伊豆の「子ども創作能」の教え子たちが通う小学校の学級通信プリントに。。載ってしまいましたw
先日、ぬえは伊豆の教え子の子どもたちが通う小学校の授業参観に行ってしまったわけなのですが。今日、その「子ども創作能」の稽古のために伊豆に行ってみると、教え子のママさんの一人が笑いながら1枚の紙を ぬえに手渡しました。なんだろう? と思って見てみると、それはその小学校で家庭への通知に使われるクラスの通信のプリントでした。
そこには近日のニュースとして写真入りで例の授業参観のときの体育の授業の様子が紹介されていましたが。
あー、その、なんだ。写真の中にひとり、保護者でない者が混じっているというか。。なんというか。。w
これ、国語の授業で「子ども創作能」について発表したケイゴのクラスの担任の先生が保護者宛に配ったプリントです。なるほど、ケイゴのクラスは国語の授業も参観したけれども、午後に校庭に出てみると、これは偶然、そのケイゴのクラスが体育の授業をやってまして、リレーのように子どもたちが体を動かすのを参観する場面もあったのだけれど、授業参観日とあって、父兄も参加できる種目も設けされていました。
ぬえを見つけたケイゴが「先生、玉入れ、一緒にやってよ」と言うので、そうかそうか、とすぐに参戦。それから授業の締めくくりに、この少し前にあって ぬえもやっぱり参加した運動会でも父兄を交えて行われた、「ドンマイ」という、なんだろう、フォークダンスみたいな踊りがこの日も行われて、これまたケイゴと一緒に参加しました~。
で、その「ドンマイ」の写真がクラス通信に載ったのですね。このプリントを ぬえに渡したママさんは「うれしそうに参加しているパパだと思ったんでしょうね~」と笑っていました。ん~、なるほど、ぬえ、嬉しそう。。てか、このダンスの型? からすると、ぬえはフライング気味にダンスをリードしているじゃないかあぁぁ。。この授業のとき、「ドンマイ」のやり方わかんないままに参加しながら、すぐに型の法則性を見抜いた ぬえは。。たしかに喜んで参加したのではありますが。。こんなに嬉しそうな ぬえの姿、久しぶりに見た。ww
「子ども創作能」ですが、これまで数年演じてきた『伊豆の頼朝』から今年は脱皮することになり、ぬえ作の新作『ぬえ』の稽古がいま佳境を迎えています。もう14年も当地では稽古を続けているので、徐々に、徐々に、進歩してきた技術レベルも、もう大変な事になっています。
なんせ今回の新作『ぬえ』では、小学生が「早笛」「舞働」を、笛の唱歌を覚え、太鼓の手を聞きながら舞うのだもの。前作『伊豆の頼朝』でも小学生が、短縮版とはいえ「中之舞」を舞ったし、地謡は ぬえが後見として後ろに着座しないでも、自分たちの力だけで囃子に合わせて謡うことができるし。あ、ここは大事かな。ぬえが伊豆の「子ども創作能」で誇れるのは、立ち方のレベルもそうだけれど、やっぱり強力な地謡の技術力なんです。正直言って、ぬえが指導するこの小学生たち、笛を聞き、大小鼓に合わせ。。プロの能楽師と、やっている事は同等のところまで来ています。それでも、それは懸命に勉強すればできることかもしれない。ところが迫力のある地謡、というところまでは、これはなかなか到達できるものじゃないです。物怖じをしない、そうしてなにより、自分が与えられた仕事に責任を持って、最高の舞台を作り上げようとする気持ちが、彼らにはあるんですよね~。いま彼らは最高に充実していると思います。
そうそう、新作の『ぬえ』ですが、8月の初旬に初演を迎えることになっています。それは8月4日の伊豆長岡の花火大会のイベントの中での出演。もうあと残すところ2週間です。
ちょうど今日、子どもたちの稽古場に実行委員会の方々も見えて、当地 伊豆の国市で発行している「能新聞」を届けてくださいました。ここにも大々的に「子ども創作能」が取り上げられていました!
この、初演の花火大会の直前まで、ぬえは石巻で活動する予定になっているので、新作の初演を前にして稽古の最後の仕上げができるか、少し前まで本当に心配していたのですが。。今日のお稽古で、もう通し稽古ができるところまで進んで。。立ち方はすでに全員セリフの暗記は完了しているし、動き方がわからなくなる子もいませんでした。今日 ぬえが手直ししたのは、動作の微妙なタイミングについてとか、目が泳ぐので型の意味が伝わらない、とか、腕の構えをもう少し大きくしなさい、とか、そんな些末のことばかり。。つまり稽古は「やり方を教える」という段階から、「演技を洗練させる」という段階に、すでに到達してしまいました。
元来子どもたちの吸収する能力といったら、ぬえなど大人から見たら驚異的で、いくらでも吸収するさまはまるでスポンジ。自分たちも通ってきたはずの道なんだけどねえ。。でも ぬえが指導する伊豆では、ダテに14年も稽古しているわけじゃないですね。それぞれの子どもたちは、中学生になると部活や勉強で忙しくなって辞めてしまうから、正味では長く稽古している子でも稽古の年月は数年まででしょう。でも、低学年の子は地謡から始めて、お兄ちゃんやお姉ちゃんが主役を勤めるのをずう~っと見ているから。いざ自分が主役級の役を演じるときになっても、すでに憧れの役を勤める自信は身につけているんですね。
なんか、全体として見れば凋落傾向にある能。。というか伝統文化全体が危機に瀕しているように思える現代社会の中にあって、ぬえが指導する この伊豆だけは別天地に思えてきます。本当に教え子たちとも良い関係を築けているし、ぬえの期待に必ず彼らは応えてくれる。ぬえって幸せ者なんだろうなあ。
先日、ぬえは伊豆の教え子の子どもたちが通う小学校の授業参観に行ってしまったわけなのですが。今日、その「子ども創作能」の稽古のために伊豆に行ってみると、教え子のママさんの一人が笑いながら1枚の紙を ぬえに手渡しました。なんだろう? と思って見てみると、それはその小学校で家庭への通知に使われるクラスの通信のプリントでした。
そこには近日のニュースとして写真入りで例の授業参観のときの体育の授業の様子が紹介されていましたが。
あー、その、なんだ。写真の中にひとり、保護者でない者が混じっているというか。。なんというか。。w
これ、国語の授業で「子ども創作能」について発表したケイゴのクラスの担任の先生が保護者宛に配ったプリントです。なるほど、ケイゴのクラスは国語の授業も参観したけれども、午後に校庭に出てみると、これは偶然、そのケイゴのクラスが体育の授業をやってまして、リレーのように子どもたちが体を動かすのを参観する場面もあったのだけれど、授業参観日とあって、父兄も参加できる種目も設けされていました。
ぬえを見つけたケイゴが「先生、玉入れ、一緒にやってよ」と言うので、そうかそうか、とすぐに参戦。それから授業の締めくくりに、この少し前にあって ぬえもやっぱり参加した運動会でも父兄を交えて行われた、「ドンマイ」という、なんだろう、フォークダンスみたいな踊りがこの日も行われて、これまたケイゴと一緒に参加しました~。
で、その「ドンマイ」の写真がクラス通信に載ったのですね。このプリントを ぬえに渡したママさんは「うれしそうに参加しているパパだと思ったんでしょうね~」と笑っていました。ん~、なるほど、ぬえ、嬉しそう。。てか、このダンスの型? からすると、ぬえはフライング気味にダンスをリードしているじゃないかあぁぁ。。この授業のとき、「ドンマイ」のやり方わかんないままに参加しながら、すぐに型の法則性を見抜いた ぬえは。。たしかに喜んで参加したのではありますが。。こんなに嬉しそうな ぬえの姿、久しぶりに見た。ww
「子ども創作能」ですが、これまで数年演じてきた『伊豆の頼朝』から今年は脱皮することになり、ぬえ作の新作『ぬえ』の稽古がいま佳境を迎えています。もう14年も当地では稽古を続けているので、徐々に、徐々に、進歩してきた技術レベルも、もう大変な事になっています。
なんせ今回の新作『ぬえ』では、小学生が「早笛」「舞働」を、笛の唱歌を覚え、太鼓の手を聞きながら舞うのだもの。前作『伊豆の頼朝』でも小学生が、短縮版とはいえ「中之舞」を舞ったし、地謡は ぬえが後見として後ろに着座しないでも、自分たちの力だけで囃子に合わせて謡うことができるし。あ、ここは大事かな。ぬえが伊豆の「子ども創作能」で誇れるのは、立ち方のレベルもそうだけれど、やっぱり強力な地謡の技術力なんです。正直言って、ぬえが指導するこの小学生たち、笛を聞き、大小鼓に合わせ。。プロの能楽師と、やっている事は同等のところまで来ています。それでも、それは懸命に勉強すればできることかもしれない。ところが迫力のある地謡、というところまでは、これはなかなか到達できるものじゃないです。物怖じをしない、そうしてなにより、自分が与えられた仕事に責任を持って、最高の舞台を作り上げようとする気持ちが、彼らにはあるんですよね~。いま彼らは最高に充実していると思います。
そうそう、新作の『ぬえ』ですが、8月の初旬に初演を迎えることになっています。それは8月4日の伊豆長岡の花火大会のイベントの中での出演。もうあと残すところ2週間です。
ちょうど今日、子どもたちの稽古場に実行委員会の方々も見えて、当地 伊豆の国市で発行している「能新聞」を届けてくださいました。ここにも大々的に「子ども創作能」が取り上げられていました!
この、初演の花火大会の直前まで、ぬえは石巻で活動する予定になっているので、新作の初演を前にして稽古の最後の仕上げができるか、少し前まで本当に心配していたのですが。。今日のお稽古で、もう通し稽古ができるところまで進んで。。立ち方はすでに全員セリフの暗記は完了しているし、動き方がわからなくなる子もいませんでした。今日 ぬえが手直ししたのは、動作の微妙なタイミングについてとか、目が泳ぐので型の意味が伝わらない、とか、腕の構えをもう少し大きくしなさい、とか、そんな些末のことばかり。。つまり稽古は「やり方を教える」という段階から、「演技を洗練させる」という段階に、すでに到達してしまいました。
元来子どもたちの吸収する能力といったら、ぬえなど大人から見たら驚異的で、いくらでも吸収するさまはまるでスポンジ。自分たちも通ってきたはずの道なんだけどねえ。。でも ぬえが指導する伊豆では、ダテに14年も稽古しているわけじゃないですね。それぞれの子どもたちは、中学生になると部活や勉強で忙しくなって辞めてしまうから、正味では長く稽古している子でも稽古の年月は数年まででしょう。でも、低学年の子は地謡から始めて、お兄ちゃんやお姉ちゃんが主役を勤めるのをずう~っと見ているから。いざ自分が主役級の役を演じるときになっても、すでに憧れの役を勤める自信は身につけているんですね。
なんか、全体として見れば凋落傾向にある能。。というか伝統文化全体が危機に瀕しているように思える現代社会の中にあって、ぬえが指導する この伊豆だけは別天地に思えてきます。本当に教え子たちとも良い関係を築けているし、ぬえの期待に必ず彼らは応えてくれる。ぬえって幸せ者なんだろうなあ。