長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

敵に塩を送る ~美談の裏側~

2015年09月05日 | 戦国逸話
世の中、美談の裏側には実は大いなる打算が隠されていたりします。

武将感状記なる本を読んでいたところ、かの有名な上杉謙信の敵に塩を送る送る話、実は謙信に隠された意図があって、単なる美談ではなかった!と、いう話を発見。



『謙信、塩を甲信に送る』(巻之三)
北条と今川とが相談して、静岡や関東からの塩商人を足止めして、武田信玄の領土である山梨や長野に塩がいかないようにした。塩を止めて信玄の兵を困らせようとした。
上杉謙信はこれを聞いて、謙信領国(新潟)に命じて塩を山梨や長野に運ばせた。
謙信は言った。
「ワシは戦で信玄と雌雄を決したいと思っている。塩を止めて困らせる事はせぬ。」
と、言って送ったので、信玄はこの措置をありがたく受けた。
しかし、信玄は、
「これは謙信の義によるものであり、かつ、勇気あることだと言っても、必ず深慮遠謀がある。
信玄は謙信より年上で、北条、今川を侵略できる力があるのは、まず信玄だ。だから、信玄を敵とすること、中国古代の春秋戦国時代の秦に他の六国が合従して対抗する時のようだ。
信玄が困ることになると、今、信玄と戦っている北条、今川等の連合体は謙信と戦うこととなる。信玄が連合体と戦っていれば、謙信はその間に北陸地方を制圧して勢力を強大にすれば、東海地方の国々が力を合わせて一つになっても、恐るに足らん、という思惑だろう。」
と、言ったとか。

謙信が敵に塩を送る送り、義将としての評価を高めたこの話。
信玄は隠された意図があると考えたようです。
武田、今川、北条の三国同盟を結んでいたものの、今川義元が桶狭間の戦いで敗れ、今川氏真が今ひとつ領国を抑えきれない中、謙信との戦いが膠着状態に陥り、海に出られなくなった信玄は家中の反対を押し切って今川との同盟を破棄して駿河へ侵攻。
今川氏真とその妻は城から這々の体で逃げ出して浜松方面の掛川城へ逃走します。これに怒ったのが氏真の妻の父、北条氏康。信玄と断行して駿河出兵中の信玄の甲斐との通路を遮断して駿河に閉じ込めてしまいます。
信玄最大の危機となります。この後、なんとか脱出して甲斐に戻りますが、北条、今川との戦いにより苦戦させられます。

塩の話はこの時期のことだったでしょう。

実際、昭和の初めころまで、山の民にとって塩を入手することは難しかったようで、塩漬けの魚を何日にも分けて食べて塩分を確保していたという話が宮本常一の書籍などに出てきます。塩漬けの魚が塩辛いのは塩だけ運ぶよりも塩漬けにして付加価値をつけることで商売としていたようです。それだけに、今のように塩が簡単に手に入る時代、昔のような塩漬け魚を食べればあっという間に高血圧になりますわね。

信玄にとって塩が止められることで、領民生活が脅かされ、かなり困る事態になるでしょうが、謙信から「ワシはお前と戦場で白黒つけることのみを望む。」と言われて塩が送られてきて、受け取りながらも謙信の隠された意図を読む訳です。

信玄が関東、東海の敵と戦っている間に謙信が北陸を抑えてしまうと、越後一国ですら関東諸将を翻弄しているのに、北陸を抑えた日には関東、東海の国々では止められない。そのために、信玄を使って時間稼ぎをしているくせに、フンっ。

と、肚の中で笑いながら塩をもらったとのことです。

塩を送った話ですが、謙信は塩を同時期に止めなかった、ただし高値で売らないようにさせた、とかで、実際には手紙をつけて塩を送ったという話自体が嘘、という話も。

まぁ、謙信も金山開発や海運で大儲けした武将。一筋縄ではないでしょうから、仮に信玄に塩を送ったとしても単なる美談だけで行動するようなことはしないでしょう。信玄が思ったようなこともあったかもしれません。

ただ、謙信が本心から信玄を哀れんだのであれば、信玄は性根のねじ曲がった人間であることを自ら白状してしまった話にもなります。

塩をめぐるこの話。
塩を送った謙信は、信玄が死去してしばらくしたら、脳卒中で便所で倒れ数日後に亡くなります。
やっぱり塩が豊富にありすぎる地域だったからか?

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