私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 



 音楽の演奏に使用される楽器は、時代とともに、作曲者や演奏者の要求し応じて絶え間なく手が加えられ、音楽が広く大衆に享受される様になると、さらに広い演奏会場においても充分な音量が得られるような工夫もされるようになった。例えば横吹の笛、フルートは、古くから有る楽器だが、ルネサンス時代には6個の指穴を持つ単純な構造の楽器であった、バロック時代にはこれに小指で開閉するキーが1個付けられ、基音の半音上の音が出せるようになった。この楽器は18世紀の中頃から次第にキーが追加され、1830年頃にドイツのテオバルト・ベームが考案した鍵機構がもとになって、今日のフルートに至っている。材質も「木管楽器」にもかかわらず、銀などの金属が使われるようになった。他の楽器についても同様な変遷を経て、安定した音程、広い音量の幅、大きな音量が得られるものとなってきた。その過程で、リコーダーやチェンバロなど、演奏では使われなくなり、横吹フルートやピアノで代用される様な例も少なくない。
 しかしこうした「新しいものは常に古いものより良い」という考えに疑問を呈する人も少なからずいた。ポーランド生まれのワンダ・ランドフスカ(1879 ? 1959)はもともとピアノを学んでいたが、やがてチェンバロに興味を持ち、1903年にチェンバロ奏者として演奏活動を始めた。ランドフスカは自ら設計したチェンバロを、フランスのプレイエル社に製作させ、演奏に使用した。このランドフスカの活動は、「古楽器」演奏の先駆けといえるものだが、当時としては孤立した存在であった。
 「古楽器」による演奏が大きな流れとなるのは、第二次世界大戦後のことである。 1950年代から、鍵盤楽器奏者のグスタフ・レオンハルト、リコーダー奏者のフランス・ブリュッヘン、ヴィオラ・ダ・ガムバ奏者のニコラウス・アルノンクール、ヴィオラ・ダ・ガムバ奏者のヴィーラント、ヴァイオリン奏者のジギスヴァルト、フルート奏者のバルトルトのクイケン兄弟等が活動を始め、次第にその意味を認められるようになってきた。
 筆者が「古楽器」の演奏にこだわるのは、音楽作品は、それが作曲された時に用いられていた楽器のために書かれたもので、その楽器の持つ音色や音程、演奏上の制約も全てその曲の本質に関わるものであると考えるからである。弦を弾いて音を発するチェンバロの為の作品は、弦を叩いて音を出すピアノで演奏したのでは、決してその曲の本質を表現することは出来ない。同じようにリコーダーはフルートでは代用できない、と考えるからである。
 もともと中世やルネサンスの作品の演奏には、最初からオリジナルの楽器を使用する事が普通に行われていた。それは作品の様式や、使用される楽器が近代楽器による演奏になじまないと考えられたからだと思われる。現在では、それに続くバロック時代の曲にとどまらず、古典派からロマン派の作品も、オリジナル楽器で演奏されるようになってきた。「古楽器」による演奏は、単に楽器が近代楽器と異なるだけではなく、その奏法も異なる。奏者はそのために、当時の記録をたどって、アーティキュレーションや指使いなどを研究して、それぞれの楽器に要求される演奏技術を身に付けなければならない。しかし、「古楽器」による演奏が広く受け入れられる様になると、使用している楽器は古楽器だが、奏法は現代楽器の奏法と同じという奏者も現れてきた。ここでは奏法についても、気がついた点に触れてゆきたいと考えている。
 紹介するCDは原則として、CDの為に新たに録音されたデジタル録音の演奏のものとするが、他に代えがたい優れた演奏や歴史的録音は、すでにLP時代に発売され、のちにCD化されたアナログ録音のものも加えようと思う。

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