昭和47年にニチイ小田原店として開業し、長く小田原駅近辺の商業施設の象徴的な存在だった小田原アプリが2016年の8月末をもって閉館となった。 小田原アプリはもともとあさひ屋竹内ビルとして昭和47年11月に開業。開業当時はニチイがフロアの半分を占め、おもちゃのあさひ屋や用品の竹内などがテナントとして入っていた。 ニチイ小田原店だった頃には銀座通り側の入口に小さな池があったが、アプリへの改装の際に無くなってしまったように記憶している。昭和50年代は土日ともなると駐車待ちの車が瀬戸房くらいまで並んで、大工町通りも渋滞気味だった。 開業当時からの特徴が屋上に設けられた駐車場。その当時、類似するビルでは県内初となる屋上駐車場だった。 長年見慣れたあさひやの看板は近くで見るとずいぶんと色あせて老朽化していた。ニチイ時代のあさひやには色々な思い出が残っている。 屋上駐車場の収容台数は約80台。ダイヤ街側にはアプリの看板が設置されている。 ダイヤ街側の外装はニチイからビブレ、ビブレからアプリへの改装時に随分と変わってしまい一見すると築44年のビルには見えない。 小田原アプリは地下1階地上6階の売り場がある。ニチイの頃からずいぶんとテナントの入れ替えがあって記憶に残っているのは10店ほど。アプリの閉館に伴い、駅周辺に移転するテナントと閉店するテナントがあるが、CDショップのタワーレコードはアプリ閉館と共に閉店となる。これで小田原駅周辺からCDショップが姿を消すことになってしまった。 ニチイの頃は小学生で館内は混んでいる記憶しかないが、近頃は買い物客も減り、また施設の老朽化を感じることが多かった。エレベーターも子供の頃は人がぎゅうぎゅう詰めだったのを何回も目にしている。 ニチイ時代は館内を遊び場にしていて、よく下りエスカレーターの片側に掴まり手すり下のステンレス部分に足を載せてすべり降りる遊びをしていた。同様のことを志澤や丸井のエスカレーターでもしていたがニチイのエスカレーターが一番よく滑って楽しかった。 ニチイ小田原店時代の最も記憶に残っているのが地下1階。ニチイの売り場があって上りのエスカレーター前にはアイス屋とスガキヤがあった。かつては人で溢れていたフロアもこの8月には1店だけの営業でずいぶんと寂しかった。 昭和47年に開業したニチイ小田原店は1992年にマイカル小田原ビブレへと業態変更。その後1999年に一時閉店し改装工事後の2000年に小田原アプリとして営業を再開した。今回の閉館後は再開発の予定なので長年親しんだ建物もいずれ解体され姿を消すことになる。
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壁のひびを見た時は「あっ此処も寿命かな?」と納得してた。
勿論この建物は建て替えだろうけど、この先はまた商業施設?マンションにとの噂も有るようで。
最後に、食券制の食堂で食事を良くしたなぁ(´д`)
私が子供の頃、おもちゃを買うと言ったら
あさひやでした。
一階のエスカレーター前に所狭しと色々な物が
並んでいたのを思い出します。
老朽化の為に仕方のない事だと思いますが
駅前から慣れ親しんだ建物が姿を消す度に
寂しくなりますね・・・。
寿がきや大好きでした♪ニチイの食品売り場で、お惣菜買って、現在のラーメン宿場にあった映画館に良く行っていたな〜
懐かしい思い出です。
高校時代、地下食品売り場の惣菜屋で
バイトしていました。
流れていた「出会い ふれあい ニチイ」の歌は
今でも忘れられません。
よく5階のレストランでたむろってたなぁ…。
またひとつ、思い出の場所がなくなりました。
1F時代でも下りエスカレータの正面だった時代が長く平成5年くらいまで?(それ以前は知りません)
それから1F西口(駐車場側)に移って、
最後は4Fですかね。
売り場が広かったしゲーム機もたくさんおいてありましたね…
HaRuNe(の通路)に移るようです。
高校生のとき、芸術祭の帰りに他校の後輩の女の子とこの地下に来たことを思い出しました。あのころはお金がなくて大変だった(笑)。
小田原の、多くの世代にわたる高校生たちが、ニチイのこの地下のフロアにいろんな思い出を残しているんでしょうね。
またひとつ、昔を思い出すよすがが消えてしまいますね。
今日偶然にこちらのブログを見つけて
しばらく読み耽っておりました。
当時駅前に住んでいた私はニチイの開店日に学校帰りにランドセルを背負ったままで入ってしまい、補導?保護?されました。笑
その当時大型店舗と言えば、シザワと箱根登山デパートとニチイの前にあった、なんでしたっけ?長崎屋?ナックはまだありませんでしたね。
小田原駅前に活気が溢れていました。
まさに銀座通りの名に恥じない?通りでした。
仲見世通りの鰻屋でヒョエーwと思いながら解体を眺めたり、アサヒ屋は敷居が高かったのでオービックビル(まだありますか?)になる前の角にあった玩具店などをひやかして回っていました。
今はもう20年以上前に転居しているので近況などはあまり知りませんでしたが、ニチイが解体と知り懐かしい思い出が押し寄せると共に寂しい思いもひとしおです。