中入で前シテが幕に入ると間狂言の里人が登場してワキと問答します。
間(注)以下の詞章は大蔵流に拠る「かやうに候者は。都五条辺りに住居する者にて候。この間は久しく何方へも出で申さず候間。今日は東山の辺りへ参り心を慰まばやと存ずる。いやこれに見慣れ申さぬお僧の御座候が、何処より何方へ御通り候ひて。この所にて休らふて御座候ぞ。
ワキ「これは豊後の国より出でたる僧にて候。御身はこの辺りの人にて渡り候か。
間「なかなかこの辺りの者にて候
ワキ「左様に候はゞ。まず近づ御入り候へ。尋ねたい事の候。
間「心得申して候。さて御尋ねありたきとは、如何様なる御用にて候ぞ
ワキ「思ひも寄らぬ申し事にて候へども。光源氏の古。夕顔の上の御事につき。様々子細あるべし。御存知においては語って御聞かせ候へ。
間「これは思ひも寄らぬ事を御尋ねなされ候ものかな。我等もここには住ひ候へども。左様の事詳しくは存ぜず候さりながら。およそ承り及びたる通り、物語り申さうずるにて候。
ワキ「近頃にて候。
間「さる程に。夕顔の上と申したる御方は。三位中将殿の御息女にて御座ありたるが。さる仔細ありて。人目を包み深く忍びてこの五条辺りに御座ありたると申す。あるとき源氏、六条の御息所へ通ひ給ひ。この辺りを御通りありしに。何処ともなく上臈の歌を吟ずる声聞こえしかば。源氏不審に思し召し。しばらく佇み給ひけれども。定かに所も知れず候間。そのまま帰らせ給ひ、またある夕暮れに。惟光の方へ御出あり。門前に御車を立てられ。辺りを御覧ずれば。小家に夕顔這い掛り。花も盛りなるを御覧じて。御随身にあの花取って参らせよと宣へば。御随身小家に立ち寄り。花を折りて帰らんとすれば。内よりも童を出し。暫く御待ち候へとて。白き扇のつま いとたうこがしたるに歌を書いて。是に添へて参らせ給へとありければ。御随身請け取って惟光へ渡されければ。惟光源氏へ参らする。源氏御覧ずれば。一首の歌あり。
心あてにそれかとぞ見る白露の 光りそへたる夕顔の花
とありしかば。源氏の御返歌に
寄りてこそそれかとも見めたそかれに ほのぼの見ゆる花の夕顔
と遊ばされ。夫よりとかく言ひ寄り給ひ。深く御契りなされたると申す。頃は八月拾五夜の御事なるに。源氏この所へ御出であり。夕顔の上に宣ふ様は。この辺りは何とやらん物凄敷く見え候とて。何某の院へ誘ひ給ひ。あけの夜不思議なる御事ありて。夕顔の上は空しく成り給ひたると申す。是と申すも御息所の御業の様に皆人申し習はし候。惣じて源氏などの御事は、上つ方に御沙汰ある御事なれば。委細は存ぜず候。
間「まづ我らの承りたるは斯くの如くにて候が。只今の御尋ね不審に存じ候。
ワキ「懇ろに御物語候ものかな。尋ね申すも余の儀に非ず御身以前に。女性一人来たられ。夕顔の上の御事只今御物語の如く懇ろに語り。何とやらん由ありげにて。そのまま姿を見失ひて候よ。
間「これは言語道断 不思議なる事を承り候ものかな。それは疑ふ所もなく。夕顔の上の御亡心にてあらうすると存じ候。夫れを如何にと申すに。筑紫より御上りと承り候へば。玉鬘の御縁にひかれ顕れ給ひたると存じ候。左様に思し召さば。暫く御逗留ありて。有難き御経をも御読誦なされ。重ねて奇特を御覧あれかしと存じ候。
ワキ「近頃不思議なる事にて候ほどに。暫く逗留申し。有難き御経を読誦し。かの御跡を懇ろに弔ひ申さうずるにて候。
間「御用の事候はば。重ねて仰せ候へ。
ワキ「頼み候べし。
間「心得申し候。
源氏と夕顔のなれそめが、まず源氏がたまたま五條を通りかかった時に家の内より歌を吟ずる声が聞こえてきた、というのは能『夕顔』の中で前シテが登場するときにワキが言う言葉とも一致し、間狂言の語りでは、その時は「源氏不審に思し召し。しばらく佇み給ひけれども。定かに所も知れず候間。そのまま帰らせ給」うた、となっていますが、これは『源氏物語』には見えない話です。
もうひとつ、源氏に命じられて随身が夕顔邸に咲く花(夕顔)を手折ると、家の中より童が出て扇を参らせますが、この扇の描写を能では「白き扇のつま いたうこがしたりしに」と書いていますが『源氏』では「白き扇の いたうこがしたりしを」という表記です。
細かいことですが、前者。。能では「つま」が追加されているわけで、「つま」とは「褄」。。すなわち「端」を意味する言葉です。これは着物の褄など現代でも使う言葉ですが、扇の場合は広げた扇の角を言い、我々の世界では普通に使う言葉です。
ところが意味の上では「褄」の語の有無はかなり違ったものになり、「白き扇」を「こがしたる」のであれば、これは香を焚きしめた、という意味になり、「褄こがしたる」のであれば、これは白一色の扇なのではなく、広げた扇の左右(あるいは一方の)の角が赤く染められた。。というように解釈され、そのまま想像すればその扇には褄だけでなく扇面に雅やかな絵が描かれているという印象を観客に与えると思います。
『源氏物語』の扇の描写は、あくまでも純白の扇であり、これは清楚で可憐な夕顔の上を象徴する小道具として用意されたものでありましょう。ところが能の作者はこれを極彩色の、とまでは言わないものの、にぎやかな図が描かれた扇と解釈して、「褄」を追加しました。これは能の作者にとって、もとより扇を主要な小道具とする能に登場する扇が白一色の無地の扇という設定にするのに抵抗があったのかもしれませんね。
間狂言が橋掛リの狂言座に退くと、ワキとワキツレは「待謡(まちうたい)」という謡を謡い、月下に読経して夕顔を弔う法事を行います。
ワキ/ワキツレ「いざさらば夜もすがら。いざさらば夜もすがら。月見がてらに明かしつゝ。法華読誦の声絶えず。弔ふ法ぞ誠なる 弔ふ法ぞ誠なる。
これに付けて囃子方が「一声(いっせい)」という登場音楽を奏し、やがて後シテ・夕顔の霊が現れます。
間(注)以下の詞章は大蔵流に拠る「かやうに候者は。都五条辺りに住居する者にて候。この間は久しく何方へも出で申さず候間。今日は東山の辺りへ参り心を慰まばやと存ずる。いやこれに見慣れ申さぬお僧の御座候が、何処より何方へ御通り候ひて。この所にて休らふて御座候ぞ。
ワキ「これは豊後の国より出でたる僧にて候。御身はこの辺りの人にて渡り候か。
間「なかなかこの辺りの者にて候
ワキ「左様に候はゞ。まず近づ御入り候へ。尋ねたい事の候。
間「心得申して候。さて御尋ねありたきとは、如何様なる御用にて候ぞ
ワキ「思ひも寄らぬ申し事にて候へども。光源氏の古。夕顔の上の御事につき。様々子細あるべし。御存知においては語って御聞かせ候へ。
間「これは思ひも寄らぬ事を御尋ねなされ候ものかな。我等もここには住ひ候へども。左様の事詳しくは存ぜず候さりながら。およそ承り及びたる通り、物語り申さうずるにて候。
ワキ「近頃にて候。
間「さる程に。夕顔の上と申したる御方は。三位中将殿の御息女にて御座ありたるが。さる仔細ありて。人目を包み深く忍びてこの五条辺りに御座ありたると申す。あるとき源氏、六条の御息所へ通ひ給ひ。この辺りを御通りありしに。何処ともなく上臈の歌を吟ずる声聞こえしかば。源氏不審に思し召し。しばらく佇み給ひけれども。定かに所も知れず候間。そのまま帰らせ給ひ、またある夕暮れに。惟光の方へ御出あり。門前に御車を立てられ。辺りを御覧ずれば。小家に夕顔這い掛り。花も盛りなるを御覧じて。御随身にあの花取って参らせよと宣へば。御随身小家に立ち寄り。花を折りて帰らんとすれば。内よりも童を出し。暫く御待ち候へとて。白き扇のつま いとたうこがしたるに歌を書いて。是に添へて参らせ給へとありければ。御随身請け取って惟光へ渡されければ。惟光源氏へ参らする。源氏御覧ずれば。一首の歌あり。
心あてにそれかとぞ見る白露の 光りそへたる夕顔の花
とありしかば。源氏の御返歌に
寄りてこそそれかとも見めたそかれに ほのぼの見ゆる花の夕顔
と遊ばされ。夫よりとかく言ひ寄り給ひ。深く御契りなされたると申す。頃は八月拾五夜の御事なるに。源氏この所へ御出であり。夕顔の上に宣ふ様は。この辺りは何とやらん物凄敷く見え候とて。何某の院へ誘ひ給ひ。あけの夜不思議なる御事ありて。夕顔の上は空しく成り給ひたると申す。是と申すも御息所の御業の様に皆人申し習はし候。惣じて源氏などの御事は、上つ方に御沙汰ある御事なれば。委細は存ぜず候。
間「まづ我らの承りたるは斯くの如くにて候が。只今の御尋ね不審に存じ候。
ワキ「懇ろに御物語候ものかな。尋ね申すも余の儀に非ず御身以前に。女性一人来たられ。夕顔の上の御事只今御物語の如く懇ろに語り。何とやらん由ありげにて。そのまま姿を見失ひて候よ。
間「これは言語道断 不思議なる事を承り候ものかな。それは疑ふ所もなく。夕顔の上の御亡心にてあらうすると存じ候。夫れを如何にと申すに。筑紫より御上りと承り候へば。玉鬘の御縁にひかれ顕れ給ひたると存じ候。左様に思し召さば。暫く御逗留ありて。有難き御経をも御読誦なされ。重ねて奇特を御覧あれかしと存じ候。
ワキ「近頃不思議なる事にて候ほどに。暫く逗留申し。有難き御経を読誦し。かの御跡を懇ろに弔ひ申さうずるにて候。
間「御用の事候はば。重ねて仰せ候へ。
ワキ「頼み候べし。
間「心得申し候。
源氏と夕顔のなれそめが、まず源氏がたまたま五條を通りかかった時に家の内より歌を吟ずる声が聞こえてきた、というのは能『夕顔』の中で前シテが登場するときにワキが言う言葉とも一致し、間狂言の語りでは、その時は「源氏不審に思し召し。しばらく佇み給ひけれども。定かに所も知れず候間。そのまま帰らせ給」うた、となっていますが、これは『源氏物語』には見えない話です。
もうひとつ、源氏に命じられて随身が夕顔邸に咲く花(夕顔)を手折ると、家の中より童が出て扇を参らせますが、この扇の描写を能では「白き扇のつま いたうこがしたりしに」と書いていますが『源氏』では「白き扇の いたうこがしたりしを」という表記です。
細かいことですが、前者。。能では「つま」が追加されているわけで、「つま」とは「褄」。。すなわち「端」を意味する言葉です。これは着物の褄など現代でも使う言葉ですが、扇の場合は広げた扇の角を言い、我々の世界では普通に使う言葉です。
ところが意味の上では「褄」の語の有無はかなり違ったものになり、「白き扇」を「こがしたる」のであれば、これは香を焚きしめた、という意味になり、「褄こがしたる」のであれば、これは白一色の扇なのではなく、広げた扇の左右(あるいは一方の)の角が赤く染められた。。というように解釈され、そのまま想像すればその扇には褄だけでなく扇面に雅やかな絵が描かれているという印象を観客に与えると思います。
『源氏物語』の扇の描写は、あくまでも純白の扇であり、これは清楚で可憐な夕顔の上を象徴する小道具として用意されたものでありましょう。ところが能の作者はこれを極彩色の、とまでは言わないものの、にぎやかな図が描かれた扇と解釈して、「褄」を追加しました。これは能の作者にとって、もとより扇を主要な小道具とする能に登場する扇が白一色の無地の扇という設定にするのに抵抗があったのかもしれませんね。
間狂言が橋掛リの狂言座に退くと、ワキとワキツレは「待謡(まちうたい)」という謡を謡い、月下に読経して夕顔を弔う法事を行います。
ワキ/ワキツレ「いざさらば夜もすがら。いざさらば夜もすがら。月見がてらに明かしつゝ。法華読誦の声絶えず。弔ふ法ぞ誠なる 弔ふ法ぞ誠なる。
これに付けて囃子方が「一声(いっせい)」という登場音楽を奏し、やがて後シテ・夕顔の霊が現れます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます