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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第24次支援活動<七ヶ浜町・多賀城市・気仙沼市>(その3)

2014-12-27 02:52:08 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さてクリスマスも終わり、急いでご報告をせねば。。まだ10月の活動報告の途中です。。

七ヶ浜町の七ヶ浜中学校第2グラウンド仮設での活動を終えて、次は多賀城市の多賀城公園野球場仮設住宅へと移動しました。七ヶ浜町と多賀城市の仮設での活動をコーディネートしてくださった梅津周子さんが昼食の弁当の手配もしてくださったので、それを受け取って多賀城の仮設へ。

野球場を利用して仮設を建てるのは女川町や東松島市でも見ましたが、やっぱり大きなスコアボードが残されている前に住宅が建ち並ぶのは不思議な感じ。

ここでは七ヶ浜町からの移動を急いだこともあって、比較的上演までに余裕が生まれました。能面の展示など、時間に追われた七ヶ浜町の仮設よりも住民さんをお迎えする準備はよくできたと思います。





ところが、ボランティアさんと話しているうちに、どうも違和感も感じてきました。

前日に下見に来た際に、これは七ヶ浜で、だったと思いますが、住民さんと地域ボランティアさんと懇談して「公営災害住宅の建設が始まっている」「この仮設も春には解消」「あなた、良いときに来ましたね」。。なんて言われて、ああ そこまで復興が進んでいるのか。。これは石巻や気仙沼よりもはるかに速いスピードで進行しているのだな~、仙台に近い町だからだろうか? と思ったものですが、この日ここでボランティアさんと話をしてみると、どうも様子が違うようです。

。。いわく「災害住宅の建設は遅れている」「仮設でのはまだまだ続くだろう」「ことに七ヶ浜町は遅れが顕著かもしれない。。」 。。え? 前日に伺った内容と すいぶん違うようですが。。

ぬえがお会いした住民さんが、たまたま災害住宅の抽選に当たっていて、ご自分の将来に向けての明るい見通しを語られたのを、ぬえが勝手に勘違いしたのか。。? ともあれ厳しい状況には変わりはないのが現実らしい。。

仮設住宅や仮設商店街などプレハブ建築の建物は もともと耐久性の問題から法令によって使用期限が定められていまして、東日本大震災の被災者のために建てられた仮設住宅も 当初これに従って設置期間は2年という予定で設置されました。ところが法令では、必要があれば県知事等自治体の長の申請によって使用期限は任意に延長される、とされていまして。。

今回の震災では、当初予定よりも公営災害住宅の建設が遅れて、それが理由で仮設住宅の使用期限が延長されてきました。宮城県の場合、当初2年間の設置の予定が3年になり。そうして今年 知事の申請により、なんと5年間への延長が決まりました。

5年間。。あの仮設住宅で暮らすとは。。

もともと仮設住宅というものは住みにくく造ってあるそうです。防音性能は悪く隣家の音はそのまま聞こえてくる。保温性も悪く 寒い季節にはすきま風が吹き込んだり、結露もひどいとか。。

「仮設」の住宅なのだからある程度の不便は仕方ないことでしょうが、災害によって自治体が設置する仮設住宅には「こんなところにいつまでも住み続けていたくない」と住民さんの復興への意欲をかき立てる効果も期待されているのだとか。それでも被災された住民さんの中には自力で自宅を再建できない高齢者もあるわけで、そのために自治体は終生住み続けることができる代替の自宅として 災害住宅を、仮設住宅の使用期限が来る前に設置するのです。

ところが。。今回の震災では公営災害住宅の建設が思うように進んでいません。

原因にはいろいろありますが、ひとつには被害を受けた地域があまりに広く、また被災者も多いために。さらにはリアス式海岸という地形により、災害住宅を建設する平地が少ないこと。。

ところが今回の災害住宅の建設が遅れている原因にはさらに、次の災害に備えるために建設される防潮堤、さらには東京オリンピックの競技施設の建設が進められている、という背景もあるのだとか。。要するに賃金の高い現場に作業員は流れ、その結果 自治体の予算で災害住宅を建設する事業には魅力がなく、結果 建設の発注をしても入札は不調に終わったりするのですって。。

ぬえは生まれも育ちも東京都民ですが、やっとつかんだ東京オリンピックも、それが被災地に悪影響を与えている可能性があることを考えるとなんだかなあ。。 さらには次なる震災による津波を防御するために莫大な建設を投じて建設が進められている防潮堤が、必ずしも被災地域の住民さんの賛同を得ていないこと。。

これらよって公営災害住宅の建設が遅れているために、実際に被害を受けた住民さんが安住の地を見付けらすに仮設住宅での生活を続けることを強いられているのです。。あんなところに5年も押し込められたら。。死んじゃう!

前日 ぬえが住民さんから聞いた明るいニュースは、どうも その方が仮設住宅を卒業して新たな人生を目指して歩き始める、という意思表示を、ぬえが勝手に被災地全体の復興計画が加速的に早まっているのだと勘違いしたのかも。。

そうあって欲しいという気持ちは変わらないですけど。

第24次支援活動<七ヶ浜町・多賀城市・気仙沼市>(その2)

2014-12-04 07:12:17 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【10月31日(金)】

早朝より起床して、気仙沼の緑さんと、なんと関西から高速バスを乗り継いでこの朝に仙台に到着した寺井さんをピックアップして、今回の最初の公演地。宮城県七ヶ浜町の七ヶ浜中学校第2グラウンド応急仮設住宅にお邪魔しました。



じつはこの前日に道順を確かめるためにここにもお邪魔して、たまたま集会所の前に集まっておられた住民さんたちとも盛り上がってお話しした経緯もあるのですが、まあ、多いとも言えないけれどもこの日は20名ほどの住民さんが集まってくださいました。

それよりも、ここでは時間に追われて大変でした。楽屋入りが可能な時間が朝9時からで、上演は午前10時に開始。1時間で装束を着付け、会場の準備をしつらえるのは並大抵のことではありませんで。。そのために前夜からホテルで装束に仕掛けを施したり、準備は万全に整えていまして。。 また一方、この仮設住宅での活動を後援してくださった「NPO法人アクアゆめクラブ 七ヶ浜町応急仮設住宅総合サポートセンター」の方々も、微妙にスケジュールの進行がスムーズに進むよう便宜を計らってくださって、展示品を並べることはできなかったけれど、無事上演にこぎつけることができました。

恒例の『羽衣』。



ここまではマジメにやっていたのですが、終了後の装束着付け体験のコーナーではホントに盛り上がりました! まずは面を、この日はじめて住民さんたちにも触って頂くことにしました。ぬえ、このへんは保守的というのか、はじめての試みです。扱い方をちゃんと教えて。。。。。ありゃ。







ついでいつものように唐織を住民さんに着付けてみたところ、とても喜んで頂いて。次の公演地に移動する時間がないというのに、別の住民さんに長絹も着付けてみました。







笑いが絶えない活動となりましたね~。ぬえも安心しました。

第24次支援活動<七ヶ浜町・多賀城市・気仙沼市>(その1)

2014-11-28 14:35:05 | 能楽の心と癒しプロジェクト
去る10月30日~11月2日にかけて、「能楽の心と癒やしプロジェクト」は24回目になる東日本大震災被災地支援活動を行ってきました。

今回は活動をはじめて早くも3年半になろうとしている中、はじめて宮城県・七ヶ浜町と多賀城市という2か所の地域を訪れることができました。そして気仙沼では仮設商店街「鹿折復幸マルシェ」が土地のかさ上げのため移転することになり、新しく「鹿折復幸マート」として開業しました。オープンには間に合わなかったものの、それに近い時期に訪問することが出来てよかったと思います。ただし笛の寺井さんはどうしても都合がつかず、寺井さんの弟子である熊本俊太郎さんをお迎えしての上演となりました。

準備段階ではいろいろスケジュールの組み立てに手こずった感もありましたが、そして寺井さんにも熊本さんにも移動のご苦労をかけてしまいましたが、結果としてとても楽しく、意義深い活動となったと思います。

【10月30日(木)】

未明、ぬえのみ東京を出発。一人旅なので、もう冬季閉鎖が近づく蔵王の「お釜」を見に行くことにしました。

。。が、蔵王のエコーラインの入口まで到着してみると。。すでに凍結のため通行止めとの表示が。。

それでも行けるところまで、と思って進んでみました。そうしてたどり着いたのがここ。



「滝見台」というところなのですが、周囲よりかなり高い峯の上です。どこに滝が。。? と思った ぬえは車から降りて見てびっくり。滝はこの山にあるのではなく、遙か谷を隔てた向かいの山腹に落ちていたのでした! しかも方角を変えて二つの滝が見えます。こちらが「不動滝」。かなり遠く隔たってはいますが、その水量の多さが圧倒的であることは十分に伝わってきます。



こちらは滝見台から正面に、比較的近く見える「三階滝」。「不動滝」とは対称的に女性的でしなやかな滝でした。



後で調べてみればシーズンには観光客で混雑するらしいですが、このときは朝日が射すなか、ぬえひとりで堪能させて頂きました。静寂の中に遠くから風に運ばれてくる滝の水音。紅葉に染まった山々。。とおくには雪を頂いた雄大な稜線が。あれが蔵王連峰なのでしょうか。あれじゃ道路の凍結もしかたないな。。

大鳥居があるふもとまで戻って、一応夜が明ければ通行止めも解除されるかな? と期待して蔵王ロイヤルホテルのフロントで相談してみると、少し前に雪が降って、昨日も一日中通行止めだったそうで、今日もやはり解除されるかは微妙、とのこと。朝8:00まで待ってみましたが、通行止めは解除されなかったので、次の目的地の秋保に向かいました。





温泉で有名な秋保ですが、今回 ぬえが訪れたのは別の目的で、秋保神社の神主さまにご挨拶して、今後の活動について打合せをするためでした。



。。が秋保神社に人の影はなく。。

近くでゲートボールを楽しんでおられたお年寄りに伺うと、神主さまは「ツボヌマ八幡神社」の宮司さんが兼任しておられる、とのこと。ん~。。ツボヌマ。。??

そういえば気仙沼で宮司さまから頂いたお名刺にもしっかりと。。「坪沼八幡神社」と書いてありました。ありゃりゃ、とカーナビで検索すると、秋保からはずいぶん離れている模様。。

なので、坪沼に向かう前に、有名な秋保大滝を見に行きました。

ををっ、これこそ滝を間近に見下ろす迫力! ですが、下を見やるとはるかに滝壺の付近にも人影が見えます。どうもその近くまで道路が通じているらしい。





で、行ってきました! 駐車場からちょっとした山道を下って。。ををっ、断崖絶壁の中を直線的に落ちる巨大な滝。近くで見るとまた迫力です。観光客も大勢見えていました。



えー、それから もうちょっと足を伸ばして鳳鳴四十八滝も見てきました。もう観光ばっかやね。



こちら、この前日に紅葉の画像をネットで公開した方があったので わざわざ見に行ったのですが、実際には紅葉の盛りはもうちょっと先のようでした。やっぱり写真上手だとキレイに見えるわ。

こちら秋保の「磊々峡」。ああ、だから観光ばっか。。



さてさてようやく坪沼に行って八幡神社の宮司さまと打合せをしました。計画している秋保での上演のお話しはすぐには進まないようでしたが、それでも貴重な情報をたくさん頂戴することができました。





さて次。翌日の七ヶ浜町と多賀城市の仮設住宅での上演をコーディネートしてくださった梅津周子さんにお目に掛かるために仙台市宮城野区へ。梅津さんは村上緑さんのご紹介でこの翌日の仮設訪問をすべてコーディネートしてくださいましたが、多忙な方であいにく活動の日もご自身の活動があるためこちらの催しには欠席。その代わりにこの日単独で宮城に入った ぬえに仮設の場所を案内してくださいました。

というのも今回の活動では2か所の仮設住宅の都合もあってスケジュールが早朝から分刻みでして、移動経路の把握はとっても大事だったのです。

これも無事に済んで、今日の観光。。いやいや活動は終了。翌朝に到着する寺井さんと緑さんを待つだけになりました。

梅津さんと久しぶりの仙台港のフェリー乗り場へ。ここには ぬえは震災3ヶ月後に来て以来のことになります。あの時は、ここにいた時に大きな余震が来て、かなり怖かった思い出がありますが。。



今はなんとなく平和に、巨大なフェリーにトラックが次々に載せられていきました。

梅津さんとお別れしてホテルにチェックイン、翌朝は早朝から活動のうえ、最初の七ヶ浜町の仮設が、会場入りから上演開始までの時間が極端に短いので、到着してすぐに装束を着られるように、ホテルで装束に仕掛けを施しておりました。

決算報告書(2014.08.13~17)

2014-10-30 00:16:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第23次被災地支援活動
(2014年08月13日~17日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金       151,701円
     募金収入             10,000円
     活動時募金収入          59,500円
     銀行口座利息             9円         収入計  221,210円

 【支出の部】
  〈活動費〉 93,789円
    ◎交通費        44,443円
     (高速道路通行料         15,920円)
     (ガソリン代            4,333円)
     (ガソリン代            9,918円)
     (ガソリン代            8,930円)
村上典子分
     (ガソリン代            4,582円)
     内野浩乃分
     (JR運賃              760円)
    ◎宿泊費        21,000円
     (佐々木優子宅           5,000円)
     (コテージキクタ         16,000円)
    ◎会場費        7,200円
     (気仙沼中央公民館         7,200円)
    ◎人件費        8,000円
     (伊藤誠              5,000円)
     (村上梨紗             3,000円)
    ◎宣伝費        1,300円
     (はがき代             1,300円)
    ◎印刷費        6,450円
     (星と能楽の夕べチラシ       1,280円)
     (同ポスター            1,830円)
     (五右衛門ヶ原仮設チラシ      1,280円)
     (星と能楽の夕べ当日パンフ     2,060円)
    ◎雑費         5,396円
     (AVケーブル           988円)
     (LEDキャンドル          648円)
     (ガムテープ            288円)
     (著作権使用料           972円)
     (プロジェクト公印         2,500円)        支出計    93,789円

 【収支差引残額】                          残額    127,421円

※注※
・前回活動からの繰越金のほかの収入は、募金1件10,000円(ハシモトさま)、現地活動による入場料収入1件(星と能楽の夕べ29,500円)、活動により頂戴した募金1件(地福寺さまより30,000円)、銀行口座利息1件である。大変ありがたい事で各位に御礼申しあげる。
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、休日・深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ1人1泊5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため、宿泊プランに朝食が組み込まれている場合を除いて参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・プロジェクトでは従来活動資金を募金に頼っていたが、震災から3年半を迎え、一般からの募金は皆無の状態である。そこで本年よりプロジェクトの活動を継続するために、活動内容を大きく 仮設住宅への慰問活動や仮設商店街の振興協力としての上演など、被災者への直接支援活動と、それ以外の活動に分けて考える事とした。言うまでもなく前者はプロジェクトの活動の本来の目的で、その活動の根幹を占めるものであり、後者は前者を補う関係のものである。そして前者の活動を無償で行うために、後者の活動を有料とする事に踏み切った。後者の活動の例としては入場料を頂戴する公演やワークショップがそれに当たり、今回の活動では『星と能楽の夕べ』がこれに該当する。
・いまだ活動の性格が明確には定まっていないのが、プロジェクトとして過去何度も行ってきた寺社への奉納上演である。無償で行うことが本来的に多いのだが、一方寺社を会場にワークショップを行ったことも過去に何度か経験がある。今回の地福寺さまでの『送り火の集い』では交通費としてご支援を賜った。今後も被災地でイベントやワークショップに限り有料の上演を行う予定であるが、会場の条件により募金を募る場合もある。また被災地以外の場所でも活動報告会を開いたり、引き続き企業スポンサーなどを探す努力を重ねたいと考えている。銀行口座への募金も引き続き呼び掛けさせて頂く。消費増税、また高速道路利用料の割引縮小という厳しい状況であるが今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。

 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上
  平成26年10月22日

                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                              (住所)
                              (電話)
                                    E-mail: QYJ13065@nifty.com











                                      ※領収証添付欄頁終※

活動報告書(2014.08.13~17)

2014-10-29 06:15:42 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒やしプロジェクト
第23次被災地支援活動
(2014年08月13日~17日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」では、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに22度に渡り岩手県釜石市、陸前高田市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、登米市および福島県双葉町の住民が避難していた旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびプロジェクトメンバーのうち能楽チームの八田、寺井は、去る08月13日~17日の5日間に渡り宮城県・気仙沼市にて能楽公演、仮設住宅訪問、および寺院にての奉納上演を行いました(※注2)。

今回の活動は有料能楽公演、仮設住宅への慰問上演、そしてお盆の時期に恒例となった精霊送りの集いへの参加と、上演回数こそ少ないながら内容が多岐に渡る活動となりました。震災から3年を経てプロジェクトの活動資金の原資としての募金がほとんど頂けなくなり、活動について現実的な困難に直面したことにより、プロジェクトとして本年より活動を大きく二つに分けて考えるようになりました。

ひとつには仮設住宅への慰問や仮設商店街の振興活動への協力で、これはプロジェクトの本来的な活動であり、無償で行われるべき活動です。もう一つが能楽ワークショップやイベントとしての上演で、こちらは前者の活動を行うための資金を得る目的があります。今回3度目の上演となる『星と能楽の夕べ』公演は元来 入場無料の公演だったものを、今回から有料公演とさせて頂いたのはこのような事情によります。

またこれら資金面に関わる問題とは別にプロジェクトのもうひとつの理念として、「文化の復興」という目標を掲げております。これは仮設住宅訪問など被災住民さんへの慰問活動とは別に、一般市民を対象に、被災したために減退した文化活動の促進を支援する目的をもった活動です。『星と能楽の夕べ』公演はまさにこの理念に基づいた活動ですが、このような一般市民を対象とした公演やワークショップを今後は低料金の有料公演とすることによって、慰問活動を展開する資金源とし、併せて市民全体にも被災住民さんへの支援にご協力頂く、という意味を込めることと致しました。

プロジェクトの活動のもうひとつの側面として寺社への奉納上演があります。こちらは活動の目的というよりはむしろ能楽師という仕事柄どうしても欠かせない活動ですが、少々プロジェクトとしての位置づけは難しいかもしれません。純粋に奉納上演をさせて頂くのが本来ではありますが、本年春より寺社のご協力を頂きワークショップを行う機会を得るようになり、また今回も地福寺さまより活動費のご支援を頂戴しております。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(能楽の心と癒やしプロジェクト)
内野浩乃/村上典子
【協力者】(敬称略)
 村上緑/佐々木優子/杉浦恵一/伊藤誠/村上梨紗/地福寺/村上充/宮川さゆり/気仙沼中央公民館
【主催】
 能楽の心と癒やしプロジェクト

【活動記録】(敬称略)

8月13日(水)

八田・内野 朝 東京を出発
仙台にて村上緑をピックアップして気仙沼に向かう(途中震災遺構の現状視察あり)
宿舎を提供くださった佐々木優子さん宅にご挨拶、荷ほどき後 松岩地区の漁港より気仙沼大島の「浦の花火」を鑑賞。

8月14日(木)
午前中は気仙沼市役所で助成金の相談、中央公民館の下見、新装なった「海の市」の見学等。
午後より内野は村上典子宅へ移動して音楽チームの練習。
八田・緑は杉浦恵一氏と翌日の公演へのオペレーターの派遣の相談。

※この夜八田は 銭湯「亀の湯」にて山口県から被災地を訪れた二人の若者。。伊藤俊介君と山川幸宏君と出会い、宿もない有様だったので宿主・佐々木さんの承諾を得て宿舎に泊める。

8月15日(金)

朝、伊藤・山川君を連れて佐々木さんにお礼のご挨拶。佐々木さんご夫婦は彼らを大変に歓迎してくださり、彼らを市内が見渡せる高台に案内すると、震災時の体験などをこと細かに説明してくださった。

その後午前中は八田が若者二人を連れて市内の被災地区の見学。正午前に彼らと別れて夜行バスで気仙沼に到着した寺井と合流。またこの日の公演のスタッフとしてお手伝い頂く村上梨紗をピックアップして、公演会場である気仙沼中央公民館へ。

予定通り午後1時より搬入、セッティング開始。杉浦氏に依頼のオペレーター伊藤誠氏も早めに到着してくださり、やがて内野、典子も到着。セッティングのあとリハーサルを経て公演。

◎『星と能楽の夕べ』18:00~ 気仙沼中央公民館
出演:八田達弥・寺井宏明(能楽の心と癒やしプロジェクト)
   内野浩乃(フルート)・村上典子(ピアノ)

実際のところ、お盆の中日でもありまた雨天でもあったため、お客さまは30名と予想よりも少なかった。
しかしながら「StarDust☆彡」さまほか今回の公演に使わせて頂いた映像・音楽は大変ご厚意を頂いて提供頂いたもので、上演の効果は素晴らしいものだった。

なおこの日の上演曲目は下記の通り。
【星と音楽のひととき①】(出演:内野・典子)
 G線上のアリア・シランクス・オンブラマイフ・亜麻色の髪の乙女・シチリアーナ
【星と能楽の夕べ①】
 能「羽衣」(出演:八田・寺井)
【星と音楽のひととき②】(出演:内野・典子)
 スティングのテーマ・「むすんでひらいて」変奏曲・メリー・ウィドー・見上げてごらん夜の星を・
 花は咲く
【星と能楽の夕べ②】
 能「石橋」(出演:八田・寺井)

8月16日(土)

早朝より活動開始。
◎『能楽の心と癒やしをあなたに』公演 10:00~ 五右衛門ヶ原運動場住宅
能『羽衣』出演:八田・寺井
フルート演奏 出演:内野
パワーストーンのストラップ・プレゼント 緑
上演後、能楽ミニ・ワークショップ(装束の着付け体験、囃子体験)を実施。

◎『送り火の集い』 19:00~ 地福寺 ※雨天のため本堂内にて上演
音楽演奏 出演:内野・典子
能『羽衣』 出演:八田・寺井
法要 片山秀光

8月17日(日)

寺井は早朝に帰京。
八田・内野は緑を仙台に送り届けてから帰京。

【収入・支出】

前回活動に引き続き『星と能楽の夕べ』公演を有料化しましたが、残念ながら悪条件が重なり、思ったほどの入場者数を得ることができませんでした。しかし地福寺さまより活動資金の援助を頂くことができました。出演者が多かったため結果的には支出がふくらんだ印象で、この点を今後改善して行くべきとの指摘がプロジェクト内部で話し合われました。

プロジェクトの活動資金としては、前回活動の繰越金が151,701円あるほか、1件の募金10,000円を頂戴し、また銀行口座の利息が9円発生しました。これによって繰越金を含めた活動開始時点での資金の総額は 161,710円となります。また今回の活動中に『星と能楽の夕べ』入場料収入として 29,500円、地福寺さまより30,000円を頂戴し、収入の合計は221,210円にのぼりました。

一方支出は、たとえばピアニストを宮城県在住の方にお願いして交通費の支出減を狙うなど致しましたが、出演者が多かったために交通・宿泊費などの経費がかさんだほか、『星と能楽の夕べ』公演の機材オペレータや会場案内係の雇人費、中央公民館の会場使用料(どちらもプロジェクトとして初めての支出科目だと思います)があった事により、少々高額につくことになりました。次回活動の繰り越し金は差し引き127,421円となります。

プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。

【成果と感想・今後の展望】
今回は3度目の上演となる『星と能楽の夕べ』公演のほか、仮設住宅での活動、地福寺さまでの恒例となる『送り火の集い』と、少ないながらも充実した上演となりました。惜しむらくは天候に悩まされたことでしょうか。一方「海の市」のオープンなど気仙沼の復興を確かめることができた機会でもありました。
また地福寺さまの『送り火の集い』も、これまた今回は天候に悩まされて本堂内での上演にはなりましたが、精霊送りの雰囲気を高めるように内容も充実を深めております。寺社での活動のありかたついては今後考えていかなければならない課題ではありますが、まずはふたつの公演の成果を喜びたいと思います。
さらに今回も緑さんをはじめとして気仙沼市民の方々に多数ご協力を賜って活動ができました。改めまして御礼申しあげるとともに、プロジェクトの息長い支援のために今後とも皆さまの変わらぬご支援をお願い申し上げる次第です。

平成26年10月22日
                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」



                               代表   八田 達弥

                               (住所)
                               (電話)
                                E-mail: QYJ13065@nifty.com

第23次支援活動<気仙沼市>(その9)…旅の終わり~向洋高校

2014-10-27 02:19:36 | 能楽の心と癒しプロジェクト
地福寺さまの『送り火の集い』を終えて、片づけのあと本堂にてご住職さまほかと打ち上げがありました。

わあ、いつもながらご馳走を振る舞って頂いて、本当に申し訳ありません。片山住職さまは「こういう神妙な催しも良いですね。ほら、うちってワーッと賑やかなイベントばっかりだから」と笑っておっしゃってくださり、この催しは恒例にしたい、とお言葉を頂きました。ぬえも同感です。そして来年のお盆が晴天で、またあの枯山水の中で舞いたいと思うのでした。





このとき、片山住職さまより杉ノ下地区の命をつないだケヤキのお話を伺い、ぬえはそれを知らなかったのですがこのときの話を扱ったドキュメンタリー番組が作られたそうで、その録画を見せて頂きました。

。。いわく、杉ノ下地区では津波によって100名近い犠牲者を出したが、そんな中で1本のケヤキの木にしがみついた10名にのぼる住民が生き残ることができた。それは明治三陸津波などの際に同じように樹木にしがみついて一命を取り留めた住民がいた その教訓から、この地区ではそれぞれの家にケヤキの木を植える習慣が根付いたもので、それが100年近い年月を経て今回の震災で見事に役割を果たしたのでした。

なんと壮大な計画。。しかし明治時代の被害の教訓から立ち上がったプロジェクトは立派に役割を果たしました。そこで今回の震災後にも、倒壊したり流された樹木を再びこの地区に植えるプロジェクトが立ち上がり、地福寺さんも応援しているし、また全国各地からボランティアさんが駆けつけて植林の事業は進んでいるそうでした。

やがて地福寺さんを辞して、すぐ目の前のお宿に戻り、今度は出演者だけで乾杯。このとき いつの間にやら緑さんがホタテを買ってきていて、刺身と貝焼きにしてくれたのですが。。これが衝撃的な美味でした。

書き忘れましたがこの日 五右衛門ヶ原運動場仮設の活動のあと、東新城のネットワーク・オレンジさんにご挨拶して、おとなりの料理屋さん「浜の家」さんで昼食を頂いたのですけれども、この夜のホタテ焼きはそれ以上に美味しかったかも。。普通にスーパーで買ってきたもの、とのことでしたが、食材を見る主婦の眼、もあるでしょうが、何より新鮮さ、なのでしょうね~。いくら最高級の食材は東京に集まる、と言われていても水揚げされた産地のスーパーに並ぶ食材にさえ勝てるはずもない。これは東北の支援活動を続けていて実感していることです。

【8月15日(日)】

早朝、笛の寺井さんは次のスケジュールのため宿を後にBRT駅に向かいました。

少し遅れて起き出した ぬえ。朝のNHKニュースで昨夜の地福寺さんでの『送り火の集い』の模様が放送されているのを見てびっくり。これはビデオに収めなくては。

次のニュースを待ち、また出演者が起床するのを待つ間に ぬえはひとり、向洋高校に向かいました。

水産高校である向洋高校は海に近いこの階上地区にありますが、周囲の地域を含めて津波による甚大な被害を受けました。ぬえは震災3ヶ月後にここを訪れていますが、それはそれは。。言語に絶する、というのはこういう事か、と思わせるひどい状況でした。

その後も地福寺さんとのご縁があって当地には何度も足を運んでいますが、当然のことながらずっと校門は施錠されていて内部には入れない状況でした。さらに昨年からはこの高校の校庭であった広い敷地に瓦礫の焼却施設が建設されて昼夜を問わず焼却作業が行われていました。

今年になってから。。だと思いますが、なんでもこの向洋高校の校舎を「震災遺構」として保存することになった、と聞きました。そうなのか。。と思いながら今回 当地を訪れたわけですが、瓦礫の処理を終えた焼却施設は跡形もなく撤去されていて、そうして校門が開けられているのを見たのでした。

はじめて当地を訪れてから早くも3年が経ちますが、ついに向洋高校の被害状況を間近に見る機会が ぬえに訪れたのでした。校門から敷地に入って、予想外に広い校庭の跡地を突っ切って校舎に近づくと。。

校舎のまわりには杭が打たれ、鉄条網が張られて、さすがに校舎の内部に入ることはできませんでしたが、生々しい津波の傷跡はあの時のまま残されていました。4階建ての校舎の、その4階部分が壊されている驚き。









ちなみに震災時 生徒は無事だったようで、そのときの記録は向洋高校のサイトに載せられていました。避難には地福寺さんが深く関係していたことも、今回はじめて知った ぬえでした。

→宮城県気仙沼向洋高等学校 東日本大震災に係る本校の記録http://kkouyo-h.myswan.ne.jp/gakkou/sinsaigenkou(kesennnumakouyou).pdf

やがて みんなも起床したところで緑さんが朝食を作ってくれ、これを頂いてから出発。この日は緑さんは仙台に用事があるとのことで、浩乃ちゃんもいれて3人で仙台に向かいました。

仙台で緑さんが車から降りた際に浩乃ちゃんも休憩をとって ぬえ一人車内に。このときちょうど正午のNHKニュースの時間になったので車載のカーナビをワンセグTV受信にしてビデオカメラを構えて待機。。ををっ、やっぱりお昼のニュースで昨夜の地福寺『送り火の集い』の模様が放送されました。なんとも無理な姿勢でようやく録画することができました。

やがて浩乃ちゃんも戻ってきたので、運転を交代しながら一路 東京に戻りました。夕食時を過ぎた頃には到着できて、今回も無事にミッション・コンプリート。関係各位に深く御礼申しあげて、この活動報告を終わりたいと思います。

第23次支援活動<気仙沼市>(その8)…地福寺『送り火の集い』

2014-10-24 08:28:52 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ああ、書き忘れましたが、この日の五右衛門ヶ原仮設住宅での上演は、近来まれに見るほどの盛り上がりでしたね~ 住民さんも明るくて、積極的。そのうえ仕舞のお稽古経験者のおばあちゃんまでいらして、これで盛り上がらないはずもない。(^◇^;) とっても楽しい訪問になりました事を重ねてご報告致します~

さて五右衛門ヶ原仮設を出て、まずはこの日の宿。。階上地区にあるトレーラー・ハウスの「コテージ・キクタ」さんにチェックインして、一同仮眠の体勢に。。ちょいと疲れも出てきたのでしょう。笛の寺井さんだけは、たまたまここにいらした 足ツボ・マッサージの米倉三喜子さんの施術を受けていましたが、みんな寝静まっているので声を殺して激痛に耐えていたのですって(笑)

そうこうしているうちに「ともしびプロジェクト」の杉浦恵一さんから電話が来て、次の公演地である階上地区の地福寺さまで準備中、打合せをしたい、との連絡。はいはい、このコテージから地福寺さんは見えますよ~、というわけですぐに地福寺さんに向かいました。こちらはもう何回お世話になったことだろう。最初にお伺いしたのは震災の翌年の2月だったので、かれこれ2年半のおつきあいになります。

昨年の同じ夏のお盆のときに、お庭の枯山水の上で舞った『羽衣』は、えもいわれぬ美しさでした。それというのも「ともしびプロジェクト」さんが庭園に数え切れないほどのキャンドルを並べて、その中で舞ったからです。そのときの画像がこれ!(撮影:前島吉裕氏)

『送り火の集い』と名づけられたこの催しは、名前の通り精霊送りの宵であるわけですが、昨年 地福寺のご住職・片山秀光さんからお勧めを頂いて出演させて頂くことになりました。もう、こんなに美しい催しになるとは ぬえも夢にも思わなかったのですが、檀家さんやお客さまにも大好評で、本年も参加させて頂くことになりました。

ところが。。この日は昨日に引き続いて天候が悪く。。雨は降っていませんでしたが、今にも泣き出しそうな空に、やむなく会場を本堂の中に移して上演することになりました。

今年はフルートの浩乃ちゃんと、ピアノの村上典子さんも登場しての音楽と能。。そしてもちろん片山住職さまの法要とのコラボレーションです。昨年もピアニストの御子柴聖子さんに出演を願ったのですが。。じつは当初の予定では法要と能だけだったのです。が。。ご存じの通り笛とシテだけの我々の上演では、せいぜい15分くらいしか演じることができません。これと法要を合わせても全体の所要時間は1時間にも満たない。。そこで ぬえから、その頃何度か活動をご一緒した御子柴さんの出演を片山住職さまに提案したのでした。ご住職は当初「ピアノ。。? まあ。。ヒーリング系のシンセサイザーならわかりますが。。」と困惑しておられましたが、最終的には ぬえにお任せします、というお言葉を頂きました。

こんな経緯で、御子柴さんにはご無理を言って、選曲に注意して頂き、そのうえ当日はBGM風に音楽を使うことにして、申し訳なかったですが枯山水の庭園の上ではなくそこから外れた暗がりの中で演奏して頂いて。。しかし ぬえが予想した通りこのとき音楽を入れて上演したのはかなり効果的で、お客さまからも好評を頂いたようです。

そこで今回は胸を張って(?)音楽を入れることになり、浩乃ちゃんと典子さんのコンサートが堂々と行われることになりました。惜しむらくは美しい庭園で上演したかったですが。。

それでも「ともしびプロジェクト」のみなさんによりたくさんのキャンドルがお寺の内外に飾り付けられました。まだ降り出してはいなかったものの、雨が当たる恐れのない縁側には、なんでも全国から贈られたという手作りのキャンドルが並べられ、会場の本堂には、所作台を組み合わせた仮設の舞台の周囲にLEDキャンドルがちりばめられ。





やがて夕闇も迫り、19:00より『送り火の集い』が開かれました。やはり曇天のためか 去年よりも檀家さま等お客さまは少な目な感じではありましたが、気仙沼の友人のみなさんも多数駆けつけてくださいました!



そして上演。法要、フルートとピアノの演奏、そしてこれまた去年と同じ演目の能『羽衣』が上演されました。





以下、本堂の中は照明が落とされて撮影は難しかったのですが、地福寺さんや他の方がきれいに撮った画像をアップしてくださったので、それを拝借してご報告させて頂くことと致します。







この日は地元のケーブルテレビやNHKも取材に来て頂き、翌日にはテレビのニュース番組でご紹介頂きました。

第23次支援活動<気仙沼市>(その7)…五右衛門ヶ原運動場仮設住宅

2014-10-22 01:55:43 | 能楽の心と癒しプロジェクト
このところ時間がなくてすみません。。新作はあるわ、シテの代役はあるわ、また新作はあるわ、伊豆では子ども創作能 がんばりました~、はあるわ、コミュニティFMへの出演はあるわ。。

とか言っているうちに来週はまた東北の活動に出かけるのでした~。これも準備段階でハプニング続出して対応に追われました。いろんな人に迷惑をお掛けしちゃったな。

そういうわけで、8月に行ったこちらの活動の報告をなんとかまとめなくてはなりませぬ。。

【8月16日(土)】

早朝に起床して早々に出発。この日は気仙沼で久しぶりの仮設住宅への訪問です。

今回は住民ボランティアの村上充さんのコーディネートによって実現した「五右衛門ヶ原運動場仮設住宅」での活動ですが、ここはJR大船渡線で気仙沼駅と、そのひとつ手前の新月(にいつき)駅との中間あたりに位置する運動公園に建てられた仮設住宅です。

新月といえば。。新月中学校には、じつは ぬえは震災前に訪れておりまして。。文化庁の事業で師匠はじめ同門一同で学校公演に訪れていたのでした。調べてみたら平成20年のことで、震災よりも3年も前なのですね。このときの事は鮮明に覚えております。高台に建つ学校に広々とした校庭。新しく立派な校舎。

そうしてなにより、子どもたちの印象的な鑑賞態度。校内に入ったところから帰りまで、顔を合わせれば元気な挨拶が交わされます。能の上演のときも熱心でしたし、上演後の質疑応答も活発。ははあ、気仙沼ってこういう子どもたちがいるのか、と妙に感心しました。それが、その後に震災が起こってしまって。

震災の3ヶ月後に ぬえはひとりで気仙沼を訪れ、この新月中にも足を運び、遠巻きに様子を窺っておりました。このとき体育館は避難所になっていて、外には仮設トイレが並び、体育館に沿う手すりには布団が干されてありました。校庭には自衛隊の車両が並び。。その後も機会があるたびに新月中の様子は見守ってますが、いまは校庭に仮設住宅が建っているようですね。

こんなわけで新月という場所には思い入れがある ぬえなのですが、五右衛門ヶ原運動場仮設住宅は、そこからもう少し山あいに入ったところに建っていました。なんでも気仙沼では最大規模の仮設住宅ということで、なるほど大きな仮設住宅です。

がんばって準備を整えて、朝10:00より上演開始。。なんと昨日の「星と能楽の夕べ」よりたくさんの住民さんが集まってくださいました!

まずは能『羽衣』の上演。



それからフルートの浩乃ちゃんによる演奏。この日は一人での演奏だったので、伴奏の音源を用意してもらって、小さなアンプで拡声しての上演となりました。



住民ボランティアでプロジェクトの良き協力者。。あ、気仙沼支部長かな? の村上緑さんもストラップなどプレゼントで協力してくださいました!



それから、仮設ではお待ちかね! 能楽ワークショップに名を借りた住民さんたちとの ふれあいコーナーです。






これは盛り上がったね! 近来まれに見る盛り上がり方でした。

鼓を打つ体験をして頂いたり。。





装束の着付け体験。



そうしたら、なんと観世流で仕舞のお稽古をしておられる、という上品なおばあちゃんが いらっしゃいました。早速『羽衣』の装束を着付けて仕舞の発表会です。うんうん、とっても品格のある美しい舞になりました。おばあちゃん、長絹着たらお嬢さんみたいに見えるし。





最後には、ホワイトボードに節を図説して住民さんみなさんで『高砂』を謡って頂きました。



これはね。今でこそよほど盛り上がったときとか、時間が余るときにしか出来ないのですが、避難所時代には しばしば行っていました。段ボールで仕切を作ってプライバシーを確保している状態の避難所では、住民さんは閉塞状態です。そうして、そういう状態が心と体を蝕んでいくのですよね。

大声を出すことは身体の内側にある筋肉を使う、という作業なのです。それは健康の元。身体を動かすのも不自由な避難所ですが、機会を見つけて大声を出しましょう! と ぬえはずっとお勧めしていました。

今回この五右衛門ヶ原仮設住宅での活動をコーディネートしてくださったのは住民ボランティアの村上充さんですが、この方は避難所のリーダーを経て、現在も医療支援ボランティアを募って積極的に仮設をまわり、住民さんの健康に細心の注意を払っておられます。。ご自分も避難所で ぬえと同じこと。。方法は違っても閉塞した避難所で、いかに住民さんの健康を守るかを考え続け、それが現在までの活動につながっておられます。それだからこそ、ぬえもここでは『高砂』を大声で謡う体験を盛り込みたかったのです。

正午頃にはこの仮設での活動も終わりましたが、荷物を車に積み込んでからも、居残った住民さんたちと いつまでも談笑させて頂きました。うん、ここだけでも今回の活動を実行した意味はある。そんな うれしい気持ちにさせて頂いた活動になりました。住民のみなさん、本当にありがとうございますっ!

第23次支援活動<気仙沼市>(その6)…「星と能楽の夕べ」公演

2014-09-24 23:24:40 | 能楽の心と癒しプロジェクト
二人の若者を気仙沼を案内していると寺井さんから到着の知らせも来たので、鹿折の復幸マルシェで二人とはお別れして寺井さんを迎えに行き、その後緑さんのお宅にお迎えに行くと、緑さんはすでに外出中で途中で拾ってほしい、とのことでお嬢さんの梨紗ちゃんだけをとりあえず車に乗せ、やがて緑さんも拾って本日の公演会場である気仙沼中央公民館へ。

前日に職員さんと打ち合わせた通り上演会場をエレベーターに近い部屋に変更したのですが、おかげでいろいろな問題が一気にクリアになりました。まずは機材のセッティングをしたり椅子を並べたり。。梨紗ちゃんも受付や舞台進行のお手伝いをしてくれます。そうこうしているうちに、やはり前日 杉浦恵一さんにお願いした機材オペレーターさんが到着しました。。と思ったら、キミか!!

そう、彼は前日 杉浦さんのシェア・オフィス「co-ba KESENNUMA」で出会ったスタッフさんでした。南町の紫市場商店街で売っていた「ごろごろイチゴのかき氷」の評判を教えてくれた人で、伊藤誠さんといいます。どうも横浜の人らしいので、杉浦さん同様に気仙沼の支援に来て、そのまま住み続けているボランティアさんかな。

伊藤さんは音響機材にも詳しく。。あとで聞けば音楽もやっておられたとか。。プロジェクトの技術担当の寺井さんとともに どんどん機材の結線を進めて行きます。やがてピアノの村上典子さんとフルートの浩乃ちゃんも到着、楽器のセッティングも始まり、ぬえも装束の準備に取りかかります。

おおそれそれ、寺井さんが伊藤さんの写真を撮っていました。こちらリハーサル前のひととき。すいません冷房費ケチったので控室以外は暑い中での作業を強いてしまいました。



こっちは能『石橋』の装束を ぬえが自分ひとりで着られるように仕掛けを施しているところ。身長が ぬえとほとんど一緒の伊藤さんにモデルになって頂きました~



この「星と能楽の夕べ」公演はPCやDVDに録画した星空の映像をプロジェクターで投影して、その前で音楽の演奏や能を楽しんで頂く、という企画で、すでに石巻で1度、気仙沼ではこれが2度目の上演になります。もともとのアイデアは能楽評論家でもあり、天文にも造詣の深い 幽玄堂さんがプラネタリウムで能を上演する企画として始めたもので、彼女が大崎市のプラネタリウムでの上演の企画を ぬえたちプロジェクトにご紹介頂き、震災の翌年の冬に上演が実現しました。

このときもピアニストの山本実樹子さんをお迎えして音楽と能のロマンチックな上演としたのですが、音楽を入れるのは誰のアイデアだったかなあ? その後 ぬえがこのアイデアを発展させまして、プラネタリウムのない被災地(宮城県でプラネタリウムの設備を持つのは仙台と大崎だけなんです)に擬似的なプラネタリウムを出現させて、音楽と能を楽しんで頂く公演として上演を続けております。

大崎でも石巻でも、そして前回の気仙沼での公演も、すべて発案者の幽玄堂さんに天文解説者としてボランティア出演して頂きましたが、今回はどうしても日程が合わず。。そしてピアニストも、石巻や気仙沼ではやはりピアノ演奏で被災地支援を続けておられる御子柴聖子さんにお願いしていましたが、その後いろいろな出会いがあって、今回はフルートの浩乃ちゃんをメインに、ピアニストは地元・志津川出身で涌谷町在住の村上典子さんにお願いすることとなりました。

プロジェクトでは仮設住宅や仮設商店街の応援の一方、「文化の復興」という目標を持っております。これは震災被害を受けた街の一般の市民を対象に、震災以前の普通の生活。。芸術文化を気軽に楽しめる気風を興すことを目指す活動で、ほかにも音楽と能の上演を行ったりしておりますが、この「星と能楽の夕べ」はその目標に向けた活動の中核となっています。

ぬえがPCでオープニングの映像を作ったり、星空の映像や音楽をネットで探し出して提供をお願いしたり。。準備段階で相当な労力が必要な催しなのでありますが、出来上がった舞台の美しさは素晴らしいものだと自負しております。能は神秘的に演じるのは得意だけれど、ロマンチック。。となると意外に難しい。そこで毎回音楽の演奏とのコラボを考えるのですが、星空の下でロマンチックでもあり神秘的でもある上演をするのは ぬえにとっても楽しみでもあります。今回ははじめてフルートを入れての上演でしたが、これまたピアノだけの演奏と違う魅力があって、この公演の雰囲気とよく合っていると思います。やはり息を使って鳴らす楽器だからかも。





この日は実際に夕暮れになる時刻を見計らって18:00の開演としました。。が、あいにくの雨。。しかもお盆の中日ということもあって。。ちょっとお客さんが少なかったのが残念ではありました。リアスアーク美術館のときは100名さまを超えていたのですが~。

でも内容は充実していたと思います! 能は『羽衣』と『石橋』の2番で、着替えが間に合うのか心配したのですが、伊藤さんの体型に合わせて仕掛けた装束も ぬえの身体にうまくフィットしました~





『羽衣』を舞っているとき、女の子とお母さんの二人連れのお客さまが最前列にいらしていることに気づいて、その女の子に向かって扇を出す型をしたり、『石橋』のときにもその席のそばまで行って印象づけようとしていたのですが。。あとで聞けばその女の子、ぬえが扇を出すと受け取ろうとしたのだとか。とっても可愛かったですよ~、と聞きました。ああ、それだけでも上演した甲斐がありましたね~。

やがて終演となり、大急ぎで片づけ、車に装束や機材を積み込んで。。例によってホテル観洋でお風呂に入ってから宿に帰りました。仙台からわざわざ駆けつけてくださった料理研究家の浅野ゆかさんが作ってくれた。。途方もない量のご馳走を頂いて。。食べきれない。。コンビニ弁当でなきゃ受け付けない身体に。。いつの間にか。。(うそ)

最後になりましたが、星空の映像を提供してくださったStarDust☆彡さまとPhotoGalleryNorthさま、彗星の画像を提供頂いたサザンクロス☆スターウォッチングツアーさま、オープニング映像のための音楽を提供頂いた秋山裕和さまには改めまして厚く御礼申しあげます。

とくにStarDust☆彡さまは。。震災で南三陸町在住のお身内を亡くされたそうで。。そのせいか ぬえのお願いに大変親身になってご協力頂き、なんとこの日の上演のために新たにご自身が撮り貯められた映像を編集して提供くださいました! おかげで素晴らしい映像をお客さまにご覧頂くことができました。心より御礼申しあげます!

→StarDust☆彡さまのブログ「Starry Sky~星空への誘い~」でご紹介頂きました!

第23次支援活動<気仙沼市>(その5)…気仙沼めぐり

2014-09-18 10:18:50 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【8月15日(金)】

朝、起床すると伊藤クンと山川クンを連れて家主の佐々木さんのお宅にご挨拶に伺いました。

佐々木さん。。5月に煙雲館で『松風』を勤めた際も村上緑さんとともに後見の大役を果たされた方で、器用な方と見た(笑)。今回はそのご縁もあって離れを宿舎として拝借させて頂くことになったのですが、思わぬ珍客が増えて困惑されたことでしょう。。

ところがご挨拶に参上すると、佐々木さんは笑顔で迎えてくださり。。あまつさえご主人は二人の若者を裏山の方へ案内して、気仙沼の街を見下ろせる高台から「あそこまで波が来たんだよ」「震災後はうちもいろんなボランティアさんを泊めてあげたりねえ」と懇切丁寧に震災の時の状況を教えてくださいました。

うん! これは良かったです! 本州最北端を目指す旅の途中とはいえ被災地をこの目で見よう、と思い立った若者たち。でも実際には知人もいない状態では震災の体験を聞く機会はそれほど多いとはいえません。ぬえも最初はそうでしたもの。。偶然にも「亀の湯」さんで ぬえと出会った彼らはラッキーでしたし、佐々木さんのご厚意があって、彼らは震災当時の現実を知り、山口県の友人に伝えてくれることでしょう。

さて裏山から下りてきた ぬえたちは、途中でなんとニホンカモシカに遭遇!!!



ぬえも間近で見たのは初めて。。すぐに佐々木さんのご主人が「近づいちゃいけないよ!」と注意の声を飛ばします。「天然記念物なんだけど。。こっちじゃ迷惑している人もあるんだ」。。だそうです。

ん~。以前石巻の牡鹿半島では鹿が道を横切るのを見てびっくり。。このときも石巻の市街に帰ってきてその話をしたら、「ああ、あそこじゃ見ない方が少ないくらいですね。食害があったり大変なんですよ」と言われたし。気仙沼では真冬に白鳥を見て またまたびっくり。この時も気仙沼の人は「朝とか、鳴き声がうるさいんですよ」。石巻の山奥にある追分温泉では湯上がりに縁側で涼んでいたらタヌキが目の前を。。 やっぱり自然が豊かですが、さすがに目の前のニホンカモシカには驚きました。

さてこれにて佐々木さんのお宅を辞して、二人を連れて気仙沼の被災地区を案内しました。彼らは仙台から先は鉄路を使って青森県を目指しているのですけれども、実際には鉄道やBRTは被災地区を通りません。たとえば壊滅した南気仙沼駅周辺には今は人家も商店もないので、BRTの南気仙沼駅は市内に路線を変えて運行しているのです。だから実際に被災した地区を見てもらうには、やはり車での移動が欠かせませんね。

まずは旧南気仙沼駅からずっと先。。海産物工場が建ち並んでいた半島状の工業地帯の先端まで行きましたが、もう見せるものはなにもない。。と思いきや、まだ取り壊しにならない民家もほんの少数残っていました。それから彼らは再建された工場の陰に取り残された自動車を発見! へえ、まだこんなところに残されていたんだ。。これは ぬえも知りませんでした。

内湾地区に戻って、中を見れる被災建物ということで伊藤雄一郎さんがいる「WINE BAR風の広場」へ。声を掛けながら店内に入ったのですが雄一郎さんの姿はなく。。奥の部屋に行ってみると、ニャンコのハナちゃんを抱っこしながら まだお休みでした。あ~寝込みを襲っちゃった。

寝起きでまだ意識のはっきりしない雄一郎さんは措いといて、ハナちゃんと遊ぶ伊藤クンです。このへんからやっと写真を撮りだしたので、これまで文字ばっかりでごめんなさい。



こちら「風の広場」の前。手前を歩くのが山川クンです。



次に鹿折マルシェを訪ねようと思って車を進めると、五十鈴神社が建つ神明崎の周囲をぐるりと廻る遊歩道が通行可能になっていました。震災前は「浮見堂」という、昭和初期に建てられた小さな東屋があって、恵比寿像があったそうです。震災後はずっと立入禁止になっていましたが、ついに整備されたのか。

が、遊歩道を行ってみると、手すりもなにもなく、浮見堂は取り壊されたままになっていました。さらに先に進むと。。やはり途中から先は通行止めのまま。神明崎を遊歩道を使ってひと廻りできるのはまだ先のようですね。ただこの遊歩道から五十鈴神社に上がる石段は通行止が解除されていました。







このあと、ちょっと足を伸ばして安波山に上って市街を見下ろし、それから鹿折復幸マルシェへ。

マルシェは周囲のかさ上げ工事が進んで移転を余儀なくされ、この8月に500mほど市街に寄った地点に移転することになっています(現時点で10月5日に「鹿折復幸マート」としてグランドオープンが決定しました!)。

そのマルシェの最後の大きなイベントとして、この日ここでデコトラが集合することになっているはずですが。。ををっ、すでにデコトラは大集合しておりました!





このイベント、2年前に一度行われたのですが、これが夜には一斉にイルミネーションを輝かせるのですって! あいにく ぬえは同じ時間に中央公民館で催しをするので、その勇姿を見ることはできないのですが。。

小野寺商店の由美子さんにも二人を紹介し、鹿折工房でお話しも伺って、さて寺井さんも到着したとの知らせを受けたので、ここにて二人とは別れて、上演準備のため中央公民館に向かうこととしました。

。。ちなみに彼ら、その後無事に本州最北端の大間崎までたどり着いたそうです。それから仙台~横浜と戻り、山口県在住の伊藤クンは自宅に帰って行きました。車で被災地区をめぐる間にも、車から降りるたび、乗るたび「ありがとうございます!」と丁寧に挨拶を言った彼ら。被災地区を見、気仙沼の住民さんとのふれあいもできた彼ら、次には駆け足でなく、ピンポイントでじっくりと被災地を訪れてみたい、と言っておりました。





気仙沼のみなさん、ありがとう!

第23次支援活動<気仙沼市>(その4)…伊藤クンと山川クン

2014-09-17 10:36:45 | 能楽の心と癒しプロジェクト
この二人の若者、伊藤俊介クンと山川幸宏クンと言います(←本人から実名許可もらってます)。

聞けば、なんと山口県出身の二人(!)。同郷の二人ですが就職などその後は別の道を歩み、山川クンは現在 横浜在住なんですって。今回の旅は本州最北端の地を目指すのが目的らしく、その途次に被災地を訪ねようと思い立ったようです。

今も山口県に住む伊藤クンは、今回飛行機で横浜に向かい、山川クンと一緒に車で仙台に移動、そこからは電車利用で青森を目指しているのだそう。交通機関の選択が ややイミフな気もしますが、東北のみなさんとの触れあいを期待し、また「あまちゃん」で有名になった三陸鉄道に乗りたい、という気持ちもあって このような交通手段になったのですって。そうして宿泊は、宿がみつからなければテントで、という気ままな旅なのだそう。

ここまでを聞き出して宿舎に到着して、まだ夕食を摂っていないという彼らに、前夜に活動計画を立てたお店を紹介してあげて。そうして彼らが戻る前に、今回の宿舎を提供してくださった佐々木さんに連絡を取って彼らの同宿の是非をお伺いし、佐々木さんも快くOKを出してくださり、さて食事から帰った彼らと飲みながら、彼らの思いや ぬえが行ってきた活動、それから被災した各地で ぬえが見聞きしたことや、防潮堤問題など いま被災地が抱えている問題について話し込みました。

彼らは観光で訪れたことを少し申し訳なく思っていたようでしたが、もちろんそんな事を気にする必要はありません。震災3ヶ月後に被災地を訪れた ぬえも被災した建物の写真を撮ることに ずいぶん躊躇したものでしたが、その日のうちに住民さんから「ああ、どんどん写真を撮ってください。そうして東京に帰ってから現状を伝えてほしい」と言われたものです。

そりゃ、3年前とは事情が違うし、あの時のような。。被災地のために何かしなきゃ。。と居ても立ってもいられない気分で、取る物もとりあえず駆けつけた、という切実さとはまた違う気持ちの彼らなのですけれども、東北からは遠く離れた山口県の二人が被災地を自分の目で見たい、という気持ちをもって気仙沼を訪れたのです。彼らの旅の目的は本州最北端に到達する、という事ではありましたけれども、仙台から先はわざわざ鉄路を選んで被災地を巡るという気持ちは、やはり志なのだと思います。

ぬえは、彼らの中に3年前の自分の姿を見ました。

とくに先を急ぐ旅ではない彼らと、ぬえも翌日は気仙沼中央公民館での催しの楽屋入りが午後の予定だったので、それでは翌日は ぬえが車で気仙沼の被災地域を案内することにしました。

それにしても何て礼儀正しい若者たちなんでしょう! じつは。。ぬえ、被災地の銭湯で出会った若者を自分たちの宿に泊めてあげたのはこれが2回目なのです。1回目は震災の年の大晦日だったと思いますが、石巻での出来事でした。

その日の活動を終えた ぬえと笛の寺井さんは 例によって石巻のスーパー銭湯「元気の湯」に行きました。その大浴場の中で ぬえに「あの。。地元の方ですか?」と声を掛けてきた若者3人のグループがあったのです。

聞けば埼玉県からやって来た大学生の彼らは、車でこの数日間、被災地を巡っているのだそう。被災地のために何かできる事はないか、と考えて、冬休みを利用してこの地までやって来たのでした。寒い時期でしたので使い捨てカイロを200個持参してきたが、渡す相手がなく困っている、とのこと。

それならば、と石巻の住民ボランティア団体の「明友館」を紹介することにして、湯上がりに携帯電話の番号など控えて、翌朝に ぬえから明友館にお話しを繋いでおくことにしました。

さて宿舎に帰ってから よく考えると。。あれ? 彼らはどこに泊まるのだろう。。ホテルならばこの時間にスーパー銭湯に入浴に来ている訳がない。。

まさか、と思って携帯電話で連絡を取ってみると。。案の定彼らは車中泊をするのだそうです。この寒空に。。3人で1台の車の中で眠るなんて。。

ぬえたちは正月休み中のボランティア団体の事務所を宿舎として拝借させて頂いていたので、どうしようか しばらく悩んだのですが、結局彼らを宿舎に招くことにしました。う~んこれはちょっと問題ではあります。ぬえたちもボラ団体のご厚意で宿舎を拝借しているので、これでは無断での「又貸し」。。がしかし、窮屈な車中泊のために明日以降起きるかもしれない問題を予想すれば、これは致し方のないところ、という判断をしました。

さて彼らを宿舎に招いた ぬえは最初に厳しく宣言。もう深夜に近い時間だったので、もしも騒いだりしたら夜中でも容赦なく追い出すよ、と。。相手は学生でもあり、貸し主に無断の行為でもあり、一応厳しく取り決めをしておきました。

。。が、それも不要だった。彼らは至って礼儀正しく、やはり深夜まで被災地の今後について話し合ったりして。。就寝時には彼ら、「ああ。。やっと足を伸ばして眠れる」なんて言ってました。もう数日間、彼らは車の中で寝起きしていたのです。

よほど疲れていたのか、翌日彼らは昼頃までずっと眠り込んでいましたが、起床してからは宿舎を拝借する条件となっていた暖房のための灯油を買いに行く作業をしてもらったり、宿舎の掃除をやらせたり。ぬえも明友館に連絡して彼らの受け入れをして頂き、いろいろ教えてあげてください、とお願いしてお別れしました。あとで明友館に聞いたところ、彼らの持参した大量の使い捨てカイロは住民さんに喜ばれ、あっという間に配り終えたのだそうです。

翌日の活動では宿舎を提供してくれたボラ団体との橋渡しをしてくださった住民ボランティアさんに昨夜の経緯を説明しましたが、事後承諾にもかかわらず快くお許しを頂きました。このときは昨夜学生さんたちに厳しい宣言をしたのを少し後悔しましたね。

このときの経験があったから、今回の ぬえは安心して伊藤クンと山川クンを泊めてあげたのですが、今回の二人は学生ではなく社会人であったし、その礼儀正しさは立派なものでした。いやホント。

第23次支援活動<気仙沼市>(その3)…亀の湯での出会い

2014-09-15 03:35:13 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼の銭湯「亀の湯」さんにはもう長いことお世話になっております。ぬえたちは活動の際の宿舎として安いホテルを使うこともあるのですが、それは かなり待遇の良いときで、ボランティア事務所に寝泊まりさせて頂いたり、被災家屋を拝借したりする事も多く、そんなときはまずお風呂がついている可能性は皆無ですね。その場合は銭湯を利用するのですが、活動終了が遅い時間であったり、そもそも震災で銭湯も被災して営業していなかったり、という事も多いです。

実際、石巻では「鶴の湯」という銭湯がボランティアの努力によって震災の翌年に営業再開したのですが、なぜか開店休業状態で、週に2~3日しか開いておらず、結局 ぬえが「鶴の湯」の湯船につかることは一度もありませんでした。代わりに深夜まで営業している大街道のスーパー銭湯「元気の湯」をもっぱら利用しておりました。

気仙沼でも活動終了~後片づけ~夕食という流れで動いていると どうしても宿に帰るのが遅くなり、いきおい深夜近くまで営業しているホテルの「日帰り湯」を利用することが多くなります。スーパー銭湯にしろホテルの「日帰り湯」にせよ、ネックは入浴料が高額なことですね~。どうしても800円前後の金額になってしまい、それが滞在中毎日となると。。なんか、活動中に一番お金を使うのは…プロジェクトの活動費は募金によってまかなわれているので、食事や入浴は自費負担を鉄則としておりますのですが…意外や食費ではなく入浴のために使うお金だったりします。食事は、これはいつも驚かれるのですが、もっぱらコンビニ弁当ですね。これが三食という事も多いです。宿舎に炊事設備がなかったり、設備はあっても活動が早朝起床出発だったりするので炊事から食器洗いまでするのは無理なことも多いので。。三陸のおいしいものを食べたい気持ちはあるし、そういう贅沢な食生活をしていると思われがちではありますが、実際の活動のスケジュールを考えると、活動~食事~風呂~睡眠だけで一日が終わる、という感じです。

そんな中、気仙沼の銭湯「亀の湯」さんだけは 抜きん出て利用頻度が高いです。なぜだろう。NHKのドキュメンタリー番組で取り上げられて、震災前には漁師さんたちが長い航海から帰ってくると、まずは「亀の湯」さんでひとっ風呂浴びてから歓楽街に繰り出して行った、とか、彼らが預けた「○○丸」とマジックで書かれたマイ洗面器がズラリと並んでいたとか、被災してから営業再開にこぎ着けるまでに苦労の連続だったとか、こういう事をテレビを通じて ぬえが知っていたのは事実で、それが気になって? いや、そうではありません。やはり「亀の湯」の女将さんの人柄でしょうね。初めて ぬえが「亀の湯」さんにお邪魔したのは震災の翌年の夏で、そのときは宿舎にお風呂はついていたのですが、入浴の順番待ちが時間の無駄だったので、ぬえは太鼓の大川典良さんとともに「亀の湯」に出かけたのでした。そのとき女将さんが ぬえに掛けてくれた親しいお言葉がご縁の始まりかな。大川さんには「。。お親しいようですが。。何度も来てらっしゃるのですか?」と尋ねられて、いえ、初めてです。。とか答えたっけ。

この日、ぬえは一人で「亀の湯」さんにつかりに行きました。閉店は夜8:30ということは知っていたのですが、それに間に合うかなりギリギリな時間。。これに遅れれば、またしてもホテルで高額なお風呂に入ることに。。という時間でした。「すいません! 遅くに」と言いながら暖簾をくぐった ぬえでしたが、女将さんもご主人も、相変わらず明るく出迎えてくださって。。

料金を支払って、さて脱衣所に行くと、若い二人の先客が入浴しているのが見えました。ぬえもカラスの行水なので入浴は早いのですが、この若者二人は ぬえが入浴しているうちにお風呂場から出て行って、ぬえは何だか初めて「亀の湯」さんを独占して。。ちょっと泳ぎました~

さて ぬえも湯から上がって着替えていると、なにやら入口の方で談笑する声が聞こえます。閉店時間も近いのに、相変わらず人の声が絶えないなあ、と思いながら ぬえも脱衣所から出てみると、さきほどの若者が女将さんやご主人も交えて、いろいろと相談のご様子。これには加わらずに ぬえは履き物を履いて外へ出ようとしたのですが。。

ここで聞くとはなしに会話を聞いてみると、どうもこの若者二人は これから陸前高田を目指して行くつもりだそうで、BRTの乗り場や時間を聞いているらしい。これから陸前高田へ? 夜9時近いのに?

そこでようやく ぬえが声を掛けて事情を聞いてみました。。案の定、若者たちはこれから陸前高田に行って、今夜はそこに泊まるつもりなのだそう。この時間にBRTに乗って陸前高田に行っても、徒歩で行ける宿なんてあったかしらん? そう思って宿について尋ねると、持参したテントで眠るつもりなのだとか。

ふうむ、これは放っておけない。

では、とりあえず ぬえの車でBRTの駅まで送ってあげようか? と提案してみました。
二人の若者は喜んでくれて何度も ぬえに礼を言いましたが、その前に、まだ夕食を食べていないそうで、近くの仮設商店街で食事をしたいのだそう。まずはそこまで車に乗せて頂けますか? と。

とりあえず承諾して車で送ることにして「亀の湯」さんから出た ぬえと若者の都合三人ですが。。ううむ。ここから近い復興商店街というと「気仙沼横丁」だと思うけれど、そこまで送っても、またBRTの乗り場とは違う場所だし。。そもそも これから食事をして、まだBRTの終電に間に合うのか??

そこで ぬえも考えまして、それじゃ ぬえの宿舎に泊まる? と提案しました。

ちょうど ぬえも今夜は一人だけで泊まることになっていたので、うまい具合に話し相手が見つかったと思ったのも事実。でもそれだけじゃない理由が ぬえの側にもあったのです。

第23次支援活動<気仙沼市>(その2)…ごろごろイチゴのかき氷

2014-09-10 09:52:45 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【8月14日(木)】

この日は朝から気仙沼市役所に行き、活動の助成金などについてお話しを伺いました。いろいろな助成金があるのねえ。プロジェクトとしても本当は本格的な能楽公演をめざしているのですが、なかなか資金面ではウニャムニャ。。なもので。。企業とかまわって寄付金お願いした方がよいのかなあ。

市役所では担当の方がそれは親身に応対してくださったのですが、聞けば震災ボランティア出身の方なのだそうです。こういう人、たくさんおられますね。女川町では震災直後に一人で手伝いにやって来て、半年テントで暮らして。。現在は町の職員となり、地元の女性と結婚されて仮設住宅にお住まいの方とか。。公務員でなくても被災地に住所を移していろいろなプロジェクトを起こしたりお店を開いたり、という方は本当に多いと思います。

そのうえ気仙沼市役所には翌日のプロジェクトの公演「星と能楽の夕べ」のポスターが掲示してありました! あう~申し訳ないです~~

資料を頂いて市役所を後にして、次はその「星と能楽の夕べ」公演の会場である気仙沼中央公民館の下見に。

会場の申込みの前に下見には来ている ぬえでしたが、今日はフルートの浩乃ちゃんが同行してくれているので、事前に会場を見てもらう必要もありましたし、また ぬえ自身もいざ公演を組み立てる段階になって、会場の設備や造作、広さなど記憶がおぼろな部分もあって、確認の作業が必要だったのです。

ああ、ここでも職員さんが本当に親身になって相談に乗ってくださいまして、ぬえの計画を申しあげたところ、なんと一部使用させて頂く部屋を変更した方が良いのでは、というアドバイスまで頂きました。この下見で会場の壁や窓の位置などを確認して、クリアしなければならない問題をたくさん発見したのですが、職員さんの提案によって部屋を変えることで一挙に解決! そのうえ書類の訂正はこちらでやっておきますから大丈夫ですよ、とのお言葉まで! なんで皆さん、そんなに優しいの~? (・_・、)

さてせっかく中央公民館まで来たので、新装なった「海の市」を見に行きました。

ここは震災前には「気仙沼リアスシャークミュージアム」と呼んでいたと思います。併設して「氷の水族館」というものがありました。漁港ならではの面白いもので、水揚げされた魚を製氷技術で氷詰めにして展示してある水族館。。でも ぬえは見たことがないのです。震災前に学校公演で気仙沼を訪れたときに、これは見に行かねば! とは思ったのですがスケジュール的に無理でして。。

「氷の水族館」の展示内容はこちらに詳しいです。

→ playful Wanderer「気仙沼:氷の水族館 リアスシャークミュージアム」

現在は装いも新たに「海の市」となり、建物の外観のイメージカラーも以前の青から赤に変わりました。「リアスアーク美術館」と間違えやすい名称の「リアスシャークミュージアム」も館内に再開しましたのでそこも見学。鮫の専門の博物館なのですが、やはり震災の被害とそれからの復興の歩みを展示するコーナーや映像の上演もありました。「氷の水族館」はさすがにありませんでしたが、いずれ再開する、というようなウワサも耳にはしました。

村上朋子さん、高橋和江さんのお店に顔を出して挨拶や軽い打合せをして、お昼ご飯を食べて、やがて浩乃ちゃんは翌日の公演のためにピアニストの村上典子さんと練習するためにBRTバスに乗って志津川に向かいました。

ぬえもやはり公演の準備に。。今回の公演には問題が少々残されていましたが、一番の問題は機材オペレーターが必要だ、ということでした。この問題をクリアするために いろいろと考えていたのですが。。やはり外注しかないだろう、と、この日ようやく決断するに至りました。そこでオペレーターを気仙沼で現地調達することに決めて、「ともしびプロジェクト」の杉浦恵一さんを頼りにすることに。そこで彼が立ち上げたシェア・オフィス「co-ba KESENNUMA」へ。

あいにく杉浦さんは不在でしたが、被災店舗を改装した「co-ba KESENNUMA」や、おとなりの「ともしび工房」を初めて訪れることができました。また奥さんの美里さんに会い、気仙沼のヤンママさんのためにプロジェクトを始める、というお話しを聞くことができたのもよかったと思います。「co-ba KESENNUMA」は南町にあるので紫市場の仮設商店街はすぐとなり。杉浦さんが帰って来るのを待つ間に ちょいとひやかしで覗いてみると。。ををっ、なにやら豪華なかき氷を売っている模様。お値段400円ですって。う~ん、どうしようかなあ、と「co-ba KESENNUMA」に戻ってスタッフさんにその話をしてみると、なんとそのかき氷、B級グルメだかの大会でグランプリを勝ち取ったのですって!

ををっ、そうなのか、とすぐに緑さんと かき氷食べました~。うん、さすがに美味い!

かき氷と、優勝したという大会は。。これかっ!

→ 気仙沼復興商店街 南町紫市場「ごろごろイチゴのかき氷」販売決定☆

→ NPO AMDA復興支援 第7回『 復興グルメ F-1大会』in陸前高田市 開催報告


かき氷の情報をくれたスタッフさんは、その後プロジェクトの活動に協力頂くことになりますが、この時はそういう展開になるとは思いもよらず。。(^_^;)

そのうち別のスタッフさんが杉浦さんと電話で連絡を取り、じつは体調が悪く自宅で休んでいる、ということだったので、予定を変更して杉浦さんのご自宅へ。

杉浦さん、なんでも数日前まで高熱が続いていたのが、その後もずっと微熱に悩まされているのですって。体調悪いところ申し訳なかったのですが、翌日に迫った「星と能楽の夕べ」公演にはどうしても機材オペレーターが不可欠で、その人材の応援をお願いしました。安い金額ではありましたが謝礼は用意させて頂くことにしましたが、プロジェクトとして出演者以外のスタッフさんを雇ったのはこれが初めてですね~。杉浦さんからも心当たりを尋ねてみましょう、と心強いお答えを頂いて、この日は失礼しました。

ここで緑さんをご自宅に送って、さて ぬえは独りぼっち。夕食は例によってコンビニ弁当で済ませ、ああいけない、もうこんな時間か、という事で気仙沼の銭湯「亀の湯」さんに向かいました。

ここでまた新たな出会いが。

第23次支援活動<気仙沼市>(その1)

2014-09-05 18:31:35 | 能楽の心と癒しプロジェクト
すっかり秋めいて参りましたが、半月ほど前のお盆の頃、ぬえら「能楽の心と癒やしプロジェクト」では第23次となる東日本大震災被災地支援活動を行って参りました。
行き先は最近入りびたり気味の気仙沼市。。(^_^;)

しかしながら内容は大変に充実していました。久しぶりの「星と能楽の夕べ」公演を行ったり、仮設住宅の慰問活動、そして こちらもおなじみになりました地福寺さんの「送り火の集い」に再び参加させて頂いたり。。それから年末年始の活動にもお手伝い頂いたフルート奏者の内野浩乃ちゃんにも再び参加頂いたこと、そのお相手としてのピアニストには宮城県・涌谷にお住まいの村上典子さんにご協力をお願いできたこと。。滞在中にも 被災地を見にやって来た 見ず知らずの若者を宿舎に泊めてあげたり。。なんだか いろんな事があった活動でしたが、印象的な活動であったと思います。

前回の活動では活動資金の枯渇に直面して有料のワークショップを中心に活動を行いましたが、その甲斐あって本年中の活動を継続できる見通しが立ち、今回はようやくプロジェクトの本来の主旨である仮設住宅での活動も、それからプロジェクトの独自の目標たる「文化の復興」へ向けての活動も、どちらも成就できたことが まずもって満足でありました。それでは活動報告の始まり~

【8月13日(水)】

朝、ぬえの自宅最寄り駅にてフルート奏者の浩乃ちゃんと待ち合わせ。そのまま東北道をひた走り仙台へ。

気仙沼市民でプロジェクトの協力者。。というより、すでに現地事務所か、現地コーディネーターのようになっている村上緑さんをここにてピックアップ。。が、じつはこの数日前より緑さんと音信不通になっていまして。。 ちょっと慌てましたが どうも緑さんの携帯が壊れたらしく、ようやくこの前日に連絡が取れて待ち合わせの場所と時間を決めることができました。

気仙沼に行く場合、通常なら東北道を一関まで一気に北上して、そこより東に1時間半かけて市内に至るのが普通ですが、仙台でいったん高速を降りてしまうと、どうもまた東北道に乗るのも煩わしく、また内陸を走る東北道で一関に行ってから気仙沼に向かうのはちょっと遠回りなので、2時間を掛けて三陸道~海岸線の国道45号線を通って行くのと時間のうえでは大差なく、こちらの道を使うことが多くなりました。

国道45号線を使うのは、それが被災各地を縫いながら進む道だからでもある。。震災から3年5か月、ぬえは震災の3か月後から当地に通っているので ちょうど3年を超えたばかり、という事になりますが、各地が復興に向けて変わっていく有様を。。私たちは「定点観測」なんて言っておりますが、そうやって見守っていく事も大切な活動と思うからでもあります。



そうして まずたどり着いた南三陸町・志津川の「防災対策庁舎」。もう骨組みばかりになってしまっていますが、いまはなき気仙沼の第十八共徳丸などと同様、震災遺構として保存するか解体するか、両論が入り乱れて議論は混迷を極めました。結局 南三陸町長が取り壊しを決定したのですが、昨年 国が震災遺構を保存するための支援を打ち出したため再び議論の対象となり、現在は有識者会議で保存すべき遺構の選定が行われて、その結果が出るまで結論は持ち越しになっているそうです。

一方では震災遺構が観光地化している印象もあり。。震災の記憶の風化とともに考えるべき問題はたくさん残されていますね。

志津川の防災庁舎といえば、大津波が襲うまで町民に避難を呼び掛け、自身は犠牲となった 職員の遠藤未希さんのエピソードが有名ですね。実際にその呼び掛けの放送を聞いて避難したため難を逃れた人々も多く、未希さんの放送は「天使の声」と呼ばれています。

→ 防災庁舎 遠藤未希さんの悲劇

そうしてご両親が未希さんの遺志を語り継ぐために、民宿「未希の家」を始めることになった。。というのは去年のニュースだったと思いますが、オープンはこの夏だったようです。

→ 民宿「未希の家」が来週のオープン

→ 南三陸町観光協会 


志津川漁港に面する堤防の「汚すまい この海 この浜 この港!!」のキャッチフレーズ。港へ通じる道路も立派に舗装されていました。



こちらは2011年8月の光景です。海を守ろう、という呼び掛けが書かれた堤防が破壊されている姿に衝撃を受けたものでしたが。。



こちらは気仙沼市に入った本吉地区の小泉海岸です。ここも何回通ったことか。震災前にすでに廃墟となってしまっていたかつてのアミューズメントパークが、それでも以前は陸地にあった建物が、いまは海の波に洗われています。この日はちょっと雲が多かったね。



こちらは階上地区の杉ノ下の漁港近くにある小島。引き潮のときには島に渡る洲が現れるそうで、それを聞いてから渡るのを楽しみにしているのですが。。この日は波が荒れていてダメでした。



同じく杉ノ下地区に建てられた慰霊碑。この地区では震災によって100名近い人々が犠牲になりました。このこと自体はすでに聞いていたのですが、先日NHKのドキュメンタリー番組で経緯が紹介されていました。市の防災対策でもこの場所は津波にも冠水しない場所として避難場所として指定されていたのが、今回の震災による大津波はその想定を遙かに超えてしまい、結果として多くの犠牲を出してしまった場所です。。
番組では担当者の苦悩も描かれていました。



こうして夕方前に気仙沼市に到着しました。まずは今回の宿を提供してくださる佐々木優子さんのお宅にご挨拶。佐々木さんのお宅では「倉庫」と呼んでいる離れを今回拝借することになったのですが、二階建てでそれぞれ和室が設えられた、なかなかどうして倉庫とは言えない立派なおうちでした。

荷物をまずは宿舎に下ろし、それから気仙沼大島の花火を見に行くことに。

じつは今回は大島の「浦の花火」に二度目の出演をすることを当初計画していたのですが、種々の事情もあってそれは叶いませんでした。そうなってしまうと日程は花火大会に合うのだけれど、大島にフェリーで渡ってしまうと泊まる場所に困る。。というわけで、今回は気仙沼の本土から海を隔てて花火を見ることにしました。

こちらは松岩地区の漁港です。ここから海を隔てて大島までは数百メートルという距離でしょうか。花火が打ち上げられる大島の浦の浜まで、となると1kmくらいかと思いますが、思いの外に花火はよく見えました!



思えば震災の翌年の夏に大島の浦の浜の花火大会に出演しました。当時はイベントなどはまったくなくて、会場にはテントの下の露店がようやく1つか2つある程度でした。そこで。。大きな水たまりもある壊れた舗装道路で「羽衣」を舞ったのですが、遠く離れているはずの大島の集落からどうやって集まったのか。。路上は多くの住民さんが集まり、そうして大変興味を持ってご覧頂いたのでした。

あれから2年。。今回大島に渡れないのは当方の事情もありますが、花火大会に付属するイベントも増えてきたため、必ずしもすべての団体が出演できるわけではない、とも言われて断念しました。この日聞こえてくる大島のアナウンスによれば やはりずいぶん盛り上がっていろいろな上演や演奏が行われているようでした。

やがて宿に帰り、近所の飲み屋さんで作戦会議を開いてから就寝しました。

決算報告書(2014.05.18~19)

2014-06-22 00:10:10 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第22次被災地支援活動
(2014年05月18日~19日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金       82,101円
     募金収入              5,000円
     活動時募金収入          97,500円         収入計  184,601円

 【支出の部】
  〈活動費〉 32,900円
    ◎交通費        31,640円
     (高速道路通行料         14,010円)
     (ガソリン代            8,430円)
     (ガソリン代            9,200円)
    ◎印刷費        1,260円
     (チラシ印刷費           1,260円)        支出計    32,900円

 【収支差引残額】                          残額    151,701円

※注※
・今回の活動までに直接頂戴した募金1件5,000円(クラチさま)、現地活動中に頂いた募金5件(茶道裏千家気仙沼地区会さまより40,000円、北野神社菅原秀紘さまより5,000円、煙雲館ワークショップご参加のみなさまより15,000円、柳津虚空蔵尊ワークショップご参加のみなさまより37,500円)がある。大変ありがたい事で各位に御礼申しあげる。なおワークショップのご来場者さまから頂いた参加費はプロジェクトの活動への応援と捉え、入場料・参加料ではなく募金として取り扱うこととした。
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、休日・深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・今回は煙雲館や裏千家気仙沼地区会、柳津虚空蔵尊さまの献身的なご協力を頂いて2度の有料ワークショップを行うことができた。その結果プロジェクトの活動資金も少々余裕が出る結果となった。昨年10月第16次活動の頃の30万円ほどの資金には遠く及ばないものの、本年の活動を継続できる見通しが立ったことは大変喜ばしいことである。今後も被災地でイベントやワークショップに限り有料の上演を行う予定であるが、会場の条件により募金を募る場合もある。また被災地以外の場所でも活動報告会を開いたり、引き続き企業スポンサーなどを探す努力を重ねたいと考えている。銀行口座への募金も引き続き呼び掛けさせて頂く。
・消費増税、また高速道路利用料の割引縮小という厳しい状況であるが今回は往路は東京~仙台、帰路も松島~東京間と高速道路の利用距離が少なかったことと、往路は休日割引の適用があったために多少節約になった。またチラシ印刷も格安の業者プランを新たに開拓し、大幅に印刷費の節約をすることができた。今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。

 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上
  平成26年5月28日

                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                               (住所)
                               (電話)
                               E-mail: QYJ13065@nifty.com
↓領収証は次頁以下に添付