私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 



「新バッハ全集」のフルートのための室内楽の巻で除外された作品について、すでに40年以上が経過した今日に至っても、依然として賛否両論が交錯している。いくつかの曲に関しては、むしろ真作であるという主張が力を増している様に見える。 この「私的CD評」で、バッハのフルートのための作品のCDを紹介するに当たって、この問題を解説したいと思う。今回はそれぞれの作品が真作であるのかどうかについて、これまでの研究を紹介しながら、論じる項の続きおよび結論。 . . . 本文を読む

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「新バッハ全集」のフルートのための室内楽の巻で除外された作品について、すでに40年以上が経過した今日に至っても、依然として賛否両論が交錯している。いくつかの曲に関しては、むしろ真作であるという主張が力を増している様に見える。 この「私的CD評」で、バッハのフルートのための作品のCDを紹介するに当たって、この問題を解説したいと思う。今回はそれぞれの作品が真作であるのかどうかについて、これまでの研究を紹介しながら、論じる項の続きである。 . . . 本文を読む

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「新バッハ全集」のフルートのための室内楽の巻で除外された作品について、すでに40年以上が経過した今日に至っても、依然として賛否両論が交錯している。いくつかの曲に関しては、むしろ真作であるという主張が力を増している様に見える。 この「私的CD評」で、バッハのフルートのための作品のCDを紹介するに当たって、この問題を解説したいと思う。今回は、それぞれの作品が真作であるのかどうかについて、これまでの研究を紹介しながら、論じて行きたい。 . . . 本文を読む

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「新バッハ全集」のフルートのための室内楽の巻で除外された作品について、すでに40年以上が経過した今日に至っても、依然として賛否両論が交錯している。いくつかの曲に関しては、むしろ真作であるという主張が力を増している様に見える。 この「私的CD評」で、バッハのフルートのための作品のCDを紹介するに当たって、この問題を解説したいと思う。今回は、作品がどのような状態で今日に伝えられているかを見る「原典の状態」の続きである。 . . . 本文を読む

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先に「新バッハ全集刊行終了間近」の項で触れた様に、バッハのフルートのための室内楽作品のいくつかが、真作でないとして除外された。しかしこのことに関して、40年以上が経過した今日に至っても、依然として賛否両論が交錯している。むしろ真作であるという主張が力を増している様に見える。この「私的CD評」で、バッハのフルートのための作品のCDを紹介するに当たって、この問題を解説したいと思う。今回はその1回目として、作品がどのような状態で今日に伝えられているかを見たい。 . . . 本文を読む

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mb000467さんが、今年のライプツィヒ・バッハ祭に行かれて、ブログにレポートを連載されましたが、その締めくくりに、6月13日に行われた、新バッハ全集完了記念式典の報告と新バッハ全集についての解説をしておられます。それに触発されて、筆者なりにこの全集について私見を述べたい。 . . . 本文を読む

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 チェンバロは、古代のプサルテリウムという、響盤に弦を張って指やプレクトラムで弾いて音を出す楽器に鍵盤を付けることによって出来たもので、その起源はイタリアにあった。15世紀中頃のイタリアの手稿の中に、チェンバロの構造を示す図が載っている。  イタリアン・チェンバロは総じて華奢で、板厚は薄く、胴体は浅い。また、弦の張力に対する補強も、他の国とは異なった簡単な支えを用いている。そのため、イタリアン・チ . . . 本文を読む

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