ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

伊豆の国市子ども創作能「伊豆の頼朝」…鎌倉まつり公演(その1)

2014-04-15 22:48:16 | 能楽
4月13日(日)、伊豆の子ども能の鎌倉公演があり、伊豆の子どもたちが頑張って演じました!

これは鎌倉市で行われている「鎌倉まつり」にご招待を頂き、鎌倉宮の拝殿で上演させて頂く催しで、今年で上演は3年目になります。いや、伊豆の国市で始まった「子ども創作能」が遠征公演をするようにまでなったのは感無量です。

もともとは伊豆の地が頼朝が流された「蛭が島」がある地で、ここで頼朝は20年を過ごし、北条政子と結婚、その勢力も頼んで伊豆で挙兵しました。それから5年に渡る源平の合戦を経てこれに勝利し、鎌倉に幕府を開きました。いうなれば伊豆がスタート地点で鎌倉がゴールですね。そんなことから2012年、伊豆の国市からの提案で、頼朝にまつわる14市町による「源頼朝観光推進協議会(よりともジャパン)」(井出・鎌倉観光協会長さんが協議会長)が結成されました。折もおり、伊豆の「子ども創作能」では ぬえが新作台本を書いた『伊豆の頼朝』を上演中で、これを鎌倉でも上演させて頂ける、というお話しになったのでした。

ぬえは子ども能の参加者の子どもたちにはいつも会場の舞台の拭き掃除とか、神社の祭礼ではお祓いを受けさせたり、そうでなくてもみんなで参拝して神様にご挨拶させるなどの事は欠かさず行っていまして、鎌倉で拝殿を上演会場として提供頂いた鎌倉宮さまでもこれは同じです。早朝6:30にバスで伊豆を出発した子どもたちは箱根峠の難所で車酔いしながらも(笑)、無事9時過ぎに鎌倉宮に到着しました。楽屋にはなんと鎌倉宮さまからのお計らいで、オモチャや絵本まで用意されていました(!) みんな愛されてるぅ。でも遊びに来たんじゃないですけど。



ちょっと休んで9:45から舞台掃除、10:00頃にお祓いを受けさせて頂き、玉串は主役・頼朝役を勤める ゆっきー(6年)が捧げました。



やがてお囃子方の先生方も到着されましたが、この日は開演時間が午後2時でありながら、「鎌倉まつり」の時期は鎌倉の交通はマヒ状態になり、そのうえ鎌倉宮周辺も車両進入禁止の規制があり、お囃子方の先生方には大変申し訳ないながら、朝早くに会場に入って頂きました。10:45から舞台(拝殿)で申合。今回の上演は子ども創作能のほか、新中学1年生のイチイとコオによる舞囃子『盛久』でした。毎年講師演目として ぬえが舞囃子を奉納しているのですが、中学に進学した子どもたちには古典の曲にも挑戦してほしいと思っているので、ぬえの役を譲った形。『盛久』には「男舞」があり、『伊豆の頼朝』にも中之舞があるのですが、どちらも短縮版とはいえ子どもたちには至難でしょう。でも稽古の甲斐あって申合も問題なく終了。



観光協会さんが用意してくれた弁当で昼食のあと、12:30から装束の着付けを開始。上演開始は午後2時ですが、着付けをする能楽師が ぬえ一人しかいないのです。そのうえ子どもたちは動き回るから開演までにみ~んな着崩れちゃう。。(^◇^;) そこで通常よりもあちこち糸留めをしなければなりませんで、装束を着る主役級4人の着付け完了までに1時間は掛かります。。1時間で4人ということは1人あたり15分。これでもプロの手腕が発揮された高速着付けだと思います。ワキ方や狂言方の着付けのスピードには勝てないけどね。





14:00に予定通り開演。鎌倉市観光協会、伊豆の国市観光協会のそれぞれからご挨拶があり、鎌倉市長さんからの祝辞の代読も頂戴して子ども舞囃子『盛久』が上演されました。新中1年のイチイとコオは微妙に緊張気味だったらしいですが、楽屋での打合せでも笛の栗林祐輔師、小鼓の森貴史師、大鼓の大倉栄太郎師が「わかりやすく打ちますね」なんて気遣いもしてくださったおかげで ぬえからは安心して見ていられました。本来1人で舞う曲ですが、この時は2人にて。割に良くシンクロしていたと思います。



続いての子ども創作能『伊豆の頼朝』。もうこの曲は地謡も小学生に任せっきりです (;^_^A  だって彼ら、拍子謡(囃子に合わせて謡うこと)だって平気でできるんだもの。。そう、数年前までは ぬえが地謡の後ろに座って謡ったり、あるいは間違いだけを とっさに修正したりしていましたが、今となっては ぬえは地謡のそばにさえ居りません。1カ所だけ。。囃子のリズムが延びる「トリ」の間の箇所。。これも以前は小学生には難しいかと思って避けて作曲してきたのですが、みんな通常の間なら難なく謡えるようになったので、3年くらい前かなあ、じゃ入れてみよう、という事で作曲に手を加えた箇所なのですが。。この時だけ ぬえはそっと地謡の後ろに座って、「ン」とコミの箇所だけ知らせました。これも小鼓幸流は2拍目を打たないから念のために知らせたまでで、他流の小鼓だったら ぬえは小学生に任せておきましたね。ちなみに新作の謡を囃子に合わせて間を外さずに謡える小学生は日本で彼らだけだと思っています。

そういうわけで、ぬえの手が空いたため、装束や道具など舞台上の演出に工夫を凝らすことができるようになりました。頼朝が挙兵した相手、平家の伊豆目代の山木兼隆役は襲撃を受けて舞台上で物着をして軍装を整えるのですが、地謡に付きっきりでなくても良くなったため、右肩を脱いで後ろに巻き込む修羅能の方式での物着にしました。頼朝は狩衣を着ているのでそれは不可能で、両肩を上げることになりますが、やはりそれと兼隆とは別の扮装にしたいので、これは良い工夫だと思います。。もっとも年間に数回もある子ども能公演では予算不足のためお囃子方をお願いできない場合も多く、そのときには ぬえは囃子をアシライで表現しますので、物着にはお付き合いできない。こういう時はママさん方の後見にお任せして、右肩を脱ぐ物着は無理だから、2人とも両肩を上げる形になってしまいますが。。



北条政子役のリカは、中之舞の唱歌を覚えるのにだいぶ苦しみましたが、この日はとうとう無事に完演。いや、よく頑張ったと思います。政子役は後半には着替えて源氏武士の役も兼ねるので覚えることが多くて大変。



よっち(5年生)の兼隆は声がもう少し大きいといいなあ。小学3年のもぉちゃんと ぴかぴかの1年生 るぅちゃん(←この子は去年幼稚園のときから笛を聞いて舞働を舞っちゃいます)の頑張りでひとまず声量を確保。しかし頼朝との一騎打ちの場面では切れ味のよい型を見せました。なんといっても装束がキレイだね~。青いハッキリした色の振り袖が紺の法被と赤い袴、それに黄色い鉢巻とマッチして、ちょっとこれまでの子ども能では考えられないくらい色あわせの良い取り合わせ。ホントの能装束みたい。



それで、主役のゆっきーの装束が少し見劣りしてしまって。。狩衣が透けるから、下に着る着物が真紅なら対抗できる。。いや、別に対抗しなくても良いけど。これは保護者やまわりのママさんまで加わって前日まで ああでもない、こうでもない、と着物を持ち寄って考えました。結果、七五三の真紅の着物を当日までに袖を出して(!)対応。これが結果的に ぬえが想像した通りの色合いをもたらしました。よかったよかった。

そして一番の見せ場が頼朝が矢を放つシーン! 去年のリサは貴賓席に矢を射るというテロ行為に出ましたが(笑)、今年の ゆっきーは百発百中の腕前で。なんでもおうちの壁は穴だらけらしい。(笑)それを紙を貼ってママに隠してるらしい(笑)。ママ、このブログを読んでませんよーに。





やがて源平の武士の戦いが始まります。マサトvsソオ、コウミvsもぉ、リカvsるぅの3組で、1年生のるぅちゃんは相手の太刀を打ち落とすけれども、両手を上げて素手で襲いかかってくる相手に「きゃぁ~~」と舞台の下の広縁を逃げるという趣向。ああ型付け作りって楽しいなあ♪











やがて平家の郎党がみな負けて、頼朝と兼隆の一騎打ちになります。史実。。というか原典の『吾妻鏡』とは違うけどね。兼隆は負けて側転をし、源氏の郎党に縄を掛けられて連行されて終わり。『正尊』などと同じ趣向に作りました。







終演後、急いで着替えて徒歩で頼朝の墓に詣でました。昨年は雨で断念したので2年ぶりの参拝です。墓前で『伊豆の頼朝』の一節を謡って奉納。ご案内と解説をしてくださった鎌倉市の観光協会さんも頼朝も喜んでいると思うよ~、と誉めてくださいました。





かくして公演は終わり、ぬえがご褒美にみんなにアイスをおごってあげて、鎌倉市観光協会さんからは子どもたちに鎌倉銘菓の「鳩サブレー」を頂いて、やがてバスに乗ってまた遙々伊豆まで帰って行きました。

次の公演は夏休み、伊豆の花火大会のイベントへの出演です。お稽古も来月までしばらくお休み。その間に花火大会の上演曲の台本をリニューアルしようと思っています!