あけぼの

アート、文化、健康、国際・教育、音楽、食・レシピ、日記、エッセイ、旅行記、学問

蛍の街シンシナティ

2008-08-06 17:58:10 | ブログ

 シンシナティの教え子からのEmailに「今年も沢山の蛍を楽しんでいる」とあった。

 シンシナティでは6月から9月まで蛍との共存生活だ。数日間の命を懸命に生きようと輝きながら相互にその生命力を試さんかの如く乱舞する。消え入るような光の糸引きが哀調を誘う。一晩中生命の躍動は続く。湿度が高いことが彼らの活動に関係するのだろう。冬季岩塩を撒いて道路の凍結を防ぐこの国の地表の水は綺麗で、毎年今時分蛍を鑑賞することが出来る。木陰に囲まれている森の中のうちでは夜も窓は開けっ放しで寝る。夏は涼しく冬は温かい自然環境の素晴らしい宿を懐かしんでいる。(彩の渦輪)


消えた生歯 完

2008-08-03 09:25:16 | ブログ

ハイライトはアメリカ、ガタガタになった歯を徹底的に治すつもりで治療を試みた。上下の歯槽膿漏手術でそれに耐えない歯を7本抜いた。参考までに歯槽膿漏の手術は2000ドル。その折奥歯の抜歯はそれ専門の歯医者だった。ブリッジ2箇所の手術で保険では1500ドル、残り7300ドル(80万円以上)は個人で支払った。59歳の時だった。3種の歯医者が協力して治療に当たった。手術でどれだけの年数持ちこたえたか定かでない。それ以降の治療は70歳を超えた現在まで日本とアメリカを往復しながら不具合の都度両方の歯医者で治した。

 いよいよ入れ歯人生が始まる。身体に一体化していない以上それなりの不都合はあるだろう。老いに耐えるために避けて通れないだろう。常に「Ireba」であることの意識さえあれば注意深さが身に付く筈だ。(自悠人)


消えた生歯

2008-08-02 09:34:27 | ブログ

  遂に自分の歯は全部なくなった。人生80年の今は生と死との間に老化と病弱が控えている。一昔前なら入れ歯はなかったから当然死への入口だった。生への執着を諦めさせてくれる機会だった。現代は死を考えなくてもすむが味覚への楽しみは半減され不自由さは免れないだろう。これも老いの証明として付きあわざるを得ないだろう。

 歯で噛むことは脳を刺激し健康で長生きするのに不可欠な必須条件。歯の大切さはなくなってわかるもの。わが歯の治療歴史は半世紀に及ぶ。しかも日米に及ぶ治療は珍しいと思う。歯にまつわる物語もある。南米はベネズエーラのエンゼルの滝壺で泳いだ時、入れ歯が勝手に泳ぎだし、それが沈む前に捕まえようと必死で追っかけた。 

 三朝の岡大付属病院勤務時で20歳の頃、虫歯にクローム冠を被せたのが治療の始まりだった。手提げカバンを忘れて財布を抜かれた歯医者は東京の府中市、カバンだけが近くの空き地に捨てられていた。次々と蝕まれていく歯について色々な治療を試みた。ブリッジや差し歯、多い時には金冠が9本入っていた。いかに噛み心地が良くても12年目にはへたって上部に穴があいて破れた。金冠には2万~4万円(一個)支払った記憶がある。黄金バットの頃が懐かしい。奥歯を抜歯し、貧血で倒れたこともあった。(続く)自悠人

 


梅干の歌:おばばのメモリー

2008-08-01 08:32:44 | ブログ

梅干の歌は子どもの頃おばば(おばあちゃん)に背負われてその背で何度も聞いた歌。おばあちゃんのメモリーと共に思い出す歌。よし、一回手作りしてみようと我が家で取れた梅で7月に「三日三晩の土用干し」をし、添加物一切無しの梅干が出来上がった。ちょっと塩分が多すぎた嫌いはあるが一見美味しそうだ。無添加が嬉しいのでついでに梅ジャムも作った。黒砂糖で煮ただけで甘酸っぱい美味しい梅ジャムができた。そこで最近の我が家の朝食は梅ジャムたっぷりのトーストと刻んだ梅入りスクランブル・エッグ。野菜も勿論酸っぱめの手作りドレッシングで食べる。夫曰く、「ああ、すっぱ!体中が酢漬けになるわ!」(彩の渦輪)

二月三月花が咲き

五月六月実がなって

枝から振るい落とされて

近所の町に運ばれて

何升何合と量り売り

塩に漬かって辛くなり

紫蘇に染まって赤くなり

七月八月暑い頃

三日三晩の土用干し

思えば辛いことばかり

これも世のため人のため

運動会にもついていき

まして戦のそのときにゃ

なくてはならぬこの私

「梅干の歌」:おばばの背中で聞いた歌