ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第20次支援活動<気仙沼市・震災3年>(その8)~李承信(イ・スンシン)さんの朗読会

2014-04-19 02:07:38 | 能楽の心と癒しプロジェクト
着替えが終わって ちょっとひと休み。さてお座敷の方を見てみるとビデオの上映が行われていました。

それはこの日短歌を朗読される韓国歌人の李承信さんとの活動を紹介したドキュメンタリーでした。同じく歌人であった母君への思いを強く持っておられることから母が思いを寄せた日本や短歌に彼女も惹かれていったこと、その日本で起こった未曾有の災害。。東日本大震災を受けて、被災者に寄り添うつもりで短歌を詠まれたこと、実際に被災地を訪れた様子、そして気仙沼の南町の「カドッコ」。。ここは ぬえたちも何度か上演を行った児童のためのフリースペースですが、ここで行われた短歌の朗読会の場面。。いま日本と韓国はいろいろな摩擦の面ばかりが取り上げられていますが、やはり個人としてここまで日本に思いを持ってくださる方もあるのです。ちょっと涙なくしては見られない映像でした(現に見所のあちこちから涙をぬぐう気配が伝わってきました)。



そのあとに実際に李さんによる短歌の朗読が行われました。

胸深き哀悼に膝を折りし夜 神様どうか神様どうか

花だけの春などあろうはずもなし 春の来たらぬ冬もまたなし

前者は ぬえが心動かされた歌。
後者は緑さんが良い、と言っていた歌。しかもこの歌は李さんもお気に入りのようで、彼女の名刺にこの歌が印刷されていました。





災害や絶望。。この震災で味わった苦難に寄り添いたいと思う ぬえと、過去を乗り越えて未来に希望を見いだそうとする緑さんや李さん。ちょっと思いの違いが垣間見えて面白かったです。あるいは性差の問題か? または ぬえが震災のショックからただ立ち直れていないだけか。。?

李さんは日本語はあまり得手ではないようで、上記短歌も韓国語で書かれたものを邦訳したものだそうです(ここまで読んで疑問に思われた方もあるかもしれませんが、この短歌とは日本固有の詩である和歌のことで、李さん<とその母君も>は韓国人でありながら日本の短歌を詠む歌人なのです)。母への思いが言葉のあちこちに見出される。。その母君・孫戸妍(ソン・ホヨン)さんについてのお話しは追い追いにわかってきましたが、これがまたすごいものでした。

孫さんは1923年東京生まれで、生後まもなくソウルに帰りましたが東京帝国女子専門学校に留学し、そこで短歌と出会いました。帰国後も短歌を詠み続けて6冊の歌集を出版し、韓国のこと、韓国人のこと、日韓のこと、最愛の夫への愛を終生2000首の歌に綴りました。特筆すべきは孫さんは一貫して日本語で短歌を詠み続けたことで、終戦後、韓国内で日本文化に対して批判や嫌悪が巻き起こってもその姿勢は変わることがありませんでした。そのことは日本国内で共感を呼び、青森県六ヶ所村に歌碑が建立されたほか、1998年正月には「宮内庁歌会始」に韓国人として初めて招待され、日韓文化交流に寄与した功績が認められて2000年には韓国の金大中大統領から花冠文化勲章が授与され、2002年には日本の外務大臣からも表彰されました。

李さんは母への憧憬から短歌を詠まれたのだと思いますが、また現在彼女は日本語でなく韓国語で短歌を詠んでいるのではありますが、実質を考えれば韓国で唯一の歌人なのです。そうして母が亡き今、母が思いを寄せた日本に起こった大震災に心を痛め、隣国の友人として心をこめた歌を詠み、来日してその歌を披露した。。その美しい心に ぬえは心打たれます。こういう出会い。。震災後の東北でいくつ遭遇しただろう。ぬえは幸せだと思いますね。

朗読会が終わる頃。。3年前の震災の、その時間がやって来ました。