裏の斜面の落ち葉かきを始めたが台所の裏手で「ああ、アライグマたちが毎日顔を覗かせたりお立っちしたな」と思ったらもう胸にぐっと来てRake(巨大熊手Or松葉かき)の手が止まってしまった。この広い緑のグランド・カヴァーの庭(実際は林だ)はもう自分の屋敷で無くなるんだ、と涙ぐみそうになったので30分で切り上げた。またやらなければ。落ち葉でまっ黄黄だ。その下のグリーンを眺めてこの家を去りたいので多忙でも明日からちゃんとRakingしよう。グランド・カヴァーというのは地面を覆う蔦の一種だ。
アライグマたちが餌をねだりに来出して18年、我が家のデッキの下に棲み、朝晩パンを求めて現れた。利巧だったステファニーが初代、食い意地の張ったトッディー、その娘のメレッサはおっとりタイプ、その子どもたちも大きくなった。トッディーに子ども5匹を連れて棲みつかれたときは餌はすぐなるし、真夜中にドンジャラホイと騒ぎ立てるし、大変だった。今はひ、ひ孫の代だ。バルコニーの手すりの上で前足を高く上げて頂戴をする芸は祖母伝来だ。トッディーは子どものときから敏捷でずる賢こかった。パンを投げると一切れを食べながらもう一切れは足で抑えて子どもに取られないようにし、子どもが食べているものまで横取りする慾すっぱな母親だった。浅ましかったが親離れする子どもたちに自然界の厳しさを身体で覚えさせていたのだろう。メレッサは食べている子どもたちをじっと見守り、自分が貰った物だけ食べる優しい母だ。与えられるパンをお立っちして掴む仕草は可愛いが、我々が不在だといつまでも座って待つ。人間を信じきっているメレッサには哀れさが漂った。
思い直してまたRakeを握った。斜面を上から下へ落ち葉を引きずるのでジーパンの脛まで枯れ葉で埋まる。黄色の枯葉を取り除くと下から鮮やかな緑のグランド・カヴァーが顔を出す。木々をまねて紅色になった可愛い葉たちもある。春にはすみれ色の花を咲かせた小さな蔦たち。屋敷周辺の地面を覆ってくれ、林立する木々と共にその風景は誰をも圧倒した。今まで18年、義務でやってた落ち葉掻き。グランド・カヴァーの窒息を防ぐために。だが今初めて、そして最後になろうが、自分のためにやっている。一本一本のグランド・カヴァーに「さよなら」を言うために。裏庭一杯に何十万という蔦さんたちがいる。蔦さんたち、もう会えないだろうけど「元気でネ!」アライグマちゃんたちも「さよなら!」額に汗しつつ、Rakeを振り上げ、引きずりおろす時、アライグマに囲まれたここでの18年の1シーン・1シーンが映画のフィルムを巻き戻すように思いだされる。しっかり心に焼き付いた大事な宝物、私の第二の故郷、CincinnatiはWyoming地区の我が家の裏庭、私の林。(彩の渦輪)
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