「ウォーキング三昧」in 滋賀

「ウォーキング三昧」は2013年3月以来発信して来ましたが2019年5月1日、「スローライフ滋賀」に移行しました。

近江(滋賀)探訪 近江・小倉城(東近江市)

2017年10月11日 05時00分00秒 | 近江の城郭

↑近江小倉城跡の石碑

10月8日(日)、東近江市小倉町の「小倉城」を訪れた。

小倉城は愛知川右岸の河岸段丘上に築かれており、小倉町の公民館前から河岸段丘側へ上がると、小倉城と清和源氏小倉氏発祥の地の石碑がある。ここが小倉城の大手口と考えられており、背後の段丘上に南北30~40m、東西300m位の範囲に遺構が残っている。小倉城の石碑前には河岸段丘へ上がる道が左右に2本つけられているが、大手口からの登城道(大手道)は石碑から右手に延びる道である。

小倉城は承暦年代(1077~1080)に清和源氏の後裔小倉景実が築いた。室町中期に小倉家は3~4家に分家し、小倉氏本家は蒲生郡佐久良庄に佐久良城を築き本城とした。分家した小倉東家は愛知川小椋庄を支配して高野城ならびに小倉城を居城とし、小倉西家は神埼郡御園庄(山上郡)を支配し、山上城を本拠とした。
小倉氏は承暦年代に小倉城を築いた以後、約500年間にわたって愛知、神崎、蒲生三郡の東部を領し、六角氏、蒲生氏と東近江の雄を競ったが、永禄年間(1558~1569)に、小倉一族に内乱が起こり、第17代城主・小倉良秀が敗れて城は焼亡し、同族は各地に散逸したと言われている。









近江(滋賀)探訪 近江・青山城(東近江市)

2017年10月10日 05時00分00秒 | 近江の城郭

↑日吉神社の裏が青山城の主郭

10月5日(木)、東近江市青山町(旧永源寺町)愛知川右岸の河岸段丘上に築かれていた「近江・青山城」を訪れた。

青山城は鯰江城、井元城と同様に愛知川右岸の台地上に築かれた城郭で、青山氏の氏神を祀る日吉神社の裏手(宮林公園横)の杉林の中に土塁、空堀の遺構が残っている。(今日では林の中に太陽光発電のパネルがある)

青山城の築城年代は定かではないが青山氏によって築かれ、小倉城主小倉氏の一族で青山実貞・青山勝重・青山信兼らが佐々木六角氏に仕えた。青山氏はその後織田信長に属していたと言われている。






東近江・近江商人屋敷(五個荘)散策

2017年10月09日 05時00分00秒 | 東近江探訪

↑近江商人屋敷

10月4日(水)、金堂城(大城神社)への途中に、東近江・近江商人屋敷(五個荘金堂)も散策した。
東近江市金堂にはかつて近江商人として成功した商人の屋敷があり、公開されている。
説によると五個荘商人は各地で商売に成功しても今日で言う本社機能は五個荘に残していたらしい。
多くの近江商人は各地に散らばり、各地で根付き、成功発展している企業は枚挙がない。また、今も全国の近江屋や近江の名のつく人や企業・商店等は元を辿れば、近江・滋賀に関係するに違いないだろう。


↑近江商人屋敷がある金堂地区

↑金堂地区

↑商人屋敷通り

↑近江商人屋敷

↑近江商人屋敷

↑近江商人屋敷の庭


近江(滋賀)探訪 金堂陣屋跡(東近江市)

2017年10月08日 05時00分00秒 | 近江の城郭

↑金堂陣屋(東近江市)だった稲荷社

10月4日(水)、金堂城への途中、金堂陣屋跡に立ち寄った。
金堂陣屋は徳川時代の本多忠平(大和郡山城主)の近江所領だった東近江市五個荘金堂地区にあり、近江商人屋敷と隣り合わせである。


↑金堂陣屋

↑金堂陣屋の長屋門(勝徳寺)

滋賀・近江八幡市「八幡堀まつり」【イベント紹介】

2017年10月07日 10時36分18秒 | 日本の祭り
近江商人で有名な近江八幡市の「第20回八幡堀まつり」を紹介する。
この祭は10月7日(土)と10月8日の2日間行われる。

以下、滋賀報知新聞より紹介する。

歴史文化が生きる八幡堀やその周辺の町並みに灯りをともし、深まり行く秋の宵の風情を楽しむ「第20回八幡堀まつり」(主催・近江八幡観光物産協会)が2夜にわたり八幡堀周辺で開かれる。
八幡堀端や旧市街地の通りを手作りローソクやLED球でライトアップし、温かく連なる灯りの列が受け継がれてきた歴史文化と伝統の夜景美を浮かび上がらせる。
2夜にわたり旧市街地にある文化施設の無料公開や町家の特別夜間公開、コンサートやライブが催される。


近江(滋賀)探訪 近江・金堂城(東近江市)

2017年10月07日 05時00分00秒 | 近江の城郭

↑金堂城と言われる「大城神社」

10月4日(水)、金堂城と言われる「大城神社」界隈を散策した。
「大城神社」は近江商人屋敷がある滋賀県東近江市金堂地区(旧五個荘町金堂)にあり、現在は金堂地区の「大城神社」一帯が金堂城の跡である。
金堂城は、築城者や築城年代など詳細については定かではない。
大城神社の周辺を歩いたが神社の大きな石垣以外、城を感じさせるものは無かった。感じとしてこの一帯は平地であり、城と言うよりも陣屋か屋敷みたいだ。
また、近江守護佐々木六角氏が戦国時代に居城としたのが観音寺城のある繖山(きぬがさやま)は目と鼻の先である。


↑大城神社の石垣

↑大城神社の境内


東近江・愛東地区のコスモス

2017年10月06日 17時19分39秒 | 東近江ライフ


秋の季節花の1つである東近江・愛東地区のコスモスが今盛りである。10月5日(木)に訪れた。
あいとうマーガレットステーション(道の駅)前のコスモス畑も同様である。
近江も大分、気温が下がるようになりコスモスが終われば一気に秋が深まり紅葉の季節到来である。
東近江の綺麗な紅葉の場所は例年、交通渋滞になり困ったものである。今は時間があるので行くには平日に限る。




10/14 東近江・大本山永源寺と識呂の滝を訪ねる10km【イベント紹介】

2017年10月06日 05時00分00秒 | ウオーキング
東近江市観光協会主催の永源寺地域ウォークを紹介する。

日本遺産に認定された永源寺地域の美しい景観を楽しみながら、永源寺ダムと識呂の滝を訪ねる。その後 、永源寺で霊場八十八カ所や井伊直興公の霊廟を巡る。

主催:東近江市観光協会
開催日:10月14日(土)
集合:永源寺前 バス停(10:15)
解散:永源寺前 バス停(15:00頃)
*永源寺へは近江鉄道八日市駅からバスあり

コース: 10km
永源寺前バス停(集合) = 八風街道 = ◎永源寺ダム = ◎識呂の滝 = ◎大本山永源寺 = ◎四国八十八ケ所 = 井伊直興公霊廟 = 永源寺前バス停(解散)
参加費:500円(ガイド付き) ※別途、永源寺拝観料500円自己負担
申込:事前連絡・東近江市観光協会 0748-48-2100

東近江・布引運動公園ウーキングリハビリ

2017年10月05日 05時00分00秒 | 東近江ローカル散歩

↑東近江・布引運動公園周回コースで練習中の滋賀学園の選手

10月3日(火)夕方、近くの東近江・布引運動公園にウーキングリハビリに出掛けた。
滋賀に引っ越してからウォーキングらしき歩き方、距離を歩いていないのでたかが数キロでもバテてしまう。今回も2km以降ややバテ気味で4km弱で息があがる。毎日徐々に距離を伸ばすつもりだ。
今日は東近江市内の「滋賀学園高校」の陸上競技選手が練習をしていた。間もなく高校駅伝のシーズンであり、大会に向けての練習だろうか。


↑トラックで練習する滋賀学園の選手

↑陸上競技場から引き揚げる東近江市内の小学校生徒

近江・長光寺城(瓶割城)(近江八幡市)下見 (10/2)

2017年10月04日 05時00分00秒 | 近江の城郭

↑長光寺城(瓶割城)跡(登り口)

10月2日(月)、雨の中だったが近江八幡市の「長光寺城(瓶割城)」を下見した。

長光寺城(餅割山城)の築城年代は定かではないが鎌倉時代中期に、近江の守護佐々木氏によって築かれたと云われ、元亀元年(1570年)南近江に侵攻した織田信長は長光寺城を攻め落とし、柴田勝家を配置している。
「瓶割山」の名前は、かつて、あの柴田勝家がこの城に籠って、六角承禎(義賢)と戦った際に、城の水を絶たれ、 城中に残った水瓶を割って城を出て戦って勝利を得たことから「瓶割り柴田」の異名をとったという武勇伝に由来している

長光寺城は標高234mの瓶割山の山頂付近に築かれ、北側眼下を走る中山道が八風街道と交わる武佐までは直線距離にして約1km。東近江における要衝の地にある。
今回の下見散策は近江八幡市の東洋運搬機工場の裏で、瓶割山の麓に急峻だが登り口があった。登り口は複数あるらしく、東近江市上平木の日吉神社からも登れるみたいだ。近近に探索する予定である。


↑立て看板

↑瓶割山

↑瓶割城遺跡(登り口)

↑説明書き