傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

小沢幹事長は説明努力、検察、メディアは説明責任がある

2010-02-06 09:50:39 | 検察・メディア

小沢幹事長の不動産疑惑で、小沢幹事長は嫌疑不十分で不起訴、石川議員ら3名は政治資金規正法違反で起訴が決定したが、小沢幹事長、検察、メディアも、皆、グレイであり、小沢幹事長には説明努力と、検察・メディアには、道義的説明責任がありますね。
当方は、「政治的・道義的説明責任」の言葉が「錦の御旗」として多様され、「説明責任」で物事の「良し悪し」が判断すると風潮に違和感を持っています。
また、検察が「週刊朝日」の記事に抗議し、山口編集長、上杉隆氏の反論の成り行きも興味がありますね。

当方は小沢幹事長のシンパではないが、不動産疑惑事件については、守旧グループが「小沢一郎潰し」の一連の事案と思っています。

昨年3月、西松建設献金事案を、それをTVカメラの待ち構えている場面で、政治資金規正法違反容疑として仰々しく強制捜査し、大久保秘書を事情聴取もなく逮捕し、その映像がTVニュースで繰り返し報道され、当方も小沢一郎は、やはり、メディアが風潮していた自民党体質を持つ「金権政治家」だったのかと連想しました。
その後、3月11日の郷原信郎氏の日経ビジネスへの寄稿「検察強制捜査への疑問」を偶然読み、検察の「正義」に疑問を持つようになり、検察の独善性、メディアの御用報道に批判的になりました。

西松建設献金事件は、西松建設内部抗争で被害者意識を持った人間が検察に裏金の存在をタレコミし、その裏金が西松建設の政治団体から政治家に提供されており、その一人が小沢一郎に過ぎず、小沢事務所の強制捜査の1ヶ月前に、小沢幹事長は記者の質問に、政治献金はキチンと記載公開していると回答しており、検察は、その記載がダミーの政治団体であり、「看過できない悪意の虚偽記載」として大久保秘書が強制逮捕したのが始まりですね。
検察の狙いは、政治献金が東北地区の公共工事に影響力をもつ小沢事務所への便宜供与の見返りのストリーにしたかったのでしょうが、確証を得られず、水谷建設のヤミ献金の自白?を得て、第二弾が不動産疑惑ですね。

西松建設献金事件は公判中であるが、検察側の証人として出廷した西松政治団体の人間が、「政治団体はダミーでなく、実体があった」と証言し、検察側を慌てさており、不動産疑惑事件もゼネコンらを立ち入り捜査したが物証は得られず、結局は、石川議員らの秘書3名を虚偽記載容疑での起訴しかできず、小沢幹事長は嫌疑不十分として不起訴処分しかできなかった。

当方は、胆沢ダムの受注調整があり、金が動いたかどうかわかりませんが、現場の受注競争の世界では、あっても当然と思っています。
現場の受注調整よりは、検察権力の作為的行使、メディアが権力に追随する提灯記事の報道姿勢で、正義ぶっている姿のほうが、よっぽど「ワル」と思いますね。

検察は「嫌疑不十分」と説明しているが、「捜査目論見間違い」であり、メディアは憶測記事報道してき、検察もメディアも小沢幹事長に謝罪すべきですね。
検察OBの弁護士、メディアは、小沢幹事長の不起訴は、逮捕した3名の秘書から小沢幹事長の共犯の供述が得られなかったとか、政治資金規正法の不備(連座制がない)で小沢幹事長を起訴できなかったと説明し、小沢幹事長は本当は裏金を貰い、不動産を購入し、蓄財している「金権政治家」の「ワル」であるが、公判を維持する確証をえらなかったという論調は、自分らの読み間違いの責任を曖昧にし、小沢幹事長を「グレイ」の残像を残した責任がありますね。

当方は、「説明責任」という語句が「錦の御旗」になり、物事の「正悪」の判断基準に、使われている風潮に疑問を持っています。
国会でも、メディアでも、説明責任の言葉が乱発され、「政治的責任」「道義的責任」とはなにぞやですね。
小沢幹事長の嫌疑不十分で不起訴になったことで、何故、小沢幹事長に嫌疑不十分の説明責任があり、説明することは政治的・道義的の責任になるのか不可解ですね。
「嫌疑不十分」の説明責任は検察側にあり、嫌疑を追従報道してきたメディア側に、説明責任があり、検察もメディアも小沢幹事長に「よからぬ嫌疑をあたえた」と謝罪の意を示すのが筋だと思いますね。
国会・メディアの小沢幹事長へ求めている説明責任とは、疑いをかけれたにもかかわらず、辞任しないことへの謝罪・弁明を要求しているのであり、国会議員としてふさわしいかの品位を問うということだと思われるが、嫌疑の内容、嫌疑不十分であった内容は、検察が説明すべきであり、やはり、筋が違うと思われ、国会議員に品位など「お笑い」ですね。

また、検察の自白強要の取調べは、批判されるべきであり、取調べの全面可視化は導入すべきですね。
本ブログ「検察の閉鎖性独善は糾弾されるべきですね。」で、「週刊朝日」が取り上げた「弱み」をつけ込んだ密室での自白強要する検察手法は糾弾されるべきと書きました。
その後、検察から「週刊朝日」に、事実誤認と抗議文が届き、記事を書いた上杉隆氏は、検察に抗議するとし、次週の「週刊朝日」に検察への反論の記事を書くと予告宣言していますね。

「週刊朝日」の山口編集長も、「週刊朝日」HPに、「お騒がせして申し訳ありません」で、検察から抗議を受けた顛末を書いていますが、「記事は丁寧な取材を重ねたもので、自信を持っています」と次週の「週刊朝日」に経過報告すると書いていますね。

当方も「週刊朝日」を購読しましたが、上杉隆氏については、アジテターではない印象をもっており、記事内容に検察権力の横暴さに怒りを覚え、余計に、検察は、小沢幹事長の嫌疑不十分で「不起訴」の説明責任があり、検察は、小沢幹事長に、嫌疑をかけ捜査したが「看過できない悪意」はなかったと、謝罪するのが当然と思うのです。


「参考」

① 田中良紹氏の「国民の敵

検察権力の独善的な横暴を批判していますね。

② 郷原信郎氏の『どうした!東京地検特捜部“手柄を焦る”組織の疲弊~福島県知事汚職事件
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1919

福島県知事汚職事件における検察の劣化を指摘していますね。

③ 前福島県知事の佐藤栄佐久氏のブログ
③-1 国民はどこにいるのか。国民は誰が護るのか。【1】http://eisaku-sato.jp/blg/2010/02/000033.html
③-2 「国民はどこにいるのか。国民は誰が護るのか。【2】」http://eisaku-sato.jp/blg/2010/02/000034.html

  検察の手法は私が受けた経験と石川議員の逮捕と重なる部分が非常に多いと。

④ Nothing Ventured, Nothing Gained.様のブログ「朝青龍問題や小沢問題に対する白々しい価値観先行報道について
http://esquire.air-nifty.com/blog/2010/02/post-1e46.html

小沢幹事長の嫌疑不十分で不起訴について、「起訴されなくても灰色だから潔白を証明しろ」という自民党議員やメディア等の馬鹿げた発言を聞いていると、果たしてこの国の立法者たちは憲法や刑事訴訟の基本的原則に対する理解をしているのかと恐ろしく感じてしまう。」とし、検察にも説明責任がある語っています。同感ですね。



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