ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

研能会初会(その5=翁飾り。ぬえ、間違っていました)

2007-01-18 03:01:58 | 能楽
じつはいろいろと私事についてもご報告がありますのですが、まずは前回の訂正から。

ぬえ、ちょっと記憶違いがありました。
先日の豊田市能楽堂での催しの際に他門のS田氏から伺った話として、『翁』の楽屋に飾る「翁飾り」の家による違いについて ぬえは前回書きました。いわく、ぬえの師家では八足台を三段に組むのに、二段に飾る家もあること、その場合八足台に飾る品物の配置がかなり異なること。そして飾る品物についても「翁」「千歳」が着用する道具類~烏帽子・中啓・小さ刀~や、『翁』の出演直前に出演者一同が行う杯事の際に使う御神酒・洗米・粗塩まで異同がないのに、杯事には使わないもう一つの三宝に載せられている肴(神への供物?)には ぬえの師家のスルメに対してS田氏の師家では生の鯛を用い、梅若会でも同じく鯛であること。

ところがその後S田氏のブログを見ると、「翁飾り」の画像が載せられていて、そこには三宝に載せられた肴として「鰹節」が登場している。。ああ、そうだそうだ! ぬえが豊田市でS田氏から聞いたところでは、「うちでは鰹節を載せるんだ」と、たしかに聞いておりました。スルメがキマリだと思っていた ぬえは大いに驚いたのですが、そのときS田氏は追い打ちを掛けるように「他の会(おそらく観世会、という記憶が…)では鯛なんだよ」と。その刹那、混乱を深める ぬえにトドメを刺すように後輩が「梅若会でも鯛でした」と ぬえに言った、と。。これが真相。

ふうむ、それにしても「翁飾り」にはこんなに違いがあるのか~。しかし、ぬえの師家とS田氏の師家は姻戚関係。どうしてこんなに違いが? おそらく親戚として公私ともにごく近しい間柄にある時代には共通の認識であったものが、時代につれ実際の演能の場を異にする間に、次第に認識も離れていったものなのでしょう。「翁飾り」に飾る品物のうち、役者が身につける道具や、出演者一同が杯事に使う品物は変化しにくいとしても、「肴」の品物や八足台の段数などは時代により簡単に変わってしまうものなのでしょう。なるほど鯛や鰹節、寿留女はどれも縁起物。ここだけを押さえておけば、実際に使うわけではない「肴」に何が供えられていても諸役に不都合はないワケで、たかだか数十年の間に、これを用意するシテ方の都合によって変化してしまったものなのか。。

誰か、同年輩の能楽師がずっと以前に、修行中の ぬえに言った。「伝承なんて、所詮は“伝言ゲーム”みたいなものじゃないだろうか…」。。これは難しい問題です。その当時は彼も同じく修行中の身で、何か悩んでいたのかもしれないが、でも当時の ぬえはこれを認めたくなくて、この友人をその時には憎んでケンカになったものです。しかし『翁』という、最も神聖視される能であっても「翁飾り」の中で実演上には関係のない部分~八足台の段数、肴について、数十年の間にこうまで変化してしまうものだとすれば。。「翁飾り」だけを証拠にして論じたくはないのだが、いま ぬえは彼が言った事が正しかった、と認めるのにヤブサカではない。

しかしその後 ぬえは発見してしまったのです。伝承は長い歴史と共に崩れていってしまうものだ、ということなど、能楽を伝えてきた先人はとっくに承知しておられて、これをくい止めるための手段を(おそらく苦労のあげくに)用意されていたことを。これに ぬえが気づいたのは、『道成寺』を披いたときでした。(これについてはいずれお話する機会もあろかと。。)


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