写真は順に平和祈念像、永井隆博士の部屋とデスマスク、浦上天主堂、天主堂の内部
日本という家の平和という大黒柱が傾きつつあるように思える。正月の客が終わるとすぐに平和運動の原点の1つ、長崎へ飛んだ。婦人団体の代表として広島の原水禁大会へ参加したことがあるが長崎は初めてだ。着いたらすぐに平和公園へ。69年前プルトニューム爆弾が落とされ、長崎市の人口24万人中約15万人が死没、地獄絵巻が展開したこの浦上地区は「75年草木は生えない」と言われていたが緑豊かな地に再生を遂げ、恒久平和を願う平和祈念像が天空を突いて聳える。長崎県出身の彫刻家、北村西望作のこの像は、右手は原爆の脅威を示して天を指し、左手は永遠の平和を願って水平に伸ばし、閉じた瞼とその表情は戦争犠牲者の冥福を祈るものという。近くに見える平和の泉は「水を!」「水を!」と言って死んでいった痛ましい犠牲者の霊に水を捧げ慰霊しようと作られ、鳩の羽ばたきと長崎港の鶴を象徴しているそうだ。
如己堂に臥す永井隆博士とアンゼラスの鐘
永井隆博士をご存じだろうか。長崎大学医学部教授だった永井博士の夫人は被爆死、ご自身も被爆、なお被爆者を救援し続けた。著書は『長崎の鐘』、『この子を残して』他、10冊以上、「己の如く人を愛せよ」と「如己堂(にょこどう)」と名付けた庵に住んだ。この質素な庵を訪問、病の床に横たわる往年の氏の姿とデス・マスクを見たが、この博士の映画を見て泣きながら歌を歌っていた叔母を思いだし、筆者も涙ぐみつつこの歌を歌っている時、歌の伴奏のごとくアンゼラスの鐘が鳴った。原爆の廃墟に再建された浦上天主堂から響くアンゼラスの鐘だった。
こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ
うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ
慰め励まし長崎の ああ、長崎の鐘が鳴る
召されて妻は天国へ 別れて1人旅立ちぬ
形身に残るロザリオの 鎖に白きわが涙
慰め励まし長崎の ああ、長崎の鐘が鳴る
帰宅後、この歌ばかり歌っている。続く。(彩の渦輪)