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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

活動報告書(2014.05.18~19)

2014-06-21 00:05:53 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒やしプロジェクト
第22次被災地支援活動
(2014年05月18日~19日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」では、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに21度に渡り岩手県釜石市、陸前高田市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、登米市および福島県双葉町の住民が避難していた旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびプロジェクトメンバーのうち能楽チームの八田、寺井は、去る05月18日~19日の2日間に渡り宮城県・気仙沼市および登米市にて能楽ワークショップを行いました(※注2)。

今回の活動は2つの有料ワークショップというところが、これまでのプロジェクトの活動とは一線を画すものです。それというのも震災から3年を経てプロジェクトの活動資金の原資としての募金がほとんど頂けなくなり、活動について現実的な困難に直面したことによります。我々プロジェクトのような活動を続ける団体の中ではかなり長い期間、心ある方々から募金を頂戴し続けてきたのもまた事実で、プロジェクトの活動にご賛同ご協力頂きました方々には改めまして御礼申しあげます。

しかしながら現実には4月からの消費増税、高速道路の通行料金の割引制度の撤廃および縮小が活動にかかる基本的な支出を圧迫している事情もあります。また一方プロジェクトでは仮設住宅や仮設商店街への慰問活動のほかに、「文化の復興」の目標を持って、音楽家等とのコラボレーションによる「星と能楽の夕べ」「能とピアノの夕べ」などのイベントを展開して参りました。これらの共演者の交通費等につきましても、同じボランティアだからといって全額の負担を求めるばかりでは活動の将来性の展望は開けず、その一部をプロジェクトから支出しており、これまた活動費を圧迫する原因となっております。

団体として活動を継続するため、また被災地の復興の現状から考えて、活動を有料にすべき というご意見は、1年くらい以前からでしょうか、他ボランティア団体からも何度か助言を頂いておりますが、プロジェクトとしてはあの震災のあまりにも深刻な被害を見て、被災地に寄り添いたい、という気持ちの原点を考えるとなかなか踏み出せないでおりました。

そこで、実際の活動の継続が困難になる現実を見据えて、プロジェクトの活動を大きく2種類に考え、一部の公演を有料化することに致しました。すなわち「文化の復興」のための「公演」を広く被災地の市民を対象に行い、ワンコインか千円程度の入場料を頂戴すること。仮設住宅の慰問や仮設商店街の振興のお手伝いとしての活動はこれまでどおり無償奉仕とし、「公演」で得た資金をもとに活動を継続する、ということです。前述の他ボランティア団体からは「仮設住宅での活動であっても有料で良いのではないか」とご意見を頂いてはおりますが、プロジェクトとしては当面、それは無償での活動として続けてゆきたいと考えております。「公演」については有料である以上、ある程度以上の内容の質を確保すること、宣伝に力を入れなければならないこと、などこれから考えていかなければならない点は多いと思いますが、とりあえず方針を上記のように定めることに致しました。

今回の活動は実質的なその最初のもので、2つのワークショップはいずれも「公演」です。それであればプロジェクトの「支援活動」には当たらないのではないか、とも考えましたが、「文化の復興」も復興を目指すのは支援活動の一環でありますし、また実際のところ、どちらの公演にも仮設住宅にお住まいの住民さんが参加してくださいましたことを考え、「支援活動」と考えることに致しました。
会場となった気仙沼の煙雲館は現ご当主の鮎貝文子さまのご厚意を頂き、茶道裏千家気仙沼支部会さまの会員さまが多数参加くださり、また気仙沼市民でプロジェクトの協力者である村上緑さんの活躍により事前の宣伝活動が周知された結果、一般のお客さまも多くご参集くださいました。また今回はじめて活動させて頂く登米市の柳津虚空蔵尊さまは、石巻の湊小学校避難所時代に活動をご一緒させて頂いた古川の神戸さんのご紹介でした。副住職さまの奥様である杉田史さんは「お寺カフェ」「お寺マルシェ」を開催したり、また独自に被災地の支援活動を行っておられる活発な方で、こちらもご厚意により宣伝の労に努力頂いたほか、宿泊・食事までおもてなし頂きました。まことにありがたく、改めまして御礼申しあげます。

2度の公演により、おかげさまをもちまして活動資金を頂戴することができ、プロジェクトの今年の活動の継続についても見通しが立てられる状態になりました。これらは決算報告書で明細を明らかに致しますが、関係各位のご協力によって達成できたもので、重ね重ね御礼申しあげます。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(能楽の心と癒やしプロジェクト)
【協力者】(敬称略)
 村上緑/鮎貝文子(煙雲館)/茶道裏千家気仙沼支部会/佐々木優子/柳津虚空蔵尊/杉田史/浅野ゆか
【主催】
 能楽の心と癒やしプロジェクト

【活動記録】(敬称略)
 5月17日(土)
八田のみ昼に東京出発、今回 煙雲館で上演する能『松風』の後見を勤める村上緑さんの稽古を仙台で行う。ご友人の浅野ゆかさんが稽古の会場として自宅を提供くださり、また食事・宿泊もお世話になりました。

 5月18日(日)

寺井が夜行バスで仙台に到着、3人で気仙沼に向かう。途中南三陸町の田束山の つつじを見、「しろうおまつり」で賑わう歌津復幸商店街にご挨拶、今後の活動の相談をする。

◎「能楽の心と癒やしをあなたに」
14:30~ 能『松風』 出演(八田・寺井、後見=村上緑、佐々木優子)
煙雲館ご当主・鮎貝文子さまのご挨拶、寺井による解説に続き能『松風』の上演。終了後に能楽ワークショップを行う。茶道裏千家気仙沼支部会さまのご厚意により大勢の会員さまがお見えになり盛況だったほか、終了後には会食もご用意頂き、大変ありがたいことでした。後見の大役を果たされた村上緑さんはじめ関係各位に御礼申しあげます。

終演後、緑さんを気仙沼市内にお送りして、南三陸町のホテル観洋にて入浴、それより登米市の柳津虚空蔵さまに到着。杉田史さんに食事と宿泊のご用意を頂き、翌日のワークショップのことや今後の計画などを話し合う。

 5月19日(月)

◎「能楽の心と癒やしをあなたに」
14:00~ 能『羽衣』 出演(八田・寺井)
副住職さまの奥様である杉田史さんが宣伝に尽力くださり、40名ほどのお客さまがお見えになった。
史さんのご挨拶、寺井の解説、能『羽衣』の上演、能楽ワークショップという構成は前日と同じ。
仮設住宅の住民さんもお見えになる。

これにて今回の活動は終了、深夜にならずに東京に到着しました。

【収入・支出】

震災から3年が経ち、ほとんど募金が集まらなくなり、プロジェクトの活動資金は大変厳しい状況に陥りました。これにより「文化の復興」活動の一部を有料化することとし、今回は試みとしての上演となりました。結果的には大成功で、本年の活動全体について見通しが立つ状態にまで資金状況が改善されました。詳しくは決算報告書を参照ください。

プロジェクトの活動資金としては、前回活動の繰越金が82,101円あるほか、前回活動でご一緒した寺井の笛の生徒さんから募金を頂戴し、これによって繰越金を含めた活動開始時点での資金の総額は87,101円となります。また今回の活動中に茶道裏千家気仙沼支部会さまより40,000円、煙雲館にお出ましになった一般のお客さまからの入場料15,000円、気仙沼北野神社の菅原宮司さまより募金5,000円、柳津虚空蔵さまでのワークショップの入場料37,500円を頂戴し、収入の合計は184,601円にのぼりました。

一方支出は、増税によるガソリン価格の高騰も現在までのところ影響は見られず、また東北までの往路は東京~仙台間と短かったのに加え、土曜であったため高速道路利用料は休日割引の対象となりました。さらに宿泊は柳津虚空蔵さまのご厚意によってご用意頂きました。またチラシ印刷費も寺井が安価な業者を開拓してくれ、これらの要因によって支出はかなり切りつめられ、ガソリン代、高速道路利用料、チラシ印刷費の総額で32,900円に抑えることができました。次回活動の繰り越し金は差し引き151,701円となります。

プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。

【成果と感想・今後の展望】
今回は歴史建築と寺院での2回のワークショップのみの活動となりました。まずはプロジェクトの活動資金を捻出するために始めた計画ではありましたが、結果としてお客さまにもお喜び頂くことができ、またプロジェクトの活動資金も良好な状態に改善されました。今後も有料公演は随時開催してゆく予定ですが、無償奉仕の仮設住宅への慰問、仮設商店街の振興のお手伝いなどの活動も継続して行ってゆく予定です。また今回も気仙沼市民の村上緑さんの活躍はめざましく、煙雲館との交渉、宣伝チラシの配布などに尽力頂きました。改めまして御礼申しあげます。

震災3年目を迎え、仮設住宅や仮設商店街もいずれは解消されて、いずれは次の段階へと進んでいくことになりますが、我々の活動もその時々の状況に応じて形を変えていく事になります。息長い支援のために皆さまの変わらぬご支援をお願い申し上げる次第です。

平成26年6月20日
                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」



                               代表   八田 達弥

                                   (住所)
                                   (電話)
                                    E-mail: QYJ13065@nifty.com

第22次支援活動<気仙沼市・登米市>(その7)~柳津虚空蔵尊さまで能楽ワークショップ

2014-06-20 11:34:59 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【5月19日(月)】

さてこの日ワークショップを行わせて頂く予定になっている柳津虚空蔵尊さまですが、まず触れておかねばならないのは、お寺のシンボルとなっている大鳥居でしょう。同じ登米市の横山不動尊さまにも鳥居がありましたが、つい200年前までは普通だった神仏混淆の名残を色濃くとどめているのがお寺にある鳥居です。しかも柳津虚空蔵尊さまの大鳥居はあまりに巨大で一度見たら忘れられないほどです。あ~画像がない~

ご本尊であり、お寺の通称になっている(寺号は「宝性院」さま)伝行基作の虚空蔵菩薩像は秘仏で、なんと33年毎に開帳となるのだそうで、次回は再来年の平成28年だそうです。をを、再来年か。





虚空蔵菩薩像がご本尊というお寺は珍しいと思いますが、寺伝では大伴家持の言として同じく行基作と伝わる虚空蔵像はほかに福島と山口の2体があり、これらをして我が国の三大虚空蔵尊とした、とされています。

実際には福島の圓蔵寺の「福満虚空蔵尊」は寺伝で空海作と伝えられ、山口の湘江庵のそれはよくわかりませんでした。面白いのはこれらの三大虚空蔵尊を擁するお寺がある地名がそろって宮城県登米市津山町柳津、福島県柳津町、山口県柳井市にあることで、虚空蔵菩薩像が有名なお寺は茨城県東海村や三重県伊勢にもあり、また行基作の伝を持つ虚空蔵菩薩像は鎌倉や京都、新潟にもあるので、この家持が指摘したとされる三大虚空蔵尊への注目点は、むしろ「柳」という語にあるかもしれません。これは面白い発見があるのではないかと思いますね~。

さてこの日のワークショップは午後からで、お昼ご飯を「お寺cafe 夢想庵」で お蕎麦をご馳走になり(美味!)、さて準備に取りかかりました。

展示の装束は玄関前に飾り、床の間のあたりに面や楽器、扇などを並べます。今回も有料のワークショップなのでわざわざ衣桁を車に積んできましたが、やはり装束の展示は良いですね~





やがて開演。およそ40名ほどのお客さまが集まってくださいました。地元の登米市津山の方が多かったのですが石巻からも松島町、東松島市からもお客さまがお見えになった模様。またあとで聞けば仮設にお住まいの住民さんも何人か顔を見せてくださったそうです。

史さんのご挨拶に続いて笛のTさんの解説、能『羽衣』ダイジェスト版の上演、そうして能楽体験コーナーと続くのは仮設住宅でいつも行う方式です。











でもこの日は持参した面、装束、楽器の分量がかなり多めで、能を身近に感じて頂けたことと思います。





いつの間にか史さん、今日は笛に挑戦してました~



ちょっと時間は押し気味でしたが、最後にお客さまおひとりにモデルになって頂き、装束の着付け体験。仮設住宅での活動では、能の上演よりもむしろ体験コーナーに時間をとって、住民さんに1日遊んで頂くのですが、これまでいろいろな事を試してきましたが、ぬえの印象では装束の着付け体験が一番喜ばれますね。とくに仮設では震災で着物を流されてしまって、その後一度も着物に袖を通していない、という住民さんも多いですから。。





こうして今回も無事に活動を終えることができました。ミッション・コンプリート! 柳津虚空蔵尊さまでは秋頃にロマンチックな公演を行う計画が進行中です!

お土産買う時間が今回はなかったなー、というわけで、帰り道に石巻市の道の駅「上品の郷」(じょうぼんのさと)に立ち寄りました。ここは三陸道の「河北I.C」にほど近くて便利ですねー。農産物直売所やレストラン、コンビニのほか日帰り温泉や足湯まであるのです。石巻立町の仮設商店街に立ち寄れなかったのは残念でしたが、ここでお土産を買い込んで、夜あまり遅くならずに東京に帰り着くことができました~

                                  (この項 了)

第22次支援活動<気仙沼市・登米市>(その6)~柳津虚空蔵尊さまに到着~

2014-06-16 16:39:52 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて気仙沼から登米市の柳津に向けて走り出し、途中 南三陸町のホテル観洋さんの日帰り温泉を利用して入浴しました。ここにはこの日初めて館内に入ってみたのですが、震災3か月半目の2011年6月末に ぬえが初めて被災地を訪れたときにもどうもお風呂の営業をしていたようで不思議に思い、そのときは高台にあるホテルだから大丈夫だったのかなあ? と単純に考えていました。

が、実際には津波の直撃を受け、道路網も寸断されて(震災直後は 南三陸町は陸の孤島と化して近づける方法がほとんどなかった)、志津川の住民さんの避難所となっていたのですね。当時の記録がホテルによって公開されていますが、ぬえが訪れた頃は海水を淡水化する機械が導入されてようやく毎日お風呂に入れるようになり「ようやく普通の日常生活を送れる様になりました」という頃だったようです。

南三陸ホテル観洋「3.11からの記憶」

この日はとっても広いロビーに驚きましたが、かつてここも避難者の生活スペースだったのですね。ロビーの一角には震災の被害を伝える写真も展示されていました。

入浴を済ませて柳津虚空蔵尊さまに到着。副住職さまの奥様である杉田史さんが待ちかねて、ご馳走を用意してくださいました!! すんごい豪勢なんですけど。。今回は仙台、気仙沼、柳津とおいしいものばっかり頂戴しております。ご存じの通り活動中はいつもほとんどコンビニ弁当ばかり食べているから、こんなおいしいものばっかり頂くのは初めてかも。。

で、史さんにちょっと鼓の体験をしてもらいました! 楽しそう。



この夜は秋に予定している虚空蔵尊さまでの能の上演のことについてなど、いろいろな話をして更けてゆきました。史さんにはいろんなアイデアがあって、聞いていても興味が尽きないです。お寺のお嫁さんとして積極的なアイデアを発信して、お寺cafe「夢想庵」を開いたり(おそばを前回の打ち合わせとこの翌日に頂戴しましたが びっくりするほど美味! あとケーキも激旨ですっ)、「お寺マルシェ」を催したり。ぬえたちの上演も「お寺サロン」という形になるらしい。

それと特筆しておかなければならないのは、史さんが行っている支援活動でしょうね。この夜 ぬえたちが泊めて頂いた部屋には、史さん「ごめんなさいねえ、ちょうどいま支援物資が到着していて。。」とおっしゃるように段ボール箱が積み上げられていました。

聞けば気仙沼・階上の「波路上保育所」の支援などもしておられるということで、意外なところで ぬえと繋がりました。もっとも ぬえがこの保育所の支援をしたのは ひょんな事からで、しかも伊豆の子ども創作能の出演児童のママさんから使わなくなった遊具を少々持参した程度なのですが、史さんの支援はもっと大きなもので、たとえば会社の支援を受けてその遊具をしまっておくプレハブ小屋を寄贈したり。保育所のほかにも子供服や寝具の寄贈などから、大きなものだと南三陸町の漁師さんに船を寄贈する橋渡しをしたりしておられます。ちょっと ぬえとはスケールが違った。

この日は夜に虚空蔵尊さまに到着したので画像があまりありませんが、お寺のことやワークショップについては次回触れるとして、翌日に撮った「お寺cafe 夢想庵」の画像を少しアップしておきますねー










第22次支援活動<気仙沼市・登米市>(その5)~お世話になった方々。Thank You!

2014-06-15 03:08:25 | 能楽の心と癒しプロジェクト
前回の気仙沼・煙雲館でのワークショップの記事について、さらっと書いたつもりだったのですが意外な反響がありました。。うん、どうも ぬえ、自分で思っている以上に気仙沼ネットワークに組み込まれているのかも。そういう、人脈が次々に広がっていく躍動感が あの街にはありますね。文化程度も相当に高い街だし、都会だな、って思うもの。。そういえば緑さんが前に言っていたな。

「若い人はキライなんですよ。出て行きたいってみんな思う。私もそうだった。。でも震災があってこの街に目を向けざるを得なくなって、そのとき思ったんです。私、やっぱり気仙沼が好きなんだなあ。。と」

その気持ち、なんかわかる。。大きな節目があって、初めて今まで顧みることのなかった普通の物事の本質が見える、ということはあると思います。その節目は気仙沼の場合、あまりに傷みを伴いましたが。。でも、この街を愛する人を ぬえはたくさん見てきました。それは心強く ぬえの心を打つものです。ぬえなんかよそ者で支援活動なんて言っても何をすることもできない身だけれども、前進する彼らはそんな ぬえを暖かく迎え、そうして応援してくれます。いろんな事を得た3年間でした。そうそう。今月末で ぬえの活動も3年目を迎えるんです。

さて話題は戻って、思わぬ反響があったから、前回の記事でついつい書き損じてしまった協力者のこともきちんと書かねばね! すみませんでした、スキップしたわけではなく、後見に貢献してくれた、コーディネートはこうでねえと! という活躍を見せた緑さんのことを書いていたら紙幅が尽きたのどした。

能『松風』の副後見をしてくださった佐々木優子さん! 緑さんの後見の仕事は前もってメモを郵送して、それでもあまりの心労のため ぬえは宮城県入りを急遽1日早めて仙台で緑さんに後見の稽古をつけたのですが、こちら副後見は主後見のアシスタントとはいえ、やはり物着を手伝うので大変な役目でした。緑さんを通じてメモは事前にお渡しして頂きましたが、稽古は上演当日、開演前の1回だけでした(!)。主後見と比べれば仕事の分量は少ないとはいえ、なんせ身近とは言い難い能の後見。。しかも物着までやらされて。。 ところが実際の舞台ではソツなくこなした貴女は偉い!

ちなみに緑さん、例の ぬえが書いたメモを見て『松風』の後見があまりの大役だと気づき、優子さんにメモを渡すタイミングを すっごく考え抜いたんだそうです。ヘタなタイミングで渡したら、せっかく引き受けてくれた副後見なのに、びっくりして逃げられちゃうかも、ですって。なるほど~~!(←他人事)

いや、優子さんは緑さんより度胸が据わっている方とお見受けしましたよ~

それから『松風』上演後のミニ・ワークショップでは装束の着付けを行ったのですが、そのモデルになってくださったのは宮川さゆりさんでした。

こちらは着付けをしている画像がなくて記事ではひと言しか触れなかったのですが、じつは活動の後facebookでつながりまして。さゆりさんのページでご自分が着付け体験をしている画像をアップされました。それがこちらの画像。すみません拝借します~



じつは大鼓の体験をしたのも さゆりさんのご子息だったんですね~



もうひとつ。緑さんの後見の稽古のために前倒しで仙台に入った ぬえでしたが、その日緑さんが泊めて頂く予定だったお友達のお宅に結局 ぬえもお邪魔してそこで稽古をさせて頂いたのですが、夕食をご馳走になったばかりか、ご厚意を頂いて、宿も決めていなかった ぬえまで快く泊めてくださいました。

この方。。ゆかさんは料理研究家さんで、ぬえは思わぬご馳走にありついてしまったのでした! あ~ありがたい。。と思っていたら、なんと今日、その ゆかさんが、8月に予定している気仙沼での催しをご覧にお出でになり、それどころかその夜に宿泊する自炊式の宿にまでご一緒してくださり、またしてもて・て・て・手料理をふるまってくださるかも~、ですって。Wow!

第22次支援活動<気仙沼市・登米市>(その4)~煙雲館で能楽ワークショップ

2014-06-11 15:02:10 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さてやがて車を走らせて、気仙沼・松岩の煙雲館に到着しました。この3月にもお邪魔させて頂いたここは、歌人・落合直文の生家であり、伊達藩の家老職にあった鮎貝家の邸宅であり、そして市指定の文化財である庭園を持った、気仙沼有数の名家です。ご当主の文子さんのご厚意によってこの日、能楽ワークショップを開かせて頂くことになりました。



この日はご当主・文子さんのお計らいにより、わざわざ ぬえたちプロジェクトの活動の日にあわせて定例の茶道の集会を開いてくださり、その会員の方に大勢お見え頂きました。そのほか緑さんの活躍により市内のあちこちにポスターを貼って頂いたおかげで多くの市民の方もお出まし頂いたようです。

この日の上演曲は『松風』。被災地では久しぶりの上演曲ですが、なんといっても大変なのは後見で、舞台上での物着(シテの装束を替える)の作業があるのです。このときの活動に先立つ4月の活動で、緑さんに後見の打診をしたところ快諾頂きまして、ぬえから物着の手順を記したメモを郵送したのですが。。

やはり、これほどの大役とは思っていなかったらしい(笑)。いや、事前に説明はしたんですけどもね。

手元にメモが到着したら緑さんから連絡きまして。。「吐きそう。。」ですって。そうかもー(^o^)

とはいえ以前には石巻の雄勝で同じ『松風』を上演したことがありまして、そのときも市民の協力者の方に後見をお願いし、まあ無事に上演することができました。それに気をよくしての今回の上演ですが、「吐きそう」に思うのは、まあ責任感が強いからですよね。おかげさまでミスもなく立派に後見の大役を果たしてくれました。













『松風』上演後はお待ちかね! の体験講座。今回は四拍子のすべてを持参し、面も装束もたくさん持参したのですが、あまり時間がなく、簡単な囃子の体験のほか装束をお一人に着て頂きました。











終了後、例によってお食事のおもてなしを頂きました。文子さんのお孫さんかな、今年の3.11の黙祷のとき、無邪気にはしゃぎ廻っていて、その歓声が ぬえが撮影したビデオにも残されていますが、その子たちとお母さんともしばし歓談。このブログでも紹介しましたが、あの黙祷のときの子どもの歓声は、変なことを言うようですが、とっても良かった。犠牲も大きかったけれど、ちゃんとこの街で子どもたちは明るく育っているのです。その暗澹たる「死」への思いと、現実に「生」を謳歌する子どもたちの歓声は、3年目を迎えるこの時期だからこそ思う、不思議な協調を感じました。

それから能の間に最前列でずっと正座して見ていた小学生~中学生とおぼしき女の子たち。多少足がしびれていた、とはあとで聞いたけれど、彼女たちは茶道を習っているのですって。きちんと端座して舞台に注目している姿はとっても清々しかったです。

この日はプロジェクトとして初めての有料の催しで、おかげさまを持ちまして次回の活動の資金面の問題はクリアできそうです。またお食事会では毎度ながらご馳走を頂きまして。。すいません ぬえ、いつも遠慮がなくて。。

こうしてみなさんにお礼を申しあげ、緑さんを気仙沼市内にお届けしてから次の公演地である登米市の柳津に向けて走り出しました。

なおこちらは気仙沼市に入ってすぐの小泉の海岸です。煙雲館に向かう途中で立ち寄ったのですが、ここには海の中に建つように被災建物がずっと残されたままです。

この日はちょっと近くまで行ってみようという気になり、国道からはずれて海辺まで行ってみると。。





津谷川の護岸を兼ねて海まで突き出した堤防は破壊されたままで、建物は海の中で波に洗われています。小泉海水浴場があった青い海と青い空。本当に気持ちの良い日だったのですが、それだけにこの被災建物が異様です。



何枚か写真を撮って車に戻ると緑さんが「ここには昔、遊園地があったんだよ~」と言います(!)

あとで調べてみれば、「南三陸シーサイドパレス」というレジャー施設だったのですね。ホテルやボウリング場も備えた遊園地として70年代に建てられたのですが、わずか3年でオーナーが代わり、その後経営難のため80年代には閉鎖された、10年あまりの短命の遊園地だったようです。

閉鎖後 遊具は撤去されましたが建物のいくつかは放置され、一部のいわゆる「廃墟探検マニア」には知られていたようです。いま海の中に残っているのはホテルの部分で、その手前に土台だけが残るのはボウリング場のようですね。この建物の周囲には駐車場もあったし、また海との間には松林があったのを古い画像で確認しましたが、津波による破壊と地盤沈下でこのような形になってしまったようです。

第22次支援活動<気仙沼市・登米市>(その3)~歌津復幸商店街「しろうおまつり」

2014-06-02 02:02:36 | 能楽の心と癒しプロジェクト
田束山を後にして一路気仙沼に向かう。。はずのところ、山を下りてすぐの「伊里前復幸商店街」に立ち寄りました。笛のTさんが最近懇意にしているそうで、能の上演の話も出ているとか。それはありがたいことです。

歌津地区の伊里前(いさとまえ)に仮設商店街が建てられたのは、ぬえも震災後の早い時期から見て知っていました。ここにはJR気仙沼線の歌津駅があり、駅舎は現在でも残されています。標高15mあった歌津駅は津波の被害がなかったように ぬえはずっと思っていましたが、じつは海側からは見えない反対側。。下り線ホームは途中からレールごとなくなっているのだそうです。震災後JR気仙沼線がBRTに代わるに従って、この駅舎は使われないことになり、「歌津駅」のBRTバス停は地上面に下ろされました。高台にあった旧駅舎は海沿いの集落からは長い階段を上らなくては到着できず、少々不便だったと思いますが、ようやくその不便も解消。。とはいえ集落がなくなった今ではそのありがたみもないか。。しかしながら新しい歌津の駅舎はこの伊里前復幸商店街の間近になりました。

とはいえ ぬえも何度もここで買い物をしたことはありますが、もともと山に囲まれて小さな地区だった歌津でもあり、復幸商店街もそれほど賑わっているようには見えなかったのもまた事実でした。同じ南三陸町の志津川に建てられた「さんさん商店街」と好対照かな。。とも思っていたのですが。。

ところがこの日復幸商店街は大変な賑わいでした。これまで見てきたどの仮設商店街よりも。。いや、ちょっと比較にならないほどの人出。たくさんのこいのぼりも青空に泳いでいました。





この日、商店街では「しろうおまつり」というイベントを開催していて、それにお客さまが集まった模様。小学生限定で金魚すくいならぬ「しろうおすくい」があったり。





無料の「しろうお おどり食い」もあり。これは ぬえも頂戴しました。こういうの、はじめて。ポン酢? のようなタレを入れたコップにスタッフさんが 今そこで掬った しろうおを入れて渡してくださり、それを ぐぐっとひと息に食べる、というもので、一時は残酷の代名詞のように言われた時期もありますが。。おいしいだから野暮なこと言わないの。





会場には南三陸町の ゆるキャラ「オクトパス君」も来ていました。笛のTさんもうれしそうです。



なおこの伊里前復幸商店街には、例の、当地のコンビニ前に設置されていながら津波によって2400キロ流されて沖縄・西表島に流れ着いた郵便ポストが震災時の画像とともにテントの中で展示されています。ポストは一時 東京・新宿に短期間 展示されたこともあって、それは ぬえも拝見しているのですが、その後このポストは「ポストくん」と名づけられて。。志津川のオクトパス君に対抗する歌津の ゆるキャラを目指しているのかしら。この日はテントは中に入れないようになっていました。

ステージイベントもありましたが、こちらのステージは常設なのですって。この日は地元のバンドが出演していましたが、ぬえたちも いつか出演させて頂きたいなあ。



商店街の責任者の方にご挨拶をさせて頂きましたが、この日は大賑わいだが、やはり平日ほとんど客足がないとのこと。震災の記憶の風化とともに各地の仮設商店街は苦戦を強いられていると聞きますが、やはりここも同じ苦労があるようです。

がんばっぺ歌津・伊里前復幸商店街!

第22次支援活動<気仙沼市・登米市>(その2)~田束山、上りました

2014-06-01 23:17:02 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【5月18日(日)】

翌朝、泊めて頂いただけでなく朝食までご馳走になって、緑さんに再度後見の稽古をつけてから、泊めて頂いたお宅を辞しました。夜行バスでこの日仙台に到着した笛のTさんには昨夜のうちに連絡をとってこの朝最寄り駅まで来て頂いて、さてこの日の上演地である気仙沼に向けて走り出しました。

本来気仙沼までは東北道で一関まで行ってから延々と一般道を通って行くのが普通ですが、念のためカーナビで調べたところ、仙台から国道45号線を通って沿岸を通って行っても所要時間は極端には変わらないことがわかりました。それならば、と ぬえは即座に一般道を選択。ひとつには高速道路の通行料金を節約するためでもあり、また沿岸の被災地区を見続けてきたため、定点観測的に変化を感じたかったため。そうしてさらにもう一つの理由は、ツツジの季節だから、です。

。。実際のところ、ぬえたちプロジェクトが支援活動を続ける宮城県の沿岸地域というのはツツジの名所が多いですよねえ。気仙沼の徳仙丈山、石巻にも。。これは季節に上ったことはないのですが、牧山の頂上付近にはツツジの群生があったと思います。どうもいずれも野生というよりは意図して植えられたツツジ苑のような感じかな、とは思うのですが、規模は「苑」なんてものじゃないです。もう、山の頂が一面のツツジ。それも麓からは窺い知れず、その山に上った者のみが見れる壮観です。いずれも車道が整備されているので車で10分かそこら上ればそれは眼前に繰り広げられる。。

。。とは言うものの、ぬえはあまりツツジの盛りには当たったことがありませんで。石巻・牧山に上ったのはまったくの季節はずれ。去年上った気仙沼の徳仙丈山も少し時期が早かったようです。

今度こそは、ということで、今回は南三陸町の歌津から上る田束山(たつかねさん)に行ってみることにしました。

。。驚いた。これをパラダイスと呼ばずして何と表現しよう。山道のいくつかのカーブを過ぎると、突然真っ赤に染まった山頂が見えてきました。すごい! すごい!





山頂には駐車場が整備された展望台もあって、ここに車を停めてみると、まさに壮観。。ツツジがあり、山の新緑があり、そして入り組んだリアス式の面白い海岸線と。。そして真っ青な海。壮観、なんて言葉じゃ形容できない強烈な自然と生命の力を感じる風景です。この地形は「美しい!」と人に驚嘆させようとわざわざ神様が用意したとしか考えられない。。じつは東京で見る、なんだか毒々しいトゲを感じるツツジの色が好になれない ぬえ。。でも京都・詩仙堂の入口脇に立つキリシマツツジを見てからツツジが好きになりました。だからツツジの季節にはいつも複雑な思いもあったのですが。。この日の田束山は ぬえを圧倒してしまいました。

聞けばツツジの満開はもう数日先だろう、とか、濃霧がかかって海が見えない事も多いんですよ、とか。不運なのか幸運なのかよくわからない。でもこのツツジの花の色に誘われた ぬえは、Tさんと緑さんが展望台にいる間、ぬえはどんどん遊歩道に迷い込んで行くのでした。







ほどなく、というかほとんど起伏もなくたどりついた頂上には経塚の跡が保存されていました。この山は古来霊場で、数多くの塔頭が建ち並ぶ荘厳な地だったのです。ああ、そうだよね。ぬえも神の創造を感じたもの。

第22次支援活動<気仙沼市・登米市>(その1)~仙台で後見の稽古

2014-05-30 15:56:56 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ようやく今月の活動のご紹介にこぎつけました~。去る5月18日(日)と19日(月)の2日間、宮城県気仙沼市の煙雲館と登米市の柳津虚空蔵尊さまにて能楽ワークショップを行って参りました。

今回は2つの上演ともワークショップで、これもプロジェクトとしてかつてない活動内容です。そうしてこの2回の公演とも、これもプロジェクトとして初めて有料上演とさせて頂きました。というのも震災3年を経てプロジェクトの活動資金がとうとう枯渇の危機にさらされる状態に陥り、そのために活動の方針も少々修正せざるを得ない状況になったためです。

震災3年目に至りすでにプロジェクトに継続的に募金を頂くことは皆無に近くなりました。実際には現在でも隔月という間隔で募金頂ける方は少数ながらあるのですが、どうやらプロジェクトはこれでもボランティア団体としては幸運な例のようです。「毎月募金くださる方がある? 被災地によほど根付いた団体でもなければ、そんな団体はもうないですよ」と他のボランティア団体から ぬえが言われたのが去年の今頃ではなかったかと思います。そうして、熱い思いは持ちながら活動資金の問題で支援活動から撤退したボランティア団体を ぬえでさえこれまでにいくつ見てきたことか。。

息の長い支援というのはこれほど難しいことなのですね。この時期に至って ぬえは初めて思い知りました。これまでも活動には節約を心がけてきましたし、活動を継続するためによく支出を計算して、その結果ゲストの能楽師や音楽家などの交通費も自弁を強いることも度々でしたが。。それでもこの難関から逃れることはできなかったのです。

このとき、他のボランティア団体から ぬえにアドバイスを頂いて、いわく「東京で資金を集めて被災地でそれを使い果たす支援のあり方の時期は過ぎたと思います」「これからは有料の催しも始めるべきで、活動の場が仮設住宅であっても、本物を見せるのならば少額であっても有料にすべきです」と。

これは半年くらい前に ぬえに頂いたアドバイスで、以来 ぬえはずっと逡巡を繰り返してきました。一方、ぬえらプロジェクトの活動でも仮設住宅や仮設商店街の慰問のほかに「文化の復興」を指標とした催しを展開して参りました。すなわち被災地に疑似プラネタリウムを出現させて音楽と能の上演を行う「星と能楽の夕べ」公演。またそれの簡略版のような位置関係になる「能とピアノの夕べ」公演。これらは被災住民さんだけでなく、広く被災地が芸術文化に気軽に親しめる街に再生できるように、と考えて行ってきたものです。

当時これら慰問ではない文化的な催しもすべて入場無料で行ってきたのですが、なるほど、これらを「イベント系」の企画を慰問上演と切り離して考えることは不可能ではないかもしれない、とは漠然と考えていました。前述の他ボランティア団体さんの言う「仮設住宅でも有料に。。」という考え方は どうしても ぬえには共感できなかったのですが、いざ自分が活動資金で苦労するようになると、こうして慰問と切り離した上演を有料にする事は現実味を帯びてきたのです。

こうしてこの5月にまずは実験的に有料公演を実施してみる事に決まったのは、ぬえらにアドバイスしてくださった他ボランティア団体との協調した計画だったのですが、その後この団体にも金銭的な問題が起こり、連絡が取れなくなり。。プロジェクトの独自の採算によって実施することになりました。ホントに一時はどうなることかと。。

ところが活動を終えた今、関係者の努力や参加者のご厚意によって、これまで通り節約を旨とすれば本年に予定している活動は実施可能の目途がつくところまで状況は改善されつつあります。今回の活動は実験的な有料公演のみのものではありましたが、今後も継続してこのような催しを行うことになります。一方仮設への慰問を怠ることがないよう自分へ戒めをもって、また企業スポンサーなど協力者を探すことや、東京などでの活動報告会を開催して活動を周知させるなどの努力もして行かねばならないでしょう。

【5月17日(土)】

本来の活動は翌日からの予定でしたが、そこで上演する能『松風』には後見が必要で、しかもこの役は舞台上でシテの物着をする大役。これを引き受けてくれた気仙沼市民でプロジェクトの絶大な協力者である村上緑さんは、引き受けてからその役目の重要さと難しさに驚いたようで。。ちゃんと事前に説明はしたつもりなのですが、物着の手順などプリントを送ったらはじめて大役を実感したらしいです。

そこでこの日急遽 ぬえだけが先に出発して仙台で緑さんの稽古をつけることになり、昼頃に東京を発って夕方には仙台に到着しました。

緑さんのお仕事が終わってから、ご友人の方のおうちに宿泊する予定で、そこにて即席の稽古。ご友人はとても喜ばれて、そのうえこの方はお料理教室の先生。稽古が終わってからご馳走を頂き、あまつさえ(ぬえ、初対面なのに)宿泊までさせて頂きました~~。もう今回は急遽の仙台入りだったので車中泊を考えていたのに、初日からラッキーですぅ

画像はこのとき頂いたタケノコ。矢竹かしらん。美味。このほかにもホウレンソウに似てるけど味はニラ(!)という驚くべき野菜など、知らない食材をたくさん知りました。恐るべし東北の食文化。

決算報告書(2014.04.27~28)

2014-05-29 00:20:09 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第21次被災地支援活動
(2014年04月27日~28日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金       55,601円
     募金収入             10,000円
     活動時募金収入          57,929円         収入計  123,530円

 【支出の部】
  〈活動費〉 41,429円
    ◎交通費        39,599円
     (高速道路通行料         13,520円)
     (ガソリン代            7,946円)
     (ガソリン代            9,063円)
     (ガソリン代            9,070円)
    ◎印刷費        1,830円
     (チラシ印刷費           1,830円)        支出計    41,429円

 【収支差引残額】                          残額    82,101円

※注※
・今回の活動までに直接頂戴した募金1件(ハシモトさま)、現地活動中に頂いた募金5件(Paoさま、横山不動尊さま、タチバナさま、ムラカミさま、北野神社参詣のみなさま)がある。大変ありがたい事で各位に御礼申しあげる。
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、休日・深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・4月1日より消費税が8%に増税となり、また高速道路利用料金も夜間割引の割引率が大幅に縮小となった。さらに休日割引もこの6月から縮小となる。一方震災から3年目を迎えてプロジェクトへの募金もほとんど皆無の状態で、活動の継続には大変な困難な状況である。このままでは活動資金面の問題から活動休止に追い込まれる恐れもあり、他のボランティア団体の活動も参考にして、被災地でも有料の上演を行うこととした。ただし当面のところ有料上演はイベントやワークショップに限り、会場の条件により募金を募る場合もある。さらに被災地以外の場所でも活動報告会を開いたり、引き続き企業スポンサーなどを探す努力を重ねるつもりである。銀行口座への募金も引き続き呼び掛けさせて頂く。息長い支援活動のために、今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。

 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上
  平成26年5月28日


                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com
↓領収証は次頁以下に添付




活動報告書(2014.04.27~28)

2014-05-28 23:49:11 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒やしプロジェクト
第21次被災地支援活動
(2014年04月27日~28日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」では、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに20度に渡り岩手県釜石市、陸前高田市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、および福島県双葉町の住民が避難していた旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびプロジェクトメンバーのうち能楽チームの八田、寺井は、去る04月27日~28日の2日間に渡り宮城県・登米市および気仙沼市にて寺社での奉納上演を行いました(※注2)。

今回の活動は東北の桜の季節の訪問ということで、大変楽しみにしておりました。被災地での上演曲ではやはり『羽衣』が群を抜いて頻度が多いのですが、『羽衣』の季節は春で、まさに桜の季節に似合う能なのです。折しも登米市の横山不動尊さまでは春祭りが開かれるということで、そこでは昼には住民さんの演芸大会も行われますが、宵から夜にかけては音楽家による奉納演奏も行われるとのこと。寺院の祭典としては賑やかやで、プロジェクトも奉納させて頂くことになりました。

横山不動尊さまは大徳寺というのが正式な寺号ではありますがご本尊・不動明王坐像が「お不動さま」として古来当地で崇敬を集め、また親しまれております。明王像は国の重要文化財として指定されていますが、震災の地震に遭って損傷し、京都にて修復されていました。昨年その修復が完了し、同じように被災して修復された仏像・神像とともに東北歴史博物館で「神さま仏さまの復興」と題された特別展覧会で一堂に公開されました。この展覧会も終了して像は3年ぶりに大徳寺に戻り、今回はそれから初めての春祭りということで盛大なお祝いとして開催されました。横山不動尊のおとなりには仮設住宅も建っていて、住民さんも楽しまれたことと思います。

また気仙沼の北野神社も桜の名所として著名だそうで、ここでの奉納は気仙沼市民でありプロジェクトの良き理解者・協力者でもある村上緑さんが交渉してくださり、実現に至りました。震災後はボランティアの拠点としても使われた神社の境内に昨年新築なったばかりの神楽殿は、鏡板のような老松を描いた緞帳が設えられていて、大変立派なものでした。前月の活動で直接宮司さまとお会いして打合せも整っており、当日は開演前に小雨が降ったにもかかわらずチラシによる宣伝もあって70名ほどのお客さまにご参集頂きました。終演後神楽殿の上で簡単なワークショップを行い、またお客さまからは活動資金のための募金を頂戴致しました。関係各位に厚く御礼申しあげます。

なお北野神社での奉納上演は「気仙沼ケーブルネットワーク」さまにより取材が行われ、上演の模様は市内ケーブルテレビにて放映されたことを併せてご報告申しあげます。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(能楽の心と癒やしプロジェクト)
【協力者】(敬称略)
 村上緑/横山不動尊(大徳寺)/北野神社/気仙沼ケーブルネットワーク/門田慶之
【主催】
 能楽の心と癒やしプロジェクト/横山不動尊

【活動記録】(敬称略)
 4月27日(日)
八田・寺井早朝東京出発、往路福島県三春町の「滝桜」を見に立ち寄るも、前日の大風によってすべて散ってしまったあと。残念ながら宮城県を目指すも、時間が早いため石巻に立ち寄り関係者に挨拶を済ます。東京在住の建築家ながら石巻で活動を続ける天野美紀さんが経営する、地元の食材を活かす料理を提供するレストラン「日和キッチン」を初めて訪れることができた。

その後登米市に向かう途次でもあったので石巻市の大川小学校、またこちらは2年ぶりになる長面地区を視察。また翌月にワークショップを開催させて頂く柳津虚空蔵尊にお伺いして打合せを済ませ、ようやく登米市に到着。

◎横山不動尊 春祭り 奉納出演
18:00 ~ 能「羽衣」 出演(八田・寺井)
修復が済んだ不動明王坐像の帰還をお祝いする意味も込めた恒例の春祭り。不動堂のとなりに設けられた特設ステージでの上演。事前にご祈祷を受けて奉納上演をしました。露店も出て大変な賑わいで、能の上演の後高橋日出子さんとその友人のコンサート、仙台を中心に活動する母娘のユニット「Sonido del Viento」のコンサートも行われました。ステージの上方には桜の枝が伸び、四方には竹が立てられて竹灯籠が灯され、宵闇の中、桜の下での『羽衣』の上演が叶いました。

終演後大徳寺さまのお計らいで夕食を頂戴し、追分温泉の宿泊も手配頂きました。また大徳寺さまからは活動資金の提供を頂きました。何から何までご厚意を頂き大変感謝しております。

 4月28日(月)

笛のTさんの東京の生徒さんも伴って気仙沼へ。被災地を訪れるのは初めて、とのことだったので、途中で志津川の防災対策庁舎を訪れる。いわゆる震災遺構が気仙沼にはすでになくなっているので、このように初めて被災地を訪れる人に被害の実態を感じてもらう場所を紹介するのに苦労するのですが、やはり人命の被害があった場所を残すのには決着のつかない複雑な問題もあります。石巻の大川小学校の校舎は遺族から保存の声があがり、女川町でも中学生が声を上げたと聞いていますが。。

気仙沼で村上緑さんをピックアップ、まずは夏の活動のために気仙沼市内の中央公民館を訪れ、利用団体登録について相談。プロジェクトの資料をお渡ししたところ、館長さまのお計らいで団体登録のご許可を頂くことができました。

その後急いで北野神社へ。社務所にてご挨拶を済ませてすぐに神楽殿にて上演準備。だいたい用意ができたところで正式参拝を受けました。その後小雨が降ってきて心配するが、お客さまは70名ほど集まってくださいました。

◎北野神社奉納出演
13:30~ 能「羽衣」 出演(八田・寺井)
菅原秀紘宮司さまのご挨拶のあと笛のTさんの解説に続き能の上演。終了後、せっかくの機会なので神楽殿にて簡単な能楽ワークショップを行う。気仙沼ケーブルネットワークの取材あり。お客さまより活動資金の募金を頂戴しました。また終演後社務所にて菅原宮司さまのご厚意により昼食をご馳走になりました。まことにありがたく、感謝申しあげます。

これにて今回の活動は終了、Tさんの生徒さんが東京に帰ってから自宅に帰る交通機関の心配もあるので、急いで気仙沼を後にして帰京致しました。深夜にならずに東京・新橋に到着、ここにて解散となりました。


【収入・支出】

震災から3年が経ち、ほとんど募金が集まらなくなり、プロジェクトの活動資金は大変厳しい状況にあります。また一方この4月から消費税が増税となり、また高速道路利用料も休日・夜間割引の大幅な縮小が行われました。益々活動の継続は困難な状況にあり、プロジェクトではイベントに類する上演の場合やワークショップは有料で行う方針を立てています。

今回は過渡期で、2カ所の寺社での上演は奉納であるので無料ではありますが、北野神社では終演後に急遽ワークショップを行ったため募金を呼び掛け、お客さまは快く応じて頂けました。

プロジェクトの活動資金としては、前回活動の繰越金が 55,601円という大変厳しい状況での活動でしたが、八田の生徒さんからの募金1件10,000円が事前に届けられました。また活動中は大徳寺さまからもご厚志を頂き、また往路に立ち寄った石巻でも仮設商店街のお店から募金を頂戴致しました。これによって今回の活動の中で頂いた募金の総額は57,929円となり、繰越金を含めた活動資金の総額は123,530円となります。

一方支出は、増税によるガソリン価格の高騰も現在までのところ影響は見られず、また東北までの往路は日曜であったため高速道路利用料は休日割引の対象となりました。さらに宿泊は横山不動尊さまのご厚意によってご用意頂きました。これによって支出はかなり切りつめられ、ガソリン代、高速道路利用料、チラシ印刷費の総額で41,429円に抑えることができました。

プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。

【成果と感想・今後の展望】
今回は寺社での2回の奉納上演のみの活動となりましたが、いずれも隣りに仮設住宅があったり、震災時にはボランティアを受け入れて復興の拠点となった場所です。プロジェクトとしてはここに敬意を払いつつ、桜が咲く時期に被災地にて『羽衣』を上演できたのが何よりもっての喜びです。活動資金の枯渇は活動の継続の可否を左右する大変大きな問題ではありますが、今回はお客さまや寺社のご厚意によって募金を頂戴することができ、活動の展望も開けてきたように思います。また今回も気仙沼市民の村上緑さんの活躍はめざましく、北野神社との交渉、宣伝チラシの配布などに尽力頂きました。改めまして御礼申しあげます。

震災3年目を迎え、仮設住宅や仮設商店街もいずれは解消されて、いずれは次の段階へと進んでいくことになりますが、我々の活動もその時々の状況に応じて形を変えていく事になります。息長い支援のために皆さまの変わらぬご支援をお願い申し上げる次第です。

平成26年5月28日
                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com

第21次支援活動<登米市・気仙沼市>(その5)~気仙沼・北野神社奉納

2014-05-26 03:12:15 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【4月28日(月)】

朝、追分温泉で朝食まで頂いて、さて気仙沼に向けて出発。ここで笛のTさんの生徒さん。。東北ではなく東京の教室の生徒さんらしいですが、若い女の子が同乗することに。どうやら横山不動尊さまでの我々の能の上演を見るために わざわざお出でになったらしい。横山から気仙沼まで、また活動終了後は東京まで行動を一緒にすることになりました。当然気仙沼での活動はいろいろと手となり足となり手伝ってはもらいましたが、さすが若手。キビキビと動いて、なかなかの有能ぶりを見せてくれ、ずいぶん助かりました。



聞けば彼女は被災地に来るのは初めてだそうで、それならばというわけで横山から気仙沼に向かう途中に志津川の防災対策庁舎に立ち寄りました。いわゆる震災遺構を見せてあげようと思ったのですが、気仙沼には共徳丸が撤去されて以来、すでに遺構として見るべき場所は残されていません。難しい問題ですが、こうして震災から3年を経て、はじめて被災地にやって来る人はまだいるのです。こうした人に震災の恐ろしさを感じてもらい、東北から帰ってから周囲にそれを伝えてもらうためには、この日遺構に立ち寄ることは是非とも必要なことでした。

人命の被害が出た建物を遺構として保存するのは遺族には大変な心労を強いることになり、実際に地元の住民さんの意見によって「震災遺構」は次々と姿を消しているわけですが。。そうして ぬえの気持ちも、保存には反対であったのですが。共徳丸がなくなり、これから先は言葉だけで震災を伝えることになった時、ぬえは初めて気持ちを翻すことになりました。百聞は一見に如かず。やはり津波の破壊力を、そしてこの地で人々がどんな恐ろしい体験をしたのかを肌で感じるのに、遺構はあまりに雄弁です。よそ者だから言えることなのかも知れませんが、これらの遺構を残してほしい、と ぬえもいまは思っています。今から思えば石巻の木の屋さんの「鯨缶」。。あれは人命の被害もなかった遺構だから、なんとか残してほしかった。

やがて気仙沼に到着、昼食のコンビニ弁当を買って、奉納上演会場である北野神社に行きました。宮司さまにご挨拶してからすぐに神楽殿に楽屋入りをし、さて支度の目途もついたところでお祓いを受けました。書き忘れましたが前日の横山不動尊でも上演前にお願いしてご祈祷を受けさせて頂いております。

新築なったばかりの木の香りのする神楽殿は広々としてとても気持ちが良い舞台でした。しかも舞台の後方には鏡板のような老松の図の横断幕も用意してあって、これを垂らすことによって神楽殿は能舞台のような趣になります! ただ、ここはお客さまが見ている場所から見るととても高く、見上げるような形になってしまいます。それでここでも上演中に舞台を下りてみることにしました。う~ん、ただ、こちらの舞台の下には ほんの1m弱の奥行きの土台部分があるだけで。。面を掛けている ぬえが恐怖心を起こさずにここを下れるかしら。。?

結局 宮司さまが木製の低い簀の子を用意してくださり、これを所作台のように舞台下の土台に置くことによって、まずは舞台下の凹凸をなくし、かつ舞台から下りる段差をすこし軽減することができました。

やがて奉納の時刻となり、さきほどまで少々降っていた小雨もほとんどあがり、絶好のコンディションです。お客さまも。。あれ、この画像を見る限り70名ほどもいらっしゃったのではないかしら!





あ、一番手前に「ともしびプロジェクト」の杉浦さん一家が (^◇^;)



予定通り舞台からちょっとだけ下りることもできて、まずは良い上演だったと思います。この日も上演曲は『羽衣』。「南無帰命月天子」とシテが合掌するところは右横の方向に当たる本堂に向けて型をしました。





終了後、突然の思いつきで能楽ワークショップを行いました。なんせ広々とした神楽殿で、参詣のお客さまが舞台に上っても装束を広げたりするのに十分なスペースがあると思ったからで、能装束に触れられるこの機会はなかなか好評だったようです。お客さまからは活動資金として募金も頂戴し、大変ありがたいことでした。






それどころか、終演後に片づけをしていると宮司さまが頻りに「片づいたら社務所の方へ。。」と促されます。社務所に伺うと、なんとお食事を用意してくださっていて。。大変ありがたいことでした。。ぬえは例によって遠慮はまったくない人なのでバクバク頂戴してしまいました~ すんませ~ん。

これにて今回の活動は終了。まだ日も高いのでどこかに寄りたいなー、と 鹿折マルシェでおみやげなど買い込みましたが、あまり遅くなって深夜に東京に到着すのだとTさんの生徒さんが自宅に帰れない、ということもあって早々に一関に向かい、一路東北道を南下して東京に帰りました。時刻はかなり遅くなったのですが、新橋に到着できれば終電に間に合う、ということで、そこで解散。みなさんお疲れさまでしたー。

(この項 了。今回の上演の画像は吉田晶子さまがfacebookにアップしたものを拝借致しました)

第21次支援活動<登米市・気仙沼市>(その3)~横山不動尊春祭り

2014-05-25 23:50:08 | 能楽の心と癒しプロジェクト
柳津で打合せのあと、横山不動尊さまに向かいましたが、指示された通り、まずは宿となる「追分温泉」にチェックイン。こちらは横山不動尊さまによってこの日に予定されている春のお祭りのイベントの出演者にわざわざ宿をご用意頂いたもので、ありがたくご厚意に甘えさせて頂きました。





それからようやく今日の上演会場の横山不動尊さまへ。到着すると門前から交通整理が行われている大変な賑わいでした。ご本尊である重文の巨大な不動明王像は震災により損傷を受け、京都に運ばれて修復を受けていました。昨年修復が完了すると多賀城市の東北歴史博物館で開かれた『神さま仏さまの復興』という特別展でほかの修復仏とともに展示され、これは ぬえも拝見に伺いました。この度の春祭りは不動像がいよいよお寺に戻ってから初のお祭りで、盛大にお祝いすることになって、そこでプロジェクトも能の上演でお邪魔させて頂くことになりました。





それにしても境内も露店が立ち並び、巨大な不動明王像を納める不動堂も、東北6県のの36におよぶ不動尊の出開帳が行われていて大変な賑わい。どこを楽屋にしようかな。。と思いましたが、良い天気で気候も良い時期でもあり、不動堂の後ろの地面にむしろを敷いて頂いて、ここを楽屋とすることにしました。

それでもひっきりなしに参詣のお客さまが不動堂の後ろにまで来られる。。あとで知ったことですが、不動像には胎内仏が納められていて、その霊験があまりに強力なため、胎内仏は後ろ向きに納められているのだそうです。それで参詣客が不動堂の後ろ側にまでいらっしゃったのですね。この日は不動明王の御前で舞うので、縫箔は少し強い文様のものに換えました。



やがて上演時刻が近づいてきました。この日は昼間から住民さんの演芸大会なども、これは別のステージで行われていたのですが、ぬえたちの出演は奉納を主眼とした宵まつりで、不動堂のすぐ隣りに仮設ステージが設けられました。段々と宵も迫ってきて仮設舞台には篝火も焚かれました。舞台の後方には山が迫り、舞台の四隅には竹が立てられ、シテはこれをかき分けるようにして登場することになります。舞台の前方には竹灯籠が淡く光を放ち、おとなりには青銅製の五重塔。そうして頭上には桜の枝。。

この日の上演は『羽衣』。もう東北でも何度も上演していて。。一番上演頻度の高い曲ですが、この日は桜の木の下での舞です。満開からは少々過ぎていましたが、まだまだここの桜は見事に咲き誇っています。能楽師ならば誰でもそうだと思いますが、『羽衣』を桜の木の下で舞うのは能楽師の念願ですね。ぬえにとってもこれは始めての経験でした。

こうして美しい宵の催しが始まりました。この日会場に到着して見てみると仮設ステージは低いもので、おまけに客席はそこから少し離れて作られていましたので、これは途中で舞台を下りて客席に近いところで舞うというアイデアはすぐに浮かびました。舞台の前には杉の枝が目隠しに敷かれていましたので、そこをうまく越えて行けるかが少々心配ではありましたが、開演前に何度か試してみて、まあ大丈夫であろう、という確信は得ました。日が陰ってくるとまた感じが変わるので気を抜くわけにはいかないですが。。









上演ではなんとか舞台から下りることができ、まずひと安心。もっとも舞台下で舞い終えて舞台に戻るときに、ぬえはうまく方向を見定めて舞台に戻ったつもりだったのですが、実際には舞台の正面より少し右に外れて舞台に上がったようで、そのために長絹の露が竹灯籠の上に触れて、お客さまは燃え上がるのでは、とヒヤヒヤしたそうですが。。ま、一瞬のことだから、さすがに燃えるということはありません。

ぬえたちの能の上演のあと、登米市出身の高橋日出子さんと友人たちによるコンサートがあり、またそのあと仙台を中心に活躍する母娘の音楽ユニット「Sonido del Viento」のコンサートもありました。日出子さんのコンサートでは声楽のほかバイオリンとハープも登場、とは聞いていましたが、まさかグランドハープが持ち出されるとは思いもよらなかった。





終演後、お寺がご用意くださったお食事を頂戴して、宿舎である「追分温泉」に。結構な山道を通って行くのですが、途中でタヌキが歩いているのを発見! 。。と思ったら、夜更けになって温泉につかってからテラスに出て涼んでいると。。今度は ぬえの2m先にタヌキさんが登場しました。ありゃ、この山にはたくさんいるのね。

翌朝、二日酔いにもならずに(笑)起床して次の目的地、気仙沼の北野神社に向かいました。

第21次支援活動<登米市・気仙沼市>(その2)~「日和キッチン」と大川小学校と長面と

2014-05-16 14:27:32 | 能楽の心と癒しプロジェクト
三春の滝桜が散っていて残念~な気持ちで再び走り出しました。この日は登米市の横山不動尊さんで出演の予定だったのですが、開演は夕方なので、とりあえず石巻に向かい、関係者にご挨拶だけ申しあげることにしました。

石巻。。前回こちらで上演したのは仮設商店街の「立町復興ふれあい商店街」さんの3周年記念のイベントでしたから、昨年の12月ですね。ずいぶん不義理を重ねてしまいましたが、観光協会や秋田屋庭園、そして立町商店街のみなさんのお元気な姿を拝見できてうれしかったです。朝食は初「日和キッチン」でした。





オーナーの天野美紀さん(写真:左の方)は東京在住の建築家で、震災直後から石巻でいろいろな活動を続けておられ、昨年の春にここ「日和キッチン」をオープンされました。こちらもご多分に漏れず被災建物で、それを東京の仲間と一緒にみごと改装し、石巻の食材を活かした料理を気軽に食べられるお店として生まれ変わらせたのです。天野さんは東京での仕事もあるので毎週末、夜行バスを利用して東京から石巻に通っておられるのですって! ここにも震災後の活動から東北大好きになっちゃった方が。

さてまだ時間も早いので、登米市に向かうのと まあ方角が近いので、大川小学校と長面地区の現状を見に行きました。

大川小学校はきれいな祭壇が整えられ、校庭跡には慰霊碑も建てられていますが、周囲になにもなくなった中に、立ち入りを制限するロープが張り巡らされた校舎がポツンと建っているだけ。それでも校舎に手を合わせる人の姿が絶えたのを見たことがない場所です。







現在、石巻市により検証委員会が立ち上げられてここで起きた大惨事の原因究明が進められていますが、様々なトラブルも起こって、真相究明には至っていないのが実情のよう。。ぬえの関心は、それ以外にもあって、先日ここで追悼のためのアコーディオンのコンサートが開かれたというニュースがありました。プロジェクトでは仮設住宅や仮設商店街では上演をしますが、いわゆる震災遺構では ほとんど上演をしたことがありません。やっぱり人的な被害が出た場所では、鎮魂や慰霊の意味がある能楽であっても、どうしてもイベントとして見られてしまうかな。。と ぬえ自身が躊躇していた、ということもあるのですが。。

が、これまで当地で出会った音楽家とか舞踏家の方の中には、意外に震災遺構の前で上演しておられる方がありますね。そういう画像が名刺に刷り込んであったり。。ちょっと違和感も覚える ぬえではありますが、またそれらの上演は必ずしも関係機関に許可を得ての上演ばかりでもないようですが。。 それでも大川小学校の前での能の奉納はしてみたいと考えています。今後関係者の方とお話しさせて頂こうかしら。。

ところがこの日、大川小学校の前でとんでもない事が。。

それは破壊された校舎を見ながら談笑する おばさんたち。ご遺族が聞いたらたちまち怒声が起こるような、ちょっとここでは書けないような冗談を大声で、笑いながら。。

。。風化、という言葉が頭をよぎりました。この人たちは慰霊の気持ちを持って訪れたのではなく、観光客だったのです。個人の人間性の問題かもしれないけれど、風化は悼みの気持ちにも起きるかもしれないです。今後ここがどうなっていってしまうのか。。最後に言っておきますが おばさん、神様は見てます。

大川小学校から海の方へ行って、長面地区にやって来ました。2年前ここに来たとき。。 知らぬ間にぬえの身に危険が迫ったらしく、東京に帰ってから ちょっとした騒動になりましたが。。その時の記事はブログからも削除してしまいましたし、みだりに人に話してもならない、と ある人から言われています。

それから月日は流れ、その人にも相談して、ようやく再びここを訪れることにしました。地区の大部分が地盤沈下で水没していた2年前と比べて、瓦礫の撤去も終わり、大規模にかさ上げ・埋め立てが行われていましたが、やはりあちこちに水たまり。。というか海が入り込んでいる、という様子は変わりない感じです。





驚いたのはこの車の残骸。未だにこういうものが残されていました。この地区は住民さんも激減しただろうし、街の再生には難しい問題もあるでしょう。復興までの道のりの遠さを感じる光景でした。



しかし内海のような長面浦の対岸、尾崎地区の方へ行ってみると、古いながら手の込んだ装飾のある神社があって、こちらでは住民さんとしばしお話させて頂きました。法印神楽のことを伺うと、たまたまこの日、北上川の対岸の吉浜地区でお祭りがあり、法印神楽も奉納されるだろう、とのこと。残念ながらそれを見るには時間がなく、長面を後にしました。

最後に柳津の虚空蔵尊さまに立ち寄って、5月に行う予定のワークショップの打合せ。

柳津虚空蔵尊は横山不動尊と同じく神仏混淆の痕跡をとどめて鳥居を持つお寺です。それにしても柳津虚空蔵尊さんの鳥居の壮大なこと! 奥様の杉田史さんと親しくお話しさせて頂きましたが、お寺カフェがあったりお寺としても面白い試みに様々取り組んでおられて、復興支援活動もかなり精力的に行っておられる方でした。

この日は5月のワークショップの打合せでしたが、秋には境内の野外で能を上演してみようか、などと夢がふくらむ良い機会だったと思います。

。。といってもここ、柳津虚空蔵尊さまでのワークショップも、もう3日後に迫りました! お寺の境内の様子などはそのご報告のときに詳しくご紹介したいと思っております。

お寺カフェ「夢想庵」で頂いた おそばとケーキ、激美味でした!!

第21次支援活動<登米市・気仙沼市>(その1)~滝桜は散っていました。。

2014-05-13 22:51:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト
もう今週には第22次活動が予定されている昨今。。去る4月末に登米市および気仙沼市にて第21次となる活動をして参りました。

今回は桜の頃の活動で、それがなんと言っても楽しみでした。かつてプロジェクトでは2012年のゴールデンウィークに気仙沼大島で活動したことがありまして、東京ではとっくに散っていた桜が満開なのを見て驚いたものですが。。今回はたまたま登米市でお世話になっている横山不動尊さんの春のお祭りに出演させて頂けることになり、満を持して、桜の下での舞という趣向となりました。

。。が、そこは自然のこと。活動の日が迫ってくるにつれて、福島ではもう桜が満開だ、気仙沼でも咲きだした、と例年より微妙に早い開花の便りが東京にもたらされてきて、このままでは活動の頃にはもう桜の時期は終わってしまうんじゃ。。? と心配される事態になってきました。

それでも東京を出発する前日には「まだ咲いている」との報告も寄せられて、なんとかギリギリのタイミングで東北地方に向かうことになりました。

【4月27日(日)】

例によって未明に東京を出発。この4月から消費税が増税となり、ガソリン代の値上げが心配されますが、それはまだ顕著に影響は表れていないようですが。。問題は時期を同じくして行われた高速道路の割引制度の廃止や縮小で、東北支援活動にとっては またまた大きな障害となる心配が起きました。今回はたまたま往復とも休日割引の対象日で、6月いっぱいまでは50%の割引が適用されますが、これとて7月以降は30%割引に縮小される予定。我々プロジェクトに限らず東北の被災地支援がますます難しくなって来るのは必至です。なんとかならないのでしょうか。。

そういう心配事がある一方、この日の ぬえは活動の最初から観光気分も。せっかくの桜の季節の活動なのだから、と往路に有名な福島県・三春町の滝桜に立ち寄ることにしました。もう活動の何日も前から楽しみにしていて、三春町のホームページに上げられた開花状況の報告を見たり、ライブカメラの映像でチェックしたり。。なんて便利な世の中になったもんでしょう。

で、この日の滝桜は散り際。。やはり桜を見るにはギリギリ、という感じでした。桜の季節には滝桜の周辺は大渋滞、見るなら夜明けがお勧め、という情報も得ていたので午前5時過ぎに滝桜に到着しました。高速道路を下りて滝桜に向かう道すがら、あちらこちらにある桜はどれも花盛り。いやが上にも期待は高まりました。

が。

ああ、なんということか、滝桜は完全に花が散って灰色の無惨な光景でした。。



この時間にすでに観光協会の職員さんも滝桜の詰め所に出勤していたのでお話を聞いてみると。。
この前日まで、なんとか滝桜は花を残していたのだそうです。そして、むしろ滝桜の後方の丘の上にあるソメイヨシノがちょうど花の盛りとなって、広い公園になっている滝桜の周辺全体がちょうど見頃なのだったそうで。

ところがその午後に強い風が吹いて、一気に花が散ってしまったのだそう。滝桜も、ソメイヨシノも。
観光協会の職員さんは「そのときは、まるで真っ白いレースのカーテンを空中に引いたようで、それはそれはキレイだったんですよ!」と。そうですか。。

ついでながらその夕方近く、すでに花が散ったあとにNHKの取材が来たのだそうです。花が散っていたのに取材班も困ったようですが、そこはプロの技術で、右下の方に少しだけ残っていた滝桜の花を上手に写して「うん、これなら満開に見えるかもしれませんね」なんて言って帰ったのだそうで。花が残っている? ははあ、このへんか。。



そしてテレビでその映像が放映されたのですが、それを見てやって来た観光客は散った滝桜を見てガッカリ。「観光協会では観光客に問いつめられて平謝りだったんですよ」と職員さんは笑いながら教えてくれました。そうですか。。

そんなわけで、最初からつまづいた形の今回の活動。登米市と気仙沼の桜はどうだろう。。不安は胸をよぎりつつ、残念な寄り道に落胆しつつ、先を急ぐことにしました。。

決算報告書(2014.03.10~11)

2014-05-09 07:12:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第20次被災地支援活動
(2014年03月10日11日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金(ボラ扱い) 106,498円
     前回活動繰越金(ギエ扱い) 32,500円
     銀行口座利息             13円        収入計  139,011円
                           内訳:ボラ 106,511円 ギエ 32,500円

 【支出の部】
  〈活動費〉 50,910円
    ◎交通費        32,360円
     (高速道路通行料         14,250円)
     (ガソリン代            8,710円)
     (ガソリン代            9,400円)
    ◎宿泊費    16,000円
     (2人×2泊           16,000円)
  〈雑 費〉         2,550円
     (PA機器送料           2,550円)

  〈寄 付〉(ギエ)
     ネットワークオレンジさんへ    32,500円        支出計   83,410円

 【収支差引残額】                         残額    55,601円 (ボラのみ)

※注※
・「ボラ」とはプロジェクトの活動費用に充てる事ができる資金。「ギエ」は募金者希望により被災地への直接的支援のために使途を限定する資金。ただし「ギエ」についてはすでに一定の役目を終えた段階と考え、現在はプロジェクトからとくに「ギエ」の呼びかけはせず、チャリティ公演等の際は使途を「ボラ」と明言して募金をつのっている。なお「ギエ」については今回の活動中に被災地で継続的に活動を続ける信頼すべき支援団体としてNPO法人「ネットワークオレンジ」に寄付し、これを以てお預かりしていた「ギエ」を全額精算するに至った。
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・これまで資金面で支援を受けていたボランティア団体JIN'S PROJECTからの協力が得られなくなり、また震災から3年目を迎えてプロジェクトへの募金もほとんどなくなっている。息長い支援活動のために、有料のイベントを行うなど活動方針の転換もやむを得ない状況である。今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。

 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上
  平成26年5月7日
                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com
↓領収証は次頁以下に添付