この二人の若者、伊藤俊介クンと山川幸宏クンと言います(←本人から実名許可もらってます)。
聞けば、なんと山口県出身の二人(!)。同郷の二人ですが就職などその後は別の道を歩み、山川クンは現在 横浜在住なんですって。今回の旅は本州最北端の地を目指すのが目的らしく、その途次に被災地を訪ねようと思い立ったようです。
今も山口県に住む伊藤クンは、今回飛行機で横浜に向かい、山川クンと一緒に車で仙台に移動、そこからは電車利用で青森を目指しているのだそう。交通機関の選択が ややイミフな気もしますが、東北のみなさんとの触れあいを期待し、また「あまちゃん」で有名になった三陸鉄道に乗りたい、という気持ちもあって このような交通手段になったのですって。そうして宿泊は、宿がみつからなければテントで、という気ままな旅なのだそう。
ここまでを聞き出して宿舎に到着して、まだ夕食を摂っていないという彼らに、前夜に活動計画を立てたお店を紹介してあげて。そうして彼らが戻る前に、今回の宿舎を提供してくださった佐々木さんに連絡を取って彼らの同宿の是非をお伺いし、佐々木さんも快くOKを出してくださり、さて食事から帰った彼らと飲みながら、彼らの思いや ぬえが行ってきた活動、それから被災した各地で ぬえが見聞きしたことや、防潮堤問題など いま被災地が抱えている問題について話し込みました。
彼らは観光で訪れたことを少し申し訳なく思っていたようでしたが、もちろんそんな事を気にする必要はありません。震災3ヶ月後に被災地を訪れた ぬえも被災した建物の写真を撮ることに ずいぶん躊躇したものでしたが、その日のうちに住民さんから「ああ、どんどん写真を撮ってください。そうして東京に帰ってから現状を伝えてほしい」と言われたものです。
そりゃ、3年前とは事情が違うし、あの時のような。。被災地のために何かしなきゃ。。と居ても立ってもいられない気分で、取る物もとりあえず駆けつけた、という切実さとはまた違う気持ちの彼らなのですけれども、東北からは遠く離れた山口県の二人が被災地を自分の目で見たい、という気持ちをもって気仙沼を訪れたのです。彼らの旅の目的は本州最北端に到達する、という事ではありましたけれども、仙台から先はわざわざ鉄路を選んで被災地を巡るという気持ちは、やはり志なのだと思います。
ぬえは、彼らの中に3年前の自分の姿を見ました。
とくに先を急ぐ旅ではない彼らと、ぬえも翌日は気仙沼中央公民館での催しの楽屋入りが午後の予定だったので、それでは翌日は ぬえが車で気仙沼の被災地域を案内することにしました。
それにしても何て礼儀正しい若者たちなんでしょう! じつは。。ぬえ、被災地の銭湯で出会った若者を自分たちの宿に泊めてあげたのはこれが2回目なのです。1回目は震災の年の大晦日だったと思いますが、石巻での出来事でした。
その日の活動を終えた ぬえと笛の寺井さんは 例によって石巻のスーパー銭湯「元気の湯」に行きました。その大浴場の中で ぬえに「あの。。地元の方ですか?」と声を掛けてきた若者3人のグループがあったのです。
聞けば埼玉県からやって来た大学生の彼らは、車でこの数日間、被災地を巡っているのだそう。被災地のために何かできる事はないか、と考えて、冬休みを利用してこの地までやって来たのでした。寒い時期でしたので使い捨てカイロを200個持参してきたが、渡す相手がなく困っている、とのこと。
それならば、と石巻の住民ボランティア団体の「明友館」を紹介することにして、湯上がりに携帯電話の番号など控えて、翌朝に ぬえから明友館にお話しを繋いでおくことにしました。
さて宿舎に帰ってから よく考えると。。あれ? 彼らはどこに泊まるのだろう。。ホテルならばこの時間にスーパー銭湯に入浴に来ている訳がない。。
まさか、と思って携帯電話で連絡を取ってみると。。案の定彼らは車中泊をするのだそうです。この寒空に。。3人で1台の車の中で眠るなんて。。
ぬえたちは正月休み中のボランティア団体の事務所を宿舎として拝借させて頂いていたので、どうしようか しばらく悩んだのですが、結局彼らを宿舎に招くことにしました。う~んこれはちょっと問題ではあります。ぬえたちもボラ団体のご厚意で宿舎を拝借しているので、これでは無断での「又貸し」。。がしかし、窮屈な車中泊のために明日以降起きるかもしれない問題を予想すれば、これは致し方のないところ、という判断をしました。
さて彼らを宿舎に招いた ぬえは最初に厳しく宣言。もう深夜に近い時間だったので、もしも騒いだりしたら夜中でも容赦なく追い出すよ、と。。相手は学生でもあり、貸し主に無断の行為でもあり、一応厳しく取り決めをしておきました。
。。が、それも不要だった。彼らは至って礼儀正しく、やはり深夜まで被災地の今後について話し合ったりして。。就寝時には彼ら、「ああ。。やっと足を伸ばして眠れる」なんて言ってました。もう数日間、彼らは車の中で寝起きしていたのです。
よほど疲れていたのか、翌日彼らは昼頃までずっと眠り込んでいましたが、起床してからは宿舎を拝借する条件となっていた暖房のための灯油を買いに行く作業をしてもらったり、宿舎の掃除をやらせたり。ぬえも明友館に連絡して彼らの受け入れをして頂き、いろいろ教えてあげてください、とお願いしてお別れしました。あとで明友館に聞いたところ、彼らの持参した大量の使い捨てカイロは住民さんに喜ばれ、あっという間に配り終えたのだそうです。
翌日の活動では宿舎を提供してくれたボラ団体との橋渡しをしてくださった住民ボランティアさんに昨夜の経緯を説明しましたが、事後承諾にもかかわらず快くお許しを頂きました。このときは昨夜学生さんたちに厳しい宣言をしたのを少し後悔しましたね。
このときの経験があったから、今回の ぬえは安心して伊藤クンと山川クンを泊めてあげたのですが、今回の二人は学生ではなく社会人であったし、その礼儀正しさは立派なものでした。いやホント。
聞けば、なんと山口県出身の二人(!)。同郷の二人ですが就職などその後は別の道を歩み、山川クンは現在 横浜在住なんですって。今回の旅は本州最北端の地を目指すのが目的らしく、その途次に被災地を訪ねようと思い立ったようです。
今も山口県に住む伊藤クンは、今回飛行機で横浜に向かい、山川クンと一緒に車で仙台に移動、そこからは電車利用で青森を目指しているのだそう。交通機関の選択が ややイミフな気もしますが、東北のみなさんとの触れあいを期待し、また「あまちゃん」で有名になった三陸鉄道に乗りたい、という気持ちもあって このような交通手段になったのですって。そうして宿泊は、宿がみつからなければテントで、という気ままな旅なのだそう。
ここまでを聞き出して宿舎に到着して、まだ夕食を摂っていないという彼らに、前夜に活動計画を立てたお店を紹介してあげて。そうして彼らが戻る前に、今回の宿舎を提供してくださった佐々木さんに連絡を取って彼らの同宿の是非をお伺いし、佐々木さんも快くOKを出してくださり、さて食事から帰った彼らと飲みながら、彼らの思いや ぬえが行ってきた活動、それから被災した各地で ぬえが見聞きしたことや、防潮堤問題など いま被災地が抱えている問題について話し込みました。
彼らは観光で訪れたことを少し申し訳なく思っていたようでしたが、もちろんそんな事を気にする必要はありません。震災3ヶ月後に被災地を訪れた ぬえも被災した建物の写真を撮ることに ずいぶん躊躇したものでしたが、その日のうちに住民さんから「ああ、どんどん写真を撮ってください。そうして東京に帰ってから現状を伝えてほしい」と言われたものです。
そりゃ、3年前とは事情が違うし、あの時のような。。被災地のために何かしなきゃ。。と居ても立ってもいられない気分で、取る物もとりあえず駆けつけた、という切実さとはまた違う気持ちの彼らなのですけれども、東北からは遠く離れた山口県の二人が被災地を自分の目で見たい、という気持ちをもって気仙沼を訪れたのです。彼らの旅の目的は本州最北端に到達する、という事ではありましたけれども、仙台から先はわざわざ鉄路を選んで被災地を巡るという気持ちは、やはり志なのだと思います。
ぬえは、彼らの中に3年前の自分の姿を見ました。
とくに先を急ぐ旅ではない彼らと、ぬえも翌日は気仙沼中央公民館での催しの楽屋入りが午後の予定だったので、それでは翌日は ぬえが車で気仙沼の被災地域を案内することにしました。
それにしても何て礼儀正しい若者たちなんでしょう! じつは。。ぬえ、被災地の銭湯で出会った若者を自分たちの宿に泊めてあげたのはこれが2回目なのです。1回目は震災の年の大晦日だったと思いますが、石巻での出来事でした。
その日の活動を終えた ぬえと笛の寺井さんは 例によって石巻のスーパー銭湯「元気の湯」に行きました。その大浴場の中で ぬえに「あの。。地元の方ですか?」と声を掛けてきた若者3人のグループがあったのです。
聞けば埼玉県からやって来た大学生の彼らは、車でこの数日間、被災地を巡っているのだそう。被災地のために何かできる事はないか、と考えて、冬休みを利用してこの地までやって来たのでした。寒い時期でしたので使い捨てカイロを200個持参してきたが、渡す相手がなく困っている、とのこと。
それならば、と石巻の住民ボランティア団体の「明友館」を紹介することにして、湯上がりに携帯電話の番号など控えて、翌朝に ぬえから明友館にお話しを繋いでおくことにしました。
さて宿舎に帰ってから よく考えると。。あれ? 彼らはどこに泊まるのだろう。。ホテルならばこの時間にスーパー銭湯に入浴に来ている訳がない。。
まさか、と思って携帯電話で連絡を取ってみると。。案の定彼らは車中泊をするのだそうです。この寒空に。。3人で1台の車の中で眠るなんて。。
ぬえたちは正月休み中のボランティア団体の事務所を宿舎として拝借させて頂いていたので、どうしようか しばらく悩んだのですが、結局彼らを宿舎に招くことにしました。う~んこれはちょっと問題ではあります。ぬえたちもボラ団体のご厚意で宿舎を拝借しているので、これでは無断での「又貸し」。。がしかし、窮屈な車中泊のために明日以降起きるかもしれない問題を予想すれば、これは致し方のないところ、という判断をしました。
さて彼らを宿舎に招いた ぬえは最初に厳しく宣言。もう深夜に近い時間だったので、もしも騒いだりしたら夜中でも容赦なく追い出すよ、と。。相手は学生でもあり、貸し主に無断の行為でもあり、一応厳しく取り決めをしておきました。
。。が、それも不要だった。彼らは至って礼儀正しく、やはり深夜まで被災地の今後について話し合ったりして。。就寝時には彼ら、「ああ。。やっと足を伸ばして眠れる」なんて言ってました。もう数日間、彼らは車の中で寝起きしていたのです。
よほど疲れていたのか、翌日彼らは昼頃までずっと眠り込んでいましたが、起床してからは宿舎を拝借する条件となっていた暖房のための灯油を買いに行く作業をしてもらったり、宿舎の掃除をやらせたり。ぬえも明友館に連絡して彼らの受け入れをして頂き、いろいろ教えてあげてください、とお願いしてお別れしました。あとで明友館に聞いたところ、彼らの持参した大量の使い捨てカイロは住民さんに喜ばれ、あっという間に配り終えたのだそうです。
翌日の活動では宿舎を提供してくれたボラ団体との橋渡しをしてくださった住民ボランティアさんに昨夜の経緯を説明しましたが、事後承諾にもかかわらず快くお許しを頂きました。このときは昨夜学生さんたちに厳しい宣言をしたのを少し後悔しましたね。
このときの経験があったから、今回の ぬえは安心して伊藤クンと山川クンを泊めてあげたのですが、今回の二人は学生ではなく社会人であったし、その礼儀正しさは立派なものでした。いやホント。