半月もお休みした訳はぎっくり腰。取材旅行に台湾に出かける日だった。重い物をひょいと持ち上げ玄関に運んだまでは良かったが、それをもったまま玄関のドアをお尻で開けようとしたとき、脊椎をハンマーで殴られたような痛さとボキンという音がした。呼吸も困難なほどの痛みにうめいて玄関のたたきに1時間は倒れていた。その時家に一人だった。痛みで呻きながらやっと電話に到着してタクシーで良医と信じていた医者へ。X線、MRIとも第5関節の軟骨の角が欠けてるという診断。だがこの医者は「コルセットをして高い薬を飲めば台湾にも行けますよ」と。「薬は症状を隠しますから不要です」と私。
飛行機代は戻らないが台湾の旅は放棄した。旅行どころか寝返りもうてない重症だった。這ってトイレに行くのも大変な苦痛。夫はぎっくり腰を患って35年、何度もぶり返し、自力で動けるようになった経験をアメリカから電話してきた。「飲まず食わずで2日間じっと寝てろ」と。しかし水は命の根源なので冷蔵庫の前に寝ることにした。這えば痛い人間だから布団を二階から持ってくることが出来ない。薄い敷物と枕代わりのクッションで2日間台所で過ごした。体を回転するだけで痛むので始めは冷蔵庫を開けるのも大変だった。寝返りや上半身を起こす等、姿勢を変えるいかなる動きも背骨に負担をかけずには為し得ないことがわかった。動くなといわれたのにもかかわらず、いかに痛くても初日は動かざるを得なかった。室温が上がるのでエアコンか扇風機が要る、電気のスイッチは高い位置なので電気スタンドが要る、電話機が身近に要る、朝方は冷えるのでどうしても掛布がいる、…痛む腰を気にしながら、かたつむりにも及ばぬ超スローモーで一階中を這いまわった。そして丸2日半は一人で頑張り、その後娘に電話した。娘は治療中の身なので気遣いつつ。その後は友人のヘルプも頼んだが、どうせ寝っ転がっているのが一番なら一人で頑張ろうと思ったわけだった。ちょっと来ていただける人は身近にたくさん居るものの、最低の状態の時は人に会いたくないものだし、介護などを受けると気を使うので休んだ気にならない、という私は昔人間だろう。
腰痛と一病息災の付き合いをしてきた夫はアメリカから「安静!」を連呼し、「コルセットなど目を向けず炎症の鎮静を待つのが最大の治療」と電話で伝え続けた。寝返りも打てないほどの痛みのある病だから「兎に角動くな!」と。「海外旅行も薬と一緒にどうぞ」などと無責任な発言をした金儲け主義の医者には腹が立ったが、今まで動いていた者が痛いからといって全く動かないわけにはいかないものだ。回復は遅れ、起きて自分の口に入る食べ物を料理するまで12日もかかった。若い気でいても肉体は老化という下り坂を一気に下っている。今からの年齢では「元気」は仮の姿に過ぎない、とは夫の言葉だ。私は「きっと元通りに治って見せるぞ!」と思っているのだが。(彩の渦輪)
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