↑山上城本丸跡(安養寺)
9月29日(金)、東近江市に引越後初めての東近江の城郭巡りとして近江・山上城(山上陣屋)を訪れた。
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山上城」は東近江市永源寺山上地区の愛知川の左岸、鈴鹿を超えて伊勢に通じる八風街道(国道421号線)沿いに築かれ、現在の安養寺、及び旧永源寺役場一帯が城址である。
安養寺境内(旧道側)に石碑が建てられており、この石碑付近が本丸跡とされる。
現在は安養寺の石碑以外は、駐車場や田んぼになっており、陣屋等の面影は皆無である。
詳しくは以下のサイト(近江の城郭)を参照あれ。
http://www.oumi-castle.net/second_page/yamagami/yamagami.html
山上城は小椋荘、柿御園荘一帯に勢力を持っていた小倉氏が山上城を主力に山城として山田城、八尾城を築いたものである。
山上城は南北朝時代より小倉氏累代の居城として栄え、元来小倉(東近江市小倉町)を本拠としていたにもかかわらず、戦国時代になると、高野にも本拠が置かれるような形になった。
分家した小倉東家は愛知川小椋庄を支配して高野城ならびに小倉城を居城とし、神埼郡御園庄(山上郡)を支配する
小倉西家は山上城を本拠として和南城,山田城、相谷城、九居瀬城、八尾山城等の支城を設けた。元禄11年(1698)徳川幕府譜代の大名稲垣安芸守重定が一万三千石の諸侯に列せられて常陸の国より近江国野洲、蒲生、神崎などの地を賜り、神崎郡山上郷に山上陣屋を設けたのが山上城の跡地である。
↑山上城本丸跡があった安養寺の全景
↑本陣があった場所(駐車場)
↑山上陣屋があった場所(田んぼ)