遂に自分の歯は全部なくなった。人生80年の今は生と死との間に老化と病弱が控えている。一昔前なら入れ歯はなかったから当然死への入口だった。生への執着を諦めさせてくれる機会だった。現代は死を考えなくてもすむが味覚への楽しみは半減され不自由さは免れないだろう。これも老いの証明として付きあわざるを得ないだろう。
歯で噛むことは脳を刺激し健康で長生きするのに不可欠な必須条件。歯の大切さはなくなってわかるもの。わが歯の治療歴史は半世紀に及ぶ。しかも日米に及ぶ治療は珍しいと思う。歯にまつわる物語もある。南米はベネズエーラのエンゼルの滝壺で泳いだ時、入れ歯が勝手に泳ぎだし、それが沈む前に捕まえようと必死で追っかけた。
三朝の岡大付属病院勤務時で20歳の頃、虫歯にクローム冠を被せたのが治療の始まりだった。手提げカバンを忘れて財布を抜かれた歯医者は東京の府中市、カバンだけが近くの空き地に捨てられていた。次々と蝕まれていく歯について色々な治療を試みた。ブリッジや差し歯、多い時には金冠が9本入っていた。いかに噛み心地が良くても12年目にはへたって上部に穴があいて破れた。金冠には2万~4万円(一個)支払った記憶がある。黄金バットの頃が懐かしい。奥歯を抜歯し、貧血で倒れたこともあった。(続く)自悠人
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