御殿場線下曽我駅のホームに隣接して大きなセメントサイロが2基あった。太平洋セメント小田原サービスステーションのセメントサイロだった。 梅まつりを過ぎれば乗降客もまばらな下曽我駅。ガランとした駅舎の向こうにいつも見えていた。 そのセメントサイロが取り壊されて無くなっていた。下曽我駅周辺にはセメント関連の施設が2つあり、駅に近い側が太平洋セメントでその隣に住友大阪セメントの施設がある。 これは住友大阪セメント側から下曽我駅方向を撮影した写真。下曽我駅に来るたびにセメントサイロの写真を撮るのが楽しみとなっていた。この春、梅まつりのついでにいつもの撮影ポイントへ立ち寄ったときに異変に気づいた。 この太平洋セメントのセメントサイロが出来たのは昭和46年。その後、専用線も引き込まれ一時は下曽我駅と熊谷との間に専用列車も運行されていた。 更地になった跡地には、事業計画の看板が立っており、この春には専用住宅地として開発されるとのこと。セメントサイロの無くなった風景はなんとなく寂しい。
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