知事選挙が始まりましたが、まちの雰囲気は春めいてきたせいか、とってものどかです。
市議選はやかましかったのになぜか・・?
拡声器が使えないからです。
候補に2台の宣伝カーがあるだけです。
それが京都中駆けめぐっているわけなので、長岡にはめったに来ないのです。
公職選挙法は、共産党のようなビラを出しマイクで訴え有権者にひとりひとり対話をしていくマジメな政党にはすごく不利な法律です。
「戸別訪問禁止」なんて、ばら撒くカネのあるような政党にだけ適用してほしいものです。
最近は電話帳に載せてない家多いですし、オートロックも多い(しかもビラが入れられない)ので、どうやって政策を知っていただけばよいのでしょうか。
グチはこのくらいにして。
権力者というのは、いつの時代も民衆の自由を奪うもの。しかし自由をかちとるたたかいが、少しずつかちとってきました。
アートプロジェクト「81年目の応答」のご案内です。
1925年4月22日、治安維持法公布。
あれから81年後の4月22日。
表現の自由が奪われた日の朝に、
平和への願いを込めたポスターで町を埋め尽くす。
いつもと違う景色に気付く。
道行く人が足を止めて平和について考える。
小さな日常の変化で小さな会話が生まれる。
すてきなホームページができてます!ごらんください。
また、先日また言論弾圧の事件があったそうです。
法政大で、学内のビラまき規制や立看板を撤去するのに抗議のシュプレヒコールをした学生29人が、殴るけるの末逮捕されるという内容です。
こちらに詳細のわかる記事があります。
大学側が、学生が抗議するのをわかってて、警官200名を待機させ、形式的な警告をして威力妨害をでっちあげる。
しかもこのようにニュースで報道されるのは、事前にテレビ局に知らせていたからです。
私も学生時代、ビラとかまいてました。サークルやってたらみんなわかると思いますが、いちいち届け出制なんかにされたらたまりません。
長岡京市も「まちをきれいにする条例」ができましたが、ビラが散乱するなら、まず学生のモラルに訴えるのが当然です。
学生は釈放されたそうですが、そもそも逮捕するのが問題です。表現の自由に対し、脅迫をかけるもので、許せません。
表現の自由を守りたい方、クリックを→
この間、近代美術館でやってるエルンスト・バルラハ展に行ったよ。
ナチスに退廃美術ってレッテル貼られて、作品が壊されたり撤去されるなかで亡くなるんだけど、彼の死後に弟子が復元して公共の場に設置された作品もあって、表現することはすごい力で、だから弾圧もされるんだと思った。
法政大事件は友人に教えてもらったんだけどhttp://www.geocities.jp/housei_kougi/index.html自分に何かあったら助けてほしいよなーとか人ごとじゃなく思った。もしおっはーが捕まったら、このブログ見てる人みんなで抗議するからね
悪いことなんもしてへんし。大学のとき、置きビラで注意され、その後毎日放課後拾いにいったよ。意地やね。
自由を規制する今の社会って、すごく窮屈。
変えたいんよなぁ
どうも、この20人というのはある左翼団体の関係者だったようですが、(具体的には彼のサイトを参照してください)やはり、どんな立場であろうと、(暴力行為以外の)抗議行動を、弾圧することは許せないですね。
暴力行為をやる連中に対しても、具体的な容疑が明確にならない限りは、検挙はきわめて慎重にしなくてはならないでしょう。その意味では、最近話題になっている共謀罪は危険な法律だといえますね。
逮捕されてたのは、暴力と反共をこととしている中核派の活動家であり、この種の事件は、大学当局と警察、暴力集団との馴れ合い、泥試合の様相が強いと考えます。
共産党議員がこの法政大の事件をとりあげると、客観的には暴力集団の肩をもつことになり、共産党議員の立場上、よろしくないと思いますよ。
この事件に対して抗議している人は、「中核派」に対していろいろ思っていても、立川のテント村事件、東京での共産党員ビラ配り逮捕事件など、一連の見せしめ弾圧の流れにあるように感じて、抗議しているように思います。
仮に「泥試合」だったとしても、抗議しなかったら、弾圧を認めることになっちゃうし。
どっちにしろ、真相究明が必要だと思います。
事件に優劣をつけるんじゃなくて、気づいた人からどんどん告発していったらいいと思います。
お前の考え方あかんし、いじめられてるけど助けてやんねーって言ってしまったら、自分を危険にさらすことにしかならないと思うんですよね。
おっはーを心配しての助言に、横からちゃちゃ入れてすみません。
法政大の事件について、「共産党は言っていないが、大事な問題だ」というご意見をいただき、たしかに重大だと思ったので書きました。
共産党にとって、ネットの活用は課題となっていますが、ブログの利点はビラとは違って双方向であることです。今回もこうやってご意見をいただくことができました。
党として無難なことを書くだけではおもしろくないと思いますので、少々不確かでも、ツッコミが来るものと期待して書いております。
考えの変化の過程、成長の過程を含んだものとして見ていただければ幸いですし、「それ違うやろ」というツッコミを書いていただければ幸いです。
いくら小原さんが「個人的な見解」と断ったところで、一般人からすれば「共産党議員」の見解に見えるわけです。
問題の根本は、小原さんは、公的な選挙で選ばれた公的な存在であるということです。
小泉首相の靖国参拝を見れば分かるでしょう。たとえ小泉首相が「私的参拝」だと強調し、しかも記帳所で「内閣総理大臣」と記帳しなかった仮定しましょう(記帳は「小泉純一郎」と個人名のみ)。しかし、その場合でも、一般国民からみれば「内閣総理大臣 小泉純一郎」が靖国神社に参拝したととるのです。それが公職のあるということの意味ではないでしょうか。
法政大事件のような複雑な意味合いをはらんだ事件については、「共産党議員」として軽軽しい発言は控えるべきだと思います。無用な誤解を招かないために。
ご検討ください。
ただ心配なのは、この事件のようなことを他でもやられること。前例化されることです。
そういう思いで文章を書いたつもりです。
「誤解」はしたい人は勝手にするもので、自分の努力だけで避けられるとは思いませんが、「軽々しい」ようなノリで実は練られた文章であるよう心がけていきたいと思います。
>「誤解」はしたい人は勝手にする
というより、わざと、「誤解」を広める人がいるということに注意をしたほうがいいのではないかと思います。
I氏を教祖とする某宗教団体がその一例ですね。この宗教団体が小原さんのブログをみて、「共産党議員が暴力集団を擁護した」という「誤解」を意図的に広める危険を私は心配します。
>中核派が何かとか、権力との癒着の構造とか、勉強したいと思います。
中核派についてはこれまでに党関係の文献で繰り返しあきらかにされてきたように、暴力と反共をこととする反社会的・反民主主義的な集団であって、評価ははっきりしていると思います。
彼らが、「言論弾圧反対」という民主主義的な主張を唱えることは、泥棒が「泥棒するな」と唱えることや、殺人者が「殺人するな」と唱えることといっしょではないでしょうか。
そもそもこの法政大の事件だって、何かおかしいです。
なぜこのような暴力集団が、学問の府である大学内に大量に、存在しているのか。ここには、学内の民主的な要求運動が発展することを恐れる大学当局の思惑が見え隠れしているような気がします。大学当局と警察の「泳がせ」政策によって、暴力集団が大学内にのさばり、民主的な学生運動の発展を押しとどめてきたのではないか。
それから、報道によれば、なぜか逮捕された学生らが全員、不起訴釈放になっていることも不思議ですね。大学当局や警察が本当に彼らを取り締まるつもりなら、そんなことにはならないような気がするわけです。釈放されたメンバーらは、再び大学内にもどり、活動するんでしょう。
この事件、どんな癒着構造で起こったかは知りませんが、世間に対して残る結果だけを見れば、学生がビラ配布とかを規制されなおかつ言いがかりで逮捕。
暴力集団が大学と謀って、騒動を起こして、逮捕という前例をつくれば、まじめに活動している学生にとって大きな障害になります。ホンマ腹立つ!