Johann Sebastian Bach: Well-Tempered Clavier - Book I
WILDBOAR WLBR0401
演奏:Edward Parmentier (Harpsichord)
バッハの「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」は、オクターヴの12音すべてを基音とした長調と短調、24の調性の前奏曲とフーガからなる作品であるが、この曲集を演奏するに際して、バッハがどのような音律を想定していたかは、自身の記述が無く、息子達や弟子達による証言も無いので不明である。「死者略伝」には、「彼はチェンバロの調律に於いて、すべての調性が美しく、快く響くよう純正に、正しく調整する方法を知っていた。彼にとっては、人が不純な調律だとして避けるような調性はなかったのである。(注1)」と言う記述があり、ヨハン・ニコラウス・フォルケルの 「ヨハン・ゼバスティアン・バッハの生涯、芸術及び芸術作品について」には、「また彼はチェンバロもクラヴィコードも自ら調律した。その作業は15分を越えることがなかった(注2)」という記述があるが、何れも具体的な調律法を示すものではない。また、次男のカール・フィリップ・エマーヌエルがフォルケルに宛てた手紙の中で、バッハがミツラーの音楽学協会に入会したことに関連して、「故人は、私を始めすべての音楽家達と同様、無味乾燥な数学の類の愛好者ではありませんでした。(注3)」と書いている。この言葉から、バッハが調律について書いたり、音律を提案したことはなかったと言うことが、充分に理解出来るのである。 バッハは、徹頭徹尾実践的な音楽家で、音楽を理論としてではなく、あくまでも音楽作品として表現していたのである。 バッハがミツラーの音楽学協会に入会したのは、音楽の理論的研究をするためではなく、親しい友人であったミツラーに入会を要請されたことと、テレマンやヘンデル、グラウンが加入していたため、自分も加わろうと考えたからである。入会に際してバッハは、論文ではなく、コラール「高き天より私はやってきた(Vom Himmel hoch da komm ich her)」によるカノン形式の変奏曲(BWV 769)を提出し、同時に提出したエリアス・ゴットロープ・ハウスマンに画かせた肖像画の中にも、手に持った紙にカノンが描かれていたことからも、バッハの考えが明確に示されている。
バッハの調律法に関連して、具体的な言葉として唯一残されているのは、マールプルクがキルンベルガーから聞いた話として伝えている、「すべての長三度を鋭くする(注4)」と言う言葉である。「鋭くする」という意味は、純正な音程から外れることによって発生する「うなり」があると言うことである。ただこの言葉は、間接的な伝聞であり、またマールプルクが平均律の提唱者であったことを考慮する必要があるかも知れないが、 唯一調律についての考え方を示す言葉であるから、 全く無視することは出来ないように思われる。
当時のドイツ、チューリンゲン、ザクセン地方に於いては、オルガンはほとんど例外なく中全音律で調律されていたと思われ、バッハも教会における演奏など、日常的にはこれにしたがっていたと考えるべきだろう。その一方で、北ドイツのオルガンの巨匠、ディートリヒ・ブクステフーデは、ヴェルクマイスターの助言を受けて、自身がオルガニストを努めていたリュベックの聖マリア教会のオルガンをヴェルクマイスター音律に調律し、それによって可能となった、より自由な調性を作品に反映させていた。1705年末から1706年初めにかけてリュベックを訪れたバッハは、ブクステフーデから多くのものを学んだ。このリュベック訪問以降のバッハの作品には、調性の自由度が増していると指摘する研究者も居る。
一方、バッハの弟子であったヨハン・フィリップ・キルンベルガーの著書「純正作曲技法(注5)」は、師の教えに基づいて書かれたものと考えられており、この著書の中で提起した音律、いわゆる”Kirnberger II”が、バッハの音律ではないかという推定もなされている。このヴェルクマイスターとキルンベルガーの2つの音律は、何れもピュタゴラスの音律を基本として、それにより広い調性の自由を与えようとして考案されたものである。ヴェルクマイスターの場合は、8つの調性で完全五度が純正であり、キルンベルガーの場合は9つの調性で純正である。ヴェルクマイスターは、調性の自由度を増すために、長三度をその使用頻度に応じて、「音感が我慢出来る程度に(注6)」純正からずらすことによって、ウルフを解消し、調性によって和音の純度が異なっているとはいえ、すべての調性が実用に耐えるものになっている。一方のキルンベルガーは、ハ長調とト長調の主三和音を純正にした反面、他の調性の和音の響きを多少犠牲にする道を選んだ。この何れの音律をバッハが採用していたかは、議論が分かれているが、上に挙げたマールプルクがキルンベルガーから聞いたという、バッハが「すべての長三度を鋭くする」という指示をしていたことが事実であったとすれば、ヴェルクマイスターの音律か、それに多少の修正を加えたものであった可能性が高い。 バッハが”Das Wohltemperierte Clavier”と言う標題を採用した背景には、ヴェルクマイスターの著作の表現が有ると考えられている。
ところで、オリジナル楽器による「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」は、多くの演奏家によって録音され、現在もCDとして入手出来るが、一部の例外を除いて、その演奏がどのような音律で調律されたものかは記されていない。筆者はそれらのいくつかを聴いたが、すべてが平均律で調律されているとは思えなかった。
今回紹介するCDは、「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」第1巻を、ヴェルクマイスターの音律で調律されたチェンバロで演奏したと明記されている。具体的に詳しくその音律については説明されていないが、おそらくいわゆる「ヴェルクマイスターの音律」として知られる音律を意味しているのであろう。1691年にヴェルクマイスターが出版した音律についての著書では(注7)、合計6種の音律が紹介されているが、そのうちの第1の音律は自然音律で、第2の音律は中全音律、そして第3の音律が現在「ヴェルクマイスターの音律」と言われている、ピュタゴラス・コンマを4分割し、C-G, G-D, D-AとH-Fisの4カ所で完全五度を純正より狭く調律するものである。それによって、純正な完全五度は12の内8となり、他の4つは中全音律の完全五度、いわゆるミーントーン五度とほぼ同じになる。長三度はすべて純正ではなく、セント値ではハ長調とヘ長調で4セント広く、ト長調、ニ長調、変ロ長調でプラス10セント、イ長調、ホ長調、変ホ長調、ロ長調でプラス16セント、そして嬰ハ長調、変イ(嬰ト)長調、嬰へ(変と)長調で22セント広くなる。音律で重要なのは、このような和音だけではなく、全音及び半音の間隔に違いがあることで、それが旋律に違いをもたらす。こうした和音と旋律進行の違いが、調による性格となって現れるのである。
このCDで演奏しているのは、アメリカの鍵盤楽器奏者、エドワード・パーメンティーア(Edward Parmentier)である。パーメンティーアについてはすでに、「エリザベスI世時代イギリスの鍵盤楽器のための作品」で紹介しているが、プリンストン大学で古典と音楽学、ハーバード大学で教育の学位を取得、チェンバロはグスタフ・レオンハルトとアルバート・フラーに、オルガンをリチャード・コネリーらの教えを受けている。現在はミシガン大学の音楽学科の教授として、チェンバロ、オルガン、指揮法などを教えている一方、演奏家としてアメリカをはじめ、各国で演奏を行っている。
演奏しているチェンバロも、おそらく同じ1640年ヨハネス・リュッカース(Johannes Ruckers, 1578 - 1642)作の、現在ドイツ、ミュンスターのエルプドロステンホーフにあるチェンバロをもとに、アメリカ合衆国ミシガン州マンチェスターのキース・ヒルが製作したものであろう。演奏のピッチは記されていない。
この演奏を注意深く聴くと、調性によって微妙な響きの違いがあることが分かるが、決して不快な和音や、不自然な旋律進行は感じられない。この演奏を聴けば、バッハの「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」が平均律でなくても、すべての調性で演奏可能なことが理解出来るであろう。ただ、純正な長調の三和音が無いことに不満を感じる人もあるだろう。すべての調性で不快な響きを生じないことと引き替えに、「音感が我慢出来る程度に」純正さを失うという犠牲を払わなければならないのだろう。それでも、平均律の画一的で、決して美しいとは言えない響きに比較すると、調性によっては、ずっと美しい和音が得られることで、満足するべきなのかも知れない。
ワイルド・ボア・レーベルは、 ジョセフ・スペンサーが1980年代の初めに創設したもので、バロック、ルネサンスの音楽、特に鍵盤楽器のための作品を中心としている。現在はスペンサーがその経営を引き受けたアメリカ、カルフォルニア州、バークレイのカリフォルニア州立大学バークレイ校の前にあるクラシック専門のレコード・ショップ、カフェ、「ミュージカル・オファリング(The Musical Offering)」が発売元になっている。枚数は少ないが、よく吟味された曲目を選んでCD化している。このCDは、現在CDショップではなかなか入手が難しそうである。筆者は直接「ミュージカル・オファリング」に連絡を取って購入した。
発売元:The Musical Offering, Wildboar Records
注1 Bach-Dokument III-666
注2 Johann Nikolaus Forkel, "Ueber Johann Sebastian Bachs Leben, Kunst und Kunstwerke", Hoffmeister und Künel, Leipzig, 1802, p. 17
注3 Bach-Dokument III-803
注4 Friedrich Wilhelm Marpurg, “... Versuch über die musikalische Temperatur, nebst einem Anhang über den Rameau- und Kirnbergerschen Grundbaß, und vier Tabellen....” Breslau, Johann Friedrich Korn, 1776, p. 213: マールプルクはこれを敷衍して「調律に於いて、すべての長三度を鋭くする、すなわちすべてうなりを発するようにするべきで、純正な長三度が生ずることはあり得ないと言うことで、したがって81/80高くした長三度は不可能という事である」と解説している。
注5 Johann Philipp Kirnberger, “Die Kunst des reinen Satzes in der Musik”, 1771/76-79
注6 “...so viel das Gehör ertragen kann”, “Harmonologia Musica” (1702)
注7 Andreas Werckmeister, “Musicalische Temperatur, oder deutlicher und warer mathematischer Unterricht”, Frankfurt am Main und Leipzig, 1691
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