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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

決算報告書(2015.03.11)

2016-03-30 20:59:21 | 能楽の心と癒しプロジェクト
すいません、またもや1年前のご報告。。

この頃 母が亡くなり、実家に引っ越ししたりでホント、何もできませんでした。
引っ越しのどさくさに領収証を紛失したりして、決算もまとめられないままでいましたが、ちょっと時間が空いたので、とりあえず決算報告だけ完了させました。


能楽の心と癒しプロジェクト
第26次被災地支援活動
(2015年03月11日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金       130,888円
     募金収入             100,000円         収入計  230,888円

 【支出の部】
  〈活動費〉 15,950円
    ◎交通費        15,950円
     (高速道路通行料         15,950円)        支出計    15,950円

 【収支差引残額】                          残額    214,938円

※注※
・前回活動からの繰越金のほかの収入は、募金1件100,000円(ワタヌキさまより)である。プロジェクトに厚いご支援を頂き、深く御礼申しあげる。
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、休日・深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ1人1泊5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため、宿泊プランに朝食が組み込まれている場合を除いて参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・プロジェクトでは従来活動資金を募金に頼っていたが、一般からの募金の減少を受けて、本年より被災地でも有料のワークショップ等を展開している。これらの活動による収益を、仮設住宅への慰問活動や仮設商店街の振興協力などプロジェクトの本来の目的である被災者への直接支援のための活動資金に充当するべく、両者は有機的な関係であるべきであるが、実際にはまだ有料の活動は少数回に留まっている。
・今後も被災地でイベントやワークショップに限り有料の上演を行う予定であるが、会場の条件により募金を募る場合もある。また被災地以外の場所でも活動報告会を開いたり、引き続き企業スポンサーなどを探す努力を重ねたいと考えている。銀行口座への募金も引き続き呼び掛けさせて頂く。消費増税、また高速道路利用料の割引縮小という厳しい状況であるが今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。

 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上
  平成28年3月30日


                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                               代表   八田 達弥
                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com



気仙沼・旧月立小学校(仮設)にて上演

2016-03-03 13:40:48 | 能楽の心と癒しプロジェクト
(トップ画像は斉藤厚子さん撮影のものを拝借しました)

昨年の6月、気仙沼・唐桑半島の先端に位置する御崎神社での奉納を終えてから、今度は市の反対側。。岩手県・一関の方向に戻ってから北西に山間を分け入った先にある八瀬(やっせ)地区の旧・月立(つきだて)小学校に向かいました。

月立小学校には敷地の隅に今は使われていない旧校舎と仮設住宅があって、一方グラウンドをはさんで敷地の反対側には近代的な新校舎が建てられています。プロジェクトでは仮設住宅での上演を希望していたのですが、小さい仮設住宅のために集会所が備えつけられていないのと、旧校舎が大変趣のある建物なので、天候に恵まれれば仮設住宅に面した旧校舎の前で上演することになりました。

当日は快晴で、到着した月立小学校の旧校舎を見て、その建築の素晴らしさにびっくり。それもそのはずで、大正時代に建てられた旧校舎は国の登録有形文化財に指定されていました。





子どもたちの勉強には使われていないといっても、この旧校舎はセミナーやワークショップなど いろいろなイベントで活用されているようで、整えられた教室で着替えをして、午後4時から能『羽衣』を上演しました。







ちょっとした山奥という感じの所ではありますが、気仙沼市民の友人たちもたくさん駆けつけてくださいました。やはりこの雰囲気のある旧校舎の建物は市民の間にも有名なのでしょうね。ちょっと階段を下りるのが怖かったけど、仮設住宅の駐車場としてアスファルト舗装されて整備されている校庭にも降り立って舞ってみました。いや、気候もちょうど良くて気持ちの良いこと。今回の上演の話をまとめてくださった菊地隆太郎さんはこの月立小学校の卒業生で、当時はまだ旧校舎で授業を受けておられた由。うらやましいです~

終演後は控室として使わせて頂いた教室で能楽ワークショップをして、住民さんに楽しんで頂きました。







また片づけが終わったところで、ここでの上演の主催者である「八瀬・森の学校」のみなさんから、最近取り組まれて話題になっている「八瀬そば」をごちそうになりました。



この記事を書いているのがこの公演から9ヶ月近くも経った2016年3月のことなのですが、最近 この月立小学校が統合される計画であることを知りました。

昨年3月。。というから ぬえたちプロジェクトが活動したときには、すでにこの計画は発表されいたわけですが。。

気仙沼市義務教育環境整備計画(案)

この計画案によれば「月立小学校は,平成27年度の出生数や居所動向等の実態,通学路の整備を確認した上で,保護者並びに地域住民の理解を得ながら,平成29年4月までに新城小学校と統合します。」とのこと。

新城小学校? 新城といったら八瀬からはJR大船渡線を越えてずっと南方にあたる地域のはずだが。。と思って調べてみたら、両校の間は8kmも離れていました。シミュレートしてみたら、車でも30分かかる道のり。。

震災後の被災地で、校舎の損壊や住民の減少により統廃合された学校をいくつも見てきました。八瀬は山間部の地域なので津波の被害はなかったので、ちょっと被災地地区と状況は違って、これは少子化の影響が顕著に現れた結果でしょう。とはいえ、今後は通学には大変な苦労がつきまとうことになります。

一方、被災した学校が再建されるまでの間、海から離れた近隣の学校の校舎を間借りしたり、よその学校の敷地内にプレハブの仮設校舎を建造したりして運営されてきた(現在でもまだその状態が続いている学校もあります)、いわば「仮設学校」の児童生徒は、居住地域から毎日バス等で集団で登下校せざるを得ないため時間に制約を受けるなどの原因によって、他の地域の児童生徒と比べて学力が低くなる傾向が見られる、といった問題は以前から指摘されてきました。

。。これは被災地だけの問題に限りませんね。ぬえも国内各地の学校公演の中で きびしい現状もいくつか見てきました。全校児童が20人弱の小学校。。学校の玄関・昇降口に掲げられた5つの校歌のレリーフ。。これは5つの学校が統合された事を意味していました。ということは遠く離れた、本来は違う学区に所属するはずの子どもたちが、統合されたこの一つの学校に毎日通学しているのです。通学バスが整備されていても、通学にかかる時間のロスはいずれ大きな影響を生み出す可能性があります。そのうえで被災地ではさらに、高台移転やら災害公営住宅への引っ越しやら、毎日めまぐるしく町の状況が変わっていく。。落ちついて勉学に集中できる環境が整うことを心より願っています。

気仙沼・御崎神社にて奉納能

2016-02-18 09:49:20 | 能楽の心と癒しプロジェクト
これまた、昨年6月の活動のご報告。。

はじめて南郷地区の災害公営住宅で活動したあと、唐桑半島の先端にある御崎神社に向かいました。
気仙沼市街からはかなり離れているというのに、この神社は崇敬を集めているようですね。主祭神として祀られているのは やはり漁業に携わる方の多い土地柄とて大海津見大神でした。それどころか、伝承ではほど近い小島・児置島に神が降臨したのがこの土地に神社が鎮座した由縁とのこと。

奉納は翌日でしたが、この日は神社のご厚志を頂いて「御崎荘」に泊めて頂くことになっていました。「御崎荘」は旅館で、現在は休業中。海を見晴るかす客室に泊めて頂き、そのうえ夕食まで大広間でごちそうになり、ん~、プロジェクトの活動の中でも屈指の厚待遇を受けてしまいました。。ありがたや~



翌朝、早朝に起きて御崎。。すなわち唐桑半島の突端にあたる岬までの遊歩道を歩いてみました。小さな灯台や文学碑とともに、かつて嵐に遭った漁船を助けた鯨の霊を祀るという鯨塚、神が降臨した児置島、そこから神が八艘の船に乗って上陸した場所と伝える八艘引と呼ばれる岩場。。ここは神話の世界です。





そぞろ歩いて岬を一周して、陽沼・陰沼と呼ばれる入り江を見下ろす展望台にさしかかった時。
突然目の前にカモシカが現れました!



以前にも気仙沼市内や山中でカモシカと遭遇したことはあるけれど、今回は至近距離! そのうえこの場にいるのは ぬえ一人! こりゃ、ヘタに動くと襲われるな。。と思い、視線はカモシカから外さないまま ゆっくりと海に面した展望台へ続く階段を 横歩きしながら下って行くと。。やがてカモシカ様は ぬえが来た道をゆっくりと。。人間に道を譲ってもらったのが当たり前のように、ここはオレの領土だぞ、と言わんばかりに悠然と立ち去って行きましたとさ。



朝食も神社のおはからいで頂戴し、さて朝10時から『羽衣』を奉納上演させて頂きました。奉納場所は関係者とも事前にかなり話し合ったのですが、前日に場所を実見して、社殿からは一段下がった場所。。社務所と手水舎との間の参道で執り行うことと致しました。

社務所で装束に着替えさせて頂き、やがて石段の下からご祭神に拝礼してから奉納させて頂きました。石畳のうえで条件は悪かったけれど、とても清浄な空気を感じて、こちらもとても気分が良かったです!









終了後、御崎荘の玄関ロビーで簡単な能楽ワークショップも。

こちら、美しい方は宮司さまのお嬢さん。それから今回 御崎神社での奉納をとりまとめてくださった、菊地隆太郎さんにもモデルになって頂いて、装束の着付けのデモンストレーションもできました。











帰りがけには唐桑にあると聞いていて、一度行ってみたかった「唐桑半島ビジターセンター」の中にある「津波体験館」にも行きました。



これは震災の前からある施設で、それほどこの地方では津波は恐れられていたのです。三方向に大きく写し出される映像と音響、それに合わせて動き振動する座席、さらに送風機によって約10分間のリアルな津波の体験をする、ライド型の博物館、といった感じ。この施設、震災後は被害の記憶を思い出させる、として住民さんから嫌がられているのでは? と勝手に想像していましたが、施設は震災後に改修され、ちょうど ぬえたちが訪問する少し前には、映像もかつての明治・昭和の大津波のものから東日本大震災の津波映像を中心とするものに切り替えられたのだそうで、深刻な被害への教訓を後世に伝える施設として新たなスタートを切っていました。

気仙沼・南郷地区 災害公営住宅での上演

2016-02-03 08:20:34 | 能楽の心と癒しプロジェクト
昨年の話題の続きですが。。

2015年6月18日(木)と 8月31日(月)の2度に渡って、気仙沼市に建設された「災害公営住宅」にて活動させて頂きました。

災害公営住宅とは、激甚災害によって住宅を失った方々のうち、自力で自宅を再建する見込みがない場合に国や自治体によって供給される住宅で、東日本大震災の場合は特例措置が講じられ、国庫から東日本大震災復興交付金による建設費用の補助を増額して自治体の負担を減らしたり、入居できる住民さんの要件が緩和されたり対策が取られました。震災当初は避難所、その後に建設された仮設住宅と居住の場を変えてきた住民さんは、これをもってようやく定住することになります。

。。が、実際には、まずは震災から4年以上を経てようやく建設がはじまった災害公営住宅の、あまりに遅い進捗。いったん入居時期が発表されたものの、その後 延期された住宅が数多くありました。気仙沼市の場合、市内・郊外あわせて28か所で建設が進む公営住宅のうち、入居時期が予定通りに進んだのは わずか3か所だけだった模様。その遅延の理由も、建設計画の変更なども もちろんあるのですが、「入札不調」「労務確保(の不調)」「資材調達(の不調)」など、どうも下敷きになっている根深い問題が想像されるものも目に付きます。

一方で被災地では すでに工事が始まっている防潮堤の「不要論」が盛んに議論され、また一時は 東京オリンピックのための建築ラッシュによって資材や技術者が高騰しているのだとも まことしやかに囁かれ。。

なんにせよ公営住宅の建設が遅れているために、被災地ではもう何度目になるでしょう、仮設住宅の設置期間が昨年春に延長され、当初法令の定めにより「応急仮設住宅」として建設されたプレハブ等の住居に、被災者は6年間も住み続けなければならない状況です。しかも、6年目いっぱいで仮設が解消されるのかというとそうではなくて、災害公営住宅の整備が完了するのに震災から10年かかる、という予想もあり、今後も毎年国と自治体が協議して延長期間が更新されていくと思われます。

【参考】
応急仮設住宅の供与期間の延長(5年→6年)について(宮城県サイト)

災害公営住宅整備事業 各地区の工事進捗状況(気仙沼市サイト)

災害公営住宅の入居遅延状況(今川悟気仙沼市議サイト)

このように難しい状況ではありますが、まずは気仙沼の住民ボランティアの村上充さんのご紹介により、「能楽の心と癒やしプロジェクト」として市内・南郷地区に完成した公営災害住宅で2度に渡り活動させて頂くことができました。

ここ、南郷地区公営住宅は大きな敷地を持っている、3棟最大10階建ての巨大な集合住宅ですが、じつはこの敷地は南気仙沼小学校の跡地に建てられたもので、小学校自体はとなりを流れる大川が津波の遡上によって水が溢れ、周囲一帯の住宅地とともに被災して、ついに廃校となりました。

敷地の中には校門など往時の痕跡をとどめるものが残され、また建物の外壁のうち下層階にペンキが塗られていないのは、かつての学校の建物の高さを表しているのだそうです。

活動したのは「南郷コミュニティセンター」という場所ですが、仮設住宅であれば集会所にあたるところ。仮設住宅は臨時に建てられたものですが災害公営住宅は恒久的な建物であるため、南郷地区の1区画として正式な行政区画の一部になります。そのためコミュニティセンターは公営住宅だけでなく、南郷地区全体の住民さんのための憩いの施設であり、地区集会所という感じの役割を負って建設されました。

それにしても内部のキレイなこと! これまでプロジェクトが活動してきたのが避難所や仮設住宅、そして仮設商店街、という応急施設ばかりだったもので、ここまで立派な施設での上演はなんだか居心地が悪いような(笑)

6月の上演では、いつも初めての場所では必ずこれを上演することにしている『羽衣』を上演しました。







そして2回目の上演となる8月には『松風』を。





じつは6月の上演では、途中で住民さんの中に具合が悪くなった方があって、ぬえも動揺してしまい、能の上演はできましたが、その後に予定していたワークショップは中止になってしまいました。そのため8月は改めましてワークショップを執り行わせて頂きました。







考えてみれば、震災の年の夏に石巻の湊小学校避難所で ぬえたちプロジェクトが『石橋』を演じたのが、避難所で能楽が上演された最初です。その後、これも石巻で、震災の年の年末に開成仮設住宅で年越しのイベントに参加したのが、これまた仮設住宅での能楽上演の最初。今回も気仙沼・南郷で災害公営住宅で能楽を上演したのも、能楽師として初めてのことだったと思います。

しかし、避難所での初の上演から仮設住宅での最初の上演までが たった半年だったのに対して、仮設住宅での最初の上演から、公営住宅での上演までには3年半の期間が空いてしまいました。
この記事を書いている2016年2月初旬の段階で、少なくとも気仙沼市では あちこちに ちらほらと、ようやく公営住宅が姿を見せ始めた、という程度。震災から5年になるのに。。まだまだ先は長いな、と考える ぬえでありました。

気仙沼・大島中学校で能楽ワークショップ

2016-01-23 02:15:11 | 能楽の心と癒しプロジェクト
。。というわけで昨年の活動について 今さらながら遅れに遅れてご報告申し上げます。

ええと。。4月の宮城県・塩釜市の塩竈神社での奉納上演や 伊豆の国市子ども創作能の鎌倉公演まではご報告したっけ。。 この頃も上演のほかに いろいろな事がありました。特筆すべきは3月末に東京・渋谷区松涛の観世能楽堂が閉館したことでしょう。ぬえも ほかの多くの観世流の能楽師同様、このお舞台で初舞台を踏み、初シテもここで迎えましたし、いくつかの難しい曲の披キも多くはこちらのお舞台で勤めさせて頂きました。

ぬえの師家として観世能楽堂での公式の最後の公演は3月19日にありましたが、なんと ぬえはその日の公演で上演された2番の能のうち、2番目の能『邯鄲』の地頭を勤めさせて頂きました。 ということは! ぬえの師家としての観世能楽堂での最後の公演の、そのまた最後の上演曲で これまた まさかまさかの最後まで声を出していたのは ぬえなのでした! お~~っ! (ちなみにこの『邯鄲』の上演が終わって楽屋で師匠にご挨拶申し上げたところ「地謡、良かったよ」と大変珍しく 師匠からお褒めのお言葉を頂戴しました!)

が、それだけでは終わらない。

この翌々月、師家の月例会は会場を移して同じく渋谷にあるセルリアンタワー能楽堂で開催されました。新しいけれどちょっと狭い能楽堂ですけれども、それでも師家の催しとしてこの能楽堂を使用するのはこの日が初めて。ところが、その新しい会場での最初の出番。。能の上演の前にある仕舞のうち、一番最初の曲『嵐山』を ぬえが舞うことになっていました。

。。ということは、新しい会場で口開けをしたのも これまた ぬえだったのです!。。単なる偶然ですけれどもね。

この頃は母が亡くなって一人住まいになった老いた父と同居するために実家に引っ越しをするのに大忙しの頃でもありました。気仙沼の教室に行くとき、レンタサイクルを借りて 母の葬儀の際にお花を大量に供えてくださった気仙沼の友人たちにご挨拶してまわったり。もうあれから1年近くになるのかあ。

さて次に特筆すべきは「能楽の心と癒やしプロジェクト」として、はじめて行った学校での能楽ワークショップです。これは7月14日に、気仙沼の大島中学校で行わせて頂きました。

考えてみれば ぬえの被災地支援活動のきっかけは、震災前に石巻と気仙沼で行った学校公演だったのです。これが、このとき宮城県の小中学生は大変に印象が良くて。鑑賞態度や挨拶の励行など、ともかく素晴らしいな、と思いながら学校公演を終えたのですが、それからしばらくして東日本大震災が起こって。。あの子たちはどうしているだろう、と思ったのが最初で、それで被災地での活動をはじめたのです。

その後の被災地での活動はご報告の通りで、避難所や仮設住宅、仮設商店街、寺社への奉納、近来は公営災害住宅んどで能楽の上演や能楽ワークショップを行ってきましたが、じつは ぬえが 思っていたこと。。学校公演の際に見たあの子たちが元気でいるかどうか、は いまだにわからないままではあります。。

もうそれは無理な話で、震災からまもなく5年を迎えようとする現在、ぬえが学校公演で出会ったあの子たちはみんな卒業して進学してしまっているはずなのですから。

それで、せめても、それらの学校での現在の在校児童・生徒に能楽ワークショップを行うことは ぬえの目標のひとつでもありました。。。が、学校でのワークショップ開催は なかなか難しい問題もあって。。これまで実現できずにいました。

それがこの度、気仙沼の市民の協力者の尽力によって、教育委員会や校長会にお願いして、ついに気仙沼市立大島中学校でのワークショップが実現したのでした。

大島中学校という名の通り、この中学校は気仙沼市内ではなくフェリーで30分ほど行った「大島」にある唯一の中学校です。この日は学校の全面的なご協力を頂き、フェリーの乗船料をご負担頂いて、5~6時限目にあたる13時から90分ほどの間、全校生徒48名に能について知って頂く機会を頂きました。

結果ですけれども、やはり宮城県の子どもたちは素晴らしい! みんな懸命に舞の稽古い取り組んでくましたし、面や楽器の体験でも希望者が多くでて、それだけじゃない ユーモアまでみんな心得ていて。面や楽器を触らせるには、取り扱い方などきちんと教えるのですが、それを逸脱することなく、不作法にふざけることもなく、それなのに なんかみんな楽しんじゃうのね。















それを端的に表すのがトップ画像で、女面と般若を顔に当てた生徒二人がお互いに見つめ合っているところ。「面は大切に扱って。触ってよいのは面紐を通すための穴のところしか持ってはいけない」と指導したのですが、それはちゃんと守りながら、女性の心情の極端に違う二つの面を表した能面を顔に当てて、それでお互いに見つめ合う。。ぬえはこれを見て笑っちゃいましたけれども、鋭いメッセージ性も感じられますよね。こういうことを とっさに考える生徒さんの洞察力や想像力ってスゴイと思います。

第26次・第27次支援活動(まとめ)

2015-06-03 02:39:13 | 能楽の心と癒しプロジェクト
もう3ヶ月も前のご報告になってしまいますが。。

今年の3.11の日は、すでにご報告した仙台市若林区・荒浜での活動に引き続き、名取市・閖上で活動させて頂くことができました。どちらも震災では甚大な被害を受けた場所で、ぬえが震災後に初めて被災地を訪れた際には通行止めのため近づくこともできなかった地区です。

閖上で活動を受け入れてくださったのは「3.11閖上追悼イベント2015」を主催する名取観光物産協会の復興部会さまで、この日は会場である旧閖上中学校に絵灯籠が飾られ、黙祷のほか閖上太鼓の演奏や当時中学生だった生徒の被災体験の作文朗読などが行われました。荒浜では地震の時刻に合わせての上演となり、ここ閖上では津波の到達時刻に合わせてイベントが行われたため、ぬえたちプロジェクトは両方の地区において活動させて頂くことができたのですが。。荒浜から閖上までの移動は大変あわただしく。。震災当時の避難の模様も想像されることでした。



会場の旧閖上中学校は津波の被害を受けたままの姿を残していました。







荒浜から装束を着たまま閖上に来たのですけれども、控室に拝借した教室はとても装束を広げられる状態ではなく、立ったままで面を掛け天冠を着ける有様。。しかしこの時に撮って頂いた画像。。トップ画像がそれですが、ぬえはこの画像が好きです。被災地での活動の中で忘れられない一枚になりました。

ここでの上演は『羽衣』です。荒浜では追悼の意を込めた『松風』であったのとは対照的に、犠牲者への鎮魂の意味は込めながら、未来へ向けて幸せを築いてゆく希望をもたらす曲という思いも込めて。。







終演後、着替えての帰り道には絵灯籠が優しく揺らめいていました。



続いて4月18日(土)、プロジェクトでは塩竃神社で奉納上演を致しました。

塩竃神社は、これまた ぬえたちが一度は奉納したいと思いながら果たせずにきた神社です。こちらも ぬえは震災3ヶ月後のはじめての来訪時に訪れて参詣しましたし、また当時、ネットでホテルの予約ができたのも塩釜市だけでした。右も左も分からず、ただ被災地の支援をしたいという思いだけで出発した ぬえにとって、東京から宿泊場所が確保できたのは大変心強かったのを覚えています。

そうして塩釜や松島が思いのほか被害が少ないのを見て安堵したのもまた事実。そのあと東松島市や石巻の有様を見て絶句したのですが、どうやら松島の、あの、陸地からは まばらに見える小さな島々が、全体としては松島湾を守る防波堤の役割をしたらしいのです。そういえば震災の1ヶ月後、静岡県の美保の松原で「松島は無事らしい」という情報を ぬえは得ていました。どうやら日本三景・新日本三景の地域ネットワークがあるらしく、そこからの情報だったのですが ぬえにはにわかには信じられなかったのですが。。

しかし震災3ヶ月目の当時、松島には焼き岩牡蛎を売る屋台が出てましたし、五大堂も無事。遊覧船こそ休航していたように思いますが、観光客も戻っていました。聞けば塩釜市と松島町では「浸水」程度の被害で済んだそうで、しかしながら厨房の冷蔵庫が浸水して使えなくなった多くの食堂が休業していて、この復旧にはしばらくの時間が掛かりましたし、なんと言っても軽微な被害、といっても やはり犠牲者は出ていたのです。その夜 夕食を摂った食堂では「塩釜市は忘れられた被災地です」という声も聞きました。

こうして塩竃神社とは ぬえは活動の初期から関わりがあり、また某所で ぬえは「塩竃神社は ぬえさんにとって良い神社ですよ」と教えて頂いた事もあって、ここでの上演は念願でもありました。これが実現したのはプロジェクト・メンバーの笛の寺井さんのおかげで、なんでも松島の円通院さまでの笛の演奏がきっかけになって塩釜市の有力者と知り合い、この日の奉納につながったようです。

ただ、この催し「しおがまさま神々の花灯り」の当日は ぬえも寺井さんも 東京での舞台やらでかなり厳しいスケジュールの中での上演で、ぬえは日帰り。。往路こそ交通費の節減のために高速バスを利用しましたが、帰りは新幹線を使うことになりました。プロジェクトの活動で新幹線を使ったのは ぬえ自身ではこれがようやく3回目。

そんなこんなで奉納させて頂いた催しは、塩竃神社の舞楽の奉納もあったため、大変美しい立派な舞台ができあがっていました。こんな立派な舞台で活動したのも初めてかも。





会場には3.11でお世話になった荒浜の庄子隆弘さんも駆けつけてくださり。。いや、それどころか気仙沼からも応援が! ほんとみんなフットワーク軽いなあ。

こちらでの上演は『吉野天人』でした。ちょうど桜の盛りの時期で、多くのお客さまを前にして ぬえもしばし花に酔いながらの奉納でした。



終演後、なんと塩竃神社の宮司さまより感謝状を頂戴致しました。なんだか申し訳ない。。





こうして3月・4月の活動は無事に終わることができました。ぬえは仙台と気仙沼に教室を持つことができ、どちらも順調にお稽古を勧めております。方や鎌倉で子ども能の上演があり、母の埋葬があり、鎌倉から意外や伊豆の子ども能に参加者があり。。

事態がいろいろと揺れ動きながら進んでおります。今月は気仙沼でプロジェクト初の災害公営住宅での活動があり、7月にはこれまた初めて被災地の学校でのワークショップも予定されております。さらに8月にはお盆送りの催しのほか、石巻から出演のオファーも頂きました。ご報告が遅れまして申し訳ありません。今後とも ぬえたちにご愛顧賜りますようお願い申し上げます~

第26次支援活動<仙台市若林区・名取市閖上>(その2)

2015-04-17 06:57:58 | 能楽の心と癒しプロジェクト
荒浜での今回の「奉納」上演は、石巻と気仙沼を中心に活動する「東日本大震災圏域創生NPOセンター」代表の高橋信行さんにご紹介頂いた方。。荒浜在住で当地で「海辺の図書館」という団体を立ち上げておられる庄子隆弘さんの企画によるもので、その名も「海辺の能楽〜忘れない3.11追悼の会〜」というものでした。

荒浜では住民さんによる「荒浜再生を願う会」が組織されて、震災被害からの復興ぬ向けて様々な活動をしておられますが、その若手メンバーでもある庄子さんは大手書店の社員で、図書館司書でもあることから、志を同じくする友人たちと独自に「海辺の図書館」という構想を持っておられます。図書館と言っても、実際にそういう建物があるわけではなく(将来的に考えておられるのかもしれませんが)、荒浜からの情報発信の場を作ろう、というのがその狙いのようで、庄子さんは「海辺の図書館」サイトで「海辺の図書館は地域の未来をつくる学校です 5年後10年後の日本を形にしていく人を育て地域をつくります」と紹介しておられます。



この日は庄子さんの自宅の跡地。。津波で流された跡にちょっとしたステージのようなものがあって、ぬえたちはそこで上演する予定だったのですが、なにせ風の強いことで。。装束への着替え、往来のお客さまの利便を考えて、急遽会場が「里海荒浜ロッジ」へと変更になりました。

「里海荒浜ロッジ」というのは「荒浜再生を願う会」代表の貴田喜一さんが、やはり津波で流された自宅跡地に建てた手作りのロッジで、慰霊碑や観音像のすぐそばにあるため、ぬえも以前から見知っている建物なのですが。。あれ? そう思っていたら、いつのまにか手作りロッジの隣りにプレハブの立派な事務所? が建てられていました。「海辺の図書館」の活動としてワークショップなどの会場にもなっているようでした。













ロッジに行ってみると、すでに寺井さんは到着していて、やがて関係者の方と上演についての打合せをさせて頂きました。面白かったのはメンバーには東北大学の方が何人かおられて、ぬえも懇意にさせて頂いている大隅典子先生にも繋がる方があったこと。

ロッジには野外に写真を展示しているコーナーがあって、今回はここで上演することになりました。打合せを終えて、少し離れたコンビニで昼食を仕入れて、さていよいよ上演準備に取りかかります。ロッジのプレハブは清潔で快適。みなさん遠慮しておられたようですが、スペースもあるし、せっかくの機会なので関係者の方々もお招きして装束の着付けの様子をご覧頂きました。

この日の上演は午後2時46分。。震災のその時刻です。毎年この日は防災無線のサイレンを聞きながら黙祷を捧げるのが被災地の常で、ぬえらも石巻や気仙沼で黙祷を捧げています。ところが今回は はじめてこの黙祷の直後に奉納上演をすることになりました。関係者一同は写真が展示されている屋外に並び、ぬえはひとり面装束を着込んだまま。。サイレンこそ、この荒浜では聞こえませんでしたが、船の汽笛が。。もう住んでいる人もない荒浜なので、防災無線もないのかしらん。おそらくこの汽笛が合図なのであろうと、ぬえはプレハブの控室で、面の中で目を閉じて黙祷を捧げました。



やがて主催者の庄子さんの挨拶、寺井さんによる能の解説があって、能の奉納上演です。曲目は『松風』を選びました。千年間もの長い時間、愛する人を待ち続ける松風の物語を被災地で上演することは、ぬえにとって特別な意味を持っています。これまでに何度か上演してきておりますが、内容が内容なだけに、最初の上演。。震災の年の夏でしたが、そのときは会場の雰囲気がかなり微妙でした。。やはりまだ早すぎたか。。と、そのときは ちょっと後悔もしたのですが。。

やがて、時とともに そういう微妙な雰囲気は会場に流れなくなってきましたが、ぬえも特別な催しのときに限ってこの『松風』を上演しております。そう。。前回 被災地で『松風』を上演したは気仙沼の「煙雲館」で昨年5月に上演したのですが、その直前。。3.11の日に同じ煙雲館で上演する機会があったのに、さすがに当時の ぬえには3.11の日に『松風』を上演する勇気がなくて。。それで2ヶ月経ってから再び訪れた煙雲館で上演したのでした。

『松風』という曲は、愛する人を待ち続ける、という、被災者の気持ちを考えると かなり厳しい内容の曲ではあろうと思いますが、ぬえはそう捉えているのではなくて、純粋に人を愛する心の尊さを、この曲は描いているのであろうと思っています。愛する心の美しさを形として演じることで、ぬえはそういう心でおられる方々に寄り添うつもりでおります。4回目に巡ってきたこの日、はじめて ぬえは3.11に『松風』を舞うことができました。





しかし。。面を通して見る荒浜の、なんと清らかなことでしょう。ちょっと ぬえはびっくりしながら舞いました。突風はいつの間にか扇を拡げて舞えるほどの心地よい潮風に変わり、青空が松の梢の上に清々と広がり。。ふと目を下に転じると、たしかに瓦礫がまだそこここに残されているのに、再び目を上げると、まるで震災などなかったかのように、清らかな空気を感じました。野外での上演は何度もあるのに、こうした気持ちになったのは元日に気仙沼大島の大島神社で海に向いて舞囃子を舞ったとき以来な気がします。





この荒浜での奉納の様子は YOUTUBEでも紹介されておりますのでご覧頂けると幸甚です。

海辺の能楽260MB

終演後、閖上での上演の時間が迫っているので、今回はなんと、装束を着込んだままでの移動になりました。寺井さんに運転して頂いて、荒浜を出発したのですが、震災が起きた時間に合わせて荒浜の慰霊碑を訪れた方が多かったのでしょう、もう会場の前から大渋滞。ぬえはこの日の移動のスケジュールが厳しいとわかっていたため、この日は朝から2か所の会場の移動時間を計ったり、裏道の見当をつけたりしていましたが、ここまでの渋滞はちょっと想定外でした。貞山堀に沿って、荒れ地となってしまったような道とかさ上げ工事の隙間を縫って、何度も行き止まりに阻まれながら、それでも渋滞にはまったまま大人しく待つよりははるかに早く、無事に閖上に到着することができました。

第26次支援活動<仙台市若林区・名取市閖上>(その1)

2015-03-31 13:51:18 | 能楽の心と癒しプロジェクト
年末に気仙沼市でプロジェクト第25次となる活動を行いましたが、年始から私事で多忙な時期を送り、あまつさえ引っ越しまですることになり、ついに活動の詳しい御紹介ができませんでした。活動内容についてはブログにアップした活動報告書・決算報告書をご参照下さい。

さてその後も活動は継続しておりまして、去る3月11日に仙台市若林区の荒浜と名取市の閖上にて活動を行いました。

どちらも震災後に何度か視察には訪れている場所ではありますが、プロジェクトとしては初めての活動となる地区です。そのうえ3月11日。。4回目となる震災の日に活動できたことは大変意義深いことであります。実現には関係各位の並々ならぬご尽力を頂きました。改めまして御礼申しあげます。

【3月10日(火)】

ぬえは午前中師家にて稽古、午後から千葉県松戸市で稽古があり、その後松戸より仙台市に向かい、仙台市内に宿泊。笛の寺井さんは東京でのスケジュールのあと夜行バスにて仙台へ。

このとき ぬえは携帯電話を忘れてしまって。。現代で携帯電話という通信手段がなくなると、ここまで不便なものか。。活動の間ずっと関係者にはご迷惑を掛けてしまいました。幸いにもパソコンは持っていたのでホテルでWifiにつなごうと思ったのですが、なんとホテルには無線LAN設備がなく。。活動費を抑えるために毎度安価な宿を探して泊まっているのですが、その選択が裏目に出た格好です。幸いにもホテルのフロントで事情を話したところ、業務用のWifiを使わせて頂けることになりました。これはホテルのフロント周辺。。つまりロビーでしか電波が届かなかったため、宿泊の間 深夜にも何度かロビーに下りてメールで関係者との通信をすることになりました。

【3月11日(水)】

朝、宿を出発して仙台市若林区の荒浜へ。このあたりは震災3ヶ月目に ぬえが初めて被災地を訪れた際には、通行止の規制があちこちにあって、まったく近づくことが出来なかった場所です。東北といえばリアス式の複雑な海岸線が有名ですが、石巻あたりから南は砂浜が広がっています。荒浜は震災前は仙台市民にとって身近な海水浴場で、付近には広大な仙台平野の恵みにより、仙台の都会の至近にありながら多くの水田が作られて稲作が行われていました。また貞山堀(ていざんぼり)という運河が海岸線の近くに古くから造られていて、宮城県の内陸から運ばれた米などの輸送が盛んに行われていました。農業・漁業・海運など、この地区は仙台藩にとっても重要な地域であったようです。



しかしその一方、高台が付近にほとんどないという地形が災いして、震災の際の津波では仙台平野の広い範囲で多くの犠牲者を出してしまいました。付近で高台といえば数mの盛り土をして作られた仙台東部道路。。我々が石巻や東松島で活動するときは通い慣れた道路ですが、これがある程度。あとは所々にある公民館とか学校など2~3階建ての建物がいくつかあるだけで、車で避難した人々が渋滞に巻き込まれて犠牲になった話は何度となく ぬえたちも聞かされました。





震災当時、テレビでも仙台平野を一面に呑み尽くす津波の衝撃的な映像が流されましたが、震災後の仙台市の発表によれば津波の高さは仙台港で7.2mで、奥に行くに従って湾口が狭くなるリアス式海岸を襲った津波よりも幾分低かった傾向が窺われます。にも関わらずこの地区で大きな被害を出してしまったのは、高台が少ないこの地域の地形が大きな原因になったのであろうと思われます。

荒浜に到着すると、前夜から未明までちらついていた雪は止んで青空になりましたが、あまりの強風にびっくり。かつて岩手県・釜石市の鵜住居の仮設商店街で活動した際に強風に見舞われて困ったことがありましたが、この日の風はそれ以上で、能の上演の際も扇が開けないばかりか、シテが吹き飛ばされてしまいそう。。

荒浜には慰霊碑のほか海岸に背を向けて津波被害に遭った住宅地の方へ向いて観音像が建てられています。これは震災の2年後に地元住民さんにより建立されたもので、石材店が全面的に協力したものだそうです。ぬえたちは視察でここを訪れた際にこの観音像を見ていますから、一昨年の夏、観音像が建立されて半年後くらいにここを訪れたことになります。周囲にはまだ津波によって損壊したままの建物がいくつか残されていました。







この日荒浜に楽屋入りするのは正午過ぎの予定でしたが、荒浜での上演のあとにすぐに名取市・閖上でも上演することになっており、その移動がかなり忙しいことが予想されましたので、まずは荒浜の会場を見て、それから移動の状況の確認を兼ねて閖上に打合せに向かいました。





閖上は旧閖上中学校の敷地内北側が会場となっていました。荒浜からの交通は一本道しかないためかなり渋滞があって、ちょっと上演時の移動には困難が予想されました。会場ではすでに追悼式典の準備が着々と進行しています。正午頃に閖上の関係者さんと打合せをしたところ、上演時刻はそれほど厳密でなくても良い、とのありがたいお返事を頂き、駐車スペースの打合せや上演の段取りなどを打ち合わせました。









すぐにとって返して荒浜へ。笛の寺井さんとは現地集合という約束でしたが、仙台から荒浜までの交通は不便そうだったので(新しい地下鉄が建設中で、これが完成すると便利になるそうです)、途中までお迎えに行こうかと思ったのですが、なんせ携帯電話を忘れたため寺井さんとも連絡が取れず。。仕方なく荒浜の会場に一人で戻ることにしました。

決算報告書(2014.12.09~10)

2015-03-03 01:45:05 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第25次被災地支援活動
(2014年12月09日~10日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金       64,949円
     募金収入             118,000円
     預金利息             12円         収入計  182,961円

 【支出の部】
  〈活動費〉 52,073円
    ◎交通費        48,073円
     (高速道路通行料         17,070円)
     (ガソリン代            6,934円)
     (ガソリン代            7,010円)
     (ガソリン代            8,929円)
寺井宏明分
     (高速バス代            8,130円)
    ◎宿泊費        4,000円
     (とみや              4,000円)        支出計    52,073円

 【収支差引残額】                          残額    130,888円

※注※
・前回活動からの繰越金のほかの収入は、募金2件115,000円(いずれもハシモトさま)、現地中に頂戴した募金1件(Paoさまより3,000円)および預金利息12円である。募金を頂いたハシモトさまからは「今回を以て募金を終了する」旨のお話しを頂いた。震災から3年半に渡りプロジェクトに支援を頂いたのは大変ありがたい事で、重ねて御礼申しあげる。
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、休日・深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ1人1泊5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため、宿泊プランに朝食が組み込まれている場合を除いて参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・プロジェクトでは従来活動資金を募金に頼っていたが、一般からの募金の減少を受けて、本年より被災地でも有料のワークショップ等を展開している。これらの活動による収益を、仮設住宅への慰問活動や仮設商店街の振興協力などプロジェクトの本来の目的である被災者への直接支援のための活動資金に充当するべく、両者は有機的な関係であるべきであるが、実際にはまだ有料の活動は少数回に留まっている。
・今後も被災地でイベントやワークショップに限り有料の上演を行う予定であるが、会場の条件により募金を募る場合もある。また被災地以外の場所でも活動報告会を開いたり、引き続き企業スポンサーなどを探す努力を重ねたいと考えている。銀行口座への募金も引き続き呼び掛けさせて頂く。消費増税、また高速道路利用料の割引縮小という厳しい状況であるが今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。

 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上
  平成27年1月15日

                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com




活動報告書(2014.12.09~10)

2015-03-02 12:11:49 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒やしプロジェクト
第25次被災地支援活動
(2014年12月09日~10日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」では、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに24度に渡り岩手県釜石市、陸前高田市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、登米市および福島県双葉町の住民が避難していた旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびプロジェクトメンバーのうち能楽チームの八田、寺井は、去る12月9日~10日の2日間に渡り宮城県・石巻市および気仙沼市にて仮設商店街での能楽上演、および災害FM局への出演を行いました。

今回の活動は久しぶりの石巻市での上演となったこと、気仙沼市で大規模に行われているイルミネーションの時期に合わせた、はじめての冬季の夜間での野外公演であったことが特色でしょうか。「けせんぬまさいがいエフエム」にも2度目の出演となり、年末のあわただしい時期に短期間の訪問ではありましたが、興味深い活動となりました。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(能楽の心と癒やしプロジェクト)
【協力者】(敬称略)
 村上緑/立町復興ふれあい商店街/復幸屋台村気仙沼横丁/高橋信行/気仙沼さいがいエフエム

【主催】
 能楽の心と癒やしプロジェクト

【活動記録】(敬称略)

【12月9日(火)】
早朝に東京を出発、昼頃石巻市に到着。

◎「能楽の心と癒やしをあなたに」公演 14:00開演
会場:石巻市 立町復興ふれあい商店街
内容:能「葛城」

1年ぶりの立町復興ふれあい商店街での上演。前回は仮設商店街開設2周年の記念イベントとしての出演だったが、今回は3周年記念としての出演。足が遠のいていた事を関係者にお詫びするが大変歓迎を受けて恐縮。

終了後気仙沼市へ移動、東日本大震災圏域創生NPOセンター代表の高橋信行氏と打合せの後、ご実家に宿泊させて頂く。ご母堂・和枝さんと深夜まで懇親。戦前の東北地方の窮状の様子など、とても印象的なお話しを伺うことができた。

【12月10日(水)】

昼頃より活動開始。

◎気仙沼さいがいエフエム「にじなま」に出演 14:00~
会場:気仙沼さいがいエフエム
内容:居囃子「猩々」


◎「能楽の心と癒やしをあなたに」公演 19:00開演
会場:復幸屋台村 気仙沼横丁
内容:能「葛城」

終了後帰京。

【収入・支出】

前回活動に引き続き『星と能楽の夕べ』公演を有料化しましたが、残念ながら悪条件が重なり、思ったほどの入場者数を得ることができませんでした。しかし地福寺さまより活動資金の援助を頂くことができました。出演者が多かったため結果的には支出がふくらんだ印象で、この点を今後改善して行くべきとの指摘がプロジェクト内部で話し合われました。

プロジェクトの活動資金としては、前回活動の繰越金が64,949円あるほか、2件の募金115,000円を頂戴しました。また、これによって繰越金を含めた活動開始時点での資金の総額は 179,949円となります。また今回の活動中に募金1件3,000円を頂戴し、収入の合計は182,949円にのぼりました。

一方支出は、交通(ガソリン代、高速道通行料、高速バス代)と宿泊費の数万円のみであり、今回は宣伝チラシも上演会場である石巻立町復興ふれあい商店街さま、復興屋台村気仙沼横丁さまが自ら印刷してくださったため経費が掛かりませんでした。これらの支出を差し引いた次回活動の繰り越し金は130,876円となります。

プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。

【成果と感想・今後の展望】
今回は1年ぶりとなる石巻市での上演、冬季の夜間に野外で行う初の上演と、年末にふさわしく各地関係者へのご挨拶も致し、華やかな上演となりました。気仙沼市で年末恒例で行われるイルミネーションの下での上演はかねて念願ではありましたが、種々の事情により今回ははイルミネーションの事業そのものとの競演とはなりませんでした。しかしながら復興屋台村気仙沼横丁さまのステージはこれまた美しいイルミネーションで飾られていて、能装束は美しく映えたのではないかと思います。また厳冬期の上演、ことに気仙沼では夜間の上演ではありましたが、どちらの仮設商店街での上演でも30名ほどのお客さまがお見えになり、大変ありがたいことでありました。「けせんぬまさいがいエフエム」の皆さまにも毎度大変好意的にプロジェクトの活動を宣伝して頂いております。今回は久しぶりに出演させて頂き、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。
今回も石巻市および気仙沼市の市民の方々に多数ご協力を賜って活動ができました。改めまして御礼申しあげるとともに、プロジェクトの息長い支援のために今後とも皆さまの変わらぬご支援をお願い申し上げる次第です。

平成27年3月2日

                「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com

決算報告書(2014.10.30~11.02)

2015-01-22 23:02:51 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第24次被災地支援活動
(2014年10月30日~11月02日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金       127,421円
     募金収入              5,000円         収入計  132,421円

 【支出の部】
  〈活動費〉 67,472円
    ◎交通費        51,598円
     (高速道路通行料         14,090円)
     (ガソリン代            7,600円)
     (ガソリン代            8,848円)
     (ガソリン代            8,300円)
寺井宏明分
     (高速バス代            4,380円)
     熊本俊太郎分
     (高速バス代            8,380円)
    ◎宿泊費        10,800円
     (スマイルホテル塩釜        5,800円)
     (東日本大震災圏域創生NPOセンター1,000円)
     (とみや              4,000円)
    ◎印刷費        2,240円
     (七ヶ浜町チラシ          1,128円)
     (多賀城市チラシ          812円)
     (チラシネットプリント       300円)
    ◎雑費         2,834円
     (ビデオテープ           1,911円)
     (ビデオテープ           923円)        支出計    67,472円

 【収支差引残額】                          残額    64,949円

※注※
・前回活動からの繰越金のほかの収入は、募金2件2,000円(いずれもハシモトさま)、活動中に頂戴した募金1件(石巻・Paoさまより3,000円)である。大変ありがたい事で各位に御礼申しあげる。
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、休日・深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ1人1泊5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため、宿泊プランに朝食が組み込まれている場合を除いて参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・プロジェクトでは従来活動資金を募金に頼っていたが、震災から3年半を迎え、一般からの募金は皆無の状態である。そこで本年よりプロジェクトの活動を継続するために、活動内容を大きく 仮設住宅への慰問活動や仮設商店街の振興協力としての上演など、被災者への直接支援活動と、それ以外の活動に分けて考える事とした。言うまでもなく前者はプロジェクトの活動の本来の目的で、その活動の根幹を占めるものであり、後者は前者を補う関係のものである。そして前者の活動を無償で行うために、後者の活動を有料とする事に踏み切った。
・今後も被災地でイベントやワークショップに限り有料の上演を行う予定であるが、会場の条件により募金を募る場合もある。また被災地以外の場所でも活動報告会を開いたり、引き続き企業スポンサーなどを探す努力を重ねたいと考えている。銀行口座への募金も引き続き呼び掛けさせて頂く。消費増税、また高速道路利用料の割引縮小という厳しい状況であるが今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。

 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上
  平成27年1月15日

                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                              (住所)
                              (電話)
                               E-mail: QYJ13065@nifty.com








活動報告書(2014.10.30~11.02)

2015-01-21 19:43:48 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒やしプロジェクト
第24次被災地支援活動
(2014年10月30日~11月02日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」では、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに23度に渡り岩手県釜石市、陸前高田市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、登米市および福島県双葉町の住民が避難していた旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびプロジェクトメンバーのうち能楽チームの八田、寺井およびゲスト能楽師の熊本俊太郎は、去る10月30日~11月2日の4日間に渡り宮城県・七ヶ浜町、多賀城市、および気仙沼市にて仮設住宅慰問、ならびに仮設商店街を訪問して能楽の上演を行いました(※注2)。

今回の活動は寺井のスケジュールが合わなかったため後半はゲスト能楽師の熊本俊太郎氏が初めて参加致しました。また特筆すべきは、やはりプロジェクトの3年半におよぶ活動の中で、はじめて七ヶ浜町および多賀城市の仮設住宅での上演が実現したことでしょう。同市町での活動のコーディネートは仙台市在住の梅津周子さんがその労を担ってくださいました。梅津さんは気仙沼市民でプロジェクトの協力者である村上緑さんにご紹介頂きましたが、気仙沼を中心に、人と人との繋がりがプロジェクトの活動の幅を拡げていることを実感致します。

この時期、公営災害住宅の建設が計画より遅れ、当初2年間の予定だった仮設住宅の設置が、宮城県の場合5年にまで延長された、というニュースに接しました。是非の議論が続きながら建設が始まった防潮堤、また東京オリンピックの開催決定による競技施設の建設などにより、建設作業員の不足や資材の高騰が起こったことが公営災害住宅の建設が遅れる原因になっているとも仄聞しております。一部では抽選が始まったとも聞く公営災害住宅ではありますが、仮設住宅の解消にはまだまだ道は遠い、というのが実感です。

また気仙沼では旧「鹿折復幸マルシェ」が移転した「鹿折復幸マート」にてはじめての上演をさせて頂きました。毎々お世話になっています「鹿折復幸マルシェ」は、1年ほど以前から始まった地盤沈下した地域のかさ上げ工事により期限を区切って移転営業する事になり、「鹿折復幸マート」として再オープンしたのですが、仮設商店街から仮設商店街への移転もまた他に例がないと思います。この地区にはかつて震災遺構として残すか解体かで揺れた巨大漁船「第十八共徳丸」がありましたが、1年ほど前に解体された後は「マルシェ」のお客さんが1/20に激減したとも聞いております。「マート」への移転によって、ある程度賑わいがある内湾地区に近づいたことで、新たな発展に繋がることを祈念しております。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(能楽の心と癒やしプロジェクト)
ゲスト能楽師 熊本俊太郎
【協力者】(敬称略)
 村上緑/梅津周子/高橋信行/東日本大震災圏域創生NPOセンター/NPO法人アクアゆめクラブ七ヶ浜町応急仮設住宅総合サポートセンター/ 多賀城市社協復興支えあいセンター/鹿折復幸マート/㈱五十番タクシー
【主催】
 能楽の心と癒やしプロジェクト

【活動記録】(敬称略)

10月30日(木)

八田のみ未明に 東京を出発
仙台市秋保等にて打合せのあと多賀城市に移動、今回七ヶ浜町および多賀城市の仮設での活動をコーディネートしてくださった梅津周子さんに会い、翌日の活動の移動方法などを下見。および2か所の仮設住宅の事務所に挨拶。
10月31日(金)

早朝 夜行バスで到着の寺井宏明および気仙沼から到着の村上緑をピックアップ、七ヶ浜町の七ヶ浜中学校第2グラウンド応急仮設住宅へ。

◎「能楽の心と癒やしをあなたに」10:00~11:30
会場:宮城県七ヶ浜町 七ヶ浜中学校第2グラウンド応急仮設住宅 集会所
出演:八田達弥・寺井宏明
内容:能「羽衣」の略式上演(15分)・能楽ワークショップ(60分)
参加者:約20名

終了後すぐに撤収して多賀城市の多賀城公園野球場仮設住宅へ。

◎「能楽の心と癒やしをあなたに」15:00~16:30
会場:宮城県多賀城市 多賀城公園野球場仮設住宅 集会所
出演:八田達弥・寺井宏明
内容:能「羽衣」の略式上演(15分)・能楽ワークショップ(60分)
参加者:約15名

装束の着付け体験は毎度のことながら、七ヶ浜町では大いに盛り上がりを見せた。また多賀城市では参加者は少な目ではあったが、お隣の仮設住宅の住民さんもお見えになった模様。早朝から準備に取りかかり、それでも開演までの時間に制約があったため七ヶ浜町では面や扇などの展示は行えなかったが、多賀城市ではやや準備時間に余裕があったため展示品を陳列することができた。

なお寺井はこの2か所の仮設住宅での活動のみ参加となったため、村上緑が「羽衣」の装束の着付けを習得し、気仙沼での上演の際に手伝うことになっていた。

終了後、寺井は別件の催しのため仙台へ移動、村上は気仙沼へ帰宅。八田は高橋信行氏が主宰する「東日本大震災圏域創生NPOセンター」のお世話になり宿泊させて頂く。この日は秋保や気仙沼でそれぞれ復興事業に携わる方々が集っており、会食しながら意見交換を行うことができた。

11月1日(土)

この日は活動なし。
八田のみ気仙沼に移動し、個人的な能楽ワークショップを行う

11月2日(日)

この日の活動のため東京から夜行バスで駆けつけてくれた笛の熊本俊太郎を早朝にピックアップ。
休憩場所がないため、早朝より市内被災地域を案内。朝食後「鹿折復幸マート」楽屋入り。

◎「能楽の心と癒やしをあなたに」13:00~14:00
会場:宮城県気仙沼市 鹿折復幸マート 駐車場
出演:八田達弥・熊本俊太郎
内容:能「龍田」の略式上演(15分)・控室にて能楽ワークショップ(60分)
参加者:約30名

ここのみ「龍田」を上演したのは、活動した時期がおおよそ宮城県の紅葉の時期に重なったため。ただし七ヶ浜町と多賀城市では「羽衣」を上演したが、これは初めて活動する場所では最初に「羽衣」の上演から始めることが半ば慣習化しているため。

前述のようにこの日の公演では村上緑に装束の着付けの大役を担って頂いた。当地での活動では装束は八田がほぼ一人で自分で着付けるのだが、鬘などどうしても自分で着るのは難しいものもあり、手助けが必要となる。通常はプロジェクト・メンバーの寺井に手伝ってもらうのだが、今回はスケジュール上不可で、毎度プロジェクトの活動を支えてくださっている村上さんに上演の手助けを願うことになった。
気仙沼市内には知人も増え、この日も多くのお客さまにお集まり頂きありがたいことであった。当初は予定していなかったが、七ヶ浜町や多賀城市の仮設住宅での活動のためにせっかく展示品も持参したことでもあり、終了後控室にて能楽ワークショップを開催した。

終了後八田と熊本は帰京。熊本は今回はじめて被災地を訪問したので、帰途は沿岸部を通ることで被災地域の現状やすでに建設が始まった本吉町の防潮堤などを視察した。

【収入・支出】

プロジェクトの活動資金としては、前回活動の繰越金が127,421円あるほか、2件の募金2,000円を頂戴し、また活動中に1件の募金3,000円を頂戴しました。これによって繰越金を含めた活動開始時点での資金の総額は 132,421円となります。

一方支出は、スケジュールの関係から寺井および熊本の2名の笛方に活動に参加頂きましたが、いずれも夜行バスを利用して頂いたため、高額な出費には至りませんでした。また宿泊も今回は八田のみで、安価なビジネス・ホテルを利用したほか「東日本大震災圏域創生NPOセンター」の事務所に宿泊させて頂き、比較的支出は低額に抑えることができました。ボランティア事務所での宿泊は震災当初でこそ当たり前でしたが、ボランティア団体の撤退などにより近来ではその機会は極端に減りました。やはり専門の施設に宿泊するよりはるかに安価で、ご協力に感謝申しあげたいと思います。これらの結果、支出総計は 67,472円(交通費 51,598円、宿泊費 10,800円、印刷費 2,240円、雑費 2,834円)となり、次回活動の繰り越し金は差し引き64,949円となりました。(詳細は決算報告書を参照ください)

【成果と感想・今後の展望】
今回の活動で特筆すべきは、なんといっても七ヶ浜町・多賀城市という2つの町ではじめて活動を展開できたことに尽きます。コーディネートしてくださった梅津周子さんに改めて御礼申しあげます。
またかつて「鹿折復幸マルシェ」という名称だった仮設商店街が周辺のかさ上げ工事のため移転を余儀なくされ、新しく「鹿折復幸マート」としてオープンし、ここに出演できたのもありがたいことでした。
しかし「復幸マート」は仮設から仮設への移転であり、再び設置期間は限定されていることに変わりはありません。震災の記憶の風化が言われるなか、この移転に象徴されるように かさ上げ工事なども進んではいますが、一方では公営復興住宅の建設が遅れ、宮城県では仮設住宅の使用期限を5年に延長しました。仮設住宅で暮らす住民の精神的負担は深刻で、また仮設住宅そのものの老朽化も問題となりはじめています。まさに復興は端緒に就いたばかり、というのが正直な感想です。また他方では防潮堤の建設の是非をめぐっての議論が続き、被災地をめぐる情勢は複雑。プロジェクトの活動も仮設住宅が解消された時がひとつの大きな転換点になるのではないかと考えていますが、その時期はいまだ見えてこないのが実情でしょう。息の長い支援活動を今後とも継続していきたいと考えております。
今回も村上緑さんをはじめとして多くの方々にご協力を賜って活動ができました。改めまして御礼申しあげるとともに、今後とも皆さまの変わらぬご支援をお願い申し上げる次第です。

平成27年1月21日





                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                              E-mail: QYJ13065@nifty.com

第24次支援活動<七ヶ浜町・多賀城市・気仙沼市>(その6)

2015-01-20 15:32:21 | 能楽の心と癒しプロジェクト
鹿折復幸マートは前述の通り、かつての「鹿折復幸マルシェ」が周辺のかさ上げ工事のために数百m内湾に近い場所に移転して新たにオープンされた仮設商店街です。以前の「マルシェ」のときは津波によって内陸に運ばれた「第十八共徳丸」の近所にある仮設商店街ということで、この船を見に来る観光客(?)で賑わったようでしたが、その後2013年10月に船が撤去されてからは商店街に来るお客さんの数も激減したのだとか。そうして鹿折地区のかさ上げ工事も進んで、「マルシェ」も移転することになりました。

仮設商店街から仮設商店街への移転というのも例が少ないことだろうと思いますが、ぬえたちプロジェクトでは「マルシェ」で1回、マルシェの小野寺商店さんからご紹介を頂いて近くの鹿折中学校の仮設住宅でも1回の活動をさせて頂きました。その後も ぬえの師家が学校公演で鹿折小学校を訪問させて頂いた折にも能楽公演団員で「マルシェ」に立ち寄らせて頂いたり、なにかとお世話頂いております。

昨年10月の「マート」オープンの日は東京で舞台のスケジュールがあったために参加できませんでしたが、今回活動させて頂きたいと小野寺商店さんを通じてお願いしたところ、快く受け入れくださいました。

「マルシェ」当時には敷地内にステージがありましたが、「マート」になってからはまだステージは解体されたまま敷地の端に置かれていました。組み立てましょうか、まで言ってくださったのですが、それは大変な作業だし、「マート」になってからは以前よりもずっと大きな駐車スペースが作られてあったので、むしろ駐車場で広く舞う方がよいかな、と思ってそのように。

早朝に夜行バスで到着した熊本くんはここで早めに楽屋入りして仮眠・休憩願うつもりでしたが、この日はぬえたちの控室には学習塾のような利用との同居となりました。以前、仮設住宅に住む子どもたちの学力が低下している、という話題を聞いたことがあります。それは仮設住宅の限られたスペースで学習の環境が不利なことや、学校自体もほかの学校に間借りしていて、やはり学習の環境が整っていないことや、さらに通学には自治体が用意した通学バスを利用するなど時間が取られることなど、いろいろな原因があるようでした。

そこで仮設住宅に住む子どもたちの学習支援のボランティアさんが一時はたくさんいらっしゃいましたが。。これは継続的な活動が必要だから、近隣の住民さんたちが中心になっていたのでしょう。ぬえもいくつか、そのような「学習塾」を見たことがありますが、今回控室で同居した方もそういうものが続けられているのかしら。若い先生が1人に、指導して頂いているのは小学生が3人くらいと中学生か高校生が1人、という構成でした。

そんなわけで熊本くんが休憩するには ちょっと無理もありましたが、これは仕方のないところです。熊本くんも不平ひとつ言わず ぬえの上演準備を手伝ってくれました。やがて塾も終わり昼食の時間になって、熊本くんは緑さんの案内で「団平」さんに行ったみたい。ぬえは準備もあり、広げた装束の管理もあり、で今回は昼食抜き。

午後1時より「鹿折復幸マート」にて能『龍田』の上演。秋にちなんでの選曲でしたが、紅葉真っ盛りはもう少し先のようでしたが。

で、大勢のお客さまがお見えになりました。およそ30名ほどもお出まし頂いたでしょうか。その中に、なんと東京・日野市の郵便局長さんの増島さんの姿まで! いや、正確にはお客さまの中に顔が見えた、というよりは、すでに商店の中に。。まるで店員さんのようにいた、というのが正しかろう。。

増島さんは石巻で活動していたときに某ボランティア団体を通じて知り合いました。その後 ぬえたちプロジェクトが気仙沼のリアス・アーク美術館で「星と能楽の夕べ」公演をしたときにスタッフさんとして、それこそ超人的な活躍をしてくださいました。が、じつは増島さんは ぬえたちが活動を始めるよりずっと以前、かなり早い時期から気仙沼への支援を続けている方で、ぬえたちプロジェクトがはじめて 移転前のこの「鹿折復幸マルシェ」で上演する事が決まったときも、商店のみなさんも増島さんはよくご存じでした。

この日は「あれ~? 何してるんですか~?」と ぬえもビックリして増島さんに聞きましたが、愚問だったかも。休みとなれば気仙沼に来ている人なのですから。

そんなことで増島さんは知らないわけではない方なので早速お仕事を割り振ってお手伝いをお願い(笑)。今回は撮影班として、上演中の写真を撮って頂きました。本日のブログ記事は増島さんの撮影によるものです。ありがとうございました~♪

さて、こういう仮設商店街や仮設住宅での上演の場合、もう ぬえには装束が着いているため、大概は笛の寺井さんが解説をするわけなのですが、今回は寺井さんスケジュールが合わず、この日はそのお弟子の熊本くんが笛を勤めてくれました。熊本くんは被災地に足を運ぶのは今回が初めてなので、さすがにこういう場で挨拶や解説をするのは負担かな、と思い、ぬえがその役を引き受ける事にしました。

解説を始めると、あれあれ客席に知ってる顔が。。気仙沼市民の方や子どもたち、石巻と気仙沼を往復しながら活動している住民ボランティアさん。。あれ、安波山の瞬間移動ばあちゃんまで! いろいろな方が集まってくださいました。挨拶したり、知り合いに手を振ったり、また解説したり。。なんだかまとまりのない挨拶でしたが、まあ、もともと ぬえの挨拶はまとまりがないし、どうしても笑わせようとする解説になっちゃうから、これでいいか。

能はマジメに『龍田』を上演しました。ちょっと動けば暑さを感じるような天気でしたが、やはり野外で風を受けながら舞うのは気持ちが良かったです。紅葉の頃にこの能を演じたいな。













終了後は控室に戻り、ご希望の方のみ面装束や楽器の体験をお楽しみ頂きました。





やがて日も傾き、今回の活動はこれで終了、熊本くんとともに一路東京を目指して帰りました。
途中で、いろいろ議論がある防潮堤の建設が始まっている本吉町・野々下海岸の工事現場、それから南三陸町の、これまた保存か撤去で意見が分かれている防災対策庁舎も見ておきました。





熊本くんは結局夜行バスで到着以来まったく休憩が取れていない状態でしたが、帰りには少し眠って、それから少し運転も代わってくれて、大忙しの旅ではありましたが、立派な働きをしてくれました。あとで聞いたところでは、次にはゆっくり気仙沼を訪れてみたい、と感想も漏らしていたみたい。

こうして報告は遅れに遅れましたが、10月下旬から11月初旬に掛けての活動のご報告をさせて頂きます。関係各位のご協力に心より御礼申しあげます~。

【この項 了】

第24次支援活動<七ヶ浜町・多賀城市・気仙沼市>(その5)

2015-01-16 10:28:21 | 能楽の心と癒しプロジェクト
。。すみません、まだ昨年の11月に行った活動の報告だ。。

【11月1日(土)】

朝、この日は午後に気仙沼でワークショップを開く予定で、時間には余裕あり。珍しいこともあるものです。

というわけで石巻でお世話になった方々にご挨拶にまわることにしました。駅前の観光協会、立町復興すれあい商店街。。それから気仙沼に向かいまして、公民館の分館で能楽ワークショップを行わせて頂きました。小学生も参加で楽しい集まりになりました。

【11月2日(日)】

活動最終日のこの日は気仙沼・鹿折地区にある仮設商店街「鹿折復幸マート」さんでの上演が予定されています。。しかしながらこの日寺井さんは都合がつかず、代役として寺井家の門人である熊本俊太郎くんが気仙沼に来てくれることになっていました。

午前5時に起床、6時に市役所の前に到着する夜行バスに出演者をお迎えに行くのももう何度目か。。もともと睡眠障害があって、3時間程度しか眠らない ぬえには苦でもありませんでした。午前6時定刻に夜行バスが到着、無事ピックアップが済みました。

熊本くんは気仙沼は初めてという事ですし、また ぬえが泊まっている定宿も宿泊者以外の者の入室は厳禁と言われているので、夜行バスで仮眠程度しか休んでいない熊本さんでしたが、本人の了解を得て被災地区の視察に参りました。かさ上げ工事が進むこの地区にはもうすでに震災の遺構は残っていないはずだったのですが、意外やいくつかの民家などは残されていて、熊本くんは驚きをもって見ていました。









熊本くんが目ざとく見つけた、水産工場の壁に残る津波が達したときに残したと思われる痕跡。ぬえはこれまで気づきませんでした。





このような、現在でも残されている被災家屋は、親族と連絡が取れないなど撤去の承諾が得られていない家なのだそうですが、被災地区でもやはり かさ上げ工事は行われていて、かさ上げ工事を進めるために 法律の改正が行われて、被災家屋はすべて撤去されることになったそうです。今回お世話になる「鹿折復幸マート」の前身「鹿折復幸マルシェ」も、やはり かさ上げ工事のために移転することになったのでした。







えー、ところで旧南気仙沼駅のあたり。。ちょうどかさ上げ工事によって南郷地区と内湾地区を結ぶ道路が通行止めで大きく迂回させられるあたりを田中前方面から通りかかったところ。。

道ばたに 活きた鮭が落ちていました(!)



なんでもかつて港町・気仙沼では魚市場で仕入れた魚を山積みにしたトラックが行き交い、交差点で曲がるトラックが道ばたに ぼたぼたと魚を落として行った、それをご近所で拾って晩ご飯のおかずにした、という豪快な話が伝わっていますが(実話とのこと)、まさか今の気仙沼で似たような事に遭遇するとは。。

たまたま散歩に通りかかったご近所さんらしいご夫婦も「あらまあ!こんな事が。。」と驚かれていました。どうしようか~と考えた末、近くの気仙沼大橋から放流することにしました~ (^◇^;)





ピチピチ~っと跳ねる鮭をビニールシートにくるんで熊本くんに抱きかかえてもらい、今来た道を引き返して気仙沼大橋に向かいます。そして橋の上から大川へドッボーン! さあさあ、また子孫を増やして気仙沼に戻って来いよ~、ともちゃんと言い含めておきました。

それから、またしても早朝に伊藤祐一郎さんの「WINE BAR 風の広場」を襲撃。寝込みを襲うつもりでしたが、あいにく伊藤さんはお留守で、ニャンコのハナがお留守番をしていました。





さらにさらに、足を伸ばして五十鈴神社や安波山にも上りましたよ~。ぬえはヘタレなので安波山は駐車場より上は登ったことがありませんが、熊本くんは山頂の方まで見に行きました。元気だ。



いまは電車が不通で線路も撤去されてしまった大船渡線。ここにBRTを通すつもりなのでしょうかね。ちょうど整地を行っているようでした。



ところで安波山に車で上る途中、おばあちゃんが山道を登るのを追い越しました。この道は山頂まで延々と続く一本道。。車を停めて「お送りしましょうか?」とお勧めしたのですが、聞けば毎日山頂まで歩いて登ることを日課にされているのだそう! これまたお元気なことで。。

さて山頂から気仙沼を見渡して、ぬえたちが車で下ろうとすると。。先ほどのこの おばあちゃんがもう山頂の直前まで登っていらしていました(!) 。。どう考えても尋常なスピードではない。。瞬間移動したとしか考えられない。。エスパーおばあちゃんに、この日の午後に復幸マートで上演するチラシを差し上げたところ、ご近所だから見に行きますよ、とのこと。たぶん瞬間移動して見えるのでしょう。

さて朝食を、という時間にようやくなって、寺井さん行きつけの喫茶店「エスポアール」に。ここも仮設商店街でして「復幸小町」という名前です。復幸小町は気仙沼市内に3か所あって、ここは田谷通りというところ。ちょっとプレハブの仮設商店街とは思えないほどきれいなお店です。ぬえの気仙沼の定宿のすぐ目の前でもあり、BRTや路線バスの停留所もすぐそこ。気仙沼の仮設商店街は賑やかなお店が多いですね~



「エスポアール」でモーニングセットを頂いて、熊本くんの休憩を兼ねてちょっと早めに「鹿折復幸マート」に楽屋入りすることにしました。

第24次支援活動<七ヶ浜町・多賀城市・気仙沼市>(その4)

2014-12-29 03:12:41 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて多賀城公園野球場仮設住宅での上演ですが、こちらは15名ほどの住民さんが集まってくださいました。大きな仮設なのでちょっと寂しい感じではありましたが、集まってくださった住民さんは興味津々でご覧頂き、とても楽しんで頂けたと思います!

こちらでの上演曲は『羽衣』ですが、さきほどの七ヶ浜町と同じく初めてお邪魔する場所では必ず『羽衣』を上演するようにしております。

思えば震災当初。。ぬえが初めて石巻を訪れて避難所の掃除から活動をはじめたときは舞囃子『高砂』から。。それは慰問コンサートを行っていた方にお願いして飛び入り参加したのでした。そうして東京に帰って能楽師の友人とともに夏に石巻を再訪した際は能『石橋』を上演したのでした。

これはまだまだ瓦礫も散乱している状況の中では、人が足を運ばなくなった被災地域に巣くう「邪気」があって(これは最初に訪れたときにすぐに感じた)、その邪気を退散させる意味で『石橋』を上演したのです。こういうことは能楽師の本来的な使命でして、そうと頭では理解していたつもりですが、いざ実践する場が ぬえに訪れることがあるとは夢にも思わなかったです。避難所(当時)の住民さんには「能ってノロノロ動きが遅いもの、と思われていますが、今日は激しい曲で楽しんでください~」とか説明しましたが、真意は このように別なところにありました。

ところが東京に帰って再度被災地を訪問してみると、当時膨大にいたボランティアさんの努力によって、少しずつ、ではありましたが瓦礫が片づけられてキレイになっていく。。そうすると、ぬえが前回に感じた、何か悪い物のニオイが薄まってきているのを、また感じるのです。

だからその次の上演曲には『羽衣』を選びました。「七宝充満の宝を降らし」と招キ扇をして観客に寿福を与える天女。この曲を舞うのは被災した住民さんに幸せになってほしい、という願いからです。住民さんには「さあ、今回は天女ですよ~。動きは少ないかもしれないけれどキレイですから飽きずに見てね」なんて説明しましたが、やはり上演の真意は別のところに。。本当に、こういう大変な状況の中で、しかも折々に変わってくる被災地の状況に合わせて、それぞれの場面で ぬえの祈りの気持ちをを伝える曲が ちゃんと用意されているのだな。。と、能の。。すなわち先人のスゴさをこの被災地での活動で まざまざと感じております。

その後 避難所は解消され、住民さんは仮設住宅に生活の拠点を移しました。そこでは抽選によって居所を定められたために、避難所時代には同じ場所で被災したために住民さんに共有されていた連帯感が ここでは薄れて、住民さんが孤独に陥るなどの問題もあって。近所づきあいがなくなって孤独死などという事態まで引き起こされて。。

これを見て ぬえは仮設住宅では長く『菊慈童』を上演していました。意味は。。おわかりですよね。

いま仮設住宅から次の段階へ。。自力で自宅を再建するか、もしくは公営災害住宅に移り住むか。いやとくに子育て世代の住民さんには被災地の雇用の問題もあって県外移住という選択肢もありましたが。。

ところが被災地域に住み続ける住民さんにとって、災害住宅の建設が大幅に遅れている現状は前述の通りです。ぬえらプロジェクトの活動も、仮設住宅が解消された時にひとつの転機を迎えるだろうという予感はあたのですが、その時期が一向に見えてこない現状には、住民さんと同じような不安を感じます。

脱線しましたが、そういうわけで、すでに『石橋』を上演する必要がある時期はすでに過ぎました。『石橋』は現在でもときおり上演はしておりますけれども、その理由は必要であるからではなく、お祝いの場面だからとか(ああ、いつの間にかそういう場面に立ち会うようになったんですね~!)、同じ場所で何度か上演しているために自前の装束でできる曲を選ぶ都合からとか。そういった意味では被災地での上演も気を遣わなくてもよい、そんな段階に進んできたのだと思います。

こうして初めての上演場所では、『石橋』で邪気を払う段階ではなく、次のステージである『羽衣』から上演をスタートさせております。

多賀城市の仮設も今回初めて訪問させて頂きましたので、まずは『羽衣』から。
終演後はとっぷり日も暮れてきましたが、やはり装束着付けの体験も行い、楽しい時間を過ごさせて頂きました~









終了後、寺井さんと緑さんを駅まで送って、ぬえは一路石巻へ。この日は、住民ボランティアの高橋信行さんが運営する「いしのまき寺子屋」さんに泊めて頂くことになっていました。

でもこれから気仙沼に帰る緑さんや。。仙台に宿泊する寺井さんにとってもハードスケジュールの一日でしたね~。ぬえが一番ラクだったかも。

久しぶりの石巻。まずは「元気の湯」で入浴してから、ぬえの活動の原点のひとつである湊地区を見て。





それから「いしのまき寺子屋」にお邪魔しました。すみません。。お待たせしてしまって。

その後高橋さんご案内で石巻の中華料理屋さんで夕食。とても美味しかったです~
ぬえが前日に伺ったばかりの秋保の方や気仙沼の防潮堤建設の反対派の方などが集まって、話に花が咲きました~

終わって高橋さんは所用あって夜行バスで東京へ。ぬえは気仙沼の方と一緒に寺子屋で休ませて頂きました。