先日の師匠の『卒都婆小町』について、ぬえは自分の師匠だからひいき目で見るのではなしに、本当に名演だったと思っていたら、あちこちから評判は聞こえてきました。普段辛口の批評をする見巧者の ぬえのお弟子さんまで今日会ったらあの舞台を誉めていましたし。。ぬえとしてはこの舞台成果はシテももちろんでしょうが、何といっても地頭の浅井文義さんの力に負うところが大きかったのではないかと思います。
この『卒都婆小町』の申合のときに、じつはすでに ぬえは「これは良い舞台になるだろう。。」と予感があったので、そこで当日の舞台の録音をするために、思い切ってICレコーダーを買ったのでした。後輩の書生さんからずっとICレコーダーの便利さを聞いてはいたのですが、いざ買い求めるとなると なかなかキッカケがなくて。。この申合で「これは。。当日の模様を録音しなければ。。」と思ったのですが、いや、買い求めて正解でしたね~。
それにしても、能楽師は、というか舞台人にとっては自分の稽古を録音したりビデオ撮影をするのは とっても大切です。世阿弥は「離見の見」と言いましたが、ぬえのような凡人には客観的に自分の芸のレベルを察知するのは至難。そこで稽古の模様をビデオに撮ってそれを見るのですが、ま~~見たとたんに赤面してしまいます。それを修正し、また撮影して修正し。。そうやって ようやく自分の舞台に近づけてゆくのです。ビデオがなかった時代の名人は、どうやって自分の欠点を察知して直したのかなあ。。もちろん師匠に稽古を受けることで欠点は指摘されるでしょうが、それを自分の身体の扱い方として理解して修正するのは自分にしかできない事ですし。
同じ事は自分の謡についても言えることで、ぬえは書生時代に師匠から受けた謡の稽古はすべてカセットテープに録音してあります。難しい節扱いや特殊な節、そしてその曲の「位」というようなものは、録音機材がなかった時代には どうやって覚えたのか。。これまた普段 地謡に座って師匠や先輩の舞台を注意して聞いて身につけたのでしょうが、いまのように頻繁に舞台があるのはこの数十年の最近の事で、それ以前はそれほど舞台に接する機会も現代のようには多くはなく、さらにその中で なかなか上演されない珍しい曲、というものもあるわけですから。。
それだからか、能楽師は録音機器や撮影機材などが初めて発売されたときには、喜んで飛びつかれたようです。ある年の大掃除の際に処分してしまったけれど、ぬえの師家にもいろんな歴史的な録音・録画機器が残されていました。オープンリール・デッキ、文机のように巨大なベータのビデオデッキ、8mmカメラと映写機。。
東京の観世能楽堂にも、ぬえが書生として師家に入門した頃にビデオデッキが導入されました。こちらもやっぱり巨大なデッキで、しかもベータ。若い方はご存じないかも知れませんが、ビデオテープの規格では、新発売された当初にはVHSよりもベータ方式が優勢だったのです。能楽堂では高価だったこのビデオデッキをいち早く導入して、演者がその日の舞台の記録ができるように楽屋にこれを設置したのでした。ところが世間ではベータはだんだんとVHSに押されて人気を失い。。能楽堂のデッキに合わせて内弟子時代にベータのビデオデッキを買った ぬえは、数年後にはVHSに乗り換えざるを得なくなり(能楽堂も意地を張って(?)楽屋設置のデッキはずっとベータのままでしたが、やはりある年、VHSに変更されました。。)、自分が撮りためたベータのビデオを、泣く泣く すべてVHSにダビングしたものです。
今やビデオはDVDに取って代わられ、ぬえはまたしてもDVDレコーダーを買い求め、VHSに録画した能のビデオを、これまたDVDにダビングする羽目になってしましました。録音された音声に至ってはもっと悲惨で、MDが登場した時には数百本に及ぶカセットテープをMDにダビングする、という気の遠くなるような作業を進めました。ところがそうしているうちにMDの人気にかげりが見え始め。。
あ~、いつになったら録音された音源が納められる決定的な記録機器が登場するのでしょうか。。
この『卒都婆小町』の申合のときに、じつはすでに ぬえは「これは良い舞台になるだろう。。」と予感があったので、そこで当日の舞台の録音をするために、思い切ってICレコーダーを買ったのでした。後輩の書生さんからずっとICレコーダーの便利さを聞いてはいたのですが、いざ買い求めるとなると なかなかキッカケがなくて。。この申合で「これは。。当日の模様を録音しなければ。。」と思ったのですが、いや、買い求めて正解でしたね~。
それにしても、能楽師は、というか舞台人にとっては自分の稽古を録音したりビデオ撮影をするのは とっても大切です。世阿弥は「離見の見」と言いましたが、ぬえのような凡人には客観的に自分の芸のレベルを察知するのは至難。そこで稽古の模様をビデオに撮ってそれを見るのですが、ま~~見たとたんに赤面してしまいます。それを修正し、また撮影して修正し。。そうやって ようやく自分の舞台に近づけてゆくのです。ビデオがなかった時代の名人は、どうやって自分の欠点を察知して直したのかなあ。。もちろん師匠に稽古を受けることで欠点は指摘されるでしょうが、それを自分の身体の扱い方として理解して修正するのは自分にしかできない事ですし。
同じ事は自分の謡についても言えることで、ぬえは書生時代に師匠から受けた謡の稽古はすべてカセットテープに録音してあります。難しい節扱いや特殊な節、そしてその曲の「位」というようなものは、録音機材がなかった時代には どうやって覚えたのか。。これまた普段 地謡に座って師匠や先輩の舞台を注意して聞いて身につけたのでしょうが、いまのように頻繁に舞台があるのはこの数十年の最近の事で、それ以前はそれほど舞台に接する機会も現代のようには多くはなく、さらにその中で なかなか上演されない珍しい曲、というものもあるわけですから。。
それだからか、能楽師は録音機器や撮影機材などが初めて発売されたときには、喜んで飛びつかれたようです。ある年の大掃除の際に処分してしまったけれど、ぬえの師家にもいろんな歴史的な録音・録画機器が残されていました。オープンリール・デッキ、文机のように巨大なベータのビデオデッキ、8mmカメラと映写機。。
東京の観世能楽堂にも、ぬえが書生として師家に入門した頃にビデオデッキが導入されました。こちらもやっぱり巨大なデッキで、しかもベータ。若い方はご存じないかも知れませんが、ビデオテープの規格では、新発売された当初にはVHSよりもベータ方式が優勢だったのです。能楽堂では高価だったこのビデオデッキをいち早く導入して、演者がその日の舞台の記録ができるように楽屋にこれを設置したのでした。ところが世間ではベータはだんだんとVHSに押されて人気を失い。。能楽堂のデッキに合わせて内弟子時代にベータのビデオデッキを買った ぬえは、数年後にはVHSに乗り換えざるを得なくなり(能楽堂も意地を張って(?)楽屋設置のデッキはずっとベータのままでしたが、やはりある年、VHSに変更されました。。)、自分が撮りためたベータのビデオを、泣く泣く すべてVHSにダビングしたものです。
今やビデオはDVDに取って代わられ、ぬえはまたしてもDVDレコーダーを買い求め、VHSに録画した能のビデオを、これまたDVDにダビングする羽目になってしましました。録音された音声に至ってはもっと悲惨で、MDが登場した時には数百本に及ぶカセットテープをMDにダビングする、という気の遠くなるような作業を進めました。ところがそうしているうちにMDの人気にかげりが見え始め。。
あ~、いつになったら録音された音源が納められる決定的な記録機器が登場するのでしょうか。。
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