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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その11)

2013-11-23 01:02:44 | 能楽の心と癒しプロジェクト
夜行バスが気仙沼市役所前に到着して、ほどなくこの起業家の方と、そのご友人で ぬえたちを休憩させて頂けるおうちの方が車でお迎えに来てくださいました。

Oさんとおっしゃるこの方のおうちは、ぬえたちが気仙沼で活動する際にいつも泊まる常宿にも ほど近く。。ということは大川を隔てて甚大被災地区のすぐ陸地側ということになります。このあたりも大川を遡った津波で被害があったはずだが。。

お邪魔したお家は大きな邸宅で、この家にはOさんとそのお嬢さんのお2人だけでお住まいとのこと。ぬえたちはお邪魔させて頂いた立場とは思えぬ歓待を受けまして、豪華な朝食のご相伴に預かっちゃいました。よくよく伺えば、Oさんのご主人は遠洋漁業の漁師さんとのことで、いまは遠い海にいらっしゃって不在だそうですが、震災の時もご主人は外洋にいらっしゃったのだそうです。。こういう話、以前にも伺ったことがあるな。

そうそう、それはこの5月にネットワークオレンジさんの東新城の新事務所の落成式のときで、式典終了後の会食の際にお隣りに座った、その時は初対面だった千葉さんから伺ったお話でした。千葉さんが遠洋に出ておられるご主人と衛星電話でようやく話したのは、震災の数日後だったそうで、そうしてご主人は それだからと言って船から下りて帰ることもできず。。気仙沼に戻ったのは震災の半年後だったのだそうです。

。。ところがOさんから伺った話も凄まじくて、震災の少し前に出航したご主人が気仙沼に帰宅したのは、じつに震災から1年を迎えようとした頃だったのだそうです。ご主人は、もちろん震災のニュースは伝えられたし、奥様であるOさんとも衛星電話で何度となくお話をしたでしょうから、気仙沼の被害についても知っておられたのですが、いざ気仙沼に帰ってくると、海岸の地形が変わってしまっていてビックリなさったのだそうです。

Oさんのおうちも やはり震災時には1階は津波による被害を受け、それを修理して再び住めるようにされたとのこと。話題は震災の年の夏、巨大なハエが大発生した経験の話になりました。ぬえもこのハエにはずいぶん苦しめられましたが、ここで伺った話はまたちょっと ぬえの経験とは違うものでした。こちらでは、ハエも大発生しましたが、それを狙ってスズメが同じように大発生したのだそうです。被災しなかった2階から朝起きて1階に下りてくると、壁が抜けて開け放たれてしまい、ヘドロもまだ残る部屋の中には、たくさんのスズメがいたのだとか。。

しかし ぬえが驚いたのは、この家。。Oさんのおうちは津波により建物も被害も受けたそうですが。。それ以上に。。犠牲者が出たのだそうでした。。なんと。。これまでも ぬえたちは被災家屋に何度となく泊めて頂く機会がありました。当然その中には犠牲者のあったおうちもあったのだろうと思います。しかし、そういう事情はこちらからは聞きませんし、その家の主もあえてそのような話はしません。ぬえたちは自分たちの活動のために、協力してくださる方のおうちに泊めて頂く立場で、わざわざそのご家庭の事情に立ち入って伺うことは遠慮しなければなりません。。ときには家屋に被害があればその話題から震災当時の経験を教えて頂くこともないわけではありませんが、やはりその時でもあまり詳しい事情をこちらから伺うようなことはしたことがなく。。

そうして、じつはOさんご自身も震災のときは壮絶な体験をされたのだそうで。。津波から避難した中央公民館で火の海に囲まれ、同じように公民館に避難した400名以上の市民とともに孤立して、救助を呼ぶ術がなくなりました。。ところがその避難者の中にロンドンに留学していたご子息に「火の海 ダメかも がんばる」と携帯でメールを送り、これを見たロンドンの子息はツイッターで救助を求めました。「拡散お願いします。障害児児童施設の園長である私の母がその子供たち十数人と一緒に避難先の宮城県気仙沼市中央公民館の3階にまだ取り残されています。下の階や外は津波で浸水し地上からは近寄れない模様。もし空からの救助が可能であれば子供たちだけでも助けてあげられませんでしょうか」

リツイートは瞬く間に拡散、これを見た、当時東京都副知事だった猪瀬直樹さんが東京の消防庁の幹部に相談を持ちかけ、すでに仙台まで行っていたヘリコプターを気仙沼に急行させることになり、翌朝全員が救助されることになった。。おそらく このブログを読んでくださっている方の中にもこの出来事を覚えておられる方もあろうと思いますが、この時 公民館に避難して、猪瀬氏によって差し向けられたヘリコプターによって救助された方の中に、このOさんも含まれていたのでした。

ちなみにOさんを紹介してくださった起業家の方もご実家がこのすぐ近くで。。このご実家も被災されて、取り壊し処分の対象となりました。ご実家が取り壊されるとき、カメラで毎日記録を残されたそうですが、建物がとうとう引き倒されたとき、この方は泣きじゃくりながら帰ったのだと、ぬえに教えてくれました。

このおうちは気仙沼南小学校のすぐそばで、その小学校もいまは取り壊されて更地になっています。このあたりから港の方面に行くには必要不可欠な、大川にかかる橋がありますが、じつは南小の前にも小さな橋があったのだそう。南気仙沼駅の方向から南小に通う小学生の通学路となっていたその橋は。。津波で流されてしまったのだそうです。何度となくこのあたりに通い続けている ぬえにもその橋の話は初めて聞いたもので、そっとOさんのおうちを出て大川に向かってみると、堤防に小さな小さな、3段ばかりの階段が残っていました。。

季節の「戻り鰹」や当地の名物「もうかの星」も並んだ豪華な朝食を頂き、早朝に到着した夜行バスの疲れを癒す場のはずでしたが、なんとも重い気持ちにもなり。。それでも明るいOさんたちと談笑しているうちにもう陸前高田へ出かける時間が近づき。。ぬえたちはOさんのお宅の一室に飾られた遺影にご焼香させて頂き、陸前高田に向けてOさんの運転で出発しました。

猪瀬直樹氏のブログ

気仙沼→ロンドン→猪瀬副知事 ツイッターによる救出劇

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その10)

2013-11-20 00:39:06 | 能楽の心と癒しプロジェクト
陸前高田の「奇跡の一本松」の前での奉納を終えて東京に帰りましたが、その10日後に再び高田へ。。

もとより陸前高田での活動はJIN'S PROJECTさんの企画で、ぬえたちはJINSさんがすっかりお膳立てを整えてくださった舞台で舞うことができるのです。。活動を始めた頃は、まさかこんな日が来るとは思わなかったな~。ありがたいことです。

ところが、自分たちで企画をするのではなかったからか、ぬえはこの時とんでもないミスを犯してしまいました。。陸前高田での1日だけの活動の日取りをJINSさんから知らされて、その日はスケジュールが空いていたのでお引き受けをしたのですが。。

この翌日は伊豆で子ども創作能の公演日。そのうえ そのまた翌日は東京で師家の大きな催しがあり、ぬえも大役を頂いていたのでした。ちゃんと手帳でスケジュールの前後関係を確かめずに引き受けてしまい、どれも失敗は許されない舞台。。それが連続してしまっただけでなく、まさか岩手県~静岡県~東京都という遠隔地にまたがる催しになってしまったとは。。

そこで今回は、公演以外の場面。。要するに移動の際にできるかぎり体力を温存する作戦を取ることになりました。ぬえが自分の体力を心配するのは よほどの事です。普段はほとんど疲れというものを感じないもので。。\(^。^)/ゲンキ

まずはすべての移動は公共交通機関を利用して、自分で車を運転しないこと。なんせ移動が長距離ですので。。またそれぞれの公演地への移動は単純に距離の問題だけでなく、公演準備の時間も考慮して余裕を持って行われなければなりません。各地への到着は早め早めでないと。。

こうして、ボランティアとしては贅沢ながら、今回は新幹線も利用しての移動をすることになりました。もちろんそれは最終的な手段で。。まずは東京から陸前高田へ向かう手段は。。夜行バスを利用。。やっぱりね。

人生最初の経験だった夜行バスは今年の5月の末でしたっけ。睡眠障害の ぬえにとっては音楽を聴く以外の過ごし方がない夜行バスは恐怖の対象でさえあったけれど。。まあまあ苦痛は感じずに乗り切りました。今回は笛のTさんと一緒に出かけるのですが。。なんと別々にチケットを取ったのに席は隣り同士。。(^◇^;) それでも消灯となってしまえば会話さえできないのでした。

【11月2日(土)】

早朝6時、夜行バスは気仙沼に到着しました。この日はたった1日だけの陸前高田での活動、それも上演は正午頃なので時間の余裕はありそうなものですが、その開演時間であれば新幹線では始発で東京を出ても間に合わないのです。そうして1日だけの活動のために車を運転して往復するのは体力的に問題もあるし、危険でさえある。。東京でのスケジュールから言って前日の早い時間に高田か気仙沼に到着しておいて宿泊することもできない。。こうして夜行バスの利用となったわけです。

当然ながら夜行バスの利用にもリスクはありまして、それは現地への到着が早朝になって、出演時刻までの間に体を休める場所が必要になること。。その場所を東京に住みながら探すのは大変でした。。カラオケ屋、スーパー銭湯、ネットカフェ。。陸前高田にも、夜行バスの終着点である大船渡にも、様子がわかっている気仙沼にもうまく該当する施設は見つけられず、夜行バスを途中下車する覚悟で一関でも探したのですが、それも徒労に終わり。。気仙沼には知人も多いのですが、さすがに早朝6時にお邪魔することもできず。。

こうして万策尽きて、これはやはり現地事情に通じている気仙沼の人に相談するほかあるまい、ということになり、8月に気仙沼の仮設での活動に協力してくださった起業家の方に相談したところ、これが大変親身になって ぬえらの受け入れの方法を探ってくださって、ついにこの方の知人のお宅にお邪魔させて頂けることになったのでした。

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その9)

2013-11-15 01:42:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト
こうして日暮れが迫り、雲も切れ間が多く、なんだか幻想的な雰囲気に。

陸前高田の「奇跡の一本松」は、ご存じの通り震災前には2kmに渡って7万本のクロマツが生えていた「高田松原」の中にあります。震災に遭いながら、その中で倒壊を免れた たった1本の松。それは、その松よりも海側に建っていたユースホステルが防波堤となって、その背後にあった松を守ったのでした。もともと一本松は高田松原の中では海から見ると最も奥まったところにありまして、その位置関係とユースホステルの存在が、まさに「奇跡」を呼んだのでしょう。

もとよりここには一本の松がひっそりと立っていたわけではなく、ユースホステルも松林の中に建っている、という様子だったようです。だからユースホステルが津波を遮ったと言っても、周囲には何百本の松は立っていたわけで、その中で倒壊しなかった一本の松は、まさに奇跡としか言いようがありません。

しかしながら、一本松は倒壊は免れたけれども、潮はかぶってしまったわけで。。こうして震災から1年を経た昨年5月に、とうとう枯死が確認されました。一方、震災直後からこの一本松を保存する「奇跡の一本松保存プロジェクト」が発足し、延命のための処置が施されていましたが、枯死の事実を受けて一本松の再現が試みられることになりました。昨年9月から一本松の伐採が始まり、幹は中をくりぬいて防腐処置が施され、上部の枝や葉はレプリカを作って。。こうして再現工事が完了したのは今年の6月です。

詳しくは→l陸前高田市HP

約2年ぶりに当地を訪れた ぬえとしては、生きている頃の一本松と、それから再現された松と、その両方の完全な姿を、間の伐採された姿は知らずに見ることになりました。

そうして二度目に見た一本松の印象は、まったく生前の姿と変わらなかったです。いや実際のところ、正直に言わせて頂ければ、もっとニセモノっぽいものになっているのかと思っていました。ここまで生き生きと再現できるとは。。やはりこの一本松を残したい、という市民の、それだけでなく全国の人々の熱い思いが結集した形だと思います。その意味で、この松には能舞台の陽向の松のように、人々の思いによって神が宿りましたね。

なお松の向こう側には破壊されたユースホステルがそのまま残されています。陸前高田市では一本松と一緒ににこのユースホステルも保存する意向とのこと。ユースホステルには人的被害はなかったようですし、震災遺構の消滅が進むいま、破壊と再生の両方が見えるこの場所の保存は何としても実現してほしい、と ぬえは願っております。

さて、そんな一本松の前での奉納ですが、日暮れの頃に行われました。気仙沼の「ともしびプロジェクト」さんの協力を頂いたというキャンドルを並べて舞台の形に区切って。下は砂利でしたけれども、もう ぬえは砂利の上での上演は慣れてしまっていて、あまり問題はありませんでした。砂利の上でハコビが出来るようになるとは、2年前には考えもつかなかった。

。。そう言えば ぬえの師匠も以前こんなことを言っておられました。「若い頃、海外公演で美術学校でワークショップをやる事になって。。カチカチに固まった油絵の具がびっしり こびりついた画板をつなぎ合わせた”舞台”で舞わされて。。あれから どこででも舞えるようになったな」。。で、これと全く同じ状況で師匠が舞う場面を、ぬえはミラノで拝見した事があります。軽々と、不安もなさげに舞われる師匠を見たその時の衝撃と言ったら。。 まさか ぬえも同じような経験をするとは思いませんでしたが、ぬえにとっては東北での活動が、舞台人としての経験値を増す絶好の機会に、知らず知らずなっていた、ということですかね。。

「ともしびプロジェクト」さんが並べてくださったキャンドルは そよ風に揺らめいて。。視界が限られているとはいえ ぬえの目からもその美しさは心に響きます。この日上演したのは『羽衣』。太鼓のSさんもこの日のために駆けつけてくださいました。







ぬえの目からは、正面の目安としていた山が。。日暮れとともに見えなくなり、それじゃ、と次に目標にした被災ビルも、これも見えなくなって。。最後は狭い視野の中でキャンドルの灯りを頼りに舞うことになりました。。と、工事現場の方も協力頂いて、投光器を運び込んでくださり。これは終演後、撤収まで照らして頂きました。もとより野天での着替えも致し方ない状況で、これは本当にありがたかったです。

そうして、前述のようにこの日は朝日新聞の記者さんが同行してくださっていました。終演後、一ノ関駅までこの記者さんと太鼓のSさんをお届けしたのですが、駅前に停めた車の中で ちょっとしたインタビューをされまして。そのあと ぬえらは車で東京に帰ったのですが、翌日(10月22日)の朝日新聞夕刊に写真入りで報道されたほか、後日「朝日新聞デジタル」に、このインタビューも含めた動画が、上手に編集されてアップされました。



この動画が、あまりに美しくて ぬえはビックリ。ぬえの視界からは限られた様子しか見通せませんでしたが、まさかこんなに美しい舞台になっているとは。。

。。こうして今回の活動は、あまりに美しい動画という果実を得ることができました。2日間という短い時間に、たった2回の公演ではありましたが、東松島も陸前高田も、どちらも満足のいく活動になったと思います。

l朝日新聞デジタル「奇跡の一本松で能奉納 復興支援NPO、文化庁に提案」

。。これでいつもなら「ミッション・コンプリート」のはずなのですが。。
この数日後に、ぬえらは再び陸前高田での活動を行いました。間にいっぺん東京に帰っているので、ふたつの活動は別にカウントした方が良いかもしれませんが、後者の活動がやはり陸前高田市でのものだったし、それも たった1回だけの活動でしたので、引き続き第17次支援活動の一環として、次回にご報告させて頂きたいと考えております。

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その8)

2013-11-12 08:16:02 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さてこの日は陸前高田市のシンボルのようになっている「奇跡の一本松」での奉納上演の日です。

そうして特筆すべきは、この日の活動が、ぬえたちのプロジェクトではなく、JIN'S PROJECTの主催・プロデュースにお任せして、こちらは提供された場で活動させて頂く、という初めての試みだったことです。

これは相互に信頼関係があって初めて行えることでしょう。JIN'Sさんとは今年の春から ぬえらプロジェクトの活動の支援を頂いておりますが、ともに協調して活動をする方法を模索していました。ぬえらプロジェクトの活動と比べてもJIN'Sさんの活動はその規模は比較にならないほど大きくて、最初に過去の被災地での活動を聞いた ぬえはビックリ。まあ、仮設住宅などを地道に廻っている ぬえたちの活動も、それはそれで意味があるとは思いますが、企業や行政とともに行うJIN'Sさんの活動は、ぬえたちにはとても真似のできないものでした。

ぬえらにとってもJIN'Sさんの活動には見習うべきことが多く、プロジェクトの活動の方針についてアドバイスも頂くことがあって、そういった経緯から、この夏頃からJIN'S代表の折尾仁さんからこの陸前高田での活動。。わけても「奇跡の一本松」での奉納上演の計画の相談を頂いていまして、10月の活動のスケジュールのうち、たまたま空いたこの日の活動を、そのプロデュースのすべてを折尾さんに委ねてみることにしたのでした。



「奇跡の一本松」は今では数少ない震災遺構です。そこで、期間は限定されてはいますが、「奇跡の一本松駅」も作られていました。もともと陸前高田市にはJR大船渡線が通っていましたが、津波によって気仙沼駅から先。。終点である大船渡市の盛駅の間が被害を受けて不通となり、今年の3月より気仙沼線と同じようにBRT(バス高速輸送システム)による運行が行われています(ちなみに大船渡市の盛駅から先は三陸鉄道の南リアス線が釜石までを結んでいますが、そのうち盛駅から大船渡市内にある吉浜駅までが今年の4月に鉄道が復旧、吉浜~釜石間は代行バスによる運行ですが、こちらも来年には鉄路の復旧予定なのだそうです)。



BRTの駅。。は、要するにバス停なのですが、JR大船渡線の「奇跡の一本松駅」は、もちろん震災前にはなかった駅でした。ここに限らず元は沿岸に近い場所にあった陸前高田駅前が、BRTでは高台に移転した陸前高田市役所の仮庁舎の前に移動するなど、市民生活の現状に即した柔軟な運用がされています。「奇跡の一本松駅」は、その「陸前高田駅」が移転したため、そこから一本松までは徒歩で30分かかるようになってしまい、訪れる人の便宜のためにとして新設された駅なのでした。「臨時駅」としての扱いなので、当初は夏休みの土日の日中だけBRTが停車するだけだったようですが、需要が大きかったのでしょう、9月からは毎日停車するようになりました。しかしこれも期間限定で、駅の設置は11月下旬まで、ということになっているようです。

この日も一本松を訪れる方は、交通の便から考えると かなり多いと ぬえは感じました。もちろん乗用車で来られる方も多いのですが、BRT利用の方もあるでしょう。臨時駅はおそらく来年も設置されるのでしょうが、とりあえず寒さの厳しい冬季の間は休業、といった感じでしょうか。

申し添えておきますと、臨時駅から「奇跡の一本松」までは、それでも徒歩で10分以上掛かります。一本松の周辺はすべて工事現場で、駅から松は見えていても、定められた通路を通ってぐるっと工事地域を迂回して行かなければならないからです。そうしてトイレも駅のそばに設置された仮設の駐車場の中に仮設トイレが数基あるのみ。駐車場には小さな露店もありましたが、あくまで一本松や、前述した道の駅、その敷地内にある追悼施設を訪れる人のために市や工事関係者が協力して便宜を計ったのだと解して、工事の邪魔にならないように見学すべきでしょうね。

この日は仁さんの活躍で市からも多大な協力を頂きまして、担当者の方の先導で工事車両の搬入路から車を乗り入れさせて頂くことができました。駅や駐車場から一本松まで装束を手で運ぶのは大変な労力を要するので、これは大変に助かりました!

やがて装束を着付けましたが、もとより一帯は工事現場ということで、地面にビニールシートを拡げ、そのうえに畳紙を敷いて着替える有様。。一本松を見学に来られたお客さまから丸見え状態での着替えは、ぬえにとっても初めての経験でした~。ま、こういう場所だから仕方がないことですけれども。

天候は前日の大雨からうって変わって、少々雲は多いけれども まずまずの天気だったのは幸いでした。仁さんいわく、JIN'Sさんの企画は いつもほぼすべて晴天に恵まれるとのこと。。ん~? この日もぬえらプロジェクトの企画では大雨、翌日のJIN'Sの企画は晴れ。。そういえば気仙沼での ぬえらプロジェクトの活動でも過去しばしば雨が降って、ぬえは「嵐を呼ぶ男」と陰で言われていましたが。。舞台人がそれで良いのか。。??

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その7)

2013-11-08 20:29:32 | 能楽の心と癒しプロジェクト
急いでいる、という割にはあちこち定点観測とご挨拶をしながら、ようやく陸前高田へ。JIN'S PROJECTの仁さんは ただいま市役所で打合せ中というので、早速にそこへ。

陸前高田市役所は小山の上に建つプレハブの仮庁舎でした。もとはもっと海に近い低地にあったものが。。街並みとともに津波によって破壊されてしまい、いまは現在の場所に仮住まいをしているのです。



。。考えてみれば、ぬえたちが初めて陸前高田を訪れたのは、震災の年の年末。。12月27日のことでした。そして、それも視察をしただけで、ここに一人の知人もいない ぬえたちにとってはその後も活動を行う足がかりはなく、陸前高田を訪れたのは、なんとそれ以来約1年10ヶ月ぶりのことでした。気仙沼からはたった30分の距離ですのに。。

しかし、約2年ぶりだというのに、高田の印象はあまり変わりませんでした。というのも、2年前から高田は見渡す限りの平原、という有様だったのです。こちらがその時の画像。



当時、瓦礫というものはほとんど高田では見かけませんでした。。これは後日気仙沼の人に聞いたのですが、このあたりは木造の家が多かったのだそうで、重機で取り壊すしかない鉄筋造りの建物が少なかったため瓦礫の撤去も早いうちに行われたのだそうです。そのため2年前から高田はどこまでも続く平原に、ぬえの目には映りました。いまはあちこちで かさ上げのための工事が行われていて、さながら街中が工事現場のよう。

こちらは2年前の「一本松」で、まだ枯れる前で、「希望の一本松」という呼び方がされていたように思います。保護のためか幹の下の方が緑色に塗られていて、周囲には少数でしたが建物の残骸も残っていました(現在でもこの近くに「道の駅 高田松原」が被災した状態のまま残されていて、やはり震災遺構として保存するかどうか検討されているほか、敷地内に慰霊碑を含む小さな追悼施設が建てられました)。







さて仁さんと合流してから向かった「奇跡の一本松」。いつの間にか呼称も「奇跡」で統一されたようですが、それより驚いたのは、2年前には大きな土盛りがあって、それをぐるっと迂回しないと見えなかった「一本松」が、市内のどこからでも眺められるほど、松の周囲が整理されてしまったこと。そのうえなにやら巨大な建造物が、気仙川をまたいで建てられていました。橋? 鉄道のための陸橋? それにしちゃ壮大すぎるかも。だいたい、わざわざこんな大きな橋を通す必要がいまあるのだろうか。。?

どうやら正解は一帯のかさ上げをするため付近の山を削って、その土砂を運ぶ巨大なベルトコンベアを作っているんですって(!)。。これはプロジェクトの事情通、笛のTさんがすでに情報を取得済みだったのですが、なんでも後ろの山を削って、そこは高台の宅地とし、土砂は平地部分のかさ上げに使うのだそうです。そうしてそのその土砂を運ぶのにダンプを使う代わりに考え出されたのがベルトコンベア。土砂を山からダンプで平地に運ぶには間に気仙川があって交通の妨げにもなり、交通事故の恐れも高まる。それを回避する作戦ですが、どうやらこれほど大がかりな装置を建設しても、ダンプより経費のうえでは有利、ということもあるらしいです。

この事情がわからず、巨大建造物の画像は撮っていないのですが、周囲の工事現場の様子から察してくだされ。この状態の中で装束を車から降ろして上演準備をするのはかなりの慎重さと覚悟が同時に必要。。





かさ上げ工事 ダンプ200万台分の土を運ぶ計画 - UR都市機構

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その6)

2013-11-07 01:09:00 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて緑さんと別れて内湾地区に向かい、魚市場のそばでM島さんを拾って一路陸前高田市をめざすことに。

M島さんは東京の某郵便局長さんで、やはり被災地支援活動を続けておられる方です。石巻で活動され ぬえたちがお世話になっている神戸のボランティア団体「チーム神戸」さんとも繋がりが深く、ぬえたちもそこでM島さんを知ったのですが、M島さんの活動はむしろ気仙沼に比重が置かれているようで、鹿折の復幸マルシェさんなどで多くの活動をしておられます。ぬえから見ても、よくまああれほど頻繁に。。と思うくらい、週末ともなれば気仙沼にいるらしい。

そうして最近では「東北ひとめぐりツアー」という企画を立ち上げて、首都圏などの人を被災地にお連れして体験談を聞いてもらったり、名物料理を堪能してもらうなどの旅行を主催しておられます。この日も偶然にも前日までがそのツアーがあり、M島さんは忙しくしておられたのですが、この日はもうツアーの終了後ということで、1日を ぬえたちと行動をともにすることになっていました。

それから何と言ってもM島さんは ぬえたちにとっては今年の3月に気仙沼で上演した『星と能楽の夕べ』公演で有能な機材オペレーターとして八面六臂の大活躍をして頂いた恩義があります。そこで ぬえとしても気仙沼にほど近い陸前高田での活動には今後ともM島さんも巻き込んで、ご一緒に活動できたらいいなあ、と考えていました。

陸前高田での活動は ぬえたちプロジェクトが上演するのですけれども、計画はすべて いつもお世話になっているボラ団体の「JIN'S PROJECT」さんの企画・主催になるものですから、そちらの賛同は必要ですけれども、まあ同じボラ仲間ということで ぬえの気持ちはわかってもらえるだろうと考えて。

こうして、少し急いで来てください、とはJINSさんから言われていたのですけれども、ちょっと時間が掛かりながら陸前高田に向かいました。

。。と思ったら、そうだった! 高田への通り道には鹿折の復幸マルシェさんと、解体が始まったという「第十八共徳丸」があるではありませんか。

というわけで やっぱり寄り道してマルシェへ。(^_^;)

これまたお世話になりっぱなしの小野寺由美子しゃんとも久しぶりに顔を合わせることができました。この日は高田へ急がなければならないので滞在はほんの数分でしたけれども。。





こちら第十八共徳丸。防塵・防音壁によって中を窺い知ることはできませんが、すでにあの巨体はこの壁の影に隠れてしまうほど小さくなって。。震災遺構として保存するかどうか、賛否の論争がずっとずっと続いていた共徳丸もすでに解体が進んでいるようでした。



つい先日。。夏に訪れた際にはまだ2年前と同じようにここにあった共徳丸。震災遺構を残すことに当初は反対の立場だった ぬえではありますが、その後は複雑な思いを抱いていました。そうして、いざなくなってしまうと、また一つ、震災の記憶が風化してゆくのを感じざるを得ません。保存された震災遺構が観光名所のようになってしまうのも具合が悪いですが、解体撤去されたために誰もその土地に目を向けなくなるのもまた、さらに大きな問題ですね。。

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その5)

2013-11-06 02:32:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト
大雨の中、一路気仙沼へ。翌日は陸前高田市の「奇跡の一本松」の前で奉納する予定でしたので、東松島市からは100kmほども離れているため、少しでも近いところに投宿するのがよかろう、ということになり、気仙沼の常宿に宿泊することにしてありました。ボランティアとしては立派なホテルに泊まるわけではないので、宿の方が眠る前に到着しないと。。(^◇^;) で、気仙沼に向かいまして、無事チェックイン。それから、夏の活動でご一緒した市民の協力者・緑さんと再開し、10日ほど後に再び当地を訪れる際に休憩させて頂くことになっているOさんのお宅にご挨拶を済ませまして、ようやく夕食にありつくことができました~。なんか緑さんにはお世話になりっぱなしで、「能楽の心と癒やしプロジェクト」の気仙沼リーダーということになっておりまする!

この頃にはもう雨もほとんどやんでいまして、緑さんと笛のTさんと一緒に、気仙沼ホルモンのお店へ~。そろそろサンマのシーズンも終わりに近づき、気仙沼では あの! 戻りガツオの季節になりつつあるのですが、この時間と天候では行き先も限られて、常宿に近いホルモン屋さんに行きました。やっぱウマ~。ぬえたちはもうこのお店も常連さんやね~。

【10月21日(月)】

例によって早起きした ぬえでしたが、このところは早朝から車であちこち見に行くことは少なくなりました。歳かしらん。。 それでも朝食はガッツリと。。この常宿の向かいは仮設商店街の「復幸小町」さん。



それからBRTになってからの「南気仙沼」駅がすぐそばにあります。本来はJR気仙沼線の南気仙沼駅はもっと海に近い場所にあったのですが、駅は津波で壊滅しまして、そうしてその地域全体が機能しなくなっている現在では、市街の中にBRT駅が設けられています。



これが朝食の弁当~。常宿のすぐ向かいには「ほっとべんとう」というお店があって、このハンバーグ弁当が290円(だったかな)だ!



やがて10:00にチェックアウト。まずは「復幸小町」さんの中にあるカフェ「エスポアール」さんで緑さんと合流。この時は緑さんのお友達のお店、というくらいの認識しかなかったのですが、緑さんも被災者のお一人で、エスポアールさんはご近所さんだったのです。いずれもここからほんの少し海。。ここからは海に繋がる大川という川に近い場所に緑さんのご実家があり、エスポアールさんが店を構え、そうして10日後に休憩場所を提供してくださり、その事前のご挨拶に昨夜お伺いしたOさんのお宅もそこに。そうして津波はすべてを洗い流し、Oさんのお宅だけが修繕されてかつての姿を取り戻したのでした。。これらの事情がわかったのは、10日後にOさんのお宅に再度お邪魔させて頂いてはじめて知ったのですが。。

さて緑さんと合流して、ちょうど季節だ、というんでサンマを買いに出かけましたよ~。こちら、田中前の付近、ちょっと奥まって解りづらい場所にある「さかなの駅」。



いや、あまりにも豊富な魚の品揃えにただビックリ。さすが地元市民の緑さんは「これは高いなあ」なんて言いながら品定めをしてくださいました。



そうこうしているうちにキハダマグロが運び込まれてきましたよ! そうして早速に解体ショー。いや、ショーではなかったですが。緑さんはお父さんが漁師さんで、お母さんはマグロをさばくのも上手だったそう。。こういうのは港町ならではですね。





。。と、ここで、先に陸前高田に行っているJIN'S PROJECT代表の折尾仁さんから連絡があり、午後に到着予定だった奇跡の一本松に、少し早めに来てくれませんか、と。わかりました! 。。が、まだサンマを買ってない。。ので、急いで緑さんお勧めの「磯屋水産」さんにお邪魔して、無事 お世話になっている伊豆の子ども能関係者の方々にサンマを送る手配をしました。このお店はボラさんの間でも有名です。



さて陸前高田に向かう予定のところ、緑さんを経営するお店にお送りし。。ところがここで緑さんのお店の看板が「ネットワークオレンジ」さんの事務所に置き忘れてあったことが判明、たいした距離ではないのですぐにそれを取りに行くお手伝いをすることにしました。

ををっ、5月以来の「東新城オレンジ」。内装もすっかり事務所兼作業所の様子になっているな~、と思って、看板だけを頂いて去ろうとしたとき!





ネットワークオレンジさんが支援する障害児童たち。。キッズの面々がお散歩? から戻ってきました。を~、ゆかぽんも厚子先生も、千葉さんもおるではないかっ! 懐かしいメンバーと、ほんの少しの時間旧交を温めました。

さて緑さんのお店の看板を運んで、ここで緑さんとは別れ、今度は別の人を拾って陸前高田に向かうことになります。

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その4)

2013-11-02 00:10:19 | 能楽の心と癒しプロジェクト
定刻16:30より「能とピアノの夕べ」公演開始。ホントはピアノを弾いて頂いている30分後に日没時刻を迎えて、次第に暮れてゆく空の下で公演は進行するつもりだったのですが。。外は大雨。くやしい~

でも集会所の電灯を消して持ち込みのスポットライトを灯すと、不思議となかなか良い雰囲気になりました。40個灯したLEDキャンドルも なかなかのもの。。ほとんど見えないか。それでも大勢の住民さんが雨の中集まってくださいまして、御子柴さんが司会を兼ねてピアノ演奏を始めました。

ここ東松島市の「グリーンタウンやもと」住宅は250世帯の住民さんが暮らす大きな仮設住宅で、その中に今回の会場となった「ひまわり集会所」はあります。面白いのは仮設住宅の自治会のほかに、この集会所にもまた「ひまわり自治会」があること。どういうわけで集会所に自治会組織があるのか、よくわかりませんのですが、ともかくこの集会所、とっても活気がありました。ぬえたちが到着したときも住民さんたちが盛んに作業をしておられ、やがて御子柴さんと内野さんが開演前のリハーサルを始めると、早速作業の手を止めて歓声を上げられました。

今回は東松島市のサポートセンターよりこちらの仮設を紹介して頂きましたため、受け入れは市ということになっていまして、担当者さまと自治会長さんのご挨拶を頂いての開演となり、雰囲気を大切にしたいため、司会の御子柴さんに我々の活動の内容の説明などを少々アナウンスして頂いたほかは、とくに能は無言で上演するようにしました。

控室としてご用意頂いた部屋は子どもの遊び場として集会所に併設された建物で、まるでオモチャの家のようなメルヘンチックな外観です。本来ならばこの「こどものみんなの家」をバックに屋外で上演し、この家をライトアップする予定だったのですが。。それよりも、この控室と上演会場の集会所との間が、併設されているとはいえ2mほど離れていて、渡り廊下で繋げられています。上にはなんとかビニールシートが掛けられていたのですが、この大雨でどうしても雨が漏る。。とくに面は水に弱いので かなり心配したのですが、登場の直前に渡り廊下を拭いて頂き、そこを通るときに傘をさしかけてもらって、無事 上演会場に出ることができました。

。。このとき。姿を現した ぬえ。。『羽衣』の天女の姿を見て、最前列に座っていた おばあちゃんがニッコリと、音のしないように指先だけを打ち合わせて拍手してくださったのを見て、ぬえもようやく安心。『羽衣』を舞い終えて、この日は仮設住宅での活動ですけれどもロマンチックなコンサートを行う催しなので、装束の着付け体験コーナーはナシ。引き続いて再び御子柴さんのピアノ演奏になりますが、こちらにはじめて内野さんのフルートも参加します。リハーサルを見ていた ぬえは、この2人のコラボを見て公演の成功を確信しました。いつもはクラシックの曲だけですが、今回は演奏者が2人ということで新しい展開も見せ、ピアソラの曲なども演奏されました。フルートでピアソラ! でもとっても美しい曲でしたね~

ぬえは控室で面と鬘だけをはずして待機、やがて『花は咲く』の演奏となって、その終わる頃を見計らって笛のTさんと一緒に再び登場、用意してあった花束を住民さんの代表に捧げました。ぬえはもちろん、ぬえが登場したときに小さく拍手をくださった、あの おばあちゃんに。

これで終わろう。。としたのですが、思わず住民さんからアンコールの要望が出ました。え~、もちろん ぬえたちに、ではなく、御子柴さんと内野さんへ。「え~、どうしよう」とちょっと困る2人。そりゃそうでしょう、おふたりは東京と茨城と離れて住んでいて、今回は ぬえの所望で初めて顔を合わせて練習して、そしてこの日の上演を迎えたのですから。。

ところが住民さんから「じゃ、ふるさと やってよ」という声が掛かり。。するとお二人はすぐさまそのリクエストに応えて演奏を始めたのでした。んん~~、いくら『ふるさと』だとはいえ、キーも何も決めないで こんなに即座に演奏できるものかしらん??

。。こうして公演は、かなり良いレベルで終えることができ、住民さんにも喜んで頂けたと思います。でもなあ、なんかフルートの内野さん人気に能が負けた、というか。。微妙に「能とピアノの夕べ」、というよりは「フルートとピアノと、そいからちょっと能もね、の夕べ」みたいになったのは気のせいか。。

終演後、大雨の中装束や機材を撤収。集会所では住民さんの宴会が始まるみたいで、お誘いも頂いたのですが、今夜の宿泊地。。80km離れた気仙沼に行かなきゃならんとです! もう全身ずぶ濡れ状態で、でも荷物は濡らさずに出発することができました。(今回は写真撮れませんでした。。)

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その3)

2013-11-01 01:42:22 | 能楽の心と癒しプロジェクト
やがて会場の「ひまわり集会所」にピアニストの御子柴聖子さん、今回はじめて共演をお願いしたフルートの内野浩乃ちゃんが到着。大雨の中、まずは上演準備を進めて、それから上演時間も迫ったところでミーティング。

本当は星降る空の下で上演したかった「能とピアノの夕べ」公演ですが、仮設住宅の集会所に会場が変更になったことで、少しく計画を変更することとしました。。その前に、ピアニストの御子柴さんとフルートの内野さんが事前に会ってこの日の演奏曲の選定と練習をしてくださった際に、御子柴さんから「今回は最後に復興ソングの『花は咲く』を入れてもいいですか?」と、わざわざ ぬえに問い合わせを頂きました。

いえ~? 「星と能楽の夕べ」公演でもこの「能とピアノの夕べ」公演でも、ぬえから選曲の指定をしたことはなく、ぬえは上演の全体のイメージを伝える程度で、あとは御子柴さんにお任せしています。ぬえにはそれほどクラシックの曲について知識があるわけでもないし、まして公演のプロデュースのようなことはしても、ぬえは自分が出演していない部分の細部にまで口を出すような立場でもありませんし。だから毎度 御子柴さんから「こういう曲をやろうと思っています」と言われても ぬえは口をポカンと開けたまま、ただ「ロマンチックにお願いします。。」と言うばかり。。(^◇^;) でもこの度は、『花は咲く』を演っても良いですか? と御子柴さんから珍しく相談のような連絡が来て、ぬえはそこから どんどん夢が膨らんできました。

ぬえはねえ、本音を言わせて頂ければ、震災の年に生まれたこういうもの。。「絆」という言葉とか復興ソングの類には どうもずっと違和感を持っていて。。好きになれずにいました。なんだか現実に起こっている惨状とはまったく別の次元の。。机の上だけで生み出された物のような気がして。それは、当時すでに自分が身体を動かして活動していたから そう思った、というような虚栄心ではなくて、ぬえたちの活動がまったく手探り状態で、活動の受け入れ先を探すだけでも大変だった時期があったからかもしれません。当時は東京のスケジュールを やり繰りして1週間東北に滞在する予定を立てたのに、出発3日前になっても活動の受け入れが決まったのは1カ所の避難所だけ。。という事もありました。この時はホント、泣きそうでした。笛のTさんに少し早めに現地入りしてもらって直接交渉をしたり、ぬえが到着してから飛び込みで出演のお願いをしたり。。こうして活動スケジュールを埋めることが出来、そこから活動はどんどんと広がりを見せて行ったし、そのときの受け入れ先の方々とは現在でも交流が続いております。

こういう、何かをしたい、という思いひとつで手探りで単身被災地入りをしたボランティアさんは当時たくさんいましたね。ぬえたちは自分たちの活動の内容には自信はあったから、余計受け入れて頂けなかったのはつらかった。そんな時にテレビから流れるキャッチフレーズや復興ソングには、ぬえたちでは到底できない財力や人脈の豊富さが垣間見えるような気がして。。たぶんその「豊かさ」が ぬえの心に違和感。。いやむしろ反発のような感情を呼び起こしたのかも。。ただの嫉妬でしかなかったのかもしれません。

「絆」という言葉は、いつの間にか色褪せてしまったようですね。最近はちっとも聞かなくなった。でも『花は咲く』の方は、今でもよく耳にするし、いろいろな人がカバーするようになって。。定着するに従って ぬえの耳にあった違和感もいつの間にか消えてしまいました。そこで、御子柴さんからの提案を聞いた ぬえは即座に反応することができました。

なるほど「能とピアノの夕べ」公演は仮設住宅や仮設商店街で行う催しとは別のもの。。もっとフォーマルでロマンチックな「公演」として ぬえは捉えていました。今回の活動場所は仮設住宅ではありましたが、ここには子どもたちの遊び場として建てられたメルヘンチックな建物があり、そうして開演は夕暮れ時で、上演会場は野外。だからプラネタリウムを現出させてその下で能を舞う「星と能楽の夕べ」と同じ次元で考えていたのですが、やはり仮設住宅での公演では住民さんと触れあう楽しい時間を共有するのが良いです。御子柴さんの提案はその視点に立ったもので、アットホームな雰囲気のコンサートを目指していました。これに ぬえはすぐに飛びついて、『花は咲く』の演奏をフィナーレに、という提案に賛成しました。

で、ぬえは夢をふくらませて、事前に花屋さんに寄って花束をいくつか作って頂いて、これを、そのフィナーレの『花は咲く』の最後に出演者から住民さんに配る、という計画を立てました。

この打合せ、照明や楽器、音響の設営までをすべて終えると、もう開演は目の前。。大雨の中、住民さんは集まってくださるかな~? という不安を感じる時間もなく、上演時間が迫ったので ぬえも装束を着ることにしました。

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その2)

2013-10-30 01:43:29 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【10月20日(日)】

例によって前夜から出発して深夜走行して東北に行くつもりのところ、活動の共催として頂いているJIN'S PROJECTの折尾仁代表から、自分たちも車で東北を目指すつもりだが、仁さん本人のほか、スタッフの一部の者を ぬえ車に同乗させてほしい、との依頼が直前に来て、急遽公演当日の朝に東京を出発することに。これが朝日新聞の記者さんでした。車中でもビデオを回されて、え~、正直このとき ぬえは時々ウザく思ったのですが、そんな気持ちが吹き飛ぶような動画が昨日配信されまして。。その車中の様子が、これから活動に向かう高揚感と、それから緊張感がほどよく記録されていました。。この動画には、よくこの瞬間を撮ったなあ?? と思うような場面もあって、撮られていた ぬえが気づいていない。。まさにプロの技でした。

前述の車中の出来事も、ぬえが軽く手を打ちながら大鼓を打っていて、じつはこれはこの日の上演曲『羽衣』をさらっているのではなくて、数日後に控えた東京での舞台で『姨捨』の地謡を勤めるので、その勉強をしていたのです。でも映像を見ると、まるでこの日の舞台のための準備を車中で再確認しているように見えますね。まあ、有り体に言えば『羽衣』のような身近な曲を上演当日に緊張感を持って復習する、ということも ぬえの立場ではもうありません。しかもこの曲は被災地でもう数十回舞っていますし。それでも初めて訪れる東松島の仮設での上演を前にして、しかも折からの悪天候で、屋外での上演という当初の予定が崩れたために、計画を練り直さなければならない事情もあって、そういう緊張感はずっと持っていました。このときは、当日の上演方法について考える頭を少し休めて、その次の東京での舞台に向けての勉強に切り替えていたところだったのですが、どちらもこれから ぬえを待ち受ける舞台に対する準備には相違なく、その気分を、動画を見るであろう一般の方々にわかりやすい形で切り取ったのが、この車内の映像だったのだろうと思います。

東松島市に到着、昼食を摂ると、ほぼ予定していた楽屋入りの時間になりました。ここまで長時間の道のりを、気を遣ってくれた仁さんが多くの時間を運転してくれたため、ぬえも屋内に変更された今日の公演のやり方について練り込むことができました。まずは楽屋入りの前にショッピングセンターに寄って、花束をあつらえてもらうところから、この日の ぬえの新しい計画は動き出しました。

今回の活動ではたった2日間の活動期間の中で、上演もたった2回だけ。1日1回の上演というのも、プロジェクトとしてはあまり例がありません。大概は、せっかく当地まで赴くのだから、と欲張って、1日に2カ所で活動するのが当たり前で、1日に1回の上演は、その受け入れ先が見つからない場合とか、長距離の移動を伴う場合に限られていました。だからいつも忙しい思いをしながら活動しているのですが。。

この日、活動場所となった グリーンタウンやもと仮設住宅は250世帯を有する巨大な仮設住宅です。今回は最初から東松島市での活動をターゲットにしていましたが、当初は(一度断念している)「星と能楽の夕べ」公演の実現を目指していました。ところが なかなか設備やシチュエーションが似合う会場が見つからず再度断念。。市とも相談して、今回は「能とピアノの夕べ」公演を行うこととしました。「ピアノ公演」こそ、この8月に初めて石巻で行った上演形式ですが、意外や大きな成果を得ることができて、これまたプロジェクトの上演形態のひとつとして今後も進めていくことになり、早速にこのたび東松島での上演に至ったわけですが、考えてみれば「星と能楽」にしろ「ピアノ公演」にしろ、それは仮設住宅での【慰問活動】とは別の、もうひとつのプロジェクトの目標。。「文化の復興」を成就するための【イベント】として考えていたもので、これを仮設住宅で上演するのはこれが初めての試みでした。

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その1)

2013-10-28 01:40:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト
え~、やっとのこと、先週行った活動についてのご報告ができます。周回遅れのランナーみたいじゃね。

今回の活動は東松島市と岩手県の陸前高田市の2カ所、1泊足かけ3日の、短い日数とはいえやや強行スケジュールだった割には公演回数は少ない催しでした。考えてみると、せっかく現地に行くのだから、と欲張って、いつも1日に2カ所程度の公演は行っているのですが、今回は移動距離の大きい活動だったと思います。もともと東京でのスケジュールの合間を縫っての活動でしたので、そういう制約もあったのですが、それよりも、活動内容が準備に時間の掛かるような濃いものだったために、上演回数が限られた、というのが実情であると思います。それほどに今回は印象深い活動となったと自負しております。

さて今回の活動の特色は。。いろいろありすぎてご報告に困るほどですが、まずは東松島市での活動。東松島市は震災で、とくに野蒜地区や大曲地区に壊滅的な被害を受けた街です。お隣の松島町が比較的被害が軽微だったのと比べるとまさに対照的で、震災3ヶ月後に当地を訪れた ぬえは、ここで初めて甚大な被害の状況を見て戦慄しました。

その後プロジェクトとしての活動を東松島市で始めたのは震災後 最初に年が明けた直後の冬でしたね。2カ所の仮設住宅で活動させて頂いたほか、1カ所の仮設住宅に ぬえが指導する 伊豆の国市の子ども創作能の参加者のご家庭からの支援物資をお届けする活動も行いました。また能面を打つことを趣味としている市民の方と知己を得て、上記仮設住宅での活動にご一緒して頂き、能面の展示も同時に行いました。これは ぬえらプロジェクトが市民と一緒に活動した最初の例になっています。ところがその後 東松島市での活動はなぜか途絶えてしまって。。今回お邪魔させて頂いた グリーンタウンやもと仮設住宅での活動は、それ以来1年半ぶりの活動となりました。

二つ目の特色としては、その東松島市での上演にはじめてフルート演奏家を入れて「能とピアノの夕べ」公演を行ったこと。それは先日 気仙沼・地福寺さんでの「送り火の集い」をご覧になっていた内野さんで、もとより笛のTさんの知人だから地福寺にも見えたのですが、終演後 控室にご挨拶に見えたときにフルート演奏家と聞いた ぬえは、これは「能とピアノの夕べ」のロマンチックな公演に大きな力になる、と直感し、その場で次回。。つまり今回の公演での共演をお願いしたのでした。

。。まあ、考えてみれば ぬえがフルートに合わせて舞うわけではなく、「能とピアノの夕べ」、のうち「ピアノ」の部分に共演頂くわけなので、ピアニストの御子柴さんの了解も得ずにフルートの出演をお願いするのはフライングなのですけれども。。結局御子柴さんも ぬえのアイデアにすぐに了承くださって、かなり離れた場所に住むお二人なのですけれども、ご一緒に練習もしてくださって、東松島での「能とピアノの夕べ」公演は、それはそれは ぬえが予想していた以上の素晴らしい効果を上げたのでした。

それから三番目の特色は、プロジェクトとして初めて岩手県の陸前高田市で活動ができたことですね。しかもそれが「奇跡の一本松」の前での奉納上演だったということ。。「震災遺構」。。とはこれは呼ぶべきではないかもしれませんが、ともあれ被災地の随一の知名度を持つこの松ですが、意外なことにどうもここではイベントらしいものはこれまで行われていないみたいです。。いえ、よく調べたわけではないのですが、ぬえがここで奉納上演をさせて頂くことになったので ちょっと検索してみた限りではなにも見つからなかったし、ぬえ自身もそういう話を聞いたことがなかったもので。。いずれにせよプロジェクトのこれまでの活動とは一線を画すような活動が始まりました。

それというのも、この春から活動をご一緒させて頂いているNPO団体 JIN'S PROJECTさんのお力に負うところが大きいです。今回の活動では東松島市と陸前高田市の2カ所での活動でしたが、東松島市の活動は当プロジェクトの企画ながら、陸前高田市の活動は、これはプロジェクトの活動が始まって以来 初めてのことですが、完全にJIN'S PROJECTさんにすべてのプロデュースをお任せしての活動になりました。それは我々 能楽師のプロジェクトでは考えつかないようなアイデアと人脈をつぎ込んでの計画で、同じボランティア団体でありながら、こうも発想が違うのかと毎度驚かされもしますし、我々プロジェクトよりも大きな理想を持っていることに信頼も持っています。この場合、理想の大小は優劣に直結するものではありませんで、ぬえたちのように小さく 小さく、仮設住宅の住民さんに寄り添っていてあげたい、と思う活動と、地域や市のような大きな単位で復興の一助になろうとしているかの、その視点の違いであろうかと思います。でも、発想が大きければ活動の規模も大きくなるわけで、その大きさには、避難所での掃除から活動を始めた ぬえは ただただ茫然と見上げることしかできないわけで。。

ぬえたちの活動も2年半近くに渡って、いま大きな岐路に立っているような気もします。そんな、いろいろな感慨を持つ活動となりました。

決算報告書(2013年08月16~17日)

2013-10-25 01:03:48 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第16次被災地支援活動(2013年08月16日~08月17日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金(ボラ扱い) 258,702円
     前回活動繰越金(ギエ扱い) 32,500円
     直接頂戴した募金5件(ボラ扱い) 66,000円        収入計  357,202円
                           内訳:ボラ 324,702円 ギエ 32,500円

 【支出の部】
  〈活動費〉
    ◎交通費(大川典良分)9,000円
     (ガソリン代            9,000円)
    ◎交通費(御子柴聖子分)10,230円
     (ガソリン代            6,430円)
     (有料道路通行料          3,800円)
    ◎宿泊費    20,600円
     (2人×1泊            8,000円)
     (3人×1泊           12,600円)       支出計   39,830円

 【収支差引残額】                         残額    317,372円
                          内訳:ボラ 284,872円 ギエ 32,500円

※注※
・プロジェクトの活動にかかる資金は主に募金によって賄われている。プロジェクトの活動にご理解を頂き、ご支援を頂いた諸兄には、改めて深謝申し上げます。
・「ボラ」とはプロジェクトの活動費用に充てる事ができる資金。「ギエ」は募金者希望により被災地への直接的支援のために使途を限定する資金。ただし「ギエ」についてはすでに一定の役目を終えた段階と考え、現在はプロジェクトからとくに「ギエ」の呼びかけはせず、チャリティ公演等の際は使途を「ボラ」と明言して募金をつのっている。なお「ギエ」については、被災地で継続的に活動を続ける信頼すべき支援団体に寄付する予定である。
・今回の活動は本年3月の活動以来ご協力頂いているNPO団体JIN'S PROJECTとの共催である。それにより同団体のご厚意の仲介を頂き、企業さまよりプロジェクトメンバー2人についてのみ、使途は交通費に限って補助金のご支援を頂いた。関係各位に深謝申し上げる。
・本決算報告書は活動資金を募金として提供頂いた方へのご報告であるため、支援企業さまからのご支援にかかる費用は上掲しなかったが、内容は次の通りである。交通費 38,241円(内訳:高速道路通行料金 12,600円、ガソリン代 25,641円)印刷費7,200円(チラシ印刷費)
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・近来銀行口座へ継続的に活動資金を募金してくださる方も複数あり、またボランティア団体JIN'S PROJECTさまのご厚意により、活動によっては同団体との共催の形を取ることによって支援企業さまからの補助金を頂ける機会も増えてきた。しかしながら今後も息長い支援活動を続けてゆくために、今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。


【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)
普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ


                                           以上

  平成25年10月23日






                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                             (住所)
                             (電話)
                                    E-mail: QYJ13065@nifty.com

↓領収証は以下に添付



活動報告書(08/16~17)

2013-10-24 10:18:31 | 能楽の心と癒しプロジェクト

能楽の心と癒やしプロジェクト
第16次被災地支援活動(2013年08月16日~08月17日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」の4名(※注1)は、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに15度に渡り岩手県釜石市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、および福島県双葉町の住民が避難している旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびメンバーの八田、寺井は、去る8月16日、および同月17日の2日間に渡り宮城県・気仙沼市および登米市内にて計4回、能楽の上演を行いました(※注2)。

今回の活動はNPO法人「JIN'S PROJECT」との共催とし、気仙沼市内2カ所の仮設住宅での慰問活動、気仙沼階上地区で地区の精神的支柱となっている地福寺さま主催の「送り火の集い」への出演、およびはじめて活動する登米市にある本格能舞台「伝統芸能伝承館」(通称:森舞台)での上演を行いました。

今回の活動で特筆すべき点は多々ありますが、中でも気仙沼市内の2カ所の仮設住宅での能楽上演に、5名の市民が参加して住民へのボランティア支援活動を展開したことでしょう。この市民ボランティアは市内のNPO団体「ネットワークオレンジ」が街を活性化する目的で行っている起業支援プログラムによって起業した人々で、「ネットワークオレンジ」を介して八田と知り合い、プロジェクトの活動にご一緒して頂けるようお願いしたものです。被災地では仮設住宅の住民と家屋の被害を受けなかった市民との間に微妙な温度差も生じており、お互いの交流も限定的です。この度の市民ボランティアの中にも仮設住宅を初めて訪問した方もあり、今回のような市民を巻き込んだ支援活動が、市民が仮設住宅への支援を行う契機になればよいと希望しております。

また気仙沼市では2012年の冬以来仮設住宅での活動の実績が途絶えていました。この度の2カ所の仮設住宅訪問は、いずれも市民によって受け入れの交渉を進めて頂いたもので、市民との有機的な関係が構築されたと感じます。さらに仮設住宅での医療支援やイベントの斡旋をしておられる市民ボランティアさんとも知己を得、今後の活動の発展に期待を持っております。

気仙沼・階上地区の地福寺ではすでに2度活動を受け入れて頂いており、今年は3月11日の前日に地福寺主催で行われた追悼法要に出演させて頂き、またプロジェクトの公演にご住職の片山秀光氏に来演願ったり、と深い交流を続けております。この度は地福寺主催の盂蘭盆会の法要会「送り火の集い」にお招き頂き、一部の演出面もお任せ頂きました。これによりこのところプロジェクトの活動に協力してくださっているピアニスト・御子柴聖子さんの出演をお願いし、先日石巻の秋田屋庭園で行った「能とピアノの夕べ」公演を厳粛な雰囲気となるように改編して上演致しました。地福寺さんお取りはからいにより「ともしびプロジェクト」によって境内に多くのキャンドルが灯され、また最近地福寺が導入した200個のソーラー電源のLEDライトが敷地内に灯り、大変雰囲気を盛り立てました。プロジェクトでは2012年の夏頃より活動目標として「文化の復興」を目指しております。今回の「送り火の集い」は、あくまで法要が主眼の集いではありますが、芸術文化がそれに華を添える役目を持ち、この目標のための活動の一環として捉えております。なお地福寺「送り火の集い」の設営や準備には檀家さんの「花園会」さまのご協力を頂きましたことを申し添えておきます。

登米市は内陸にあり、津波の被害は受けなかったものの、地震の被害は相当にあり、また南三陸町とは歴史的に深い関係にあって、市内に南三陸町の住民のための仮設住宅を多く受け入れています。また宮城県の民俗文化財にも指定された「登米能」が伝承されているなど文化の香り高い土地で、今回は「伝統芸能伝承館」の本格能舞台を拝借させて頂き、むしろ伝統芸術の普及の意味合いが濃い活動となりました。登米市では市長さんとの知己も得、今後被災住民への活動の展開も期待しております。

このように、今回は短い滞在日程の割には大きな成果が得られた活動だったと思います。また将来的にも活動のさらなる展開を予感させるものとなりました。関係各位のご尽力に深謝申し上げたいと思います。

※注1 プロジェクトメンバーは八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)、小梶直人(同)の4名。ただし都合により今回は八田・寺井の2名での活動となった。
※注2 今回の上演場所は気仙沼市①鹿折中学校住宅②地福寺③反松公園住宅、登米市④伝統芸能伝承館(森舞台)の4箇所。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(以上能楽の心と癒やしプロジェクト)/大川典良(能楽師・太鼓方)
地福寺「送り火の集い」共演者:御子柴聖子(ピアニスト)/片山秀光(地福寺住職)
【共催】
NPO法人 JIN'S PROJECT
【協力者】
気仙沼市:NPO法人ネットワークオレンジ/鹿折中学校住宅自治会/小野寺由美子(鹿折復幸マルシェ・小野寺商店)/地福寺/地福寺花園会/ともしびプロジェクト/反松公園住宅自治会/村上緑(パワーストーンGreen)/米倉三喜子(復康フットサロンよつば)/村上朋子(ココ♥カラ)/白幡まさえ(おぢゃのみ工房子葉輝)/村上寛(コンビニエンスサービス ヒロ)
登米市:とよま振興公社/日本学校俳句研究会/横山不動尊
前島吉祐(能楽写真家)

【活動記録】
 8月16日(金)
10:00より気仙沼市・鹿折中学校住宅にて「能楽の心と癒やしをあなたに」公演。能『羽衣』を上演、囃子と装束着付けの体験コーナーを行う。起業家ボランティア3名とアシスタント少数名により住民サービスも実施。参加住民約30名。

夕方19:00より階上地区・地福寺にて「送り火の集い」に参加。御子柴聖子のキーボード演奏、能『羽衣』、片山秀光住職による法要が執り行われる。参列者約80名。

 8月17日(土)
10:00より気仙沼市・反松公園住宅にて「能楽の心と癒やしをあなたに」公演。能『龍田』を上演。囃子と装束着付けの体験コーナーを行う。起業家ボランティア4名とアシスタント数名により住民サービスも実施。参加住民約25名。

15:00より登米市・伝統芸能伝承館(森舞台)にて「能楽の心と癒やしをあなたに」公演。能『猩々』を上演。囃子と装束着付けの体験コーナーを行う。本公演は登米市出身の協力者の計らいにより日本学校俳句研究会の援助を受けて実施させて頂いた。

【収入・支出】

  プロジェクトの活動は基本的に募金によって行われております。近来JIN'S PROJECTさまとの共催の形を取り、同団体の斡旋により企業より活動資金の一部を補助頂くことができ、今回も交通費のみご支援を頂くことができました。

  募金は基本的にプロジェクトのボランティア活動資金(以下「ボラ」)として使わせて頂きますが、とくに被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)はプロジェクトとして支援するのに然るべき団体。。被災地に拠点を置き、直接被災者の支援活動に従事することを目的とした、非営利で公明正大な活動が長期に渡って期待できる、信頼すべき団体に寄付させて頂きます。

  プロジェクトの活動資金としては、前回活動繰越金として291,202円(内訳:ボラ258,702円 ギエ32,500円)があるほか、今回の活動中およびその前後に4名の個人(ハシモトさま、ヤマナカさま、エノキさま、タチバナさま)および1つの団体(日本学校俳句研究会さま)より活動資金として計66,000円を頂戴致しました。よって計357,202円(内訳:ボラ 324,702円 ギエ32,500円)が今次活動の前に計上されております。

これに対して今回の活動による支出の内訳は別紙決算報告書にある通りで、今回の活動終了時の残額は 317,372円(内訳:ボラ284,872円 ギエ32,500円)となっております。これらは今回の活動繰越金として計上し次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。

  プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。

前述の通り今後は企業さまのご支援を頂ける可能性もありますが、今後も長期に渡って被災地での活動が継続できますよう、みなさま方には引き続きまして活動支援をお願い申し上げる次第です。

【成果と感想・今後の展望】
プロジェクトとして第16次となる今回の支援活動では、約2年ぶりに気仙沼市の仮設住宅での訪問活動を行うことができました。それも市民の斡旋によって実現することができたのであり、また市民ボランティアのご協力を頂き住民サービスという、能楽師にはできない「付加価値」のついた活動となりました。もとより復興は市民の努力によって達成されるものであり、その一助となるべく活動を続けるプロジェクトとしましては、市民と共同で活動を行えたことを大変意義深く思っております。

その意味では地福寺の「送り火の集い」も同等の価値を持つ活動であったでしょう。地福寺主催の法要にお招き頂き出演させて頂いたことは、大変ありがたいことでありました。地福寺では本年3月の震災の日に合わせて震災メモリアル・コンサートと犠牲者への法要が行われましたが、そこにもプロジェクトは参加させて頂き、法要の場にての上演をお許し頂きました。片山住職には我々プロジェクトの活動について大変ご理解とご支援を頂いております。

登米市の活動は、プロジェクト・メンバーの寺井宏明の生徒さんの繋がりがあって、本年3月に気仙沼リアスアーク美術館で催した「星と能楽の夕べ」公演に、多くの登米市出身の方がボランティアスタッフとして参加してくださり、この方々の活躍のおかげで公演が成功した経緯があります。前回8月の15次活動にて登米市の関係者とも懇談し、また前回スタッフとして活動に協力頂いた方の尽力によって今回の公演が実現しました。前述の通り登米市は南三陸町の被災住民のための仮設住宅を受け入れるなど独自の活動を展開しておられ、また文化の香りの大変高い街です。今回は市長さんとも知己を得ることができ、今後も仮設住宅への訪問や、当地の伝統芸能との交流など、新たな活動の展開を期待しております。

一方、東京のNPO団体 JIN'S PROJECTさまとは今回も共催という形を取らせて頂き、活動資金の面では大きなご協力を頂きました。ご紹介頂いた支援企業さまからはプロジェクトのメンバーの交通費のみと使途を限ってご援助頂いているのではありますが、そのおかげでプロジェクトに一般の協力者の方々より募金として頂いている活動資金の支出を抑えることが出来、これにより共演者の交通費などをプロジェクトとして負担できるようになりました。従来、プロジェクトのメンバーの交通・宿泊費を調達するのが精一杯で、共演者にはすべて自費負担でご協力願っておりましたが、それでは活動にもいずれ限界が来てしまう危機感を抱いておりましたが、JIN'S PROJECTさまの協力を得て、当プロジェクトの活動はその幅を拡げることができるようになりました。JIN'S PROJECTさまとは来年に向けてより大きな活動の目標を立てているところで、新たな目標に向けて今後もともに手を携えて活動してゆきたいと考えております。

以上、総合的に見て今回の活動は、コーディネートや準備段階から実際の活動にまで渡って、まさに市民・住民さんが主体になって実現できた活動だったと言えると思います。改めまして関係各位に心より感謝申し上げます。しかしこの活動の直後に気仙沼市鹿折にあった被災漁船「第十八共徳丸」が解体され、震災遺構も次々に消滅しつつあり、震災の風化がまさに懸念される状況です。また一方当地では防潮堤の建設について大きな問題が起こっています。我々能楽師はそれらの問題には無力でありますが、あくまで能楽の持つ力。。まさしく「能楽の心と癒やし」を個人の心に響かせることを目指して、もって「文化の復興」を構築するお手伝いを致し、そこから生まれる活力をもって素晴らしい街の再生に寄与したいと考えております。どうぞ今後とも変わらぬご支援、ご教示をお願い申し上げる次第です。


平成25年10月24日




                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その9)

2013-10-21 09:35:13 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ただいま17次の活動中で、昨日の東松島市・矢本の活動のあと気仙沼に宿泊しております。今日は陸前高田で活動予定。昨日の大雨がウソのように陽が差しています~

さて8月の16次活動のご報告もようやく終盤、最後の上演地は、初めて活動する登米市です。

登米市は南三陸町、気仙沼市、石巻市、栗原市、大崎市、それに岩手県の一関市などに囲まれた内陸に位置し、平成の合併で9つの町が集まって出来た大きな市です。内陸にあるため津波の被害はなかったのですが、地震では大きなダメージを受け、またもともと南三陸町と地縁が深かったため、市内に仮設住宅を受け入れ、多くの避難者が市内で暮らしておられます。

プロジェクトとしては、笛のTさんの友人関係がとっても深くて、今年3月に気仙沼市で行った「星と能楽の夕べ」公演では ほとんど登米市出身の方々によるボランティア・スタッフさんが八面六臂の大活躍をしてくださり、ぬえも信頼感を厚く持ちました。このご縁から初夏には登米市の神社などに伺う機会も得、また南三陸町での今後の活動についても展望が開けてきました。

一方、じつは登米市には立派な能舞台がありまして、それは県指定の民俗文化財となっている「登米能」(市の名称の読み方は「とめし」ですがこちらは「とよまのう」と読みます)の伝承・保存のために建てられた「伝統芸能伝承館」。緑豊かな屋外に建てられ、白砂の敷かれた庭を隔てて近代的な見所から舞台を見る、まさに本格的な舞台です。このたびは関係者のご尽力によって、こちらの舞台で能『猩々』を上演させて頂きました。ん~、被災地に来て橋掛リを歩んだのはこれが初めて。なんだか、むしろ勝手が違うような、妙な違和感を感じた ぬえはちょっと感覚がおかしくなっているのかしら。













この日、いまこの記事を書いている10月からは考えも及ばないですが 相当な暑さで、楽屋内もかなり厳しい状態でした。これでは公演も成立するかしら? と思いましたが、開演時間にはお客さまも大勢お集まり頂いて、文化水準の高さを窺わせます。終了後はここでも囃子の体験と装束の着付け体験コーナーもちゃんとやりました。









終演後、市長さんと一緒に記念撮影。登米市にはほかにも重文指定されている「旧登米高等尋常小学校」などもあるそうで、文化の香り高い町ですが、これらの史跡にもやはり震災の地震の被害もあったとのこと。プロジェクトの目標としている「文化の復興」についても聞いて頂くことができ、今後も登米市で活動が続けていければ良いな、と考えています。まずは登米市内にある仮設住宅の訪問から始めるのがよいかも、と 今後の活動について考えを廻らせております。



こうして第16次の活動は無事に終わりました。
今回は地福寺さんでの美しい法要、久しぶりにお邪魔することができた気仙沼の仮設での活動、そして登米市の本格舞台での上演と、印象深い活動となりました。またそれぞれの活動会場でも大変温かいおもてなしを受けて、やりがいを感じた活動でもあったと思います。まして、はじめて気仙沼の市民がボランティアとして活動に強力なご支援を頂いたことは、プロジェクトの活動としても画期的なことでした。
プロジェクトの活動に共演頂いた能楽師・太鼓のOさん、ピアノの御子柴さん、それから起業家ボランティアさんのみなさん、能楽写真家のMさんにはご協力に大変感謝しております。お疲れさまでした~。また上演を受け入れてくださった気仙沼の鹿折中学校仮設と反松仮設、地福寺の片山秀光さん、登米市の関係者のみなさんにも心から御礼申し上げます。反松仮設でお目に掛かった、仮設での医療支援を続ける村上充さんともお目に掛かることができ、その意義深い活動について知ったとともに、我々プロジェクトの今後の活動についてご協力頂ける可能性があります。どうぞ関係者各位には今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます~。

                                 【この項 了】
(撮影:前島吉裕)

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その8)

2013-10-19 23:32:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
じつは明日の早朝から、東松島市および陸前高田市で第17次となる活動に出発致します! ああ。。はやく16次活動の報告を書かなきゃ。。

さてそのうちにプロジェクトのメンバーも起床してきまして、朝食後宿を後にして次の公演地、気仙沼市の反松公園住宅にお邪魔させて頂きました。



こちらの仮設はピアニストの御子柴さんや、昨日鹿折の仮設で一緒に活動した村上緑さんのどちらもご縁があってご紹介頂き、活動させて頂けることになりました。

自治会長さんにご挨拶して、ちょっと早かったのですけれども集会所を開けて頂き、また昨日と同じく市民の起業家ボランティアさんも集合しておのおの準備をしていると。。年輩の住民さんが覗きにやって来られました。聞けば今日の能の催しをまったくご存じないとのこと。。チラシは自治会長さんに事前に郵送してありますが、まさか宣伝がなされていない。。? その場合は集会所から出て仮設住宅の駐車場ででも上演してお客さんを呼び集めようか、などと出演者で話し合ったりもしましたが、それより気になったのはこの住民さんの次のお言葉で。。

「今日はなあにやんだ? もうイベントも多くて、みんな少し飽きてるんだ。。これから先の見通しもねえってのに、一緒に歌いましょう、なんて言われてもなあ。。」

。。震災から2年半も経って、ボランティアさんもめっきり減ったと思ったら、イベントはまだ続いているのだとわかったまでは良いのですが。。慰問のイベントも、住民さんの立場に立ってやるべき、というのはJIN'S PROJECTさんの報告会でも出ていた話題ですが、上演する方も手探り、住民さんも出演者に気を遣い。。という状況は、まだ続いていたのか。ぬえは震災の年の夏頃までの話と思っていました。あの頃はイベントもずいぶんひどいのもあったみたい。。

しかし今日は太鼓のOさんが懇切丁寧に我々の活動を説明してくださって、住民さんも「能? そりゃ珍しいな。。じゃ仲間を呼んでくるから」と集客にお手伝い頂けることになりました。

そうしているうちに住民さんも集まって来られました。どうやらチラシはちゃんと配布頂いていたようです。こちらは ぬえが装束を着るまでずっと一緒に遊んでいた小学生の住民ちゃん。



朝10時開演の今回の上演曲は『龍田』でした。はじめての場所では大概有名な『羽衣』を上演するのですけれども、この日は起業家ボランティアさんが昨日に引き続いて支援活動をされるので、昨日とは違った曲の方がよいかなと。



終演後は恒例の囃子の体験会と装束の着付け体験コーナー。







そして、起業家ボランティアさんたちの支援活動が続きます。











ぬえたちは急いで次の公演地である登米市に向かって出発しなければならなかったため、あとは起業家ボランティアさんにお任せして出発しましたが、いや大歓迎といえる温かいお見送りを頂きました。

起業家ボランティアさんの支援活動も大盛況で、とくに米倉さんの「足ツボマッサージ」は順番待ちの行列ができて、午後までずっと活動していたそうです。で、その米倉さんからあとで報告を頂きまして、住民さんも「最初は能なんて難しいかと思ったけど、良い人ばかりで安心した。楽しかった」(大意)と言って頂いたみたい。気仙沼で仮設の活動は久しぶりでしたが、2カ所の仮設で大変歓待して頂きました!

(撮影:前島吉裕)