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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

活動報告書(12/30~1/1)

2014-03-23 05:01:41 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒やしプロジェクト
第19次被災地支援活動
(2013年12月30日~2014年01月01日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」の4名(※注1)は、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに16度に渡り岩手県釜石市、陸前高田市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、および福島県双葉町の住民が避難していた旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびプロジェクトメンバーのうち能楽チームの八田、寺井は、去る12月30日~翌2014年1月1日の3日間に渡り宮城県・気仙沼市の仮設住宅および2カ所の神社にて能楽の上演および舞囃子の奉納を行いました(※注2)。

今回の活動で特筆すべきは、プロジェクトとして2年ぶり2回目の被災地での年越しであることと、なんといっても初めて仮設住宅での炊き出しを行ったことでしょう。年越しは2011年末から翌2012年始にかけて、岩手県釜石市から宮城県石巻市にかけて活動をした経験がありますが(このときは9日間のうちに14公演をしました)、今回の活動はそれ以来の活動になります。大晦日の夕方からの仮設での活動ということで、いつもの能楽の上演やワークショップの活動だけでなく、上演終了後に住民さんと一緒に団らんの時間を設けることが必要で、必然的に食事のご用意…炊き出しをすることになります。今回は上演面では太鼓の大川典良氏、フルートの内野浩乃さん、キーボードの高橋日出子さんの参加を得、また活動コーディネートは気仙沼市民の村上緑さんの献身的な協力を頂きましたが、炊き出しではこれらの方々にも食材購入費の負担から当日の食事の用意、さらに深夜におよぶ活動へのお付き合いまで、金銭面、体力面でも大きなご負担を頂くことで活動を進めることができました。改めまして感謝申し上げます。なお食材面では八田が伊豆で指導を続ける「伊豆の国市子ども創作能」の保護者・大川直子さまより巨大な椎茸を大量に送って頂きましたことを申し添えておきます。ご厚情まことにありがとうございました。

また翌元日には、気仙沼市内2カ所の神社で舞囃子を奉納させて頂きました。気仙沼内湾地区を見下ろし、海運・漁業の神様として崇敬を集める五十鈴神社での奉納は初めてでしたが、市内でこれまで活動に協力頂いた多くの方々も参集されて賑やかな奉納になりました。大島神社ではもうこれで3回目の奉納になると思いますが、元日ということで、やはり多くの参拝客で賑わいました。こちらでは当日思いついて内野浩乃さんのフルートも奉納演奏させて頂き、当地の方々に大変お喜び頂くことができました。

プロジェクトの活動として、期日こそ3日間と短いものでしたが、参加人員や費用面において、おそらく過去最大の規模の活動であったと思います。それほど炊き出しとは大変な作業であることを痛感する活動にもなりました。が、年末年始の活動を気仙沼の住民さんにお喜び頂いたことはプロジェクトとしてもありがたいことで、震災から3年目を迎えつつある現在、プロジェクトの新しい年の始まりになったと思います。

※注1 プロジェクトメンバーは八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)、小梶直人(同)の4名。
※注2 今回の上演場所は気仙沼市内の①旧唐桑小学校跡地住宅②五十鈴神社③大島神社の3箇所。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(能楽の心と癒やしプロジェクト)
大川典良(ゲスト能楽師)
内野浩乃(フルート)、高橋日出子(キーボード)
村上緑(活動コーディネート、活動全般の協力)
【協力者】
 村上充/旧唐桑小学校住宅自治会/五十鈴神社/大島神社
【主催】
 能楽の心と癒やしプロジェクト

【活動記録】(敬称略)
 12月30日(月)
八田・寺井・内野早朝東京出発、昼頃登米市佐沼の高橋宅に内野を下ろし、昼食後陸前高田市へ移動。

 12月31日(火)
午前中より食材等買い出し
八田・寺井・村上は昼食後会場入り、大川・内野・高橋も午後会場到着

◎「大晦日あったか鍋の集い」
17:00 ~ 旧唐桑小学校住宅(集会所)
能「羽衣」 出演(八田・寺井・大川)
ピアノ・フルート コンサート 出演(高橋・内野)
能「石橋」 出演(八田・寺井・大川)
炊き出し支援:村上緑
終了後 鍋を囲んで住民さんと歓談。年越しにならず解散にはなったが、その後も住民ボランティアの村上充さんらと親しく歓談させて頂き、気仙沼の現状等について意見交換を行うなど有意義な時間。
片づけのあとホテル観洋さまのお計らいにより深夜入浴させて頂き、活動終了のミーティングもここにて。陸前高田の宿舎に戻る途中の路上で新年を迎え、車を停めて新年の挨拶をする。

 1月1日(水)
内野・高橋はこれにて解散予定のところ、内野を撮影班として同行して頂く
◎五十鈴神社奉納 10:00
舞囃子「高砂」 出演(八田・寺井・大川)
気仙沼市内でこれまでに活動協力頂いた多くの方々も参集頂き、大変賑やかな奉納となりました。
終了後大島に渡航
白幡まさえさんほか大島のみなさんのご協力により大島神社まで送迎頂き、楽屋入りの前に亀山からの眺望も見せて頂くことができました。

◎大島神社奉納 13:30 お祓いを頂いてから奉納
舞囃子「高砂」 出演(八田・寺井・大川)
フルート奉納演奏(内野)
フルート演奏は急遽当方からのお願いのところ、宮司さまより快諾を頂いての奉納。元日の奉納ということで初詣客も多く参集され、宮司さまよりの指示により拝殿より屋外に向けて奉納することになる。海を見ながらの奉納は複雑な思いもありながら、大変気持ちのよい奉納になった。

終演後、やはり白幡まさえさんらの協力により浦の浜に戻り、「グリーンアイランドおおしま」にてしばし休憩させて頂き、その後フェリーにて気仙沼本土に戻る。

その後一ノ関駅にて内野は新幹線利用にて帰宅、八田・寺井は東北道経由で深夜に帰京。

【収入・支出】

プロジェクトの活動は基本的に募金によって行われております。近来JIN'S PROJECTさまとの共催の形を取り、同団体の斡旋により企業より活動資金の一部を補助頂くことができておりますが、今回はプロジェクトのみの主催にて活動資金の提供は受けておりません。

募金は基本的にプロジェクトのボランティア活動資金(以下「ボラ」)として使わせて頂きますが、とくに被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)はプロジェクトとして支援するのに然るべき団体。。被災地に拠点を置き、直接被災者の支援活動に従事することを目的とした、非営利で公明正大な活動が長期に渡って期待できる、信頼すべき団体に寄付させて頂きます。
プロジェクトの活動資金としては、前回活動繰越金として 237,367円(内訳:ギエ204,867円ギエ32,500円)があるほか、今回の前に1名の個人(ヤマザキさま)より活動資金として5,000円を頂戴致し、また活動中に大島神社さまの氏子さま(津島さま)より活動資金10,000円を頂戴致しました。また活動終了の後日になりますが炊き出しの食材について割引による払戻金380円がプロジェクトに寄せられました。よって計252,747円(内訳:ボラ 220,247円 ギエ32,500円)が今次活動資金として計上されております。

これに対して今回の活動による支出の内訳は別紙決算報告書にある通りで、今回の活動終了時の残額は 138,998円(内訳:ボラ106,498円 ギエ32,500円)となりました。これらは今回の活動繰越金として計上し次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。今回の支出金額が113,749円と膨大になったのは、ひとえに炊き出しに伴う食材・食器・炊事道具の調達のためです。炊き出しは何度か他ボランティア団体のお手伝いはさせて頂きましたが、プロジェクトとしては初めての経験でした。実際にはプロジェクトのような小規模の団体にとって炊き出しは、いろいろな意味で負担が大きい活動だというのが正直な実感です。活動の成果には満足しておりますが、募金もほとんど頂くことがなくなっている現在、経済的な負担は活動の継続そのものを短命にする可能性もありますし、なにより実演家が炊き出しを行う場合、本人が調理や配膳に割く時間がなく、より多くのスタッフや協力者の奉仕を必要とすることが明らかになりました。

炊き出しは震災当初は自衛隊がこれに当たり、震災の年の夏以後から10月頃の避難所閉鎖~仮設住宅への移行までの間は自治体が負担していました。自衛隊の活動では人海戦術と豊富な機材により避難所個別に温かい食事を提供できていましたが、その後自治体が避難所の運営を担うようになってからは総菜パンやパック飲料など、極端に食事の質が低下したのはプロジェクトのメンバーも実見しておるところです。しかし配食の経済負担は相当なもので、ある被災自治体では毎日1万人分の食料配布の必要があり、被災者1人あたり日額1,000円という予算で炊き出しが行われましたが、それでも日額1千万円、月額にして3億円という巨費が必要だったと側聞しております。

当プロジェクトの炊き出しはそのような大規模なものではなく、仮設の住民さん数十人を対象としたものでしたが、炊き出しは小規模な人数では相当な負担があります。すでに仮設住宅に自治体による食料援助はなく、その必要も差し迫ったものではないと思いますが、ボランティア団体の活動内容により食事提供も必要な場合もあり、そのような場合、弱小のボランティア団体がどのような方法で携わって行けるのか、課題のひとつだと思います。

プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。


【成果と感想・今後の展望】
今回は年末年始を超えた年越しの活動というのがまず第一義に意味ある活動だったと思います。仮設住宅での初の炊き出しは前述のように費用、人材の面で当プロジェクトのような弱小ボランティア団体としては少々無理もあったかという反省もありますが、なにより、未だに仮設住宅で孤独に大晦日を迎える住民さんがおられ、多少なりともその支援が出来たというのがプロジェクトの活動として意味がありました。メンバーや出演者、協力者にとっても、年末年始の活動に参加するということは、取りも直さずそれぞれの家庭に負担をかけ、犠牲を強いての参加だったと思います。しかし、それほど被災地に向ける思いがまだ強く残っている人々があることに安心したのまた事実です。

元朝の五十鈴神社さまでの奉納は、もう丸2年も活動している気仙沼市では初めて本土の神様への奉納でありました。宮司さまのご都合でお祓いは受けられませんでしたが、宮司さまも震災により被害を受けておられる由。。しかしながら気仙沼でこれまでプロジェクトの活動に協力して頂いた方々。。ネットワークオレンジや うを座の関係者さまが多数が参集くださり、とても賑やかな奉納になりました。気仙沼という街に以前から感じている、街全体に広がる人々の絆の厚さを改めて実感した瞬間でもあります。

大島神社さまではこれまでにもう2度も奉納させて頂いている気安さからお邪魔しましたが、宮司さまからは我々が去年は一度も大島に渡っていない事を知らされて愕然としました。大島では復興祈願の花火大会での印象的な上演もあり、それもつい昨日のように思っていたのですが、あまりの不義理に言葉もありません。まずは大島神社さまで装束能の奉納をお約束させて頂きましたが、思えば上演後に感謝を頂いて「また来ますね!」と言ったきり、二度とお伺いしていない仮設住宅や仮設商店街がいくつもあることには心痛めておりました。費用の問題、東京でのスケジュールの問題など難問はたくさんありますし、また一方、被災地区のかさ上げも始まり、災害復興住宅の建設もようやく姿が見えるようになり、今年あるいは来年には仮設住宅や仮設商店街も廃止が始まると思われます。今後の活動場所について、協力ボランティア団体のJINS' PROJECTさんからもいろいろな情報とアドバイスを頂いておりますが、活動の転機の時期が近づいていることを実感しております。

これから震災3年目を迎え、仮設住宅や仮設商店街もいずれは解消されて、いずれは次の段階へと進んでいくことになりますが、我々の活動もその時々の状況に応じて形を変えていくなりの工夫が迫られる日も来るとは思っています。石巻や気仙沼では友人や協力してくれる方も多いので、目先を仮設住宅や仮設商店街以外にも広げていろいろと活動の幅を広げてゆきたいと考えております。


平成26年3月23日







                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com

第19次支援活動<気仙沼市>(その17)~大島神社にて奉納舞囃子

2014-03-11 09:22:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
今日は3.11。。3年目の「その日」です。昨日から気仙沼市内での活動を行っていまして、今日も素晴らしい庭園のある市指定文化財の建物で上演の予定です。。が、ブログではまだお正月~ (×_×) 先を急がねば。。

大島神社はもう何度も奉納をさせて頂いているおなじみの神社で、今回も宮司さんに奉納のお願いをしたところ、とても喜んでくださいました。「今度は泊まりに来なさい」とまで言ってくださって感激。今回はこの日のうちに東京に帰らなければならないので、暖かくなったら、ゆっくりとお邪魔したいと思います。

さて神社に到着すると宮司さんは歓待してくださいまして、いつもの大きくてきれいな社務所に通してくださいました。それぞれのその後の動静など語り合いましたが、よく聞けば、なんと昨年は ぬえたちは一度も大島に渡っていないのですって! これほど気仙沼に通っているのに、なんとも不義理な話で申し訳ないかぎり。。(・_・、)

そうか。。ワキ方や太鼓方まで参加してくれて舞囃子や独吟など奉納させて頂いた、あの夏は去年ではなく、もう おととしの事だったのか。。それほど長く気仙沼に通っているのかとも感慨もありましたが、なんだか あっという間だったような気もします。それ以上に、また来ますからね~ と挨拶しておいて、それっきりにしてしまっている仮設住宅なども数知れずある事も気にはなっていましたが、これほど親切にして頂いている大島神社さまにさえ不義理をしている事を思い知らされて。。東京でのスケジュールや活動資金の問題もありますが、もう少しなんとかしないと。。

気を取り直して、まずはこの日の奉納を全うしようと、ぬえから宮司さんにご提案。。じつは大島に渡るフェリーの中で考えたのですが、前日の大晦日で活動を一応終えたながらこの元日も記録班として同行願った浩乃ちゃんに、せっかくの大島渡航なので、神社でフルートの奉納演奏をしてもらってはどうか、と。

車は本土に残してきたので、不要な荷物は車に置いてきたのですが、聞けば大切な楽器はいつも背中のリュックに入れて担いでいるとのこと。神社の奉納にフルート。。ちょっと違和感もないではないかも、とは思いましたが、知らない神社や宮司さんではなし、思い切って宮司さんにご相談してみたのでした。

宮司さんはすぐに賛成してくださり、それでは、と奉納の準備を始めます。仙台で暮らす宮司さんのお嬢さんもお正月ということで実家に戻ってきておられ、初詣の参拝客のお相手に忙しくしておられます。久しぶりにお話しできました~(^。^)

さて裃に着替えて奉納させて拝殿に昇殿させて頂きます。こちらの神社のご神体は自然の大岩で、祝詞も独特の形式です。これらを拝見するのも1年半ぶりなのか。。まずは正式参拝させて頂き、それから舞囃子『高砂』を奉納上演をさせて頂きました。









今日は参拝客もたくさんお見えだから、いつもと逆に。。神様に背を向ける形にはなるけれども、外に向かって舞ってほしい、という宮司さんのお言葉に従って、外に向いて舞い始めたのですが、亀山のかなり標高の高い場所にある神社の拝殿からは太平洋の大海原が広々と見渡せました。この海には複雑な思いもありますが、海に向かって舞うのは本当に気持ちが良い。。次々に起こる雑念を振り払いながら。。でも、この神社で大勢のお客さまの前で舞うのは初めての体験で、新年をお祝いする気持ちに背中を押されて無事に奉納させて頂くことができました。



さて引き続いて浩乃ちゃんのフルートの奉納演奏です。かわゆいし。



この日は3曲の演奏が奉納されました。フルートってソロでは難しい楽器と思いますが、このときはこの拝殿のたたずまいと不思議な合致があって良かったと思います。初詣のお客さまもとても喜んでおられた模様。終わってから宮司さまも大変喜んでおられ、また来てください、とねぎらっておられました。





大島在住の協力者の方々も初詣に集まっておられ、挨拶も交わして、さて大島神社を辞して、これにて年末年始に渡った活動は終わりました。フェリーが出る浦の浜までまた白幡さんらに送って頂き、こちらにも元日からのご協力に感謝。

浦の浜では花火大会の時にお世話になった(これも おととしなのねえ。。)、ただ1軒再開されたコンビニエンス・ストア「グリーンアイランドおおしま」の菅原さんにご挨拶して、ストアのお部屋でフェリーの時間まで休憩させて頂きました。

。。が。

菅原さんと しゃべりしている間に、ふと見るとフェリーが港に。おお、やって来たか。
。。と、菅原さんが「いや、出航したところだよ。あんたたち、このフェリーに乗らないのかなあ、と思ってたんだけど。。」

おお。

次のフェリー便まで1時間半待ちまして、えー、じつはこの日のうちに新幹線で静岡に帰る浩乃ちゃんの交通が間に合うか大騒ぎだったのですが、ぬえは居眠りしていました。(;^_^A  目覚めると、本土に戻ってから一ノ関駅までがんばって車を走らせればなんとか新幹線に間に合うことがわかったそうで、おお、そうですか。それでは出発しましょう。(^◇^;)

こうして本土に戻り、大急ぎで気仙沼市内の関係者にご挨拶も済ませて一ノ関へ。浩乃ちゃんも無事に新幹線に間に合い、ぬえと笛のTさんは、そこから高速道路を走って、深夜に東京に戻ることができました。

最後はちょっと ドタバタしましたが、まずは無事に活動を終えることができて良かったと思います。ぬえも無事に舞初めを済ますことができました。師家の謡初めはこの翌日ですが。(^_^;)

今回も多くの関係者の方々のご尽力によりまして、活動させて頂きました。改めまして深謝申し上げます。

                                     (この項 了)

第19次支援活動<気仙沼市>(その16)~大島へ

2014-03-07 23:55:07 | 能楽の心と癒しプロジェクト
お神明さまでの奉納を終えて、すぐさまエースポート跡地のフェリー乗り場へ直行。この日は久しぶりに大島に渡り、大島神社さまでも奉納させて頂く予定になっていました。

このへんもだいぶ様変わりしてきました。海に水没したまま2年以上放置されていた桟橋も撤去され、跡地開発のためか、それほど損傷はなかったはずのエースポートの立体駐車場も撤去。一帯はがらんとした空き地のようになってしまいました。

一方 屋台村の隣りには、渡辺謙さんのカフェ&イベントスペース「KーPort」が建ち、さらにそれと屋台村の間に新たに 磯屋水産さんの新社屋が建設中でした。このあたりには まだ被災家屋も少数残っていますが、新しい気仙沼の街が生まれていくのが感じられます。





が、なんだかんだと出航の時間が迫り、またしても昼食を摂る間もなく。。フェリー乗り場のすぐ近くにある仮設商店街「復興屋台村 気仙沼横丁」さんでフェリーの中で食べるお弁当を探したのですが、売っていない。。ここは、かなり冒険ではありましたが、太鼓の大川さんが車を飛ばして昨日お風呂に入れて頂いたホテル観洋さんのそばで見かけたコンビニに弁当を買いに行ってくれました。元日から朝食も昼食もコンビニ弁当です。時間に追われる活動では仕方ないのですが、今年も食事情は好転する兆しがないな。。

大川さんもギリギリ出航前に到着してセーフ! 無事に5人を乗せたフェリーは大島に向けて進みはじめました。



船内の様子。フェリーなので客室は狭いです。まだ昨夜の疲れが抜けていなくて大変そうな方(笑)、元気にお弁当食べてる人、感慨深げに窓から外の様子を見る方。。あ、そうそう浩乃ちゃんはフェリーのデッキからカモメに餌のパンをあげていましたが、見事に指から流血していました。そりゃカモメも くちばしから突進してくるんだから。。

30分も走ると、フェリーは大島の浦の浜に到着します。カーフェリーなんですから車で行けばよいようなものですが、車の運搬費は高いので、必要なものだけ持って車は本土に残して、これまた正月からご迷惑なことですが、大島在住で昨年ご一緒に仮設住宅で活動した白幡まさえさんとそのご友人に車で大島神社まで送って頂くことになっていました。

が、フェリーに乗るときにはあんなに忙しかったのに、いざ大島に渡ってみると、大島神社さまに伺う時刻には少し早いです。ちょうど良いフェリー便がなかったので、こういう事になったのですが、それでは、というので亀山の山頂に行ってみることにしました。

亀山は大島を代表する山で、震災前には登山リフトもあったのですが、震災のときに起きた山火事で失われました。気仙沼を襲った津波は大島にも直接上陸し、一方本土に至った津波も、また跳ね返って大島にぶつかりました。いわば両方向からの津波にさらされたわけで、そのとき島は二つに分断されたのだそうです。それだけでなく、港から流出した重油が海面を漂い、被災した船からの出火がそれに引火して大島に燃え移り、亀山が大規模な山火事を起こしました。一時は全島避難まで検討された危機が島を襲い、また島であるために救助の手も遅れて、島の住民さんが懸命の消火作業を行って、山火事を鎮火させたのでした。

この日奉納させて頂く大島神社はこの亀山の中腹にあります。この神社も震災時は一時は焼けてしまうのではないか、と思われたそうですが、奇跡的に神社に到達する直前で山火事は止まったのだそうです。

そんな大変な状況にあった大島ですが、津波が到達した低地はあいかわらず何もない状態ですが、少しずつ護岸の整備も始まった様子で、また亀山の山頂の展望台から見た景色は平和そのもの。

ぬえがこの山頂に登るのはこれで2度目ですが、よく見るとここは山頂ではなく、車を停めた場所から さらに遊歩道のような道が上に続いています。今回ははじめてこの道を歩いてみました。よく見ると、震災後に植林された若木に混じって、焼け焦げた切り株がたくさんあります。震災前はこの展望台からは木が邪魔になってあまり景色はよく見えなかったそうですが。。

そして訪れることができた本当の亀山山頂。なんて雄大な景色でしょう!



やがて宮司さんとお約束した時刻になり、一行は本日の目的地、大島神社に向かいました。

第19次支援活動<気仙沼市>(その15)~2014年の舞初め…お神明さまで奉納舞囃子

2014-03-05 08:05:38 | 能楽の心と癒しプロジェクト
この日。。元朝にお邪魔するのは気仙沼内湾に面する「五十鈴神社」です。お待たせしました~(笑)

五十鈴神社は気仙沼市の内湾の一番奥まった、つまり陸地側から見れば一番手前に位置していて、港の中にひょっこりと突き出た小さな岬。。港からは小島のように見える「神明崎」の上に鎮座しています。その岬全体が銭形山と呼ばれる小山で、ちょうど港を見下ろす位置関係から神社は水産業の守り神として崇敬を集めているのだそうですが、それ以上に地元では「お神明さま」と呼ばれて親しまれている神社なのでした。

震災前はこの岬の周囲に赤い欄干を巡らせた遊歩道が設えられ、「浮見堂」という東屋が建てられてあり、ある種 気仙沼を代表する景観のひとつとなっていましたが、津波によって浮見堂も遊歩道も失い、遊歩道は現在でも立ち入り禁止のままです。

え~、ぬえたちは結局朝9時に到着すべきところ15分遅れてしまいまして。。前日下見をしておいた神社近くの空き地に車を停め、急な坂を登って神社に到着しました。この神社での活動をコーディネートしてくれたプロジェクト気仙沼支部局長(?)緑さんは、本来ご自宅までお迎えに参上するところ、それもまた ぬえたちが間に合わないということで、タクシーで先に到着してくれているはずですが。。

山頂に登って、まずは初詣客の対応にお忙しい様子の宮司さまにご挨拶をして、社務所の一室を控室に拝借させて頂きましたが、その部屋に上がろうとすると、境内の遠くに緑さんが誰かと話しています。それは気仙沼の災害FM「けせんぬまさいがいエフエム」さんの取材でした。取材の可能性があることは聞いていたのですが、なんとこの時間に生放送して頂いたらしく、遅れて到着した ぬえたちに代わって緑さんがインタビューを受けることになったのでした。すまん。。

さて気を取り直して楽屋であらためてプロジェクトのメンバーに会ってみると、いやはや。。いまだに意識ももーろーの方もおわしますし、今日の活動には参加しないけれど、まだ矢作の宿でお休み中の方もあり。。昨夜の盛り上がりの爪痕がこんなところに。ぬえは元気に起きたけどなあ。

で、この元日の奉納舞囃子のために用意してきた裃に着替えて、宮司さまに改めてご挨拶をして拝殿へ。



拝殿はコンクリート造りではありましたが、さすがは海の守り神さまとして崇敬を集めている神社で、内部の壁一面に「海上安全祈願」を記した幟がずらりと並んでいました。ご祭神は天照皇大神、素戔鳴尊のほかに、なるほど大海津見大神。。能『玉井』にも登場する竜宮城の主の海神が祀られていました。天の神、地の神、そして海の神がおわするあたりが海とともにある街らしいですね。五十鈴神社という名称は、それを統括するのが天照という意味で、伊勢神宮のほとりを流れる五十鈴川から採られたものなのでしょう。

この日の上演曲は舞囃子『高砂』です。拝殿の中を舞いやすいように少し片づけて広くして頂いて、さて ぬえたちは着座して宮司さまをお待ちしたのですが。。ああ、どうもご多忙のご様子で、残念ながらお祓いは受けることができませんでした。お待ちしている間に、なんか見知った気仙沼の方々が次々に拝殿に姿を見せます。気仙沼の「つばき会」の高橋和江さん、身障児童支援団体の「ネットワークオレンジ」の鈴木夕佳ちゃんと白幡大輝くん。。それでわ、ってんで舞囃子を奉納させて頂きました。







うん、晴れて ぬえの2014年の舞初めは気仙沼の神様への奉納で無事に勤めることができました。



終わって拝殿の外で夕佳ちゃんも入れて記念写真~。

第19次支援活動<気仙沼市>(その14)~一本松のいま

2014-03-01 02:41:12 | 能楽の心と癒しプロジェクト
矢作駐在所から気仙沼に行くには、宿の前を通ります。陸前高田市から気仙沼までの距離を考えると、もう約束の時間ギリギリ。宿に近づいたところで携帯で連絡を取ってみると、ようやく宿のフロントに全員が揃うところ、とのこと。浩乃ちゃんは日出子さんの了解を得て能楽チームの活動に参加してくれるそうです。

もう、先に行くよ! と言って、ぬえは一人で今度こそ気仙沼に向けて走り出しました。

。。が、すぐに ぬえも寄り道。(^◇^;)
なんせ例の「奇跡の一本松」の周囲がとんでもない状態になっていたのです。



以前にもブログに書きましたが、一本松の前で JIN'S PROJECT の企画で奉納の能を上演したとき、すでにそのあたりは工事現場となっていました。なんでも、かつての市街のはずれに位置する一本松のすぐ横を流れる気仙川を渡った、高田からは市外になる境界にある山を削っているのですって。山を削って、そこは高台移転の住宅地になり、切り崩して出た土砂は 地盤沈下した平地のかさ上げに使われるのだそうです。その土砂を運び出すのに、ダンプよりも効率がよく、経済的、そして事故や渋滞も防げる、というので、気仙川をまたぐ巨大ベルトコンベアが採用されて、その工事が行われているのだそうで、最初 コンベアを支える建設中の橋脚を見た ぬえは、東京のレインボーブリッジ並みの巨大な橋を造っているのかと思いました。

この撮影から ほんの2ヶ月。一本松のあたりは、やっぱり巨大な道路橋にしか見えないコンベアの橋がほぼ形になり、コンベアで運ばれた土砂を高架から地表にまで降ろすのでしょう、これまた巨大なジェットコースターのコースのような建築物が姿を見せつつありました。



わかるかしら? 一本松はすでに構築物の影にかくれて、ほとんど見えなくなってしまいました。



実際には、一本松はもともとこの工事現場がある場所からは橋を渡ったところにあり、そのさらに少し進んだ奥にユースホステルがありました。いわば一本だけ残った「奇跡の一本松」の母体である「高田松原」全体が、小さな内海を抱えた島のような形で、市街とは少し切り離された格好だったようで、本土に造られたこの巨大ベルトコンベアも、一本松からは少し離れたところに位置しています。だから見学のための遊歩道を徒歩で行けば、変わらぬ一本松の姿は目の前で見れるのだとは思いますが。。

それにしても巨大コンベアの偉容はちょっと驚愕の景色でした。

さて先行した ぬえがコンベアを見るために停車していたところに、能楽チームと浩乃ちゃん一行も追いついて来ました。それでは、というので一同打ち揃って気仙沼に向かいました。

第19次支援活動<気仙沼市>(その13)~元日の朝、矢作駐在所へ。

2014-02-28 12:06:36 | 能楽の心と癒しプロジェクト
起きました。2014年の元朝。寒い寒い元日の朝は曇り空でした。

今日は朝から2カ所の神社で初詣を兼ねて舞囃子を奉納する予定です。

が。。だ~れも起きて来な~~~い! 出発予定時刻が近づき、さすがに心配になって2人の出演能楽師に電話してみましたが。。どちらも出な~~~い! さすがに午前3時まで飲んでたからなあ。。



やがて太鼓の大川さんとフルートの浩乃ちゃんが起き出してきました。音楽チームはこの日の活動はなく、この朝に自然解散の予定でしたが、せっかくなので浩乃ちゃんに撮影班として能楽チームに加わってもらうことを提案。日出子さんは やっぱりまだ眠ってる、というので別行動になる承知だけはしてもらうよう言い残して、ぬえは一人で先に出発。いえ、今朝の奉納の先である五十鈴神社に向かったのではなく、宿の陸前高田・矢作の駐在所に向かったのでした。

じつは今回の活動で気仙沼市内では宿泊できず、ようやくこの陸前高田・矢作に宿を確保したとき、宿の周辺に陸前高田市の仮設住宅が散在していることに気がついて、それで、せっかく矢作に宿泊するのも何かのご縁と考えて、元日の午前中にはこの仮設で活動することも考えました。

ところが陸前高田市では過去に仮設で活動したことがなく、また知己の方もいないので情報が足りず。。プロジェクトの活動を仮設住宅で行うには、ある程度広い集会所が併設されていることが必要ですし、その仮設住宅にどれほどの世帯の住民さんが入居しておられるのかも知っておいた方がよい。。この情報をどうやって集めるのか。。いろいろ考えた末、地図検索をして見つけた1軒の駐在所に直接電話をして地域の情報をお知らせ願うことにしました。

それが矢作駐在所です。仮設住宅の隣りに立地していることがまず目を引きましたが、その仮設だけではなく地域の仮設住宅を訪問して住民さんを気遣ったりもしておられるでしょう。いろいろ調べるうちに矢作駐在所が大船渡警察署の管轄だとわかり、電話番号も調べることができました。

年末も押し迫っているというのに、突然の電話にもかかわらず、若い声の駐在さんは ぬえの説明を聞くと矢作周辺の仮設住宅の現状を詳しく教えてくださいました。大きな集会所がある仮設住宅ならここが良いのではないか、大晦日にどこにも行かず仮設にとどまる住民さん。。? はい、たくさんおられますよ。
。。あまつさえ駐在さんは、上演のときには私も見に行きますよ、とまで言ってくださいました。

…結局、陸前高田市の社協に連絡してみたところ、元日の午前中は朝寝坊する住民さんも多いので受け入れは難しい、とのご判断で、矢作での活動は実現しなかったのですけれども、これほど親身になってくださった駐在さんにご挨拶をしないで立ち去ることはできず、この朝駐在所に向かったのでした。

じつを言えば、ぬえは12月30日に矢作の旅館に投宿しましたから、そのときすぐに駐在所に行ってみたのです。しかし駐在所の玄関にはパトロール中の看板が出されてあって駐在さんは不在。その後ももう一度訪ねてみましたが、このときも不在。

さらには大晦日の深夜、唐桑での活動を終えて矢作に帰る途中、コンビニで夕食と朝食を買い込んでいるところに、たまたま1台のパトカーがコンビニの駐車場に入ってきました。これは ひょっとして。。? と考えた ぬえはパトカーに近づいて、乗っていた警察官の方に矢作駐在さんですか? と声を掛けたのですが。。大船渡警察署の方ではありましたが別の警察官の方でした。親切にして頂いた事情を話して翌日もう一度駐在所を訪ねてみるつもりです、と話しましたが、深夜にいきなり声を掛けられて警察官の方もびっくりしたかも。

そういうわけで、この朝が矢作駐在さんを訪ねる最後のチャンスだったのです。早朝でもあり、やはり玄関は閉じられたままでしたが、思い切って住居部分のチャイムを鳴らしてみると。。若い駐在さんが出て来られました!

ぬえはこの時初めて会う駐在さんに電話での親切にお礼を言い、結局矢作での活動は実現しなかったこと、今日は急いで気仙沼に行かなければならないけれど、今後また機会を見つけて陸前高田市で活動をしたいと思っていること、を伝え、東京から持参したワイン。。本当は大晦日の唐桑の仮設で開けるつもりだったのですが、お酒を召し上がる住民さんがおられなかったため残ったものなのですが。。をお渡ししました。 もちろん「今朝は もうお酒はしばらく見たくもない気分でしょうけど」と付け加えるのは忘れませんでした~。(^。^)

第19次支援活動<気仙沼市>(その12)~あけましておめでとうございます (×_×)

2014-02-27 01:45:10 | 能楽の心と癒しプロジェクト
そうして、やって来た2014年。

ちょうど時計が0時をさしたところで、陸前高田に向かう車列の先頭を走っていた ぬえは路肩に3台の車を停めるスペースがある場所を見つけて停車しました。

なんだなんだ、と訝しげに ぬえに続いて停まる車。車から出てきた演者のみんなを集めて「あけましておめでとうございます」「本年もどうぞよろしく」と新年のご挨拶をしました。みんなも互いに顔を見合わせながら新年の挨拶を交わし。。ぬえたちの正月は街灯が怪しく照らす国道45号線の暗がりの中で迎えました。

やっとこのブログも年を改めることができました~ 苦節2ヶ月。中国の旧正月さえもすでに1ヶ月前に過ぎ去っているという。。ぬえって、なんて気が長いんでしょ。(・_・、)

やがて陸前高田・矢作にあるお宿に到着。途中のコンビニで夕食(大晦日の!)と翌日の朝食(元朝の!)を買い込んだので、もう時間は深夜1時近くになっていました。仮設の住民さんがお酒を飲まなかったので、そっくりそのまま残ってしまったお酒やビール。見れば ぬえたちのほかに少々いた宿泊客も、宿のご家族もまだ起きているようでしたし、ぬえらが泊まっている部屋もお隣は空室だらけのようだったので、じゃ、ちょっと打ち上げでもしましょうか、という事になりました。

乾杯~!。。と、しばらくすると夏に気仙沼の仮設住宅で活動に協力してくれた住民ボランティアさんのひとり、足ツボマッサージの米倉さんが旅館に現れたとのこと。じつは今回の活動では 緑さんのほかにもこのような住民ボランティアさんに協力を打診していたのですが、さすがに大晦日の活動ということで、みなさん家事のため無理とのお返事でした。ところが米倉さんは、むしろお仕事の都合で遅くなってから参加できるかも、というお返事で、それならお仕事が終わってからお出でください、ということにしておいたのです。仮設での活動が早めに終わったので、結果的には米倉さんの出番はなかったのですが、わざわざ陸前高田の宿まで訪ねてくださったのでした。

米倉さんが来ると、やはり足ツボ マッサージが始まりますね~。米倉さんの足ツボは「激痛」というウワサだったので、ぬえは気仙沼に行くたびに何度も「やってあげましょうか?」と聞かれましたが、そのたびに「いえ、その。。ちょっと時間がなくて。。」と言って逃げ回っていました。

この夜はお酒も入っていたし、みんな順番に足ツボ・マッサージを受けていたので、ついに ぬえも受けることにしました。うをぉぉっ 激痛ぅぅ!!

自分の分は撮れなかったのですが(当たり前)、それでは足ツボ・マッサージで激痛に苦しんでいる能楽師2名の姿をどうぞぉ。(^。^)





こちらは いろいろ出来上がって来た方々のお姿。浩乃ちゃん かわゆす。




やがて夜も更け午前3時になりました。だいぶみなさんお酒も廻ったところで「もっと注げ」状態になりかかっていましたけれども、翌朝も活動があるので ぬえが閉会を宣言! へへ。ぬえももうちょっと飲みたかったですけどもね。

みなさん、それぞれの部屋に戻って。。あとでぬえの部屋に酒を調達しに来た方もおられましたが、まあ、平和に年が明けたばかりの夜は更けてゆきました。ぬえも酔った頭で翌日の活動の準備を確認して眠りました。

第19次支援活動<気仙沼市>(その11)~ホテル観洋さんでお風呂に入りました

2014-02-26 02:10:28 | 能楽の心と癒しプロジェクト
内湾地区に到着して、まずはまだ灯っているクリスマス・イルミネーションを見よう、ということになって、前日に緑さんに案内されて見に行ったプラザホテルにて名残惜しくイルミネーションを見ました。この場所で来年は能を上演したいなあ。

さて観洋さんに到着して、仮設ではできなかった活動終了のミーティングを、ぬえの呼びかけでロビーで行いました。年越しの予定からは短く終わったのだけれど、ぬえはこの活動に大変満足しています。浩乃ちゃんも演奏の最後の曲。。ぬえたち能楽チームが自分たちの出番を知るために、最後の演奏曲はあらかじめ音楽チームと打ち合わせておきます。。その「花は咲く」を演奏したとき、涙していた住民さんがいて、浩乃ちゃんも演奏しながらもらい泣きしそうになったことを教えてくれました。

ここで ぬえから緑さんに扇をプレゼント。

現地での受け入れ等、プロジェクトの活動に便宜を計ってくださった方には、折々 笛のTさんが細やかな心遣いで手土産を持参してくださって、労をねぎらうことをしておりますが、とくに大きな貢献を頂いた方には、プロジェクトの代表である ぬえがシテ方として扇をご用意させて頂いて、それをプレゼントしております。

石巻では何人かの方に ぬえは扇をプレゼントしたことがありますが、気仙沼ではこれが初めてだと思います。それほど緑さんは今回の活動に貢献してくださいましたね。思えば半年前、障害児童の支援団体「ネットワーク・オレンジ」さんの新拠点の開所式にお邪魔させて頂いた折にご挨拶したのが始まりでしたが、3日後の気仙沼への再訪から  ぬえたちプロジェクトの活動にお客さまとして参加され、それからは折々 気仙沼での活動について相談させて頂くようになりました。緑さんが元々顔が広いこともあって、アイデアは次々と広がって、プロジェクトの活動も順調に進めることができるようになりました。もとより東京に在住している能楽師のプロジェクトですから、被災地での活動をするために必要な現地関係者との交渉はメール。。いやいや、むしろ もっぱら電話で行うしかない事が多いのですが、こと気仙沼に関しては緑さんが情報を仕入れたり、関係者と直接交渉してくださったり。とてもスムーズに物事が進むようになりました。ぬえも緑さんを なんとなくプロジェクトの「気仙沼リーダー」なんて冗談で言っていたのですが、だんだんと冗談ではなくなってきました。

今回も食材の調達の段階から緑さんの手腕が光り、そのうえ大晦日だというのにご家庭の事をやりくりしてプロジェクトの活動に参加してくださり、そのうえ実際の活動でも鍋の調理に掛かりっきりにお手伝い頂いて。。

そうなのです。活動を開始して気づいたのですが、能や音楽の実演家による炊き出し、って無理。。
装束が着いていたり、上演後は大切な楽器を丁寧に片づけたり。。演奏者が、その終演後に即座に住民さんのために作業を始めるのは難しいのです。今回は緑さんのほかにも村上充さんなど、受け入れに尽力してくださった現地ボランティアさんが参加してくださったので、終演からほどなく鍋のサービスを開始することができました。。これらボランティアさんがいなかったら、終演後に間髪入れずに炊き出しを開始することはできず、今回の活動は失敗に終わったことでしょう。。ぬえも見込みが甘かった。

こうした貢献があったために。。実際には活動の準備段階で緑さんの貢献を鑑みて ぬえは扇を用意したのですが、実際の活動では準備以上の大変な役目をひとりで引き受けてくださって。。ああ、扇を用意しておいてよかったぁ。

さてさて観洋さんでお風呂に入ることができて、ようやくひと息つきました。プロジェクトの活動に参加してくれた日出子さんや浩乃ちゃんもお疲れさまでした。

こうして大晦日の活動は無事に終わり、緑さんを気仙沼市内のお宅に送り届けてから、ようやく能楽師と音楽家の一団は陸前高田の宿に向かうことになりました。

気仙沼市内から宿まではおよそ40分もかかるでしょうか。ぬえは車を運転しながら、ずっと時計を気にしていました。

第19次支援活動<気仙沼市>(その10)~『大晦日あったか鍋の集い』(2)

2014-02-20 00:01:17 | 能楽の心と癒しプロジェクト
まだブログの中では大晦日~ (・_・、)

コンサートのあとは再び能で、今度は派手で面白い曲をと思って『石橋』を勤めさせて頂きました。





「呂」の手のところで、一畳台はないので、たまたま客席の最前列、真ん中の椅子だけ空席だったので、それを台に見立ててドンッ! と足を掛けたのですが。。予想以上にインパクトがあったようで。。住民さん、ビックリだったようです。。すみません。。





これにて催しは終わりで、お待ちかねの「あったか鍋」の時間です。緑さんが食材の多くを用意し、ここでもろくに公演も見ずに準備してくださった「カニ鍋」~。



じつは東北に向かう直前に伊豆の子ども創作能の参加児童のママさんから ぬえ宛てに椎茸を贈ってくださることになりまして、それなら、と気仙沼の仮設での活動に役立てることに致しました。。それを伝えたところ、ママさんは 仮設の住民さんの人数にはちょっと足りないかしら、と気を遣ってくださいまして、それこそ出発の直前になって椎茸が追加されることになりました。もう時間がなくて仮設に直接送るほかはなかったのだけれど、宅配便に問い合わせてくださったところ、大晦日だというのに夕食時には到着はギリギリ間に合う、とのこと。ぬえも到着まで心配でしたが、開演前に無事到着。すぐに写メを撮って伊豆のママさんに到着を知らせました。



この椎茸、巨大でビックリ。気仙沼の仮設の住民さんも ちょっと見たことがない大きさだったようで、これもひとしきり話題になっていました。

やがて「紅白歌合戦」も始まり、ぬえも片づけを進めながら住民さんに混じってしばし懇談。ぬえたちが泊まっている陸前高田の矢作というところは温泉で有名で、どうやら ぬえたちのお宿は日帰り温泉として気仙沼の市民が通ったりするのですって。それだけでなく高田というところは気仙沼の市民にとって海水浴に行くところであったり、ちょっとしたリゾートのような場所だったのかも。ぬえたちも気仙沼で宿の予約が取れずに、苦労してようやく高田で宿泊できたこと、こちらの宿は あまり宿泊客がおらず、ぬえたちも今回は5人がこの夜泊まるのだけれど、それぞれ個室に宿泊することができたことなど、親しくお話しさせて頂きました。

この日の活動は年越しイベントのつもりだったのですが、集まってくださった住民さんは おばあちゃんばかりで、誰もお酒を飲む方がありませんでした。酒盛りにならないので夜更かしにもならず、9時くらいには散会になりました。

。。が、ぬえたちは ほとんど食べていないので、コーディネートくださった村上充さんたちとともに、ここで少しばかり残り物を頂きました。あ、村上さんに勧められてビール飲んじゃった。すみませ~ん、大変ですが帰りは運転できませ~ん。(^^)V

やがて仮設を辞して唐桑を出発しました。みんなの意見を聞けば、やはり入浴したい、とのことで、前夜ご協力をお願いしたホテル観洋さんに電話してみると、深夜なのに快くご承諾頂き、宿のある高田とは反対方向だけれども気仙沼内湾に向かいました。

第19次支援活動<気仙沼市>(その9)~『大晦日あったか鍋の集い』(1)

2014-02-15 01:36:59 | 能楽の心と癒しプロジェクト
午後5時、「能楽の心と癒やしプロジェクト」主催の『大晦日あったか鍋の集い』を開演。ちょっとこれまでにないタイトルですね~。プロジェクトのメンバー ぬえと笛のTさんは、活動の準備から公演まで、なんとなく自然に受け持ち分担が決まってきまして、ぬえは準備段階では主に渉外担当で、活動場所を探したり、上演に向けての交渉を行います。Tさんは主に機材担当とチラシ・ポスターを作ったりそれを発送する宣伝係で、こういうイベントのタイトルは、チラシを作る段階でTさんが考えています。

これがとても秀逸なのが多くて。通常の活動ではもう決まったタイトルとして定着した『能楽の心と癒やしをあなたに』。。これは震災の年、石巻の避難所に大きく掲げてあった垂れ幕? を参考にしたんですって。





そのほか、プロジェクトが掲げる「文化の復興」の活動として、疑似プラネタリウムを被災地に出現させてその下で能を舞う(注:このアイデアは幽玄堂さんが始めたものです)『星と能楽の夕べ』、ピアノコンサートと能のコラボを被災地で実現する『能とピアノの夕べ』。。と、Tさんの考えるイベントのタイトルはなかなか魅力的。でも今回はこのチラシを見て ぬえ、笑ってしまいました。いや、大晦日に仮設住宅の住民さんと一緒に公演もあり、あと鍋をつついて、というアットホームな催しにはじつに似合っているのですが、プロジェクトの、何というか、これまでのロマンチック路線のイベントタイトルから妙に逸脱しているのが可笑しかったのです。

住民さんも集まってくださり、まずはTさんによる能の解説。



実際の上演にあたっては、ぬえは装束を着けているので ほとんど動くことができません。それで上演時にはTさんが大活躍で、仮設で上演するときにはこのように解説をし、実演では笛を吹き、上演が終わってからも ぬえが装束を脱いでいる間に住民さんとの ふれあいコーナーを一人で仕切ることに。。そういうワケで活動当日はTさんは大変なのです。この日は ぬえも持ってる「気仙沼ファンクラブ」の木製の会員証見せて共感を得ようという作戦らしい。

気仙沼ファンクラブは市が呼び掛けている、気仙沼を愛する人々のコミュニティです→『気仙沼ファンクラブ』の紹介

さてさて解説のあとは能『羽衣』の上演から。



ついで、昨年の秋に東松島で一緒に活動したフルートの浩乃ちゃんと、しばしば彼女と一緒に活動している日出子さんによるコンサート。





宮城道雄の『春の海』(フルートとピアノで!)に始まり、みんなが知ってるクラシックの曲、童謡や唱歌。。日出子さんのMCも冴え渡り、住民さん。。おばあちゃんたちも唱和して楽しいコンサートになりました。ぬえが音楽家とコラボするときはロマンチックな演奏を求めることが多いのだけれど、それは『星と能楽の夕べ』とか『能とピアノの夕べ』とか、イベントとしての公演だからであって、そういえば仮設住宅で音楽とコラボしながら活動するのは滅多にないかも。。仮設で住民さんと応答しながら演奏するのに、日出子さんはよく慣れていらっしゃるようで、ホームコンサートのように温かい演奏になりました。

第19次支援活動<気仙沼市>(その8)~上演準備

2014-02-12 01:26:29 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて仮設住宅に到着して、まずは自治会長さんにご挨拶させて頂くところですが、あいにくお留守。しかし集会所に行ってみると、今回の活動で自治会との調整をしてくださった地域ボランティアさんがすでに ぬえたちの到着をお待ちになっておられ、それどころか ぬえたちの活動のお手伝いのために、とお嬢さんをご同伴して待機しておられました。

ご挨拶のあと早速に準備を開始。ぬえは装束などの準備、笛のTさんはPA機器の設置、ほどなくピアノの日出子さんとフルートの浩乃ちゃんも到着して楽器の準備。緑さんは炊き出しのための調理準備。もう、大忙しです。





この日お邪魔させて頂いた旧唐桑小学校仮設住宅の世帯数は80弱。でも、住民さんの数はその世帯数を少々上回る程度だとか。。つまりお一人暮らしの住民さんが大勢いらっしゃるのです。

一昨年。。つまり震災の年の暮れにも大晦日に仮設住宅で活動しましたが、そのときは活動の計画を立てる際に「大晦日に住民さんがいらっしゃるのか?」と危惧したのですが、そのときは活動場所の仮設を紹介してくださった方が「いや。。大勢いらっしゃいますよ」と教えてくださって驚いたものですが、実際に活動してみた印象でもその通りでした。

その後事情を教えて頂いたところによると、震災で家を失って仮設住宅にお住まいの方にはいろいろな事情があるようです。震災前には遠方に住む息子さんや娘さんの家族が帰郷してにぎやかに団らんしていたのに、狭い仮設ではそうもいかず、それでもこちらから会いに行ける方はまだ良い方で、やむなく年末に家族が会うことができない方もあり。逆に息子さんや娘さん家族が気仙沼に来る方もあり、その場合は仮設には泊まれないのでホテルに泊まる場合もあったそうです(これは今回はじめて知りました)。今回 ぬえたちが宿に困ったのにはこういう事情もあったのですね。そうして、もちろん年末に顔を合わす親族がない方も。。

あれから2年。。事情は変わっているかと思ったのですが、今回の唐桑の仮設を活動場所として紹介頂いた、気仙沼で医療支援を行っておられる村上充さんのお話しでも、やはり年越しを一人で迎えられる方は大勢おられるとのこと。

今回の活動は能の上演のほかに炊き出しが大きな目的で、この住民さんの人数は重要な情報です。炊き出しというのは住民さんが何人集まってくださるかが予測がつかないのが最大のネックで、住民さんの人数を伺ったうえで、最大その人数が集まって足りる食材を揃えることになります。が、実際には当日の様々な事情で、みなさん集まることはまずないのです。それでもいざ全員の住民さんが集まってくださった場合、食材が足りないのでは困るので。。今回も食材は住民さん全員の分を揃えておいて、実際には活動終了時に大量に余った食材を我々が持ち帰る、のでちょうど良い、というスタンスで臨みました。

震災の年の夏か秋の頃まで、被災した住民さんは食事に本当に困っておられたので、当初は自衛隊、ついで自治体やボランティア団体がものすごい量の炊き出しを行っていました。現在ではその時とは比べものにならないほど規模は小さくなったものの、個人のボランティアが行うのはやはり大変な費用や労力を必要とします。ぬえがお手伝いした例では埼玉県の旧騎西高校に避難しておられた福島県・双葉町の住民さんへの炊き出しでは、50名を超えるボランティアが炊事に参加、でもその日は行事があって外出しておられる住民さんが多く、大量の料理が余った、ということもありました。今回は住民さんの人数から言えばそれよりもさらにずっと規模が小さい炊き出しではありましたが、事前に行う準備や買い出しも大変だったけれど、炊事の下準備もこれまた大変で、今回は緑さんが一手にこれを引き受けてくださいました。

やがて村上充さんもお見えになり、ぬえも装束を着て上演準備にかかります。

第19次支援活動<気仙沼市>(その7)~いざ唐桑

2014-02-05 00:58:42 | 能楽の心と癒しプロジェクト
そろそろ全員が揃うようなので昼食後すぐに出発して一路 唐桑へ。

唐桑は巨釜・半造という名所や大理石海岸で知られる気仙沼の北端にある半島です。こちらは2年前の夏に撮影した巨釜にある「折石」。なんでも明治の三陸大津波で先端が2mほど欠けたのが名前の由来だそうですが、それでも現在の岩の高さは16m(!)もあるんですって。ということは明治の大津波はそれをしのぐ高さのものだったのか。。



この巨釜は半島の中部にありますが、今回向かう「旧唐桑小学校応急仮設住宅」は半島の付け根近くにあります。南に突き出た唐桑半島なので、気仙沼市街からはまず北上して岩手県との県境ちかくまで行ってから半島を南下するルートになるのですが、気仙沼からも陸前高田からもちょっとした距離があって、それだけに自然が多く感じます。

それと。。これはどこに行っても思うのですが、市街の中心部と比べると復興の度合いが極端に遅れているのを感じますね。これはこの翌日。。元日に大島に渡ったときにも同じ印象を持ちました。





こちらは国道から唐桑半島に入ってすぐにある只越港。小さな川があって、そこに水門が設けられていますが、窓ガラスも割れたままに放置されていました。その周囲は堤防が壊れたままに、土嚢さえも置かれていません。それでも漁業は再開されたのでしょう、漁船を陸にあげるための地ならしだけが行われているようでした。

こうして唐桑小学校に到着したのですが、ずいぶん新しい校舎です。校庭に仮設住宅が建てられているのかな? 。。じつはこれは ぬえの勘違いで、こちらは移転した新しい唐桑小学校です。目的地はこれとは別の、元・唐桑小学校。到着してわかったのですが、正式な名称は「旧唐桑小学校跡地応急仮設住宅」というようです。なるほど学校の広い跡地が仮設住宅の敷地になっていたのですね。

立派な門柱が残されていましたがだけが、これだけがここがかつて唐桑小学校だった事を物語ります。



唐桑小学校跡地応急仮設住宅は12号棟まである比較的大きな仮設で、集会所も立派なものが建てられていました。





でも。。イベントのポスターは ぬえたちプロジェクトのほかは見あたりません。年末年始のことだから仕方ないとはいえ、やっぱりイベントは減っているのかしら。

かと思えば、住宅案内図の左下に、なにやら送迎バスの案内があります。





この「Big House」という店舗は、後日検索してみたところスーパーマーケットでした。なるほど、交通の便が悪く、車を運転しない高齢の方が多く暮らす仮設住宅の住民さんの買い物の便のために、こういう工夫がされているのですね。顧客確保のための店舗のサービスという意味ももちろんあるでしょうが、やっぱり便利だと思います。だって、ここに書いてある店舗の所在地の「本郷」というのはJR気仙沼線の「不動の沢駅」の近く。。市内の中心部で、唐桑からは30分はかかる道のりなんですもの。。

第19次支援活動<気仙沼市>(その6)~食材を揃えました。炊き出しって大変。

2014-02-02 15:00:05 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて朝食も済んで宿を出発し気仙沼へ。まずは緑さんをピックアップして、今夜の仮設での炊き出しのための食材を買い出しに行きました。

今回は気仙沼の唐桑半島にある仮設住宅の支援活動で、大晦日にも仮設にいらっしゃる住民さん。。いろいろな事情により親族とともに新年を祝うことができない方々に寄り添う活動です。能の上演ももちろんありますが、昨年の夏に地福寺さん主催の催しをしたときに知り合ったフルートの うっちー、キーボードのひでこさんによるコンサートもあり、そして紅白でも見ながら住民さんと一緒に鍋でもつついて。。という計画でした。

幸いに我がプロジェクトの気仙沼リーダー。。支店長。。?支部長。。? である緑さんが主婦の知恵をいろいろと提案くださいまして、鍋は豪華「かに鍋」と早々に決まり、その手配もしてくださいました。この日は野菜など当日に仕入れた方がよい食材や酒などを調達。大川の近くにありながら震災で壊滅的な被害は免れ、その後復興したイオンがありますので、食材は一気に揃いました。よかったよかった。

今回は初めての炊き出し支援ということでしたが、準備が本当に大変なんですね~。鍋が一番簡単な炊き出しだと思いますが、事前の買い出しでは発泡スチロールの皿や割り箸、小分けにする調味料を買い込み、鍋やコンロはみんなで持ち寄る事としました。食材の購入には、申し訳ないけど参加するボランティアが負担し、プロジェクトからも1万円を拠出して。。住民さんのうち集まってくださる人数もわからないから、食材は少し余分に買い込むことにしました。足りなくなるのは惨めな感じですから、どっさり余って、参加者が手分けして持って帰るくらいのつもりで。。





こちら、食材やら装束やら鍋やらクーラーボックスやらを積み込んだ ぬえの愛車「レイちゃん3」。もうここまでくると何がなにやら。。使いたいものを見つけだすのも容易じゃありません。。

費用の面でも手間の面でも、炊き出しというのは大変だということがよくわかりました。これが震災の年の秋くらいまでは石巻市の場合では毎食1万人分の用意が必要だった、というのですから。。震災直後から夏くらいまでは自衛隊が炊き出しをやっていましたが、その後は市の職員やボランティアが中心となって行われました。人海戦術でないと、とても出来ない。。

なお今回は伊豆で ぬえが指導している「子ども創作能」のママさんから、椎茸を提供頂きました! あとで住民さんからも大好評だったのですが、当初は ぬえにお歳暮代わりに頂いたもので、ちょうど良い時期だから今回の活動の炊き出しの食材として出すことに。ママさんはそれを聞いて、ちょっと足りませんかね~? と心配頂いて、さらに多くの椎茸をくださるとのこと。かれこれそんなやりとりをしていたのが出発間際の頃だったため、椎茸は宅配便にて仮設に直接届けて頂くことになりました。年の瀬にお手間とらせてしまいました~

さて食材も大体買いそろえたところで浩乃ちゃんと日出子さんから連絡が入り、そろそろ気仙沼に到着するとのこと。ぬえたちは昼食を摂ることにして気仙沼横丁(仮設商店街)に行きますと、今度は太鼓の大川典良さんから すでに仮設住宅に到着した、との連絡が。。それはいくら何でも早過ぎだろう。。

大川さんはスケジュール多忙の中、毎度かなりハードな日程でお手伝いくださいます。大概は夜通し走って朝に到着すると、そのまま活動に参加してくれて。。今回で3回目の活動協力だと思いますが、いつもなぜか気仙沼での活動ばかり。彼とは震災前の石巻と気仙沼で ぬえの師家による学校公演にもご一緒していて、そんな事から ぬえたちの活動に協力してくださるのでしょう。この日も前日まで東京近郊で予定があるとのことで、活動の日に直接東京から駆けつけてくださいました。

第19次支援活動<気仙沼市>(その5)~活動の食事事情

2014-02-01 15:06:52 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【12月31日(火)】

翌朝、宿は素泊まりなので前夜に買ったコンビニ弁当で朝食。しかしまあ。。2年半の間、東北での活動では食事はほとんどコンビニ弁当だな~。いや、ときには おいしいものをご馳走になる機会も稀にはないでもないですけれど。。そして今回もこの前日の昼食は登米市で郷土料理の「はっと汁」を頂きましたが、それにしてもコンビニ弁当の頻度は高いです。宿が素泊まりなので、朝食を食べにわざわざレストランに食べに行くよりは活動開始まで朝ゆっくりしていたい、とか、一日に2カ所以上の活動をする場合、どうしても移動や準備に時間が掛かるので、昼食はゆっくり座って食べているヒマがない、など仕方のない事情もありますけれども。

この際、今回の活動を例に食事の事情を整理してみよう。

<12月30日>
未明に東京を出発 … 朝食=高速道路のサービスエリアにて各自パンなどを買って。
登米市に到着 … 昼食=郷土料理「はっと汁」専門店
陸前高田に投宿 … 夕食=未来商店街(仮設商店街)にて

<12月31日>
宿は素泊まりのため … 朝食=前夜に買ったコンビニ弁当
活動のため食材等調達 … 昼食=気仙沼横丁(仮設商店街)にて
仮設住宅にて炊き出し … 夕食=炊き出しの余り物(それにもありつけなかった者あり)

<1月1日>
宿は素泊まりのため … 朝食=前夜に買ったコンビニ弁当
大島に渡航 … 昼食=港の付近で買ったコンビニ弁当
活動終了 … 夕食=高速道路のサービスエリアにてラーメン

。。う~~ん、我ながら寂し~い気持ちになってきました。
そっかぁ、世間ではお雑煮食べてる元日に我々の朝食はコンビニ弁当だったんだなあ。。そのときは深く考えなかったけれど、年が改まって最初の食事だからなあ。ここまで来れば ぬえたちはコンビニのお得意様ですね。コンビニの本社から報奨金でも支給されないですかね~。

まあ。。頂いた募金を資金として活動している身としましては宿は素泊まりと決めているので、みずから調達する朝食が質素なのは仕方ないとして。それから活動のある日の昼食は、前の公演の後片づけ~移動~次の公演地での上演準備に大幅に時間が取られる事情があるので、まずレストランに落ち着いて座れる可能性はないとして。それにしても夕食くらいもう少しマシに改善できないかなあ。。

でも、時には豪勢な食事をご馳走になることもありまする! 震災の年の暮れには釜石の旅館「宝来館」で夕食をご馳走になったし、気仙沼の児童劇団「うを座」でワークショップをした時にはそのお礼に、と、紫市場(仮設商店街)にあるお寿司屋さん「あさひ鮨」さんでご馳走になって、これは衝撃的な美味しさでした。あとは石巻では湊地区の焼き鳥屋さん「東助」さんかなあ。こちらは自費で毎度飲みに行く常連さん。こうして飲みに行ったりすることもあるから、まあ、あんまり食生活を悲観することもないか。

第19次支援活動<気仙沼市>(その4)~気仙沼内湾のクリスマスイルミネーション

2014-01-30 10:08:15 | 能楽の心と癒しプロジェクト
陸前高田の仮設商店街で夕食を摂ってから、ふと思いついた ぬえは 気仙沼に行ってみることにしました。それはちょうどこの時期 気仙沼の内湾地区で実行委員会「ONE-LINE」の主催によりクリスマスの時期からのイルミネーションが灯されていたからなのです。じつは今回の活動では気仙沼市に入る前に、ちょうどよい時間に仙台を通過する予定だったので、有名な仙台のイルミネーション「光のページェント」を見に行こうか、という計画も考えていました。ところがスケジュールを立てているうちに、未明に東京を出発して、仙台の通過は昼頃、という予定に変わってしまって。。これまた東北地方で活動を始めて3度目の冬になるのに、「光のページェント」はまたしても見ることができない、ということに。。考えてみれば、これまた有名な仙台の七夕まつりも見ていないな~。

そんなワケで、陸前高田市からは30分以上かかる道のりですけれども気仙沼内湾に行ってみることにしました。笛のTさんはお疲れで休みたい、とのことで一人で運転して気仙沼へ。連絡を取り合って、翌日の活動のお手伝いをしてくださる気仙沼市民の村上緑さんがご案内くださる、とのこと。あらうれしい。

緑さんをご自宅までお迎えに行き、オススメの場所、というので港のすぐそばの高台に建つ気仙沼プラザホテルのエントランスに行ってみました。ををっ、聞きしに勝る美しい眺め。

これは、港の岸壁に沿ってずうっとLEDランプを張り巡らせただけではなくて、目立ついくつかの建物もイルミネーションで飾り立てているようでした。付近の商店ビルなど自主的にこの時期に合わせて飾る方もあるのでしょう(実際、被災地区の中に派手な電飾をすることで有名になっている商店がありました)。



暗くてピンぼけでごめんなさい。これは教会。。というよりチャペルですね。気仙沼の被災地区から大川を渡ったすぐ川のほとりにある「ゲストハウスアーバン」という結婚式場の施設らしい。大川は震災のときに津波が遡上して氾濫、付近では相当な被害が出ましたから、この結婚式場も無傷ではないはずですが、このときは豪勢にイルミネーションで飾り立てられていました。チャペルはこの結婚式場とはちょっと離れている、気仙沼女子高やホテル望洋の付近の高台に建っていますが、輪郭だけを品良くLEDランプで浮かび上がらせていました。

イルミネーションの資金は募金によって支えられているそうですが、それにしても照明の総延長はどれくらいになるんだろう。飾り付けを考えても気の遠くなるような作業だったはずで、なんだか気仙沼の市民の勢い(これは折に触れ良く感じることです)が身近に感じられるような気分でした。次の年末はこのイルミネーションを背景にして能を舞いたいな。

さて緑さんをご自宅まで送って、すでに陸前高田の宿の入浴時間は過ぎていたので、気仙沼の銭湯「亀の湯」に行こうと思ったのですが、残念ながら休業でした。代わって、こちらも日帰り温泉のサービスを何度か利用させて頂いているホテル観洋に行きました。フロントで聞けば日帰り入浴の時間は過ぎている、ということでしたが、ご親切にして頂いて、入浴させて頂くことができました。

ここで考えて、翌日。。大晦日の仮設での活動の終了後も、やはり宿では入浴できないので、このホテル観洋さんに相談してみることにしました。お風呂から上がって、再びフロントに行き、プロジェクトの活動についてお話しして翌日の入浴についてお願いしてみると、協力して頂ける旨大変心強いお言葉を頂きました。とはいえ翌日の活動は唐桑地区で、ホテル観洋さんがある気仙沼内湾地区は陸前高田の宿とは正反対の方角。。しかも活動の疲れもあるだろうから、メンバーは入浴はあきらめてすぐに宿に直行して眠りたい、と考えるかも。ですから、お願いしておいて甚だ失礼なのだけれども、そのような事情も説明申し上げて、翌日の活動終了の時点でメンバーの意向も聞いて、改めてホテルにご相談させて頂くことに致しました。

宿に帰るともう深夜近く。東京で用意しそこねた、装束の着付けに使う糸針を宿の部屋で作って就寝しました~。