フルートとチェンバロのためのソナタ変ホ長調(BWV 1031)の成立に関して、最近これをヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ(1679 ? 1773)との関係から論じた注目すべき研究が発表された。それは、ドミニク・ザックマンとジークベルト・ラムぺによる「バッハ、ベルリン、クヴァンツそしてフルートソナタ変ホ長調BWV 1031」*という論文である。この論文の最も重要な視点は、クヴァンツが製作したと伝えられるフラウト・トラベルソに関するものである。バッハの時代のフラウト・トラベルソは、すべての指穴を閉じた最低音がd’のものが一般的で、半音上のdis' を得るためのキーひとつを備えていた。この楽器では、基本調性のニ長調と、シャープとフラット各二個までの調性における音程の不備は、運指や吹き方、息の強さなどの調整で補われていた。しかしそれがシャープ三つのイ長調や四つのホ長調になると、特にgis"の不安定さによって、演奏技術上の要求は大きくなる。dis' は、唯一のキーによって得ることが出来るが、キーであるため、その開け方で音程を調整することは出来ない。これがフラット三つの変ホ長調になると、常に最低三つ、es'、es"、as"、さらにf"/fis" も不安定である。これが鍵盤楽器とともに演奏する場合、鍵盤楽器はあらゆる調性の曲を演奏出来るよう音程が調整されているため、とりわけオブリガート・チェンバロとの演奏の場合、問題は重大である。
バッハと同時代のドイツやフランスの作曲家の作品には、変ホ長調の曲がほとんど無い。一方、1740年、フリートリヒII世が王位に就き、宮廷楽団が編成されてからのベルリンでは、他の地域では支配的なト長調、ニ長調、ホ短調に加え、シャープ、フラット各四つまでの調性(嬰ヘ短調、ヘ短調は例外)の作品が多くなっている。クヴァンツやフリートリヒII世の作品では、ヘ長調、変ロ長調、変ホ長調、ト短調、ハ短調の作品が、ハ長調、イ短調、ロ短調と同じくらい現れる。
この傾向の原因は、クヴァンツ自身が製作したか、彼の構想の下に製作され、彼が調音した従来のdis' キーに加え、es' キーを持ったフラウト・トラベルソの登場にある。クヴァンツは、この二つのキーを持つフラウト・トラベルソを、すでに1726年に考案していたが、広く普及するには至らなかった。しかし上に見たように、フリートリヒII世の宮廷楽団に関係ある作曲家の作品では、このクヴァンツの開発したフラウト・トラベルソを前提としたと思われる作品が多く存在している。このフラウト・トラベルソは、10本以上が現存する**。このことを考えると、バッハが明らかにベルリンの宮廷のために作曲したホ長調のソナタ(BWV 1035)、「音楽の捧げ物」のトリオソナタハ短調そして変ホ長調のソナタ(BWV 1031)に、よりによってこれらの調性を選んだのは、ベルリンに於いてdis' キーとes' キーを備えたフラウト・トラベルソの効用を示すフルートのための作品に対する根強い需要が存在していたためであると言うことが明らかになる。そしてBWV 1031の最も古い筆写譜が、1748/49年に作製されたことを考えると、この曲がベルリンの宮廷に向けられたものであるという推定が最も近い。
先に挙げたマーシャルの論文で、彼が最終的に到達した結論とも言える見解は次のようなものである。「フルートソナタハ長調(BWV 1033)、変ホ長調(BWV 1031)、イ長調(BWV 1032)、ホ長調(BWV 1035)およびパルティータイ短調(BWV 1013)が提起する様式、楽器の適合性、真作かどうか(成立時期の問題はひとまず除外して)の問題を検討すると、作品の憶測上の欠陥あるいは風変わりなことに帰着すると言うよりは、むしろバッハの様式的発展の不完全な認識、あるいは彼の様式のとてつもない拡がりを信じる用意に欠けていると言えば言い過ぎかも知れないが、彼の様式の幅の過小評価の結果ではないかという推測を消し去ることは難しい。バッハの芸術家としての成長過程(ヴァイマール:オルガン作品、ケーテン:クラヴィーア、器楽作品、ライプチヒ:教会声楽作品)についての一般的な区分は、証明されていない仮定を基とした、明らかに、もはや根拠を失った単純化であるのと同様に、バッハの様式についての我々の観念もそれをあまりにも狭く捉えたものに見える。さらに、我々が対位法の偉大な巨匠、『第5の福音書家』からは想像出来ない、彼がある時期には、また与えられた機会によっては、意識して軽快な、近づきやすい音楽言語を選んだことを示している。」前述したようにエプスタインは、この見解に対して、「・・・彼が自らの音楽言語の核となっている、いわば根底に存在する・・・おそらく意識していない特徴を放棄したとはとても考えられない」と述べている点は、確かに考慮するべき意見であるように思われる。しかしその一方で、少なからぬ研究者が、マーシャルの見解を説得力のあるものと考え、その見解に触発される形で、様々な角度からバッハのフルートのための室内楽作品の成立事情や彼の作品の様式の多様性に迫る研究を行い、多くの注目すべき新しい見解を生み出すこととなった。
バッハのフルートのための室内楽作品の成立時期をまとめてると、次のようになる。
フルートと通奏低音のためのソナタホ短調(BWV 1034)1724年頃
無伴奏フルートのためのソナタイ短調(BWV 1013)1724/25年以前、ケーテン時代?
フルートと通奏低音のためのソナタハ長調(BWV 1033)1730年頃
フルート、ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタト長調( BWV 1038)1732年から1734年
二本のフルートと通奏低音のためのソナタト長調(BWV 1039)ー1735年以前
フルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタイ長調(BWV 1032)1736年秋
フルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタロ短調(BWV 1030)1736/37年
フルート、ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタハ短調(BWV 1079III)1747年5月から9月
フルートと通奏低音のためのソナタホ長調(BWV 1035)ー1740年代
フルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタ変ホ長調(BWV 1031)1740年代
このように、現存するこれらの作品の原典資料を詳細に検討した結果は、すべてがライプチヒ時代に成立したと考えるに充分な根拠があることを示している。そしてフルートと通奏低音のためのソナタハ長調(BWV 1033)とフルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタ変ホ長調(BWV 1031)は、バッハの真作であると信じるに充分な理由がある。この両作品の様式が、他の真作であることが確実な室内楽作品と異なっていることを理由に、エプスタインをはじめとした研究者が真作でないと主張していることも事実であるが、原典の状態は、明らかにバッハの作であることを示しており、エプスタイン等は、この矛盾を解消する根拠を示すことに完全には成功していない。
以上に見てきたバッハのフルートのための室内楽作品に関する論議についての筆者の結論は、次のようなものである。バッハの創作活動、特に器楽作品のそれを考えるに当たっては、シュピッタ以来定説のようになってきた、成立時期をケーテン時代に限ることを止め、そしてBWV 1033やBWV 1031をも含めて、時間的にも創作の多様性においても、より広い視野で見る必要があるように思われる。オルガンのための作品においても、1985年にいわゆる「ノイマイスター手稿のオルガン・コラール」が、バッハの作品として評価され、それによって、最若年期の創作に新たな光が当てられるようになった。このような最近の作品研究の結果が、バッハの生涯と作品の理解に新しい局面を切り開いてきたと言って良いであろう。(了)
注)この項を執筆するに当たっては、新バッハ全集の校訂報告書や、バッハ年刊の種々の寄稿をはじめ、バッハ研究の論文集、学会の報告書に掲載された論文を参考にしたが、一部を除いてその出典は省略した。それは、読む際の煩雑さを避けるためで、決して参考にした研究結果を無断で引用しようとするものではない。もしこの項目の内容をさらに詳しく知りたい方は、筆者のウェブサイト「湘南のバッハ研究室」の「バッハ関連エッセイ集」の「ヨハン・ゼバスティアン・バッハのフルートのための室内楽作品―その真性(Echtheit)と成立事情(Entstehungsgeschichte)を探る―」を参照して下さい。
* Dominik Sackmann und Siegbert Rampe "Bach, Berlin, Quantz und die Flötensonate Es-Dur BWV 1031", Bach-Jahrbuch 1997, p. 51 ? 85
** 日本のフルート奏者有田正広氏もこの伝クヴァンツのフラウト・トラベルソを所有しており、CDでその演奏を聴くことが出来る。一例として、DENON Aliare COCQ-83281/82 「パンの笛」のDISC 1の4曲目、テレマンの「フランス風サンフォニー」を挙げておく。

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