私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




J. S. Bach: Musikalisches Opfer BWV 1079
Deutsche harmonia mundi 05472 77307 2
演奏:Barthold Kuijken (Traversoflöte), Sigiswald Kuijken (Violine), Wieland Kuijken (Viola da gamba), Robert Kohnen (Cembalo)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作であることが分かっている2つの旋律楽器と通奏低音のためのトリオソナタは、2曲しかない。1曲は2つのフラウト・トラベルソと通奏低音のためのトリオソナタト長調(BWV 1039)で、もう1曲は、「音楽の捧げ物」に含まれるフラウト・トラベルソ、ヴァイオリンと通奏低音のためのトリオソナタハ短調(BWV 1079, 3)である。2つのフラウト・トラベルソと通奏低音のためのトリオソナタト長調の最も古い手稿は、一部にバッハの自筆を含むオリジナルのパート譜で、その作成時期については明確ではないが、筆者の一人が、その筆跡からバッハの三男、ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルト・バッハ(1715年~1739年)である可能性が指摘されており、もしそうならベルンハルト・バッハが親元を離れる1735年以前に作製されたと言うことになる。そのとき20歳であったから、5年ぐらいしかさかのぼることは出来ないだろう。この曲は、ヴィオラ・ダ・ガムバとチェンバロのためのソナタト長調(BWV 1027)の形でも存在し、こちらの方が後で成立したと考えられている。バッハの室内楽作品については、ケーテン時代(1717年から1723年)にそのほとんどが作曲されたと考える研究者が依然として多い。しかしこの2つのフラウト・トラベルソと通奏低音のためのトリオソナタのように、現存する原典が、ライプツィヒ時代に作製されたものが他にもあり、この様な説は次第に根拠を失ってきている。未だに元になった別の編成の原曲の存在を想定して、何とかケーテン時代に作曲されたという根拠を求めようとする研究者もいるが、そのような証拠は存在せず、憶測の域を出ていない。したがって、この2つのフラウト・トラベルソと通奏低音のためのトリオソナタも、ライプツィヒ時代、おそらくは1730年代前半の作と考えるべきだろう。
 「音楽の捧げ物」は、バッハが1747年5月7日から8日にかけてプロイセンのフリートリヒII世(大王)の宮廷を訪問した後、ライプツィヒに戻ってただちに作曲に取りかかり、7月10日にはブライトコップに表紙の印刷費を支払い、9月末には印刷が完了したことが9月30日付けの「ライプツィヒ新聞」に掲載された出版広告によって分かっているので、この4ヶ月余りの間に、すべてを作曲したことになる*。この「音楽の捧げ物」に含まれるソナタも「王の主題」に基づいて作曲されたことは明かで、バッハの作品の中でも、最も作曲時期が限定できる曲である。2つのフラウト・トラベルソと通奏低音のためのトリオソナタと同様、この「音楽の捧げ物」のトリオソナタも、緩・急・緩・急の4楽章からなる「教会ソナタ」の形式を取っている。第4楽章は6/8拍子であるが、ジーグのリズムは感じられない。第2楽章のアレグロでは、フリートリヒ大王から提示された主題が、第2主題として用いられている。
 このトリオソナタはハ短調で、フラット3つの調性である。本来フラウト・トラベルソは、シャープ系の調性の方が演奏しやすい楽器である。それをバッハがフラット系の調性で書いた背景には、クヴァンツが考案したと思われるフラウト・トラベルソがあったと思われる。当時のフラウト・トラベルソは、基音がd’で、d’♯(dis’)を得るためのキーをひとつ備えていた。この楽器では、基本調性のニ長調と、シャープとフラット各二個までの調性における音程の不備は、運指や吹き方、息の強さなどの調整で補われていた。しかしそれがシャープ三つのイ長調や四つのホ長調になると、特にgis"の不安定さによって、演奏技術上の要求は大きくなる。dis' は、唯一のキーによって得ることが出来るが、キーであるため、その開け方で音程を調整することは出来ない。これがフラット三つの変ホ長調になると、常に最低三つ、es'、es"、as"、さらにf"/fis" も不安定である。 クヴァンツはこれを解決するため、e’♭(es’)を得るキーを付け加えた。それによって、フラウト・トラヴェルソで演奏できる調性の幅が増えたのである。事実当時プロイセン宮廷と関係のあったベルリンの作曲家、クヴァンツ、グラウン、ヤニッチュ、ベンダ、フリートリヒII世、フィリップ・エマーヌエル・バッハのフルートのための作品(無伴奏を除く)では、他の地域では支配的なト長調、ニ長調、ホ短調に加え、シャープ、フラット各四つまでの調性(嬰ヘ短調、ヘ短調は例外)の作品が多くなっている。クヴァンツやフリートリヒ大王の作品では、ヘ長調、変ロ長調、変ホ長調、ト短調、ハ短調の作品が、ハ長調、イ短調、ロ短調と同じくらい現れる。バッハがこの「音楽の捧げ物」でフラット3つの調性を選択しただけでなく、明らかにベルリンの宮廷のために作曲したと思われているフラウト・トラヴェルソと通奏低音のためのソナタホ長調(BWV 1035)と、おそらくはクヴァンツないしはベルリンを前提にして作曲したと思われる、フラウト・トラヴェルソとチェンバロのためのソナタ変ホ長調(BWV 1031)も、このdis' キーとes' キーを備えたフラウト・トラベルソのために作曲したと考えることが出来るのである**。
 同時代のヘンデルやテレマンを含めて、多くの作曲家がトリオソナタを作曲しているにもかかわらず、バッハがたった2曲しか作曲しなかったのはなぜだろうか? バッハが修業時代にイタリアやフランスの音楽を学んでいたことは分かっており、その中にはコレッリなどのトリオソナタも含まれていたと思われる。しかしバッハは、トリオソナタの編成をそのまま取り入れることをせず、旋律楽器ひとつと、チェンバロの左右の手に1声部ずつ割り当てて3声とした様式に基づいて、ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ6曲(BWV 1014 - 1019)、ヴィオラ・ダ・ガムバとチェンバロのためのソナタ3曲(BWV 1027 - 1029)、フラウト・トラベルソとチェンバロのためのソナタ3曲(BWV 1030 - 1032)などを作曲した。上部2声の旋律楽器に対する通奏低音の役割をより明確にし、3つの声部の対位法的展開を固定するために、鍵盤楽器が左右の手で2声を担う形式を採用したのであろう。しかしバッハは、2つの旋律楽器と通奏低音によるトリオソナタの技法にも通じていたので、必要に応じてその形式による作品も作曲することが出来た。「音楽の捧げ物」のトリオソナタも、クヴァンツあるいはフリートリヒ大王のフラウト・トラベルソ、同じ宮廷楽団のヴァイオリン奏者を独奏者とした、伝統的なトリオソナタの形式の方がなじみやすいと考えて作曲したのではないかと思われる。
 今回紹介するフラウト・トラヴェルソ、ヴァイオリンと通奏低音のためのトリオソナタハ短調を含む「音楽の捧げ物」のCDは、クイケン3兄弟とチェンバロのロバート・コーネンの演奏によるドイツ・ハルモニア・ムンディ盤である。録音は、1994年2月22日から25日にオランダ、ハールレムのバプティスト教会に於いて行われた。バルトルト・クイケンのフラウト・トラベルソは、1755年頃にドレースデンのアウグスト・グレンザーが製作したものをアラン・ヴェーメルスが1990年に複製したもの、ジギスヴァルト・クイケンのヴァイオリンは、1700年頃ミラノのジオヴァンニ・グランチーノ作、ヴィーラント・クイケンのヴィオラ・ダ・ガムバは、1705年パリのニコラ・ベルトラン作、ロバート・コーネンのチェンバロは、1755年アントウェルペンのヨハネス・ダニエル・ドゥルケン作である。
 ドイツ・ハルモニア・ムンディのこのCDは、ドイツの Sony Music Classical & Jazzでも、日本のソニー・ミュージックでも、現在廃盤になっている。「音楽の捧げ物」の中でも名盤に属するこのCDが購入できないことは、誠に残念なことである。

発売元:Sony Music Classical & Jazz

* バッハのプロイセン宮廷訪問については、「死者略伝」をはじめとして多くの資料があるが、この「音楽の捧げ物」の印刷、出版に関しては、出版社のブライトコプやライプツィヒの新聞に掲載された広告などの記録が存在する。それらは新バッハ全集の別冊「バッハ資料集(Bach-Dokumente)」の第II巻に収録されている。

** クヴァンツとdis' キーとes' キーを備えたフラウト・トラベルソについては、バッハ年刊1997年号のドミニク・ザックマンとジークベルト・ラムペのによる寄稿に詳しい( Dominik Sackmann und Siegbert Rampe "Bach, Berlin, Quantz und die Flötensonate Es-Dur BWV 1031", Bach-Jahrbuch 1997, p. 51 – 85 )

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コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
ご無沙汰しております (aeternitas)
2011-04-05 14:07:47
「バロック時代のトリオソナタを聴く」シリーズ、毎週興味深く拝見しています。今後、どのような作曲家のトリオ・ソナタを紹介されていくのか、これからも楽しみです。
さて、今回紹介のCDですが、国内版はまだ販売しているようです。また、一部のショッピング・サイトでも、販売されているみたいですね。
http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=5236&cd=BVCD000038132
 
 
 
「音楽の捧げ物」、クイケン兄弟のCD (ogawa_j)
2011-04-06 10:23:18
「一日一バッハ」のaeternitasさん、情報をありがとうございます。この様な名盤は、いつでも買えるようになって欲しいですね。
 
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