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私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




J. S. Bach: The works for lute in original keys & tunings
Sony Classical S2K 45858
演奏:Lutz Kirchhof (Theorbo, Baroque Lute)

バッハのリュートのための作品は7曲有るが、それはバッハの作品の中では極めて小さな部分を占めるに過ぎない。しかもその内3曲は、他の楽器のための作品の編曲である。この様に、バッハがリュートのための作品をわずかしか作曲しなかった理由は、ひとつにはリュートという楽器の全盛期が16世紀と17世紀にあり、18世紀には衰退に向かっていたことが挙げられるであろう。また、バッハがリュートを弾くことが出来たかどうかは、明確な証拠や証言はないが、死後の遺産目録には、1挺のリュートが挙げられていることから、完全には否定出来ない*。
 バッハのリュートのための作品の真作かどうかの検討、作曲時期、楽器については、新バッハ全集の第V部門第10巻のトーマス・コールハーゼによる校訂報告書の序文で詳細に論じられており、特に楽器に関する記述は、これらの作品に関する研究の中でも非常に重要なものと言える**。
 作曲された時期については、まず組曲ホ短調(BWV 996)の最も古い筆写譜が、ヨハン・ゴットフリート・ヴァルターによって1714年から1717年にかけて作製されたもので、ヴァイマール時代あるいはそれ以前の作と思われる。続いて、前奏曲ハ短調(BWV 999)がケーテン時代(1717年から1723年)の作と考えられているが、唯一の原典である筆写譜は1727年以降にヨハン・ペーター・ケルナーによって作製されたもので、作曲時期は確定出来ない。無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番(BWV 1001)の第2楽章を原曲とするフーガト短調(BWV 1000)は、ライプツィヒでバッハと交友関係にあったリュート奏者、ヨハン・クリスティアン・ヴァイラウフ(Johann Christian Weyrauch, 1694 - 1771)によるフランス風リュート図譜(Tabulatur)が原典となっている。そのため、この曲はバッハの作ではなく、ヴァイラウフによる編曲ではないかという疑念が持たれているが、コールハーゼは、この編曲の様式的な質から、おそらくバッハによる5線譜からヴァイラウフがリュート図譜を作製したものと考えている**。その作成時期は明らかでないが、原曲には1720年に作製された自筆の浄書譜があるので、それ以降の作と思われる。無伴奏チェロのためのパルティータ第5番を原曲とする組曲ト短調(BWV 995)には、バッハの自筆譜が存在し、1727年から1731年の間に作製されたと思われる。この自筆譜には、明らかにリュートのための編曲をしながら作製したことが分かる多くの修正がある。自筆の献呈を示す標題「シュスター氏のためのリュート曲、J. S. バッハによる(Pièces pour la Luth à Monsieur Schouster par J. S. Bach)」があり、その人物は不明だが、何らかの機会にその人物に献呈したものと思われる。しかしこの標題は後に記入されたもので、献呈が直接作曲の動機であったのかどうかは分からない。無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番(BWV 1006)の編曲である組曲ヘ長調(BWV 1006a)には自筆譜があり、現在武蔵野音楽大学の図書館に所蔵されている。この自筆譜は浄書譜で、1735年から1740年、おそらくは1736年か1737年に作製されたものと思われる。コールハーゼは、1739年にヴィルヘルム・フリーデマンと共に、ドレースデンのリュート奏者、ジルヴィウス・レオポルト・ヴァイスとヨハン・クロップガンスがライプツィヒを訪れ、バッハの家で演奏を楽しんだという、当時バッハの秘書のような仕事をしていたヨハン・エーリアス・バッハの書簡の記述***に言及して、その機会にバッハがヴァイスのために編曲したのではないかという推定をしているが、この自筆譜はそれより2年ほど前に作製されているようなので、必ずしも正しくないように思える。しかし他の2つの編曲(BWV 995とBWV 1000)の場合は、シュスターとヴァイラウフというリュート奏者との関連が分かっており、この編曲も誰か特定のリュート奏者のために作曲されたと考えるのが妥当だろう。
 前奏曲、フーガとアレグロ変ホ長調(BWV 998)と組曲ハ短調(BWV 997)は、おそらくオリジナルの作品で、いずれもバッハとしては珍しいダ・カーポ・フーガを含んでいる。前奏曲、フーガとアレグロ変ホ長調には自筆譜があり、現在上野学園が所有している。その用紙や筆跡からコールハーゼは、1740年代の始めから中頃までに作製されたと判断しているが、小林義武はその筆跡から1735年頃と考えている****。組曲ハ短調は、ヨハン・フリートリヒ・アグリコーラによる筆写譜があり、1740年頃に作製されたと考えられている。
 この7曲の作品は、必ずしもすべてがリュートのための作品と考えられているわけではない。組曲ト短調(BWV 995)については、バッハの自筆で「リュートのための(pour la Luth)」と書かれており、前奏曲ハ短調(BWV 999)の筆写譜の標題にも「リュートのための(pour la lute)」と書かれているので、リュートのための作品であることが確実であるが、その一方で前奏曲、フーガとアレグロ変ホ長調(BWV 998)の自筆譜には、バッハ自身が「リュートあるいはチェンバロ(pour la Luth ó Cembal)」と記しており、バッハがチェンバロによる演奏も想定していたと思われる。組曲ハ短調(BWV 997)とフーガト短調(BWV 1000)にはリュート図譜が存在し、間接的にリュートの作品であることを示している。組曲ホ短調(BWV 996)の筆写譜のひとつには、「ラウテンヴェルクで(aufs Lautenwerk)」と言う記入があり、さらに別のバッハのオルガン曲集の筆写譜の中にイ短調に移調されたこの作品が含まれており、ここでは明らかにオルガンのための作品とされている。組曲ヘ長調(BWV 1006a)の自筆譜には、バッハ自身の楽器指定はない。この事から、前奏曲、フーガとアレグロ変ホ長調(BWV 998)と組曲ホ短調(BWV 996)は、本来リュートのための作品ではないという考えが存在し、他の曲についても、リュートのためと明記されている作品を除いては、鍵盤楽器での演奏を想定して作曲されたと考える者も居る。その中には、リュート奏者による、演奏の困難さから来る疑念も含まれる。
 ラウテンヴェルク(あるいはラウテンクラフィーア)と言う楽器は、金属弦を用いるチェンバロの弦を羊腸弦にした楽器で、その分張力も弱く、リュートに近い音がする。バッハの死後の遺産目録には、2台のラウテンヴェルクが含まれており、バッハがこの楽器を所有していたことが分かる*。しかし、このラウテンヴェルクは1台も残っておらず、実際の楽器の姿は不明である。実際に上の2曲を含めて、バッハのリュートのための作品を、再現されたラウテンヴェルクで演奏したCDがナクソスから出ており、これを聴いてみると、この楽器のためである可能性がある2曲も含めて、それらは明らかにバッハの鍵盤楽器のための作品とは異なっている。バッハの鍵盤楽器のための作品では、左右の手に平等にその役割が与えられているのに対して、リュートのための作品をこの楽器で奏すると、明らかに左手がヒマをもてあましている様子が分かる。それにリュートでは自然な流れに聞こえる曲が、ラウテンヴェルクで奏すると、流れが滞って、ぎこちなく聞こえるのである。この様に実際に演奏を聴いてみれば、前奏曲、フーガとアレグロ変ホ長調(BWV 998)と組曲ホ短調(BWV 996)も本来はリュートのための作品として作曲されたもののように思える。
 リュートは通常2本1組の弦が張られており、これを「コース(courses, ドイツ語ではChöre)」と呼び、高音域ではユニゾン、低音域ではオクターブに調弦される。コールハーゼは、前述の校訂報告書の序文で、これら7曲をリュートのための作品と考えた場合、どのような種類のリュート属の楽器であるかを検討している。前奏曲ハ短調(BWV 999)は10コース、組曲ホ短調(BWV 996)は11コース、組曲ハ短調(BWV 997)、前奏曲、フーガとアレグロ変ホ長調(BWV 998)、フーガト短調(BWV 1000)および組曲ヘ長調(BWV 1006a)は13コース、そして組曲ト短調(BWV 995)は14コースのリュートが必要だとのことである。 この組曲ト短調(BWV 995)の14コースのリュートが、18世紀前半に存在したかどうかは明らかではないようだが、この曲は明確にバッハのリュート曲であるとの表記があり、その音域をも考慮すると、2つの糸倉を備え、長さの異なるネック、指板が一体になったリュート、ドイツ語で”theorbierte Laute”と呼ばれるリュートではないかと考えている(写真参照)。


“Theorbierte Laute”の例:Ekkehard Schulze-Kurz Offizielle Homepageのギャラリーに掲載されている図版を引用した。

 また、コールハーゼは、ナルシソ・イェペスが1972年と73年にアルヒーフに録音した際の楽器についても触れている。この楽器は、1972年にオランダのニコラアス・ベルナルド・ファン・デア・ワアルスが製作した14コースの”theorbierte Laute”で、高音部2コースは単一弦であとは2弦、低音部の4コースはテオルベ弦で、いずれもオクターブで張られており、指板がなく、開放弦でのみ鳴らすことが出来る。他の2弦が張られている8コースは、ユニゾンに張られているそうだ。このアルヒーフの録音は、1973年にアナログLPで発売されたが、残念ながら現在はCDでも発売されていないようだ。
 今回紹介するCDは、ルッツ・キルヒホフがリュートとテオルベによって演奏したバッハのリュートのための作品全曲である。その表題に、「オリジナルの調性、リュート調弦による(英:in original keys & tunings; 独:in originalen Tonart und Lautenstimmungen)」とあり、キルヒホフ自身が添付の解説で、バッハのリュート曲の演奏の難しさから、しばしば演奏し易い調に移調したり、本来リュートでは行われない調弦をしたりするが、それは作品の本質を損なうことになると考え、あくまでも曲の本来の調性と、リュートの調弦を維持して演奏したと述べている。キルヒホフは、1953年にフランクフルト・アム・マインで生まれたリュート/ギター奏者である。キルヒホフが演奏している楽器は、いずれもドイツ、ラインラント・ファルツのヘルムート・ボーア作のテオルボとバロック・リュートであるが、楽器の詳細は記されていない。バロック・リュートは組曲ホ短調(BWV 996)と組曲ホ長調(1006a)の演奏に使われており、他はテオルボで演奏されている。
 バッハのリュートのための作品のレコード(CD)は、他にホプキンソン・スミスやポール・オデットなどの録音があるが、このキルヒホフのCDは、残念ながら現在本国のソニー・クラシカルでも、日本のソニー・ミュージックでも廃盤になっており、入手出来ない状態にある。

発売元:Sony Music Classical & Jazz


* Bach-Dokumente II-627
** Johann Sebastian Bach: Neue Ausgabe sämtlicher Werke, Serie V Band 10: Einzeln überlieferte Klavierwerke II und Kompositionen für Lauteninstrumente. Kritischer Bericht von Hartwig Eichberg [Klavierwerke] und Thomas Kohlhase [Lautenkompositionen], p. 90 - 101
*** Bach-Dokumente II-448
**** Yoshitake Kobayashi, “Zur Chronologie der Spätwerke Johann Sebastian Bachs Kompositions- und Aufführungstätigkeit von 1736 bis 1750”, Bach-Jahrbuch 1988, p. 65


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