ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第14次支援活動<気仙沼>(その8)~鹿折復幸マルシェさんにて

2013-07-02 21:29:16 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さてポスターを持った ぬえは、はじめて鹿折復幸マルシェさんを訪れました。3日後にプロジェクトとしてお邪魔させて頂く予定になっていましたので、その公演の宣伝を行うためです。

まずは当地での活動についてお電話で相談させて頂いた小野寺商店さんへご挨拶。商店街の会長さんのお店や事務所にもご挨拶して、早速商店街のあちこちにポスターを張らせて頂きました。それぞれのお店にもご挨拶できて、活動の前に顔なじみになることができました~。商店街の上には敷地いっぱいに鯉のぼりが泳いでいました。



こちらがステージですね。うん、ちょうど良い大きさ。PA機器はこちらで持ち込むとして電源は。。



向こうはトイレでしょうが、あれ? これは。。





瓦ちゅんさんのイラストだ! ちゅんさんは石巻で湊小の避難所時代から自転車屋さんとして活躍しておられた一方、持ち前のイラストの腕を振るって独自のキャラクター「その子ども」を石巻中に描きまくっていました。またしばしば自転車の目線で被災した各地を巡る旅行をしていましたが、その行く先々で仮設商店街などでイラストを描いていた模様。そういえば以前ブログで気仙沼に行ったと言っていましたっけ。石巻から80km離れた気仙沼まで自転車で。。また福島にも出かけていたようでしたから、スゴイ行動力です。

さてポスターをお店の前に貼らせて頂くのでお店の方にお願いするのですが、あちこちのお店で なんだか長く話し込むことになりました。

とくに印象的だったのは食料品のお店で話し込んだことで、ここでは30分近く話したのではないでしょうか。ご主人はここ鹿折が津波に襲われたとき、最初は鹿折唐桑駅の方ヘ避難し、そこも危ないということで、高台に避難して難を逃れたのだそうです。震災後に多数出版された被害の記録の写真集の表紙を ぬえに示して、「ここにオレ、写ってんだよね」と教えてくださいました。そこには海と化した鹿折の町と、手前に高台からその様子を見下ろす住民さんの姿が。少し向こうには例の「第十八共徳丸」が流されている様子も写っていました。

ご主人と漁船について話しましたが、目新しい意見だと思ったので要約しますと。。

今大型漁船を保存するか撤去するかで意見がずっと戦わされてきたけれども、白か黒かじゃなくてグレー、という選択もあるのではないかと思う。…あの漁船はたしかに町に被害を起こしたけれども、そのあとあの漁船があったから、そこから始まった新しい出会いもあるのではないか。もちろんこの地区もこれから整備されていくのだし、その時に住宅の窓を開ければあの漁船が目に入ってくるのはイヤだ、という意見ももっともだと思う。でも、今撤去するのは時期尚早ではないか。この仮設商店街も来年の夏には解消されることになっているし、あの漁船がある限り復興工事も進まないだろう。であれば、数年、と期限を区切って、その間は負の遺産として震災の記憶を風化させないために保存し、その間にあの漁船に集まる人々とともに地域の活性化も図る。その後に地域の再生工事をするときに漁船も撤去する。期限を決めて将来に撤去が決まっていれば、保存に反対する人々の理解も得られるのではないか。。?

実際には漁船の船主さん(いわき市)はこの4月に期限切れとなった気仙沼市との「貸借契約」を更新せず、すでに北海道の業者団体と解体の契約を締結しました。一方、気仙沼市としては「あくまで保存してほしい」という立場で、現在市民に向けて撤去の是非についてアンケート調査を行っているとのこと。それはあまりに遅い対応ではないかと。。

ぬえも食料品店のご主人に、名取市・閖上で考えたことなどを話しました。ぬえは今混乱してはいますが、基本的には撤去に賛成の立場ではあります。とくに人的被害が出た「遺構」についてはその思いは強いです。しかし、この漁船は間近で見ると、たしかにもの凄いインパクトがあるんですよね。観光地になってしまっている事には思うこともあるけれど、たしかにこの船が目当てであっても、人が集まってくる、という事は鹿折の再生にはまだまだ必要なことでしょう。。かく言う ぬえも、この漁船を見に鹿折に来た一人です。

この漁船だけが撤去されずに残っているのは、そのあまりの巨大さが原因ではありますが、ところがその流された大型漁船は、内湾から通じる主要道路に面して、しかもその道路をふさがない位置に止まったのでした。誤解を恐れずに言えば、抜群のアクセスという観光スポットとしての条件を持っているのです。こういう場所は、震災から2年を過ぎて、いまや石巻の門脇小学校とこの「第十八共徳丸」、それに女川町くらいになってしまいましたね。ここから先は住民さんの意見が優先して尊重されなければならないとは思いますが、たしかに、今この地に来てみても、もう空き地ばかりで震災の被害はほとんど何も分からないようになってしまっていると思います。そうして、震災から2年を過ぎても、まだ被災地に行ったことがない人、行きたくてもこれまで都合が悪くて行けなかった人もたくさんいるのです。こうした人々が今でも「何かお手伝いはできないか」と考えている。この人たちが意を決して当地を訪れたとき、ぬえはやはり被害の大きさは実感してほしいと思います。それが次の支援につながるし。。

だからと言って、そのために「遺構」を残すことが地元にとって本当に良いことなのかどうか。。女川町で会ったおばあちゃんは、倒壊したビルを見ながら「みじめ、ですよね。。」と ぬえにおっしゃいました。

さてご主人とずっと話し込んで、それからお店を出てポスターを貼らせて頂きました。お店を出るときご主人は「引き留めて悪かったな」と言って ぬえに「笹かまぼこ」 を1枚、手渡してくださいました! これはあとで南三陸町でおいしく頂戴しました~。



鹿折復幸マルシェさんでは他にもいくつかのお店で親しくお話しをさせて頂きました。仮設の店舗の中には 住民さんが「お茶っこ」できるスペースを作ったり、着物の着付け教室を開いたり、それぞれに色々な工夫をしておられました。