私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Johann Sebastian Bach: Johannes-Passion, BWV 245
Teldec Das Alte Werk 2564 69644-4
演奏:Wiener Sängerknaben, Chorus Viennensis, Concentus musicus Wien, Nikolaus Harnoncourt, Hans Gillesberger

ヨハン・ゼバスティアン・バッハの死後、次男のカール・フィリップ・エマーヌエル・バッハとゼバスティアン・バッハの弟子であったヨハン・フリートリヒ・アグリコーラらによって書かれ、1754年ミーツラーの「音楽文庫(Musikalische Bibliothek)」に掲載された「死者略伝(Nekrolog)」には、バッハの受難曲が5曲有ると記されている。しかしバッハの真作として実在するのは、「マタイ受難曲(Matthäus-Passion)」(BWV 244)と「ヨハネ受難曲(Johannes-Passion)」(BWV 245)の2曲のみである。マルコ福音書による受難曲(BWV 247)は、1732年にクリスティアン・フリートリヒ・ヘンリーツィが出版した詩集の第3部に掲載されている歌詞で知られているが、音楽は失われ、部分的に復元出来るに過ぎない。さらにルカの福音書による受難曲(BWV 246)が、1730年4月7日にバッハによって演奏されたが、このバッハとカール・フィリップ・エマーヌエル・バッハによって作製された総譜は、過去に真作と考えられたこともあり、旧バッハ全集(BG)でも疑わしい作品だが、結論が出ていないとして出版された。しかし、現在ではこの作品もバッハの真作ではないと考えられている。バッハは、ライプツィヒのトーマス・カントールである間に、自作ばかりでなく、ラインハルト・カイザーなど他の作曲家の受難曲を演奏していた事が分かっており、このルカ受難曲もそのひとつと見なされている。残りの1曲については、全く手がかりがない。
 バッハは、ライプツィヒのトーマス・カントールに就任して初めての聖金曜日、1724年4月7日に、ヨハネ福音書による受難曲、いわゆる「ヨハネ受難曲」を演奏した。この作品には、オリジナルのパート譜が残っているが、そのパート譜に使用された用紙、写譜作製に従事した人物などが複雑に入り組んでおり、幾つかにグループ分けされたパート譜群の前後関係の判断が非常に難しい。一方オリジナルの総譜は、1739年頃にバッハ自身が作製を始めたが、10頁目の終わり、第10曲の福音書記者の朗唱の42小節の途中まで記入して中断してしまった。そして残りの部分は、バッハの晩年にコピストとして、この「ヨハネ受難曲」の最後のパート譜グループなどいくつもの作品の写譜に従事した、ヨハン・ナタナエル・バムラー(Johann Nathanael Bammler, 1722 - 1784)によって完成された。この様な複雑な伝承状況を整理して、新バッハ全集の第II部門第4巻を編纂したアーサー・メンデルの研究結果に基づいて、「ヨハネ受難曲」の成立とその後の経過を簡単に述べてみよう*。
 1724年4月7日に初演した後、バッハはこの作品にかなり手を加え、翌1725年3月30日に再び演奏した。その後も何度か再演されたが、現在ある程度確実に推定出来るのは、1732年4月11日と1749年4月4日である。これら3回の再演に於ける作品の状態は、現存するパート譜によってある程度再現出る。中でも1725年の2度目の演奏の際は、前年の初演からかなりの変更が加えられており、第1曲目のコラール「おお人よ、おまえの罪の大きさに泣け(O Mensch bewein dein’ Sünde groß)」、最後の第40曲のコラール「キリスト、汝神の子羊(Christ, du Lamm Gottes)」などいくつもの曲が他の曲に代えて加えられた。この時加えられた最初のコラールを始め幾つかの曲は、すでにヴァイマールで作曲された曲を転用したものと考えられている。しかし、これら新たに加えられた曲は、1732年の演奏の際は再び取り除かれ、1724年の初演の状態に戻された。そして、この1725年の演奏の際の第1曲は、1727年に初演されたと考えられている「マタイ受難曲」(BWV 244)の第1部の終わり、第29曲に転用された。
 バッハが1739年頃に総譜を作製しようと考えたのは、おそらく当初作曲の際に作製し、その後何度も手を加えた結果、非常に読みにくくなった最初の総譜に代えて、作品の現状を明確にさせようという意図からであったと思われる。これは、1736年に「マタイ受難曲」を再演した際に、新たに自筆の総譜を作製したことと符合している。しかし、「ヨハネ受難曲」の新しい総譜の場合、途中で作製を止めてしまったのは、予定していた再演を、何らかの事情で中止したためではないかと考えられている。この総譜の残りの部分は、上述したように、1749年の再演の折りに、バムラーによって記入された。
 現在の「ヨハネ受難曲」は、この一部自筆の総譜に残された状態が最終形となっているが、上述したオリジナルのパート譜によって、初演以来の様々な段階での形態を辿ることが出来、新バッハ全集の第II部門第4巻には、古い形の楽章や1725年の演奏の際にのみ含まれていた楽章も掲載されている。
 なお、この「ヨハネ受難曲」のパート譜には、ソプラノ、アルト、テノール、バスのリピエーノのための譜や複数のヴァイオリンやヴィオラのための譜が含まれており、この事が、単にこの「ヨハネ受難曲」だけでなく、特に教会暦上の重要な祝日や日曜に演奏されたカンタータにおいても、決して各パート1人の編成ではなかったことを示している。最近一種の流行りになっているOVPP(One Voice par Part)の編成は、ライプツィヒの聖ニコライ教会や聖トーマス教会の礼拝に於けるカンタータ等の声楽曲の演奏には適用されるべきではないことを、実際の原典が示していると言えよう。この事は、1730年にバッハがライプツィヒ市の当局に提出した文書でも確認出来ることであり、OVPPの原則をバッハのすべての作品に適用することが誤りである事を明確に示している。
 今回紹介するCDは、声楽部を男声のみによって歌っている、現在唯一のオリジナル編成による演奏、ニコラウス・ハルノンクール指揮、コンセントゥス・ムジクス・ヴィーン、ヴィーン少年合唱団等による、テルデック・レーベルの2枚組である。この録音は、1965年4月と7月にヴィーンで行われ、1966年に2枚組のLPで発売された。このコンセントゥス・ムジクス・ヴィーンの編成は、実際のバッハの演奏の際の編成に比較すると大きく、第1,第2ヴァイオリン合わせて8人、ヴィオラ、チェロ各2人という編成になっており、合唱の各パートの人数も多いと言う問題はあるが、それよりもすべての独唱、合唱が男声のみと言う、当時の演奏を再現している唯一の演奏であることの価値は、何物にも代え難い。ワーナーは、ハルノンクールの場合、「ヨハネ受難曲」、「マタイ受難曲」、それに幾つかの教会カンタータを女性歌手を起用して再録音しているが、それにもかかわらず、以前のオリジナル編成の録音を現在も販売している事は、高く評価されるべきである。

発売元:Warner Classics & Jazz


* Johann Sebastian Bach. Neue Ausgabe sämtlicher Werke, Serie II•Band 4 Johannes-Passion, kritischer Bericht von Arthur Mendel, Bärenreiter Kassel • Basel • Tours • London, 1974

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