長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

真田丸の謎 戦国時代を「城」で読み解く

2015年12月08日 | 
なんだか意図せず前回と似たタイトルにになってしまいましたが、今回は本のタイトルです。


お城博士奈良大学学長千田先生の本。
別に私は千田先生と全く面識はありませんが、勝手に崇拝しています。

来年の大河ドラマが真田丸だとかで、現在本屋では真田関係の本が乱立気味。
すでに読んだことのある内容の焼き直しが多そうだな、と、いう中で異彩を放っていたこの本。
つい先日、新聞記事で千田氏が「真田丸はただの丸馬出ではなく、大規模な城だ!」みたいなことを言ってる記事を見ていたので「これか!」とアマゾンに薦められた際にポチッとしてしまいました。

いや、期待に違わぬ面白さ。
アマゾンの書評欄には「第4章がいただけない。真田以外の城のことに60頁もさいて、そんなことは関係ないのだ。」的なことが書いてあったのを見た際に、逆に私は「これは読まねば!」と思ってしまったのです。

真田好きには熱狂的な人達がいるので、関係ない部分を読みたくない人もいるでしょうが、真田丸の形状を考える際に、真田の城の歴史や他の城との比較をしなければ理解できるわけがない。だからこれは面白いはず、と、逆に書評から私は判断したわけです。

あ、ここまで読んでくださった方で

『真田丸』って何?

と、いう方も多いかも。

豊臣秀頼を滅ぼそうとする徳川家康は、まず大坂冬の陣で全国の大名に動員をかけ、秀吉が築いた大坂城を囲みます。このとき、豊臣方は豊富な資金にモノを言わせて関ヶ原の戦いで負けて牢人中の全国の有名武将をスカウトします。その最有力武将が俗に言う「真田幸村」。現在、正確には「真田信繁」という名前だったとかで、この本では信繁で統一されています。

この真田信繁が、大坂城防衛のために弱点とされる南側に「真田丸」と言われる防御施設を作り、そこに3千の兵で籠って徳川の1万以上の軍勢を思う存分に引きつけて撃破し大いに武名を上げたのです。

で、この真田丸は城の門を守るために門の前に橋頭堡を築いて防御を強固にするものと考えられてきたのですが、そこはお城博士。色々と調べる中で従来考えられていた単純な「馬出」機能ではなく、それこそ敵前にぶら下がった孤立した城、という結論を導き出しています。

そして、なぜ信繁はそのような城を作ることができたのか、ということを、真田や武田が作ってきた城の形状から推理しているのです。

しかも、武田氏が築いた境目の城の代表例として
「武田氏領国の「境目の城」というと、遠江国金谷、現在の静岡県島田市にあった諏訪原城や、同じく遠江国土方、現在の静岡県掛川市にあった高天神城、そして三河国の作手清岳、現在の愛知県新城市にあった古宮城などが代表的です。いずれも武田氏が徳川氏攻略のために築いたものです。」(169頁)
とある。

古宮城!!!!

皆さん!古宮城ですよ!古宮城。ちゃんと出てますよ!
そして、境目の城の作り方から武田氏領国の脆弱性を考えるあたりは、さすが千田嘉博、と、唸ってしまいます。
もっとも、現在の諏訪原城、古宮城の遺構は徳川氏による改造が加えられている部分も考えられますけど。その辺りは話がややこしくなるのか、この本では触れられていません。

さらに、三方原の戦いで信玄が上洛を目指していたという説について
「信玄は、かつて小田原城を囲んで攻め立てた時のように、適当に織田領を荒らしまわって、略奪をし、打撃を与えた上で頃合いを見計らって帰国することを考えていたのではないでしょうか。しかし、織田や徳川の勢力圏を攻撃するには大義名分が必要なので、上洛するとして将軍や天皇を推戴するというスローガンを掲げたのだと思います。」(172頁)

おお!
偶然にもこの本を購入する前のブログで私も適当な思いつきで、三方原の信玄の行動について上洛目的ではなく、小田原城攻めと同じく浜松城を攻めたのでは、という記事を書いています。こちら

なんか、「お前、この本を読んでたのでは?」と、言われてしまうくらいタイミングがあってますが、逆にこの本を読んでいたら恥ずかしくて書けない記事。

千田氏は城から単に軍事的な観点で考えるだけでなく、大名権力のあり方や社会などについて考えることを提唱しており、本書もその視点から書かれています。

真田のことを純粋に知りたい、来年の大河ドラマの予習がしたい、という人は、もっと、別のムック系の本を読まれることをお勧めしますが、城の魅力や様々な事例を簡単に読むには最適な本だと思います。

個人的には最新の城に関する動向なども知ることができて、大変楽しめる本でした。
オススメです。




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