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↑近江小倉城跡の石碑
10月8日(日)、東近江市小倉町の「小倉城」を訪れた。
小倉城は愛知川右岸の河岸段丘上に築かれており、小倉町の公民館前から河岸段丘側へ上がると、小倉城と清和源氏小倉氏発祥の地の石碑がある。ここが小倉城の大手口と考えられており、背後の段丘上に南北30~40m、東西300m位の範囲に遺構が残っている。小倉城の石碑前には河岸段丘へ上がる道が左右に2本つけられているが、大手口からの登城道(大手道)は石碑から右手に延びる道である。
小倉城は承暦年代(1077~1080)に清和源氏の後裔小倉景実が築いた。室町中期に小倉家は3~4家に分家し、小倉氏本家は蒲生郡佐久良庄に佐久良城を築き本城とした。分家した小倉東家は愛知川小椋庄を支配して高野城ならびに小倉城を居城とし、小倉西家は神埼郡御園庄(山上郡)を支配し、山上城を本拠とした。
小倉氏は承暦年代に小倉城を築いた以後、約500年間にわたって愛知、神崎、蒲生三郡の東部を領し、六角氏、蒲生氏と東近江の雄を競ったが、永禄年間(1558~1569)に、小倉一族に内乱が起こり、第17代城主・小倉良秀が敗れて城は焼亡し、同族は各地に散逸したと言われている。
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