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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その7)

2013-10-18 03:28:54 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【8月17日(土)】

旅館の一室に能楽師3人と能楽写真家のM氏と、合計4人で泊まって、久しぶりに雑魚寝の様相でした。
考えてみればプロジェクトの活動では避難所当時には湊小学校の音楽室に泥掻きのボラ戦士とともに眠り、避難所が解消されてからはボラ団体さんの事務所や個人宅に泊めて頂いたりで、雑魚寝は当たり前でした。それが段々と、ボラ団体さんが撤退されたり、状況が落ち着いてきて個人宅に泊めて頂くのもなんだかご迷惑になったりと情勢も変わってきまして、復興なった旅館に泊まる機会も増えてきたのですが、これも最初は経費節減のため安い宿で雑魚寝状態。ところがたび重ねて旅館を探すうちに、安価なシングルルームを持つお宿を発見するようになりまして、このところの活動はすべて個室での宿泊になりました。たまたまボラ団体さんに泊めて頂く場合も、ボランティア自体が少なくなってきたこともあって、なんだか ぬえたちに気を遣って頂いちゃって一室を提供頂いたり。。段々と活動も優雅になってきましたね~

この日も、2年前にはこんな立派なところに泊まっていいの? って感じの旅館さんに泊めて頂いたのですが、今回は活動に参加する人数が多かったために、久しぶりにみなさんと枕を並べて寝ました。いや~快適。壁も崩れてないし天井もあるし。お風呂だってあるんですもの。

さて相変わらず睡眠障害の ぬえは朝5:30頃には起床しまして、もうここも定点観測地のようになった岩井崎を散歩しました。

だいぶキレイになりましたが、まだ。。壊れた旅館が残っているのですね。



それよりも ぬえが気づいたのは、この防潮堤の計画を知らせる看板でした。





このあたりでは9.8mの防潮堤の建設が予定されていて、もともと海からは断崖がある場所なので、水面からの高さとしては、道ばたに生えているこの松の木の半分くらい。。3mほどの高さになるみたい。







いま、気仙沼に限らず被災地域では、津波対策の防潮堤の建設が計画され、それが大きな、大きな問題になっています。住宅地域は高台に移転したのに防潮堤は必要なのか? 防潮堤によって海が見えなくなると、人が集まらなくなって街が死んでしまう。。 防潮堤によって安全に過信が生まれ、海が見えなくなるためにかえって逃げ遅れる人が出るのではないか。。? ぬえが聞いた限り、地元では防潮堤には懐疑的。。というか反対意見が多く、行政への陳情とか代替案を模索する動きも多数見受けられますが、計画は着々と進行しているようです。。

岩井崎でも、計画通りに防潮堤が建設されれば、トップ画像のような海に昇る朝日はもう見れなくなるのですね。。住民さんたちの力でなんとかならないものかしら。。?

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その6)

2013-10-16 22:45:30 | 能楽の心と癒しプロジェクト
やがて日も暮れ、ともしびプロジェクトさんによりキャンドルにも火が灯されて、会場はとってもロマンチックな雰囲気に。こうして地福寺の片山住職さまを中心にした「送り火の集い」は始まりました。



もうこのブログを書いているいまは寒いけど。。これは8月16日のお盆の終わりのことで、東北とはいえ暑いさなかの催しでしたが、それでも今回の活動の中では最も美の空間が現出されるはず。そうしてこの美しさに しばし暑さを忘れました。

当初は入れることに異論も出た御子柴さんのキーボードでしたが、ぬえがゴリ押しして参加して頂いて、これは大正解だったと思います。どこまでもお盆の法要の集いなのですけれども、それは同時に故人を偲ぶ。。面影に思いを馳せるために参集する機会でありたい。

この3月。。震災から2年目の日の直前にプロジェクトでは気仙沼の「リアス・アーク美術館」を拝借して「星と能楽の夕べ」という、擬似的なプラネタリウムを出現させ、その前でピアノ演奏と能の上演を行う公演を行いました。これはナマイキながらプロジェクトが掲げる「文化の復興」という目標へと続く企画のひとつだったのですが、ぬえはこの場にもぜひとも片山さんをお招きしたいと考えました。これにも出演者からは少々異論も出たのですが、結果的にやっぱり ぬえがゴリ押し。(^_^;) たしかにプラネタリウムやピアノの上演とは僧侶である片山さんの出演は一見似合わないようにも思えましたが。。しかし震災の日の直前の公演でもあり、片山さんには上演の直前に黙祷をして頂くことにしました。これがじっと不動のままの片山さんの黙祷により、予想以上の大きな効果を生み、単なるロマンチックなイベントではなく、あくまで震災を思い、復興を見据えて、この二つがバランスを取った催しとなったと思います。



今回の地福寺さんの「送り火の集い」は、この「星と能楽の夕べ」のまるっきり逆の形式で行われた催しになりましたね。キーボードの演奏により、まずはとってもロマンチックな雰囲気に。。御子柴さんには、今回は申し訳ないが影で弾いて頂くことにしていましたが、キャンドルのゆらめく ともしびだけが目に入り、そこに音楽が響く。。なかなか良いアイデアだったのではないかと思います。

やがて笛の独奏に引かれて『羽衣』のシテが登場。プロジェクトが先日、石巻の秋田屋さんで催した「能とピアノの夕べ」公演では、持参のLEDキャンドルを灯しましたが、今回は本物の火がゆらめいています。







。。ところが、昼のうちによく石庭の様子は見ておいたのですが、やっぱり暗くなると、自分が舞う場所がよくわからない。。しかも驚いたことに、長絹を着ているのに、扇を持つ手にキャンドルの熱が感じられるのですよね~(!)。これには焦りました。舞うには決して広いとはいえない石庭のスペースで、築山を廻るようにびっしりとキャンドルは置かれていて。。キャンドルを築山をよけて舞うための目印にしようと考えていた ぬえでしたが、キャンドルの熱を感じることで、まさか自分がいつの間にか築山に寄っていて、キャンドルの火が装束に燃え移るのではないか? と不安で不安で。。 後日ビデオを見てみたら、どのキャンドルからも程良く距離を取ってうまく舞っていましたが、この時は内心ではびくびくしながら舞っておりました。

能が終わると片山さんの法要。ぬえは着替えをしていたのであまり良くは拝見していませんでしたが、やはり法要が締めくくり、というのが「送り火の集い」の趣意だと思います。当初は片山さんから能をフィナーレに、というご提案も頂いたのですが、それでは やはりイベントに近いものになってしまう。。ぬえはこう考えて、ぬえたちを尊重してくださるお気持ちは大変ありがたく思いますが、やはり法要を中心に、我々はその前座、というような気持ちで、そのような順番にして頂くようお願いしました。





終演後には片山さんから食事(とビールも!)の提供を頂いて本堂で歓談させて頂きました。神戸から植樹をしたりブラスバンドの演奏をしに来ている中学校の生徒さんのこと、それから震災の当時のこと。。「送り火の集い」には、昼の鹿折中学校仮設で活動をご一緒した起業家の方もお出まし頂きましたので、この歓談にも参加頂き、片山さんとも語り合って とても有意義な時間だったと思います。

やがて地福寺さんを辞して、近くに再開されたとボラ仲間から聞いた旅館「沖見屋」さんに宿泊しました。

(撮影:前島吉裕)

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その5)

2013-10-09 10:42:17 | 能楽の心と癒しプロジェクト
鹿折中学校住宅を正午頃に辞して、次の公演場所である地福寺さんへ。。まずは鹿折復幸マルシェに寄って、鹿折中学校住宅での活動をコーディネートくださった小野寺由美子さんをお訪ねしましたが、生憎この日は休業でした。。と、ここでお別れするはずだった起業家の住民ボランティアさんから、昼食をご一緒に?  という提案を頂きました。地福寺さんでは夕方に上演の予定だったので、ありがたく昼食に参りました。お勧めのおいしい釜飯のお店は混雑中ということで、しばし住民ボランティアさんのお店で歓談してから昼食を頂き、ここで みなさんとはお別れして地福寺さんへ。



もうこちらで活動させて頂くのは3度目になるでしょうか。そのほか気仙沼の美術館で行ったプロジェクトの催し「星と能楽の夕べ」公演にお招きして出演頂いたこともありますので、ご住職の片山秀光さんとご一緒の活動はこれで4回目になります。最初の活動。。昨年の2月だったと思いますが、終演後に片山ご住職とはずうっと話し込んで、ここまでの復興の道のりについてや、日本の伝統文化の衰退について、それから地福寺さんが続ける地域の支援活動について大変興味深いお話を聞かせて頂きました。これがきっかけで今年の3.11をめぐる催し。。地福寺さん主催の追悼法要に出演させて頂き、また当プロジェクトの「星と能楽の夕べ」公演にて開演前の黙祷の主導をお勤め頂いたりとお互いの交流を発展させてきました。



ああ、まだありますね。伊豆で ぬえが指導している「子ども創作能」に参加しているご家庭からの支援物資。。これも思えば震災の半年後から続けてご支援頂いていますが、この受け入れを地福寺さんが引き受けてくださったり。なんだか良い関係がずっと続いております。

この日は地福寺さん主催のお盆の「送り火の集い」への参加させて頂くことになっていました。
しかも能の上演場所は枯山水の石庭の上! 。。足の裏が痛そうですが、まあ仮設商店街で角ばった砂利の上で舞ったこともあるので、細かい白砂。。じゃなくて、やっぱり石だけれど、小石の上なら大丈夫であろう。。

準備を始めていると、ピアニストの御子柴さんも到着。ずっとプロジェクトでは活動を共にしてくださっているピアニストで、もうお互いの様子がわかっているから安心です。この日は「送り火の集い」で、法要がメイン、そこに能が奉納という形で加わるのですから、本来ピアノなどが入るとイベント風になってしまって、出演者の中でも最初は異論が出たのですが、ぬえは庭にキャンドルを敷き詰め、竹灯籠を灯す、という片山さんのお言葉を聞いて、ここはやはり聴覚の要素。。は必要だろう、と考えて、片山さんとも話し合って、ピアノコンサート風にせず、ヒーリングミュージックのような演奏を、と御子柴さんにお願いしました。

ピアニストに対しては「裏方の、BGMとして弾いてください」と言うわけで、失礼千万な話ではありますが、御子柴さんはこれを快諾くださり(そういう方だと知っているからお願いもできました)、こうして「送り火の集い」の概要が固まりました。結果的にピアノ。。というよりこの日はキーボードをメインに弾いて頂いたのですが、これはとっても雰囲気を盛り上げてくれました。

御子柴さんも、今日はドビュッシーの「沈める寺」を弾きますが、これ、不協和音の感じが西洋の教会のベルではなくて東洋の鐘の音を感じるんですよね。。と言っていました。曲名が、ここで演っていいの? という感じですが (^_^;)、曲調はまさに夕暮れのお寺の石庭に合っていますね。





こうして淡々と準備は進んでゆき、やがて日暮れを迎えます。



こちら今回膨大なキャンドルを持ち込んで飾り付けた「ともしびプロジェクト」のリーダー杉浦恵一さん。








(撮影:前島吉裕)

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その4)

2013-10-08 01:57:31 | 能楽の心と癒しプロジェクト
上演終了後は仮設住宅で恒例のお囃子体験会と装束の着付け体験会。
いろいろ、試行錯誤しながらやってきましたが、囃子は文句なく喜ばれますね。そうして装束。面よりも装束の方が喜ばれるのは、震災以来着物なんて着たことがなかった。。という おばあちゃんが多いから。一度などは目の前で涙があふれちゃった方もありました。この日は爆笑のうちに(なぜ??)体験コーナーは進みました。













そうしてその後。今回の仮設訪問の目玉企画である、市民起業家さんたちによる住民サービスです。

以前にもご報告しましたが、気仙沼には震災前から障害児童の支援団体「ネットワークオレンジ」という団体がありまして、ぬえたちも ふとしたことからその事務所で活動をさせて頂きました。もう1年半も前のことです。その後は、なんとなく、つかず離れずお付き合いしている、という感じではありましたが、今年に入ってからにわかにお近づきになり、5月には新拠点の落成式に出演、そこからまた どんどん人のつながりの輪が広がりました。

その落成式で、まずはリーダーの小野寺美厚(みこ)さんの類い希な才能と、未来まで鋭く見据えるビジョンの確かさに本当に感銘を受けたのですが、もうひとつ、「ネットワークオレンジ」さんが支援する起業家育成の講座を受けて国の助成プログラムに合格した起業家さんたちと知り合ったのが大きな収穫でした。

起業家といっても大層なビジネスマンではなく、お隣さんのような気軽さで街の中に溶け込んでいく、それこそ地域の中に生きる小さなお店、という感じの経営者の方ばかり。この落成式で ぬえは大いに意気投合しまして、それならば、ぬえたちプロジェクトの仮設住宅での活動にご一緒して頂けないか、と その場でお願いし、みなさんも即答でご協力頂けることになりました。

それからの懇意な関係。。ええい、もう名前を出しちゃえ。

この度の仮設住宅での ぬえらプロジェクトの活動に同伴くださり、住民さんサービスを提供してくださったのはこの方々!

村上緑さん:パワーストーン Green (ストラップのプレゼント、お手持ちのブレスレット無償修理)
村上寛さん:コンビニエンスサービス ヒロ (ご家庭のお困りごとお手伝い・代行サービス)
米倉三喜子さん:復康フットサロン よつば (足ツボマッサージ体験)
村上朋子さん:ココ・カラ (心と体に関する無料相談や症状を軽減する無料マッサージ)
白幡まさえさん:おぢゃのみ工房 子葉輝 (がんづき と しそジュースのサービス)

ね? いいでしょう? これらの方々にはこの日と、あるいは翌日の別の仮設の2カ所の両方、またはどちらか1方でお手伝い頂いたのですが、これ、まさに仮設のような、住民さん個人の困りごとに寄り添うことあ必要な場に、きめ細かいサービスができる内容だと思います。ゴメンなさい、でも実際の活動を写した画像がないのです。。



ぬえたちの活動は もっぱらお能をご覧頂く「癒やし」の活動だったわけですが、それだけでなく、つまり「見せっぱなし」でなく、住民さんにお楽しみ頂ける活動が、とくに避難所や仮設住宅では必要、と、ようやく気づいたのが活動を開始して半年も経った2011年の暮れぐらいだったでしょうか。

それから山形県のお坊さんの炊き出しボランティアと一緒に活動したり、ぬえたちだけの時は試行錯誤しながら「体験コーナー」の充実を図って行ったのでした。段々に時間の比率は、上演時間よりも その後の体験コーナーの方が長くなっていきました。

震災から2年を経て、ぬえたちの活動も、能だけでない、いろいろな楽しみが詰まった活動にしたい、と考えています。そのひとつがピアニストと一緒に活動したり、星空を投影してロマンチックな空間を作り上げる活動。。ぬえはナマイキにもその方針を「文化の復興」を目指す活動の一環、と考えているのですが、また一方、その活動が、結局「ご覧頂くだけ」の活動に逆戻りしていないか? という思いは常に持っていました。美しい夕暮れやキャンドルの中での能楽鑑賞と、住民さんに装束を着付けて、ちょっと格好つけて頂いて、みんなで爆笑、という活動は相反した方向性を持っています。それを上演するのが仮設住宅なのか、被災を免れた美術館なのか、でも違うとは思いますが、どこかで融合できないか、とも考えてはいます。

そんな混乱した思いの中で、今回はあまり深く考えもせず。。いわば炊き出しの代理として、という程度で ぬえは起業家さんたちにご一緒の活動をお願いしたのではないか、と思います。しかし、彼女たちから ぬえに提出された住民さんサービスの、そのきめ細かい内容を見て、ぬえは正直、衝撃を受けました。こんな、ご近所さんのお付き合いの延長のようなサービスを、ぬえたちはやって来ませんでした。もう2年半も活動しているというのに。

おめ、肩凝っでるなあ、ダメだよぉ、考え込み過ぎねで、たまには力抜いでリラックズしねえとぉ。

ぬえたち、やっぱり余所者なのかもしれないなあ。美しい能装束を着て頂いても、本当にこの住民さんたちのお側に寄り添っている、と言えるのかしら。なんか、着付け体験が急に色あせてしまったように見えました。復興は、どこまで行っても住民さんたちで成し遂げるもの。ぬえたちの目線は、やはりどこか東京のものなのかも。

でもまあ、たまにしか東北を訪れることができない ぬえたちにとっては、それで仕方がないのかも知れませんね。見守る、その日だけは楽しんで頂く。それで良いのかも。ともかく、これら市民ボランティアさんに負けたな。。と思った、そんな日でした。気分は良いのですよ? 一緒に活動できたことが ぬえには嬉しい、そんな日でもあったのです。

(撮影:前島吉裕)

NHK ETV特集「トラウマからの解放」

2013-10-06 01:16:50 | 能楽の心と癒しプロジェクト
。。激しく心を動かされました。再放送だそうですが。。

トラウマから精神的に不安定になり、ついに鬱に。。それが、心の奥に閉じこめられた闇を突き止めるセラピーと、眼球を動かすなど身体の左右に刺激を与えるEMDRと呼ばれる、むしろ簡単といえる治療法でこんなに見事に緩和されるなんて。。! 患者さんの目にはこのお医者さまは天使にも神にも映ることでしょう。

ぬえだって日常的にストレスを感じるし、あまりつらい時には、ここで鬱に陥るわけにはいかない! と、むしろ頑張って明るく振る舞うようにしているんだけれども(いや、がんばれば鬱にならない、というわけでもないでしょうが。。)、自分が頑張ればちゃんと成果が目に見える仕事がらか、また伊豆や東北での活動に大きな成果を実感できるからか、追いつめられることはないです。もともと楽天的。。というか ばかなのかもしれんけど。

でも人間関係など難しい問題に悩み、メンタル・クリニックに通ったこともあります。。この時は処方された薬を飲んだらケロッと治っちゃったけど (^◇^;) やっぱり ばかなのか。。

翻って、震災以後、こういう心のケアというのはどう推進されているんだろう。。

ぬえだって一度だけ、仮設住宅で子どもたちの「津波ごっこ」を目の前で見てしまって凍り付いたことがあります。あれだけの規模の災害で、心に傷を負った人々。。わけても子どもたちの心の治療は決しておろそかにされてはならないです。彼らが将来の被災地を背負って立つのですから。

しかし番組ではEMDRの治療法が確立されたアメリカと比べると日本ではまだまだ圧倒的に専門医が少ないこと、その専門医の治療も保険がきかないため自己負担になること、さらに精神科医でもトラウマを見抜けず外面に現れる症状をおさえる治療を選んでしまって、症状が悪化してしまったりする現実も紹介されていました。

現実には患者さんと一定時間 話を聞いてあげること。。これは「傾聴活動」というやり方で被災者と向き合うボランティア活動もありましたが、そうして寄り添ってあげる信頼関係からでないとトラウマの根元を探り当てることも難しく、治療には長い時間がかかり、また一人の医師が診察する患者の数にも限界があります。でもアメリカでは資金を寄付などに頼り、子どもたちの心のケアは重視されているとのこと。

難しい問題もあり、ぬえにはどうすることも出来ないのですが、人の生死に関わる問題だと思います。
どうか どうか被災地のすべての子どもたちの心の声を聞いてあげるようなシステムを作り上げてほしい、と心から願います。

番組の紹介は→こちら

ちょっと長いですが→番組の全編が映像として公開されています。


第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その3)

2013-10-05 04:19:42 | 能楽の心と癒しプロジェクト
小野寺由美子さんには、この活動のあとマルシェに寄ってご挨拶しようと思ったのですが、お店がお休みでお会いすることができず。。そのまま10月の今日を迎えてしまいました。まあ。。今月も来月も気仙沼には何度か滞在したり通過する機会がありますのでお会いできる日もあるでしょう。

さて最初の活動地「鹿折中学校住宅」に到着しました。わかるかしら。ここでもやはり、中学校の校庭の半分を舗装して、住宅と駐車場に宛てられています。震災直後の避難所も、またその後建設された仮設住宅も公立学校に多く作られるのは、当然そこが公立の公共施設で、災害時に自治体の判断で使用目的を変更するのが容易であるからですが、それが子どもたちが通う小中学校であるとき、痛ましさを感じますね。。

ぬえは多くその事例を石巻で実見しました。避難所時代には、被災しなかった学校には避難所が設けられ、さらに学校そのものが壊滅した被災地域の児童・生徒のための「仮設学校」が同じ学校内に間借りして教室を開いたり。こうなると学校の敷地が足りなくなって、間借りしている小学校の児童は、校庭がふさがっている時は、近所の公園で体育の授業をしていたり。。一方避難所を解消しようと行政は仮設住宅を次々に建設しましたが、避難所の住民さんにとって引っ越しの手段や経済的な負担をどうするのかという問題に直面したり、いやその前に避難所の解消の期限は震災から半年を経ていて、避難所で培われたコミュニティを分断するような、抽選による住居の指定がなされたり、ましてその結果、車も持っていない高齢の住民さんに割り当てられた仮設住宅が、付近に商店もない山間の数軒だけしかない仮設住宅だったり。。「こんなところでは私は生きていけない」と嘆く住民さんに寄り添って、ときには拒否まで勧めたボランティアさん。それが原因となってささやかれる「学校が再開できないのは避難者が居座っているからだ」という心ない声。。いま考えれば、震災の年の10月。。あの避難所の解消までがある意味で震災後の「混乱期」と呼ぶべき状態だったのではないかと思います。

ともあれ鹿折中の校庭に建てられた仮設住宅に到着しました。掲示板にはちゃんとチラシを貼ってくださっていてありがたや~。



上演会場となる集会所もすぐに見つかり、早速 自治会長さんにご挨拶させて頂き、上演の準備を始めさせて頂きました。この日到着する予定の太鼓のOさんも、ほどなく到着。仮設住宅での活動で囃子方が2名も参加して頂くのはあまり例がなく、それならば、というので上演後の体験コーナーも囃子体験を充実させることにしまして、Oさんもわざわざ体験用の鼓や太鼓を何調もご用意してくださいました。







なんか ぬえも楽しそう。



そうして上演の時間が迫ってきまして、ぬえも装束を着て準備。大概の装束はもう自分一人で着れるようになりましたが、やっぱり無理なところもあって、そこはお囃子方である笛のTさんにお手伝い願ったりしています。東京でそんなことはあり得ない訳ですが、被災地では仕方がない。Tさんも、もう ぬえの着付けを手伝わされる経験は2年以上ですから、もう手慣れたもの。おっと、太鼓のOさんは天冠が珍しいみたい~ 能の世界は完全分業制ですから、同じ能楽師といってもお囃子方がシテ方の道具類を身近に見る機会は、ほとんどないのです。それが着付けの手伝いまでさせられる。。すみません~~



やがてお客さまも見えて上演が近づきます~。

こうして朝から能!。。『羽衣』を上演させて頂きました。









「国土にこれを施し給ふ」の型では思い切ってお客さまの方まで出る。。いつも機会があればそうしているのですが、この日は座布団の感触が膝に伝わって「?」とは思いましたが。。お客さまのすぐそばに行けたとはいえ、なんか変な格好だなあ。。



第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その2)

2013-10-04 23:10:57 | 能楽の心と癒しプロジェクト
先日、東新城地区で活動したため、安波山トンネルを通るバイパスを通れば宿のある田中前のあたりから鹿折までは渋滞も信号もなくすぐに到着することがわかっていたので、その道を使って鹿折へ。で、定点観測と言いましょうか、第十八共徳丸へ。写真家のM氏はこの船を見てさすがに驚いたようでした。が、その後の展開はみなさんもご存じの通り。M氏は運良く共徳丸が解体される直前に気仙沼に来ることができました。

ぬえは変わったところもない共徳丸(とはいえ、この直前には車がこの船に衝突する事故が起こったらしいのですが)を見て、これまで見に行ったことがない、すぐそばの「鹿折唐桑駅」のプラットホームに立ってみました。



やや高台に立つ「鹿折唐桑駅」のプラットホームは、ほんの数十メートルそばまで大型漁船が流されてきた割には、ほとんどダメージがないように見えました。大船渡線の線路もそのまま残っています。しかしこのレールは気仙沼方面にも、大船渡方面にもつながっていません。津波によってレールがあちこち寸断されてしまったために、いまこちらの大船渡線もBRT(バス高速輸送システム)が運行しています。



レールをよく見ると赤く錆び付いていますね。そうして夏草が生い茂って線路を隠そうとしています。しかし、2年の歳月が経っているのに繁茂がこの程度ということはあり得ない。これはJRの関係者とか付近の住民さんなどが定期的に草むしりをしておられるのでしょう。

共徳丸の方へ駅のプラットホームから下りて戻ってくると、駅舎の前には長野県の有志の方から贈られたカンナが赤い花をつけていました。



さて共徳丸を離れ、今日の最初の活動場所である「鹿折中学校住宅」へ。以前は宮城県では「応急仮設住宅」と呼んでいましたが、あまり良い響きではなかったからか、いつの間にか呼び方が変わっているようです。

ぬえたちが気仙沼市の仮設住宅で活動をするのは、2012年の2月以来のことです。もうかれこれ1年半もの間、気仙沼では仮設の訪問をしていませんでした。。石巻と比べると気仙沼は遠いため なかなか活動をしに行かないのかというとそうでもなくて、割と頻繁に足を向けているとは思うのですが、いろいろな事情もあり、受け入れ頂く方の意向もあり、これまで気仙沼では仮設商店街での活動に比重がかかっていたように思います。あるいは大島まで足を伸ばして活動するとか。

今回は意識的に仮設住宅での活動を行うつもりでいたのですが、それは東新城オレンジ落成式で出会ったネットワークオレンジさんが育て上げた起業家さんたちと、仮設でご一緒に活動しよう、住民さんサービスで ぬえたちの公演に華を添えてほしい、という話が盛り上がったからでした。そうそう、その東新城オレンジ落成式の日、起業家さんたちに車で鹿折復幸マルシェまで送って頂いて、数日後に迫ったマルシェでの公演のポスターをあちこちに貼らせて頂いた折、マルシェの小野寺由美子さんに大変親身なご協力を頂きましたが、この鹿折中学校住宅での活動お話をまとめてくださったのも、誰あろう由美子さんだったのでした。

すみませ~ん、おそらくその数日前にはじめてお電話を掛けて、突然マルシェで活動したい旨お願いしたのですが、その時も快くマルシェの会長さんをご紹介頂きまして。。ありがたいかぎりですが、その後FBで多くのボラ団体さんのお世話をしてくださっている、マルシェのアイドル的な方と知りました~。ぬえ、そこにピンポイントで電話を掛けて活動受け入れのお願いしたなんて。ぬえ、持ってます。

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その1)

2013-10-03 22:04:53 | 能楽の心と癒しプロジェクト
え~、例によってとっても遅いご報告ですが。。「能楽の心と癒やしプロジェクト」では8月中旬に宮城県気仙沼市および登米市にて支援活動を行ってまいりました。

今回もNPO法人JIN'S PROJECTさまとの共催という形を取らせて頂きました。JIN'Sさまには大変お世話になり感謝しております。また今後もともに手を携えて東北のみなさんのために活動を続けていくことになっています。乞うご期待。

また今回はいくつもの特筆すべき活動がありました。ひとつは7月下旬に石巻で行った、ピアニストを入れた『能とピアノの夕べ』公演の替えバージョンの催しを、気仙沼のお寺の枯山水庭園で行ったこと。次に初めて登米市の本格的な能舞台で活動を行ったこと。そうして気仙沼の2カ所の仮設住宅での活動では、気仙沼市民の協力を得て能楽公演だけでなく住民サービスの活動を行ったこと。これらの活動のどれもすべてが、これまでの活動では行ったことのない、初めての試みの連続でした。そしていずれの活動も成功裏に終わることができました。ああ、やってよかったな~と思える活動になったのは本当に幸せなことです。ご協力頂いた関係諸氏に心より感謝申し上げます。

【8月15日(木)】
この活動の前、ぬえは東京でスケジュールが立て込んでいまして、この日も ぬえは東京で稽古能2番、それから秋にあるお役の斬り組みの稽古を終えて、さて自宅に帰って、夕方近くなってからようやく車で出発。気仙沼に到着するのは深夜になってしまうので、笛のTさんに事前に気仙沼に入ってもらい、定宿に先にチェックインして頂きました。ぬえは、結局JINSのリーダーのJINさんと一緒に気仙沼に向かったのですが、まあまあ深夜にはならずに到着、早速にJINさんと「気仙沼ホルモン」を食べに、先日も行ったお店にまた行って、宿にも無事に入ることができました~。よかったよかった。

【8月16日(金)】
この日から活動開始。写真家のM氏がこの朝 高速バスで気仙沼に到着することになっていたので、これまた例によって睡眠障害の ぬえが朝5時に起きてバス停がある気仙沼市役所前へ。

M氏は夜行バスは初めてだったそうで、あまり眠れなかったとのこと。そうでしょー。ぬえも今年はじめて夜行バスに乗りましたが眠れなかった。。あ、それは睡眠障害だからか。で、ちょっと大変だとは思ったけれど、宿では宿泊客以外は入館禁止、ということだったのでMさんには宿で休んでもらうわけにもいかず、早朝に気仙沼の被災地区を案内することにしました。

南気仙沼駅。。もう草が生い茂ってしまって、プラットホームさえ見分けられないほどに。このプラットホームは瓦礫の撤去のための車両が通行するのに邪魔だったのか、震災の年の秋頃でしたか、突然中央部分だけ取り壊してなくなってしまいました。



内湾地区。埋め立て地で、水産加工工場の大きな建物や、駅の周辺は歓楽街だったそうですが。。瓦礫を撤去して岬の突端部分まで行けるようになったのは、震災後1年近く経ってからのことでした。今でもその突端部分には津波のために壊れた建物の鉄骨が残されていました。



もう少し内陸に入った地区では、壊れた家屋も残っているのですが、それも もう数えるほどになってしまいました。



そうこうしているうちに、最初の活動場所である「鹿折中学校住宅」へ楽屋入りする時刻が近づいてきました。コンビニで弁当を買って食べて、宿に帰ると笛のTさんも起床していましたので、別の宿に泊まったJINさんも拾って、一路鹿折地区に向かいました。

梅若研能会9月公演

2013-08-23 08:44:09 | 能楽の心と癒しプロジェクト
もう来月に迫っておりますが…来る9月19日、師家の月例会「梅若研能会9月公演」にて ぬえは能『融(とおる)』を勤めさせて頂きます。名月の下に颯爽と懐旧の舞を見せる貴公子。『融』は能の作品の中に美意識のひとつの頂点を示す能でしょう。

都を訪れた廻国の僧が六条河原院の旧跡で出会った老人は、みずからを汐汲み、と紹介します。不審を持った僧も、かつてこの場所が源融大臣が営んだ邸宅の跡であり、それは陸奥の塩釜の眺望をそのまま写した風流の庭園なのだと知らされて納得します。それならば、と塩釜の風物を尋ねる僧に老人はいちいちに答えます。やがて月ものぼり漢詩の世界をそこに重ね合わせる僧の風流に感じて、老人もこの場所から見える都の風景を教えます。二人の心が浮きやかに遊ぶとき、老人は汐汲みの作業を忘れていた、と思い直して汐を汲むと、そのまま汐曇りの中に姿を消します。登場した所の者に、さきほどの老人は融の霊であろうと暗示された僧は苔を枕に重ねての奇特を待つと、やがて融の霊が現れます。融は昔の遊舞を回想し、月を愛でて舞を見せますが、やがて暁の光に誘われて、月の都に帰るように姿を消すのでした。

一昨年より東北の被災地支援を続ける ぬえにとっては、まさに感慨深い能であります。そのうえ ぬえの師匠がこの曲がお好きで、その光り輝くような舞台も何度となく拝見しておりまして、少々荷が重い気もしますが少しでも師匠の舞台に近づけるよう努力を重ねて勤めたいと考えております。平日の昼間の公演ではありますが、どうぞお誘い合わせの上ご来場賜りますよう、お願い申し上げます~

梅若研能会 9月公演

【日時】 2013年9月19日(木・午後2時開演)
【会場】 観世能楽堂 <東京・渋谷>

    仕舞 三  輪   遠田 修
       駒 之 段   梅若泰志
       車  僧   青木健一

 能  源氏供養 (げんじくよう)
     前シテ(里女)/後シテ(紫式部) 古室知也
     ワ キ(安居院法印)舘田善博
     笛 八反田智子/小鼓 住駒充彦/大鼓 大倉三忠
     後見 梅若万佐晴ほか/地謡 加藤眞悟ほか

   ~~~休憩 15分~~~

 狂言 梟山伏 (ふくろうやまぶし)
     シテ(山 伏)  野村万蔵
     アド(兄)    野村太一郎
     アド(弟)    河野佑紀

 能   (とおる)
     前シテ(尉)/後シテ(融大臣) ぬ え
     ワキ(旅僧)御厨誠吾/間狂言(所ノ者)野村扇丞
     笛 藤田次郎/小鼓 幸正昭/大鼓 高野彰/太鼓 金春国和
     後見 梅若紀長ほか/地謡 中村裕ほか

                     (終演予定午後5時35分頃)


【入場料】 指定席6,500円 自由席5,000円 学生2,500円 学生団体1,800円
【お申込】 ぬえ宛メールにて QYJ13065@nifty.com

例によってこちらのブログで作品研究。。というか、上演曲目の考察を行いたいと考えております。併せてよろしくお願い申し上げます~~m(__)m

決算報告書(07/29~08/02)

2013-08-22 08:57:18 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト

第15次被災地支援活動(2013年07月29日~08月02日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金(ボラ扱い) 268,992円
     前回活動繰越金(ギエ扱い) 32,500円
     銀行口座募金3件(ボラ扱い)   40,000円        収入計  341,492円
                           内訳:ボラ 308,992円 ギエ 32,500円

 【支出の部】
  〈活動費〉
  〈活動費〉
    ◎交通費(御子柴聖子分)9,290円
     (ガソリン代            4,640円)
     (有料道路通行料          4,650円)
    ◎宿泊費    41,000円
     (2人×3泊           30,000円)
     (2人×1泊           11,000円)       支出計   50,290円

 【収支差引残額】                         残額    291,202円
                          内訳:ボラ 258,702円 ギエ 32,500円

※注※
・プロジェクトの活動にかかる資金は主に募金によって賄われている。プロジェクトの活動にご理解を頂き、ご支援を頂いた諸兄には、改めて深謝申し上げます。
・「ボラ」とはプロジェクトの活動費用に充てる事ができる資金。「ギエ」は募金者希望により被災地への直接的支援のために使途を限定する資金。ただし「ギエ」についてはすでに一定の役目を終えた段階と考え、現在はプロジェクトからとくに「ギエ」の呼びかけはせず、チャリティ公演等の際は使途を「ボラ」と明言して募金をつのっている。なお「ギエ」については、被災地で継続的に活動を続ける信頼すべき支援団体に寄付する予定である。
・今回の活動は本年3月の第13次活動と同じくJIN'S PROJECTとの共催である。それにより同団体のご厚意の仲介を頂き、企業「THE BODY SHOP」さまよりプロジェクトメンバー2人についてのみ、使途は交通費に限って補助金のご支援を頂いた。関係各位に深謝申し上げる。
・本決算報告書は活動資金を募金として提供頂いた方へのご報告であるため、「THE BODY SHOP」さまからのご支援にかかる費用は上掲しなかったが、内容は次の通りである。交通費 35,457円(内訳:高速道路通行料金 15,600円、ガソリン代 19,857円)
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・近来銀行口座へ継続的に活動資金を募金してくださる方も複数あり、またボランティア団体JIN'S PROJECTさまのご厚意により、活動によっては同団体との共催の形を取ることによってスポンサー企業さまからの補助金を頂ける機会も増えてきた。しかしながら今後も息長い支援活動を続けてゆくために、今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。


【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)

普通預金 口座番号 0056264

名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ


                                           以上

  平成25年08月21日






                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com

↓領収証は次頁以下に添付


活動報告書(07/29~08/02)

2013-08-21 01:54:35 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒やしプロジェクト

第15次被災地支援活動(2013年07月29日~08月02日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」の4名(※注1)は、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに14度に渡り岩手県釜石市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、および福島県双葉町の住民が避難している旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびメンバーの八田、寺井は、去る07月29日、および08月02日の5日間に渡り宮城県・石巻市内にて計5回、能楽および舞囃子の上演を行いました(※注2)。

今回の活動はNPO法人「JIN'S PROJECT」との共催となっており、石巻市で繰り広げられる最大のイベント「石巻川開きまつり」への参加を目標とし、さらに「文化の復興」の目標を実現するため石巻市内の名家にて「能とピアノの夕べ」公演を行いました。活動の実現に至るまでご尽力いただいた関係各位に深謝申し上げます。

石巻市の「川開きまつり」への出演は念願であり、早くから地元関係者を通じて能の出演の是非を打診して頂いていました。しかしながら意外や出演の受け入れはかなり困難を極めました。川開きまつりではコンサートやパレードなど賑やかな催しが多く、また多くの露店が設置されるため、能楽を上演する雰囲気域が保たれない、そもそも舞うスペースが用意できない、というのがお断りの理由でした。

このためプロジェクトとしては活動の機会を探し、「川開きまつり」とは別個に「能とピアノの夕べ」を催し、また川開きの当日はこれまでご挨拶をしていなかった石巻市内の寺社へ参詣致し、奉納上演をすることとしたほか、「川開きまつり」と同時に進行する「全国花火サミット」のレセプションへの出演の依頼を石巻商工会さまより頂戴し、これに出演することになりました。

このように今回はプロジェクトの活動としては比較的上演時間に余裕のある活動ではありました。しかし成果は大変大きなものだったといえます。「能とピアノの夕べ」公演は予想外に市民に大きな反響を呼んだようで、当初の想定を大きく上回る、80~100名のお客さまがお見えになり、寺社の奉納では今後、地元の郷土芸能との競演のお話も生まれ、また「花火サミット」では各地の自治体の関係者や市長さんの知己を得ることができました。

ことに「能とピアノの夕べ」公演は、当初は東松島市の某施設で「星と能楽の夕べ」を行う予定であったものが、会場施設が星空投影には適していないことが判明したために急遽会場と内容を変更して行った公演でした。すでに予定を空けて頂いていた天文解説の方はキャンセルとさせて頂きましたが、新たな会場(石巻市内の個人宅)には立派な日本庭園がある、とのことで、同じく予定を空けて頂いていたピアニストと能楽だけで上演することに致しました。これが夕食どきの上演にもかかわらず上記のように予想外の反響を呼んで大勢のお客様にご来場頂けたのは望外の幸でしたが、芳名帳にご記入頂いたお客様のご住所を見ると、普通のご家庭からお見えになったお客さまがほとんどだったようです。プロジェクトとしては仮設住宅への慰問公演も継続して行う予定ですが、一方、市民が普通に芸術文化を楽しめる「文化の復興」を目標のひとつに考えておりますが、この「能とピアノの夕べ」公演は、まさしくこの目標に合致する公演となったのではないかと思います。プロジェクトとしましては、今後 慰問公演と平行して「星と能楽の夕べ」や「能とピアノの夕べ」公演を積極的に被災各地で展開していこうと考えております。

また寺社への奉納公演は、「川開きまつり」とリンクして行いました。石巻市の「川開きまつり」は、石巻の開港の基礎を築いた川村孫兵衛への報恩祭として大正時代に始まった歴史のある祭礼です。今日では市民にとっては夏祭り・花火大会などのお楽しみ行事となっていますが、祭礼の役員さまは早朝より1日をかけて市内各地に点在する孫兵衛の顕彰碑や銅像、そして墓を巡回して、神職・僧侶による供養祭に参列します。プロジェクトはこの一部~以前にも奉納したことのある大島住吉神社さま、孫兵衛の墓を守る普誓寺さま~に同行して式典の前後に舞囃子を奉納させて頂きましたほか、震災後の最初の活動拠点であった湊小学校避難所との関係から、湊地区を守る零羊崎神社さまでも奉納上演をさせて頂くことができ、市長さまはじめ各地の関係者の方の知己を得ることができました。

「全国花火サミット」公演は、はじめて石巻商工会さまより頂いた出演依頼でした。「全国花火サミット」は花火大会を行っている自治体の商工会や観光協会など関係者が集って毎年持ち回りで開かれ、情報交換や親睦を深める活動を行っておられます。じつはこのサミットは偶然にも震災の年に石巻市で開催されることになっていて、これが中止となったため、今年は石巻市としても満を持しての開催でした。石巻に集った各自治体の関係者の方は会場近くの被災ビルの屋上で花火大会の実施を視察し、その後ホテルでレセプションが行われ、翌日に本会議が開かれる予定で、プロジェクトは初日の花火大会視察後の歓迎レセプションのアトラクションとしての上演でした。しかし上演後はすぐに会場を失礼する予定だったものが、ご来場のサミット関係者のお計らいによって会食にまでお招き頂き、石巻市長さんや諏訪市長さんはじめ、各地の関係者の方の知己を得、またそれらの土地での能楽ワークショップなどの話にまで発展しました。

このように、今回は全体としてみれば上演の回数はあまり多いとはいえませんでしたが、活動内容としてはプロジェクトとして新たな発展を予感させるものとなりました。関係各位のご尽力に深謝申し上げたいと思います。

※注1 プロジェクトメンバーは八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)、小梶直人(同)の4名。ただし都合により今回は八田・寺井の2名での活動となった。
※注2 今回の上演場所は石巻市①秋田屋庭園②大島住吉神社③零羊崎神社④普誓寺⑤石巻観光物産情報センター(ロマン海遊21)⑥石巻グランドホテルの6箇所。

【活動記録】
 7月30日(火)
夕刻18:00より秋田屋庭園にて「能とピアノの夕べ」公演。御子柴聖子さんのピアノ演奏と能『高砂』を上演。80~100名のお客さまのご来場を頂き、当初は日本庭園を背景に座敷での上演の予定のところ、庭園を客席として座敷で上演することとなった。

 7月31日(水)
「石巻川開きまつり」初日。プロジェクトは下記の寺社で奉納上演。
8:30~ 大島住吉神社 舞囃子『融』
14:00~ 牧山・零羊崎神社 舞囃子『融』
16:00~ 普誓寺 舞囃子『融』

 8月1日(木)
「石巻川開きまつり」2日目
11:00~ 石巻観光物産情報センター(ロマン海遊21)にて能『羽衣』を上演。
21:00~ 石巻グランドホテル「鳳凰」の間にて「全国花火サミット」歓迎レセプションに参加。能『猩々』を上演。

【収入・支出】

  プロジェクトの活動は基本的に募金によって行われております。近来JIN'S PROJECTさまとの共催の形を取り、同団体の斡旋により企業より活動資金の一部を補助頂くことができ、今回も交通費のみご支援を頂くことができました。

  募金は基本的にプロジェクトのボランティア活動資金(以下「ボラ」)として使わせて頂きますが、とくに被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)はプロジェクトとして支援するのに然るべき団体。。被災地に拠点を置き、直接被災者の支援活動に従事することを目的とした、非営利で公明正大な活動が長期に渡って期待できる、信頼すべき団体に寄付させて頂きます。

  プロジェクトの活動資金としては、前回活動繰越金として301,492円(内訳:ボラ268,992円 ギエ32,500円)があるほか、前回第14次支援活動の決算のあと銀行口座へ計40,000円を頂戴致しました。よって計341,492円(内訳:ボラ 308,992円 ギエ32,500円)が今次活動の前に計上されております。

これに対して今回の活動による支出の内訳は別紙決算報告書にある通りで、今回の活動終了時の残額は 291,202円(内訳:ボラ258,702円 ギエ32,500円)となっております。これらは今回の活動繰越金として計上し次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。

  プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では個人宅への宿泊は迷惑を考えて自粛し、またボランティア団体も減少している現状では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。

前述の通り今後は企業さまのご支援を頂ける可能性もありますが、今後も長期に渡って被災地での活動が継続できますよう、みなさま方には引き続きまして活動支援をお願い申し上げる次第です。

【成果と感想・今後の展望】
プロジェクトとして第15次となる今回の支援活動では、石巻川開きまつりを目標としての活動を計画して絵おりましたが、これが難しい状況となりました。次に『星と能楽の夕べ』公演の展開を考えましたが、こちらも会場設備の条件が整わず断念。大変紆余曲折を経ての活動となりました。

しかしながら秋田屋庭園という願ってもない好条件の会場を紹介頂き、『星と能楽の夕べ』公演から天文関係の要素を取り除いた、いわば簡略版の『能とピアノの夕べ』公演を行わせて頂く運びとなったのですが、これが思いもよらぬ効果を生み出し、大変ロマンチックな催しとすることができたのは望外の幸でありました。大勢のお客さまにもご参集頂き、まさにプロジェクトの目指す「文化の復興」というものの形が少しだけ見えてきたような気が致します。今後も仮設住宅への慰問や仮設商店街の振興のお手伝いなどは続けて参りますが、また一方、『星と能楽の夕べ』公演を本公演と捉え、その条件が整わない場合は『能とピアノの夕べ』公演をもってその代わりとするような「文化の復興プロジェクト」のようなものを展開してゆきたいという希望を持つことができました。

また今回は初めて石巻商工会よりご依頼を頂戴し、震災で塩基になった「全国花火サミット」のレセプションという晴れの場で活動させて頂くことができたのは名誉なことだったと考えております。わけても石巻市長さまほか石巻市および他府県の関係者さまと知己を得させて頂いたことは、今後の活動の展開に大きな可能性を見出したと思います。「花火サミット」では震災後はじめて当地に足を踏み入れた関係者もおられた事と思いますが、石巻市としてもこれら関係者が花火大会を視察する会場に被災ビルを用意するなど、震災の記憶の風化への対処を深く考えておられる様子も拝見しました。

現在被災各地ではいわゆる「震災遺構」が次々に取り壊され、被災当時の状況はわかりにくくなっております。八田は個人的にはこれら人的被害をもたらした「震災遺構」を残して後世に伝えることには違和感を覚えますが、また一方、これらがすべて撤去された後に起きる記憶の風化、それよりも人が集まらなくなることによる復興の停滞についての不安も危惧されております。さらには現地では国が主導する防潮堤の建設問題が大きな波紋を呼んでいて、この夏がこの問題のひとつの「山場」なのだそうです。

我々、能楽師有志はこれらの重大な、しかし政治的な問題の動向への影響については無力を痛感しておりますが、あくまで能楽の持つ力。。まさしく「能楽の心と癒やし」を個人の心に響かせることを目指して、もって「文化の復興」を構築するお手伝いを致し、そこから生まれる活力をもって素晴らしい街の再生に寄与したいと考えております。どうぞ今後とも変わらぬご支援、ご教示をお願い申し上げる次第です。


平成25年8月21日






                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com

第15次支援活動<石巻川開き祭り>(その10)~旅の終わり

2013-08-14 07:21:18 | 能楽の心と癒しプロジェクト
女川町の表敬訪問を終えて、ようやく帰京の途に。その前にこちらの土地の神様にご挨拶してから帰ることにしました。

こちらは熊野神社。地域医療センターの高台の、さらに上の山に鎮座しています。よく整備されて篤く敬われていると感じましたが、この石段にメゲて社殿まで至るのは断念。。石段の下から遙拝させて頂きました。。



かわってこちらは白山神社。津波に流されて、やはり地域医療センターのすぐ後ろに移転した、と聞きましたが、まさか仮設の神社とは。。



前には古い狛犬がやはり移されてあって、もともとの社殿が立派だったことを彷彿とさせます。



参拝してから中を拝見すると、御神輿と、それから小さな社がありました。。これは境内にあった末社のものを代用して主神さまも一緒に祀っているのかもしれませんね。





野球場仮設に至る道の両側にうずたかく積まれていたガレキが撤去されたあとには、なんと立派な滝が姿を現していました!





帰途、今年の3月にようやく復旧が成った石巻線の「浦宿駅」を見ました。石巻線はまだ断続的にしか復旧していませんが、昨年の3月に石巻~渡波が復旧し、そして今年、万石浦の護岸工事が終わって渡波からこの浦宿駅までが復旧しました。浦宿~女川駅は線路が破損しているし、また女川駅は駅舎はじめ周辺がすべて破壊されてしまっているので、復旧の目途は立っておらず、代行バスが運行されています。浦宿駅からは県立女川高校までも歩ける距離なので、通学の足が復旧したのはよかった、と思ったのですが、女川高校は来年の春に閉校の予定なのだとか。。



ところで駅に停車している列車にはアニメの登場人物が描かれてありました。これはやはり今年の春から運行されている「マンガッタンライナー」というものだそうです。石巻の「石ノ森萬画館」のリニューアルオープンに合わせて震災復興と観光促進のために、JRと石巻市が共同で行っている事業なのだそうです。

やがて万石浦を過ぎて、せっかくなので渡波の状況を見に行きました。港湾の施設は地盤沈下している様子がまざまざと見て取れますが、堤防には釣り人の姿も。





それより驚いたのは、昨年見た渡波中学校と石巻市立女子商業高校の校舎が跡形もなく消えていたことでした。。津波の被害を受けて学校はともに移転、ぬえが見たときは校庭はガレキ置き場となっていましたが。。ガレキの撤去も終わったところで校舎も解体されていたのですね。





今回の活動では石巻の秋田屋さんでの魅力的な上演が実現したことや石巻の寺社で奉納上演させて頂いたことがとても印象的な活動になりました。川開き祭りの盛大な様子もうれしく思った ぬえ。女川ではミネさんら仲良しの住民さんに再会できたのも喜ばしいことでした。復旧も少しずつ進み、でも跡形もなくなった更地が増えていくことに なぜか寂しさも思い。。複雑な思いを持ちながら、今回もミッション・コンプリートさせて頂きました。関係各位に深く御礼申し上げます~~!

【この項 了】

第15次支援活動<石巻川開き祭り>(その9)~1枚の写真

2013-08-11 22:48:31 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ミネさんを野球場仮設までお届けして、次は「きぼうのかね商店街」へ英子さんに会いに。英子さんは直後に迫った女川での「高村光太郎祭」の開催に向けてご多忙のようでした。これはご夫君の遺志を継がれての活動です。ぬえたちも資料を見せて頂き、将来的には能も参加したいと夢をふくらませましたが。これじゃ少し時間が必要なようです。

ところで英子さんとは、ミネさんも同じですが、昨年の10月にお会いして以来の再会ですが、どちらもお元気なご様子でした。とくに英子さんは一枚の写真を見せてくださり、「私、また踊れるかもしれない、と思えてきました」とおっしゃいました。

これ、日舞をご趣味にされている英子さんが震災前に撮られた写真でして、後ろに立っておるのはお師匠さんとのこと。日舞に明るくない ぬえには残念ながら曲目などはわかりませんが、発表会の祭に撮影されたものなのでしょうか。英子さん、キレイに写ってますね~

じつはこれ、津波で流された写真が手元に戻ってきたものなのだそうです(!)。そういえば震災後に漂着したりヘドロの中から見つかったこういう「思い出の品」をキレイにして持ち主の許へ返す、というボランティア作業がずうっと続けられていました。殊に写真は思い出の品の中でも重要な物だ、ということで、泥だらけになった写真は傷つけないように注意しながら丁寧に洗浄して、同時に持ち主を特定する調査を進めて、そちらへお返しする、という、気の遠くなるような作業がずっと続けられていたのです。これは本当にたくさんの団体が行っていた作業だと思います。カメラ関係の企業、大学、もちろん多くの有志によるボランティア。。

ぬえがそういったボランティア作業の成果を見るのはこれが初めてでしたが、英子さんが踊りを再び始める気持ちがこの写真との再会によってであるならば、計り知れないほどの勇気を英子さんに与えたのだと思います。昨年6月にはじめて ぬえたちが女川で活動を行った際に、上演終了のあとに仮設住宅では毎度行う「ふれあいコーナー」で能装束の着付け体験などを住民さんにやって頂くのですが、このとき唐織を着てみたのが英子さんでした。そうしたら終演後、英子さんは ぬえたちのもとにやって来てお礼を述べられると、ポロポロと涙を流されたのでした。そのとき初めて ぬえは英子さんとおっしゃるこの方が日舞をかつて趣味にしておられ、それは相当の腕前であったようですが、震災で着物はすべて流されてしまい、そうしてご夫君も亡くされたことを知ったのでした。

このとき「震災以来はじめて着物を着ました」と言って涙をながされた英子さん。ぬえも「それでは次の活動で再び女川に来た時は、ぜひ踊りと能とのコラボをしましょう」と誘ってみたのですが、その時のお返事は「無理です。。」というものでした。英子さんは続けて「踊りは。。つらい思い出がよみがえってしまう」と。。

英子さんの店舗兼ご自宅は、あの、横倒しになった女川交番の、まさにお隣に建っていました。店舗の裏、海の前にはご夫君・貝廣さんが奔走して建てられた高村光太郎の巨大な文学碑がありました。いま、交番は倒壊したままの姿で保存の是非が問われ、文学碑も横倒しになったまま復興に向けた土木工事の埃を浴びるままに放置されています。そうしてご夫君は震災の犠牲となってしまいました。。これほどの、人生を覆されるような被害を受けて、昔日の楽しい思い出を甦らせるのは苦痛なのでありましょう。英子さんに「私、また踊れるかもしれない、と思えてきました」と言わせることが出来たのが、この写真再生のプロジェクトのおかげだとしたら、それは とてつもない功績でしょう。ぬえと同じボランティアさんではありますが、地道に作業を行ったことが これほど大きな成果を生んだことに、敬意を表してご報告させて頂きたいと思います。

第15次支援活動<石巻川開き祭り>(その8)~ミネおばあちゃんからご支援頂きました。。

2013-08-10 02:19:08 | 能楽の心と癒しプロジェクト
女川の料理屋さん兼鮮魚や海産物を売る「おかせい」は旧市街中心部。。いまはもうなくなってしまったマリンパルから南。。牡鹿半島の方面へにほんの少し行った、港に面した場所にありました。かつては津波の被害も相当に及んだ地域でしたが、そういえば1年ほど前にここから港を眺めたことがあって、その時にはすでに海産物を扱う倉庫のような施設には人の出入りがありました。このお店はほかのボランティアさんからの口コミで「海鮮丼が絶品」と聞いていたのですが、女川の住民さんにも知られたお店のようでした。



野球場仮設のミネおばあちゃんは ぬえたちがここの海鮮丼が目当てと知ると「特製」の方をお願いね! と、すぐさま店員さんに注文。。「今日は先生方にご馳走しますから!」って。。「特製」は2,500円もするんですけど。。

んんん。。と、緊張しながらなりゆきに身を任せる ぬえ。やがて運ばれてきた「特製」海鮮丼は、それはそれは豪華なお食事でした。。んんん。。活動中はいつも昼食はコンビニ弁当なんですけど。。



「私はこんなに食べられない」と言って、「並」の海鮮丼に盛られたお刺身を、ぬえたちの「特製」のうえにさらに盛るミネおばあちゃん。んんん。。おいしゅうございました。。

ここではミネおばあちゃんから震災のお話しを詳しく伺うことができました。ミネおばあちゃんは いろんな経緯があって、女川町に住んだのは最近のことだそうで、当地で暮らし始めてようやく7年目というときに震災に遭ったのだそうです。震災のときミネおばあちゃんは仙台にいて、情報もないままそこから女川に帰るのに苦労されたそう。。バスなどを利用して、それでも通行止めに遮られて。。途中で石巻の南浜が全滅、などの悲劇的な情報が断片的に伝わってきて、石巻にも長く住んでいたことのあるミネおばあちゃんは、それを聞いて泣き出してしまったのだそう。。苦労して女川に帰ってみると、ある程度高台にあった おうちは被害を免れていました。海からの被害はなかったミネおばあちゃん一家ですが、ところが4月の余震で、反対に土砂崩れが起きてしまって。これでミネさんのおうちは半壊状態になってしまったのだそう。

津波は来なかったんだけど、ぬか喜びでしたね~、なんて笑って話すミネおばあちゃんでしたが、避難所でしばらく暮らしていましたが、やはり落ち着かず、かろうじて倒壊は免れたご自宅の2階に戻りました。同居していたお二人の息子さんも、それぞれのご家族とともに少しでも住みやすい環境を求めて職場などに移り、ミネおばあちゃんは「柱もぐらぐらする」危うい環境の中、たった一人でご自宅でしばらく暮らしていたそうです。。

やがて野球場仮設の倍率の高い抽選に当たり、息子さんの一人とそのご家族。。お嫁さんと幼い二人のお孫さんとの5人でこちらに住むようになり、こうして ぬえたちの活動と出会ったのですね。なんだか「巡り合わせ」というものを感じます。

さてお食事も済んで、ミネおばあちゃんはお勘定をおひとりで引き受けてお支払いになって。。ぬえたちのお支払いは断固拒否されました。それどころか。。さきほど仮設のお部屋でも ぬえたちは自身の活動について「頂いた募金で活動しているので倹約しながらで大変なんですよ~」と説明したのが気になったのか、このお店でなんと。。「これ、使ってくださいね~」と、


「おみやげ代」。。と書かれた封筒を差し出して。。




いやいやいやいや。それは違う、間違ってる。


でもミネさんは必殺のひと言を。


「こんなところで遠慮する先生じゃないでしょ?」


ああ。。いつも無遠慮の ぬえの態度はいつの間にか見透かされてる。。


うう。。


活動資金としてありがたく頂戴しました。。


しかし。。


ボランティアが仮設の住民さんから支援頂いてどうする。 (T.T)


第15次支援活動<石巻川開き祭り>(その7)~女川町でミネさんと再会

2013-08-08 09:41:27 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて工事中で道路が変わったため少々混乱しながら野球場仮設へ。仮設住宅が建つ総合運動公園の方ヘ海から内陸に向かって進んでいくと、途中にあったガレキ置き場はすっかりキレイに片づいていました。



こちら、昨年10月の同じ場所。



やがて野球場仮設に到着。奥に見える巨大な「総合体育館」の手前、目につく白いテントは坂本龍一さんが寄贈した、その名も「坂本龍一マルシェ」です。ぬえもここで上演させて頂いたこともありますし、住民さんのためにバザーが開かれていたり、常は子どもたちの遊び場になっていたりと、住民さんに身近な存在になっています。



野球場仮設は、仮設住宅の中でもオシャレだということで、建設当時ずいぶん話題に上りました。2階建て、3階建ての仮設というのも珍しいですが、じつはこれはコンテナを積み上げて建てたものなのだそうです。



坂本龍一マルシェに行ってみると、七夕の飾りが美しく飾られています。野球場仮設に専属で住民さんのお世話をしている、伊藤恵悟さんがいらっしゃいました。



伊藤さんはボランティア出身で、そのまま女川町に住みついて、いまは社協の一員として町の仕事を続けています。同じようにボランティア出身で、今でも女川町で仕事を続けている方を他にも知っていますが、ボランティア時代は半年をテントで暮らし、住民さんと結婚して、その奥さんのご自宅も流されてしまったため、いまは仮設で暮らしておられるという。。頭の下がる熱意です。女川町に限らずこのようにボランティア出身で地元に定着された方も多数おられますが、これはうまくいった例だと思います。一方では住民さんとトラブルになってしまったり、今となっては「被災地のお荷物」と陰口を言われたりするボランティアさんも何人もおられましたから。。

早速ミネさんのお宅に行って、戸外から呼んでみました。ミネさん、最近ちょっと体調を崩しておられたそうで、やはりおうちの中におられました。

じつは滞在中にミネさんとはお会いするつもりで、割とスケジュールが空いていた今回の活動では、ミネさんをお誘いして牡鹿半島の先端にある御番所公園へのドライブも事前にお誘いしてあったのですが、このとき最近体調を崩されていたことを聞いて、あまり遠出はできないと伺い、ドライブを断念した経緯があります。これで女川を訪れる理由がなくなってしまったし、また何だかんだと石巻でもやることがあったので、石巻滞在中に女川まで足を運ぶこともできませんでした。この日 ぬえたちは帰京する予定でしたが、やはり東京から数百km離れた女川町には次にいつ訪れることができるかもわからず、それで社協さんに今後の女川町での活動のやり方について相談することを兼ねて、ミネさんの顔だけでも見に行こうかと。

結果的に社協さんでもかなり親切に相談に乗って頂いて、今後の活動の可能性も広がりましたし、ミネさんともこうしてお会いすることが出来て、やっぱり女川町に来てよかった。

ミネさんは ぬえたちをおうちの中に招き入れてくださり、この日初めて仮設のおうちにお邪魔させて頂きました。ここで撮影した画像の公開は控えますが、アコーディオン・ドアや引き戸で仕切られた小さな部屋が3つ、それにキッチンや居間、お風呂にトイレがつく。。聞こえは良いですが、やはり狭さは否めないおうちでした。これでも息子さんとお嫁さん、それに幼いお孫さんと5人の世帯で、仮設の中では最も広い間取りです。以前英子さんのおうちにもお邪魔させて頂きましたが、こちらはお一人住まいなのでワンルームの間取りでした。

体調を崩されたそうですが、ミネさんはいたってお元気で、お変わりもないように見えました。アイスコーヒーをご馳走になったり、世間話に花を咲かせて、そのうち外に出て昼食を一緒に食べよう、という話になって、ボランティア仲間から「おいしい」と評判を聞いていたお店「おかせい」に行くことになりました。