小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



昭和から平成の時代の流れの中で徐々に小田原の街並から消えていったのがアーケードで、ここ数年では国際通りや銀座通りのアーケードが撤去。そして今月からは小田原銀座商店会のアーケードの撤去工事が始まった。先日、小田原銀座商店会のアーケードを歩いていると本町二丁目交差点近くの西側アーケードの撤去工事が行われていた。小田原銀座商店会のアーケードは2013年から2016年まで間、段階的に銀座通り交差点から北側のアーケードが撤去され、銀座通り交差点南側は残されていた。小田原銀座商店会のアーケードは支柱は太目のステンレス製だが屋根部分は薄い金属波板。割と速いペースで撤去作業が進んでいる。今回の撤去がアーケードの一部分のみの撤去なのか全体なのかは不明。小田原銀座商店会のアーケードは私が小学生の頃にはすでにあったので設置されたのは昭和50年代の中頃ではないかと思われる。アーケード下の歩道のタイルも昭和の頃からのもので、古い商店街の佇まいが残る中、アーケードが撤去されてしまいなんとも残念。小田原の街並から徐々に消えてゆくアーケードのある風景。平成も残りわずかとなり昭和の時代がまた遠のいてゆく。

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小田原市成田の豊川小学校横で30年以上研究開発を行っていた明治の小田原研究所は拠点の統合により2017年3月に八王子に移転。以後、小田原研究所は無人の状況となっていたが昨年末から建物の解体工事が始まった。昨年末に県道711号豊川小学校入口交差点前を通ると道路脇の旧明治小田原研究所の解体工事が始まっていた。県道側の建物は最上階まで足場が組まれていて長年見慣れた研究所はまもなく姿を消してしまう。敷地内ではすでに建物の解体が始まり、中央の建物と県道側の建物の間にあった低層の部分は重機による解体が進んでいる。明治小田原研究所は前身の明治乳業ヘルスサイエンス研究所として1984年に竣工。以後、乳製品の研究開発が行われてきた。図書館で明治乳業ヘルスサイエンス研究所に関する資料を探したが該当するものが無くて施設の概要などはわからなかったが、1980年代の空中写真を辿ると中央の建物が1984年に完成した後に、県道側と酒匂川側の建物が増築されたようだ。明るい茶色の外装でこの周辺エリアのランドマーク的な建物だった。研究所が移転してしまい、長年見慣れた建物も徐々に姿を消していってなんとも寂しいばかり。現地の看板によると今年中には解体工事が終わる予定とのこと。

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特別に公園や広場が好きという訳ではないが市内の公園めぐりを続けている。小田原市が管理する公園や広場の中に「みどりの広場」があって近頃1ヶ所のみどりの広場が無くなった。先日、小田原市のホームページに記載されているみどりの広場の項目をチェックすると17ヶ所あったみどりの広場が16ヶ所に減っていた。みどりの広場はすでに全部を巡っているので、ブログの記録とホームページのリストを突き合わしたところ久野にあった宮本みどりの広場の記載が無くなっていた。宮本みどりの広場は久野川と交差する小田原厚木道路の高架の近くに所在している。ホームページからの記載は無くなったが、現状は広場の時と同じ状況。宮本公民館に隣接した砂地の広場で割と手入れが行き届いている。もともと広場名を示した看板や案内版は無いので、撤去されたものは恐らく無し。公園緑地課が設置した注意書きの看板はそのまま残されていた。みどりの広場は地域住民の交流の場として、身近な公園を補完する目的で設置されている。広場の土地は比較的短期間の借地となっているとのことだが、どのような経緯かは不明だが近頃になってみどりの広場としての借地契約の継続が行われなかったようだ。今後の人口減少や財政難などでみどりの広場はだんだんと減少していくのかもしれない。

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小田原市南町にあるスポーツ会館横に高さ8m程度の標語看板塔が随分前から設置されていた。標語は何度か書き換えられて、直近の標語は薬物乱用に注意を促す内容となっていたが、先日その標語広告塔が撤去された。小田原市南町のスポーツ会館横に長年標語を記載した広告塔が設置されていた。看板には地元のライオンズクラブの名称もあったので記念行事の一環として設置されてものらしい。 10月16日の午前中に小田原スポーツ会館前を通りかかると標語看板塔の撤去作業が行われていた。結構色々な街並の風景やモニュメントを撮影しているが、この標語看板塔にフォーカスした写真は撮っていないまま撤去となってしまいなんとも無念。かろうじて撮影出来たのは廃棄物運搬のトラックの荷台に乗った広告塔の下部のみ。標語看板は説教くさくて好きではないが、長年見慣れた広告塔が無くなってしまうのは少し寂しくも感じる。リニューアルの可能性もあるのかと思っていたが、基礎部分も撤去されアスファルトで覆われていた。同じような標語看板塔は国道255号沿いの西大友周辺にもあったように記憶しているので、記録に残しておきたい。

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飯泉橋の左岸上流側に以前ヘラブナ釣り場があって休日ともなると釣り人で賑わっていたが、今から10年ほど前の台風で大きな被害が出てしまった。何度か釣り場の再整備が行われたが上手くいかず、河川工事のためまもなく消滅しようとしている。飯泉橋の左岸上流部分の飯泉ヘラブナ釣り場は以前は鮒釣りの人気スポットだったが2007年の台風9号により釣り場が流失してしまった。このヘラブナ釣り場がいつごろ整備されたのか定かではないが、年代ごとの空中写真を辿ると1980年代の中頃に整備されたと思われる。飯泉ヘラブナ釣り場は金瀬川の流れを引き込んで造られたヘラブナ釣り場。その金瀬川からの流れは工事用通路の造成によってせき止められて現在は大きな水たまりの状況。 2007年の秋以降に何度か再整備の試みがなされたが上手くいかず。上の写真は2012年当時のもので鵜や鷺対策のロープが張り巡らされていた。かつては多くの釣り人で賑わった飯泉ヘラブナ釣り場は、このまま冬になって降雨が少なくなると干上がって河原と同化してしまいそうだ。見慣れた場所がまた一つ姿を消してしまいそうでなんとも残念。

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