊の言の葉」という冊子が売っています。岩波書店の「きけ、わだつみの声」と読み比べると、違いが明瞭です。
どちらも生の言葉で、うそ偽りはないのでしょうが、情報の選択、伝え方というのは、その人の思想がものすごく入るものですね。
バランス感覚をとるだけじゃなく、自分がどっちがいいのか、そんな感覚を信じたいと思います。平和の方にベクトルを向けたい。