同期生会のため郷里米子へ。玄米菜食の先生、TAMIO君(以後T君)は米子東高の同級生だ。飛行機で米子鬼太郎空港に着いたらT君がご夫人、妹様と空港に迎えに出てくださっていた。彼は東京から米子まで途中一泊し、車道中を楽しんで先に着いていたのだ。すぐに米子駅前のホテル・ハーヴェストへ。ここで母校の校長先生や同窓会長さんと会合、提案中の高校生留学についての打ち合わせをし、引き続きT君の運転で筆者の実家まで送って頂いた。翌日は米子市の全日空ホテルで同期生会。会が中締めに近い頃、筆者はT君と壇上に立ち、「T君ご指導の玄米菜食のお蔭で生きてます!」と。彼は筆者の終活第一歩、レコード作りを公開、続いて住友製薬の常務取締役(医薬品開発担当)をしていた薬学の大家J君が立ち、玄米菜食の否定はせず、筆者を持ち上げてくださった:「手術後すぐに危険な国に出歩く勇敢な女性です!」と。有難う!「はい、筆者には放射線治療も化学療法も無し。玄米菜食で身体に活力を、バックパックの旅で精神に活力を得ているんです。」(彩の渦輪)
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