【8月15日(金)】
朝、起床すると伊藤クンと山川クンを連れて家主の佐々木さんのお宅にご挨拶に伺いました。
佐々木さん。。5月に煙雲館で『松風』を勤めた際も村上緑さんとともに後見の大役を果たされた方で、器用な方と見た(笑)。今回はそのご縁もあって離れを宿舎として拝借させて頂くことになったのですが、思わぬ珍客が増えて困惑されたことでしょう。。
ところがご挨拶に参上すると、佐々木さんは笑顔で迎えてくださり。。あまつさえご主人は二人の若者を裏山の方へ案内して、気仙沼の街を見下ろせる高台から「あそこまで波が来たんだよ」「震災後はうちもいろんなボランティアさんを泊めてあげたりねえ」と懇切丁寧に震災の時の状況を教えてくださいました。
うん! これは良かったです! 本州最北端を目指す旅の途中とはいえ被災地をこの目で見よう、と思い立った若者たち。でも実際には知人もいない状態では震災の体験を聞く機会はそれほど多いとはいえません。ぬえも最初はそうでしたもの。。偶然にも「亀の湯」さんで ぬえと出会った彼らはラッキーでしたし、佐々木さんのご厚意があって、彼らは震災当時の現実を知り、山口県の友人に伝えてくれることでしょう。
さて裏山から下りてきた ぬえたちは、途中でなんとニホンカモシカに遭遇!!!
ぬえも間近で見たのは初めて。。すぐに佐々木さんのご主人が「近づいちゃいけないよ!」と注意の声を飛ばします。「天然記念物なんだけど。。こっちじゃ迷惑している人もあるんだ」。。だそうです。
ん~。以前石巻の牡鹿半島では鹿が道を横切るのを見てびっくり。。このときも石巻の市街に帰ってきてその話をしたら、「ああ、あそこじゃ見ない方が少ないくらいですね。食害があったり大変なんですよ」と言われたし。気仙沼では真冬に白鳥を見て またまたびっくり。この時も気仙沼の人は「朝とか、鳴き声がうるさいんですよ」。石巻の山奥にある追分温泉では湯上がりに縁側で涼んでいたらタヌキが目の前を。。 やっぱり自然が豊かですが、さすがに目の前のニホンカモシカには驚きました。
さてこれにて佐々木さんのお宅を辞して、二人を連れて気仙沼の被災地区を案内しました。彼らは仙台から先は鉄路を使って青森県を目指しているのですけれども、実際には鉄道やBRTは被災地区を通りません。たとえば壊滅した南気仙沼駅周辺には今は人家も商店もないので、BRTの南気仙沼駅は市内に路線を変えて運行しているのです。だから実際に被災した地区を見てもらうには、やはり車での移動が欠かせませんね。
まずは旧南気仙沼駅からずっと先。。海産物工場が建ち並んでいた半島状の工業地帯の先端まで行きましたが、もう見せるものはなにもない。。と思いきや、まだ取り壊しにならない民家もほんの少数残っていました。それから彼らは再建された工場の陰に取り残された自動車を発見! へえ、まだこんなところに残されていたんだ。。これは ぬえも知りませんでした。
内湾地区に戻って、中を見れる被災建物ということで伊藤雄一郎さんがいる「WINE BAR風の広場」へ。声を掛けながら店内に入ったのですが雄一郎さんの姿はなく。。奥の部屋に行ってみると、ニャンコのハナちゃんを抱っこしながら まだお休みでした。あ~寝込みを襲っちゃった。
寝起きでまだ意識のはっきりしない雄一郎さんは措いといて、ハナちゃんと遊ぶ伊藤クンです。このへんからやっと写真を撮りだしたので、これまで文字ばっかりでごめんなさい。
こちら「風の広場」の前。手前を歩くのが山川クンです。
次に鹿折マルシェを訪ねようと思って車を進めると、五十鈴神社が建つ神明崎の周囲をぐるりと廻る遊歩道が通行可能になっていました。震災前は「浮見堂」という、昭和初期に建てられた小さな東屋があって、恵比寿像があったそうです。震災後はずっと立入禁止になっていましたが、ついに整備されたのか。
が、遊歩道を行ってみると、手すりもなにもなく、浮見堂は取り壊されたままになっていました。さらに先に進むと。。やはり途中から先は通行止めのまま。神明崎を遊歩道を使ってひと廻りできるのはまだ先のようですね。ただこの遊歩道から五十鈴神社に上がる石段は通行止が解除されていました。
このあと、ちょっと足を伸ばして安波山に上って市街を見下ろし、それから鹿折復幸マルシェへ。
マルシェは周囲のかさ上げ工事が進んで移転を余儀なくされ、この8月に500mほど市街に寄った地点に移転することになっています(現時点で10月5日に「鹿折復幸マート」としてグランドオープンが決定しました!)。
そのマルシェの最後の大きなイベントとして、この日ここでデコトラが集合することになっているはずですが。。ををっ、すでにデコトラは大集合しておりました!
このイベント、2年前に一度行われたのですが、これが夜には一斉にイルミネーションを輝かせるのですって! あいにく ぬえは同じ時間に中央公民館で催しをするので、その勇姿を見ることはできないのですが。。
小野寺商店の由美子さんにも二人を紹介し、鹿折工房でお話しも伺って、さて寺井さんも到着したとの知らせを受けたので、ここにて二人とは別れて、上演準備のため中央公民館に向かうこととしました。
。。ちなみに彼ら、その後無事に本州最北端の大間崎までたどり着いたそうです。それから仙台~横浜と戻り、山口県在住の伊藤クンは自宅に帰って行きました。車で被災地区をめぐる間にも、車から降りるたび、乗るたび「ありがとうございます!」と丁寧に挨拶を言った彼ら。被災地区を見、気仙沼の住民さんとのふれあいもできた彼ら、次には駆け足でなく、ピンポイントでじっくりと被災地を訪れてみたい、と言っておりました。
気仙沼のみなさん、ありがとう!
朝、起床すると伊藤クンと山川クンを連れて家主の佐々木さんのお宅にご挨拶に伺いました。
佐々木さん。。5月に煙雲館で『松風』を勤めた際も村上緑さんとともに後見の大役を果たされた方で、器用な方と見た(笑)。今回はそのご縁もあって離れを宿舎として拝借させて頂くことになったのですが、思わぬ珍客が増えて困惑されたことでしょう。。
ところがご挨拶に参上すると、佐々木さんは笑顔で迎えてくださり。。あまつさえご主人は二人の若者を裏山の方へ案内して、気仙沼の街を見下ろせる高台から「あそこまで波が来たんだよ」「震災後はうちもいろんなボランティアさんを泊めてあげたりねえ」と懇切丁寧に震災の時の状況を教えてくださいました。
うん! これは良かったです! 本州最北端を目指す旅の途中とはいえ被災地をこの目で見よう、と思い立った若者たち。でも実際には知人もいない状態では震災の体験を聞く機会はそれほど多いとはいえません。ぬえも最初はそうでしたもの。。偶然にも「亀の湯」さんで ぬえと出会った彼らはラッキーでしたし、佐々木さんのご厚意があって、彼らは震災当時の現実を知り、山口県の友人に伝えてくれることでしょう。
さて裏山から下りてきた ぬえたちは、途中でなんとニホンカモシカに遭遇!!!
ぬえも間近で見たのは初めて。。すぐに佐々木さんのご主人が「近づいちゃいけないよ!」と注意の声を飛ばします。「天然記念物なんだけど。。こっちじゃ迷惑している人もあるんだ」。。だそうです。
ん~。以前石巻の牡鹿半島では鹿が道を横切るのを見てびっくり。。このときも石巻の市街に帰ってきてその話をしたら、「ああ、あそこじゃ見ない方が少ないくらいですね。食害があったり大変なんですよ」と言われたし。気仙沼では真冬に白鳥を見て またまたびっくり。この時も気仙沼の人は「朝とか、鳴き声がうるさいんですよ」。石巻の山奥にある追分温泉では湯上がりに縁側で涼んでいたらタヌキが目の前を。。 やっぱり自然が豊かですが、さすがに目の前のニホンカモシカには驚きました。
さてこれにて佐々木さんのお宅を辞して、二人を連れて気仙沼の被災地区を案内しました。彼らは仙台から先は鉄路を使って青森県を目指しているのですけれども、実際には鉄道やBRTは被災地区を通りません。たとえば壊滅した南気仙沼駅周辺には今は人家も商店もないので、BRTの南気仙沼駅は市内に路線を変えて運行しているのです。だから実際に被災した地区を見てもらうには、やはり車での移動が欠かせませんね。
まずは旧南気仙沼駅からずっと先。。海産物工場が建ち並んでいた半島状の工業地帯の先端まで行きましたが、もう見せるものはなにもない。。と思いきや、まだ取り壊しにならない民家もほんの少数残っていました。それから彼らは再建された工場の陰に取り残された自動車を発見! へえ、まだこんなところに残されていたんだ。。これは ぬえも知りませんでした。
内湾地区に戻って、中を見れる被災建物ということで伊藤雄一郎さんがいる「WINE BAR風の広場」へ。声を掛けながら店内に入ったのですが雄一郎さんの姿はなく。。奥の部屋に行ってみると、ニャンコのハナちゃんを抱っこしながら まだお休みでした。あ~寝込みを襲っちゃった。
寝起きでまだ意識のはっきりしない雄一郎さんは措いといて、ハナちゃんと遊ぶ伊藤クンです。このへんからやっと写真を撮りだしたので、これまで文字ばっかりでごめんなさい。
こちら「風の広場」の前。手前を歩くのが山川クンです。
次に鹿折マルシェを訪ねようと思って車を進めると、五十鈴神社が建つ神明崎の周囲をぐるりと廻る遊歩道が通行可能になっていました。震災前は「浮見堂」という、昭和初期に建てられた小さな東屋があって、恵比寿像があったそうです。震災後はずっと立入禁止になっていましたが、ついに整備されたのか。
が、遊歩道を行ってみると、手すりもなにもなく、浮見堂は取り壊されたままになっていました。さらに先に進むと。。やはり途中から先は通行止めのまま。神明崎を遊歩道を使ってひと廻りできるのはまだ先のようですね。ただこの遊歩道から五十鈴神社に上がる石段は通行止が解除されていました。
このあと、ちょっと足を伸ばして安波山に上って市街を見下ろし、それから鹿折復幸マルシェへ。
マルシェは周囲のかさ上げ工事が進んで移転を余儀なくされ、この8月に500mほど市街に寄った地点に移転することになっています(現時点で10月5日に「鹿折復幸マート」としてグランドオープンが決定しました!)。
そのマルシェの最後の大きなイベントとして、この日ここでデコトラが集合することになっているはずですが。。ををっ、すでにデコトラは大集合しておりました!
このイベント、2年前に一度行われたのですが、これが夜には一斉にイルミネーションを輝かせるのですって! あいにく ぬえは同じ時間に中央公民館で催しをするので、その勇姿を見ることはできないのですが。。
小野寺商店の由美子さんにも二人を紹介し、鹿折工房でお話しも伺って、さて寺井さんも到着したとの知らせを受けたので、ここにて二人とは別れて、上演準備のため中央公民館に向かうこととしました。
。。ちなみに彼ら、その後無事に本州最北端の大間崎までたどり着いたそうです。それから仙台~横浜と戻り、山口県在住の伊藤クンは自宅に帰って行きました。車で被災地区をめぐる間にも、車から降りるたび、乗るたび「ありがとうございます!」と丁寧に挨拶を言った彼ら。被災地区を見、気仙沼の住民さんとのふれあいもできた彼ら、次には駆け足でなく、ピンポイントでじっくりと被災地を訪れてみたい、と言っておりました。
気仙沼のみなさん、ありがとう!