ウィリアム・メレル・ヴォーリズ Ⅲ

2014年09月17日 | 近江の思想

 


 

● ヴォーリズの建築とミッション 
        、
近年、ヴオーリズ建築が注目され、脚光を浴びるよう
なっているという。彼が単なる建築家ではなく信仰
共同
体「近江ミッション」の創立者であり、その根底
にあ
ったキリスト教――ヴォーリズの生涯の先祖伝来
のピ
ューリタン家庭に生育し、長老派・カルヴァン主
義の信仰思想(「神第一」「神の執事」)――が貫か
れているという(奥村直彦『ミッションに生きる――
ヴォーリス建築を生み出したもの』)


同箸によれば 1896年、一家はデンバーに移住、メレ
ルはイーストデンバー高校に入学。高校時代、新聞配
達などをしながら音楽クラブで活動し、教会でも教会
学校のオルガン奉仕を行っている。中学の頃から建築
に興味を持ち、下校途中などに建築中の家の様子を観
察していたことなどが、メレルの『失敗者の自叙伝』
に記載されている。1900年、メレルは、建築家を志望
してマサチューセッツ工科大学(M汀)への入学が決
まったが、家庭の経済状態を考え、まず近くのコロラ
ド大学に入学。前期課程を終えた後にMITに進む。

なお、コロラド大学は、会衆派教会の牧師らが設立、
中規模のキリスト教主義大学で、リベラルアーツの色
彩が強い。入学当初は仕送りを受けたが、途中からア
ルバイトで生活、課外活動では、大学YMCAと関連
のSVM(有志学生の海外宣教運動組織)を熱心に活
動。また「ピアソンズ文学会」(サークル)に所属し、
卒業時には小詩集をまとめたアマチュア詩人でもあっ
たという。
 



ヴォーリズは北米YMCAの仲介で、1905年1月29日に
来日し、2月2日、初めて近江八幡駅に降り立ち、滋
賀県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高校)の英語
教師に着任する。彼は、早速、放課後の下宿でバイブ
ルクラスを開き生徒たちの心を捉え、出席者はやがて
全校生徒の3分の1にも達した一方、校内でも課外活
動(学生YMCAを組織)し新しい風を吹き込んだが、
それらの活動が、地元町民や他宗教の反発と警戒を呼
び覚ます。1907年3月、在任2年余で教師を解任され
れる。自力と大学友人の両親の支援で八幡基督教青年
会館(旧・近江ハ幡YMCA)を建設したばかりのヴォ
ーリズには最初の受難であり「東洋では一外国人教師
の宗数的信念までが政治問題になるのか」と、著書『
日本における一粒のからし種』に記している。

 ● 近江ミッション綱領

さて、「近江ミッション綱領」は、制定の経過と時期
の詳細は明ら
かではないが、1916年に英文として公に
される。
そこには過去十年にわたって活動してきた近
江ミッションの原理原則を整理し
たものとの説明があ
り、ヴォーリズの起筆によるものと考えられている。
「近江ミッション綱領」の要点は、近江で超教派によ
る福音宣伝をするが、
特に教会設立はせず、信徒団体
が選択する教派に属させる。邦人と外国人団員
は協力
して伝道未開拓地方に宣教し、他教派との競合は避け、
主として農村
伝道に努力し、福音宣伝者の養成を計る。
禁酒禁煙、貞潔、思想向上、結婚習
慣の改革、体育衛
生の進歩を計り、貧民、被差別者を含む社会改善を計
る。福
音宣伝の方法を研究し実験する、というもので、
当時のわが国の農村社会を視
野に入れた、ヴォーリズ
的なユニークなマニフェストであったとされる。

● ヴォーリズ建築の精神と実践 

         
奥村によると 本来は行政が担うべき教育、医療、社
会教育などの働きを代わって担い、その資金は建築設
計、医薬品製造販売で自給し、キリスト教共同体「神
の国」建設を理想として地域の人々に奉仕したのが近
江ミツションであり、
ヴォーリズ建築もその一部門で
あった――と述べ、
そのキリスト教精神は、建築家の
名声のためではなく、クライエント、
施主やそこに住
む人々の健康と福祉の立場に立ち設計する中に生かさ

れ今日なお人々の共感を呼び高く評価されているとあ
る。「イエス・キリストの原理」の現実社会へ適用と
は、この精神の実現にほかならない。
具体的に見ると、
建築設計プランの段階でヴォーリズが指導し、デザイ
トレース、構造その他の仕事を、キリスト者の所具
たちが忠実にこな
していく中でヴォーリズ建築が生み
出されていったのであり、もちろんヴォー
リズ一人が
すべてをしたわけではないとある。
    

ヴォーリズは1908年の暮れから、京都の三条キリスト
教青年会館の一室を借り、建築の設計監督事務所を開
業。翌1909年、京都YMCA会館の新築工事が始まり監
督者として雇われる。学生の頃、断念した建築家にな
りたいという夢を、「神の国」建設の道具のひとつと
自覚した建築家、ヴォーリズの誕生するしたという。
一時渡米したヴォーリズは、1910年11月に米国人建築
家、L.G.チェーピンを伴って帰幡、翌12月、ヴォーリ
ズ、吉田悦蔵、チェーピンの3名で建築設計監督業「
ヴォーリズ合名会社」を設立。やがて、村田幸一郎
建築実務の修行から復帰し、さらに村田とハ幡商業同
期の佐藤久勝が加わり、陣容を整えて本格的な設計活
動を始めるとともに、これに並行し「近江キリスト教
伝道団」(後の「近江ミッション」)を発足する。す
なわち、「ヴォーリズ合名会社」の実態は「近江キリ
スト教伝道団」であったという(石田忠範『ヴォーリ
ズ建築ののこころとかたち』)。

マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫
理と資本主義の精神』で、「職業」を意味するドイツ
語のベルーフ(Beruf、英語のcalling)という 語のうち
に、マルチン・ルターの聖書翻訳以前にはなかった「
或る宗数的な一神から授けられた使命という一観念が
少なくとも他のものとともに寵められており」、「プ
ロテスタントの優勢な諸民族の場合に、かならずそれ
が」見いだされると指摘した。ヴォーリズが来日した
1905年に並行する明治37~38年のことであった石田は
述べている。
                         
ここで言われる資本主義の精神とは、大塚久雄によれ
ば、「人々を内側から一定の方向にむかって押しうご
かしていくところの『倫理』的雰囲気であり、彼の好
んで用いる述語をもちいると、そうした近代の西ヨー
ロッパに固有な『エートス』(Ethos)なのである」。
カルヴィニズムの倫理というエートスがヴォーリズの
根底にあり、内側からヴォーリズを突き動かす起動力
となり、社会にむかって能動的に働きかけるその姿勢
が、ヴォーリズの信仰の冒険旅行であったと述べてい
る。

● 設計組織-ひとつの樹、ひとつのエートスー

ヴォーリズ直筆の設計図面はほとんど見あたらないが、
ノートや封筒の裏な
どにフリーハンドで画かれた平面
計画のエスキースが、一粒社ヴォーリズ建築
事務所に
保管され、このなかに、神戸女学院岡田山学舎の最初
の配置計
画の考え方を示すスケッチと、主要な建物の
平面計画スケッチが残されていたという。
図書館の平
面スケッチには「Italian Details?」  という文字があり、
ヴォー
リズが計画の初期から、いわゆるスパ二ッシュ・
ミッション様式(赤瓦の地中海
様式)を想定していた
ことがうかがえるという。

このように、ヴォーリズはプランナーであり、言葉で
イメージを指示。
立体的なデザインや詳細の具体化は
前述しするスタッフ達に委譲された。1932年1月まで
ヴォーリズ事務所の主要な意匠設計はヘッド・
ドラフ
トマンの佐藤久勝が担当するが、大丸百貨店大阪心斎
橋店の御堂筋側最後の工事中に、43歳の若さで佐
藤が
急逝。吉田悦蔵は、佐藤を「立体芸術の天才」と称
え、
ヴォーリズは「芸術的ドローイングと独創的デザイン」、
「最も才能に恵まれた、多芸多才の天才」と賞賛した。、

すぎる彼の死を追悼している。隈元周輔によると、
大阪
肥後橋の大同生命本社屋の設計段階で最初の立面
計画はE.ボンタがスケッチしたが、ヴオーリズの指示
によりて佐藤が再度スケッチ作成、隈元が実施設計図
に清書。東洋英和女学院(「花子とアン」の村岡花子
の母校)は昭和8年に神戸女学院と時を同じくして竣
工するがここにも参画したという。


                  この項つづく

 

 

 

  【エピソード】 


 

● ヴォーリズ建築 大同生命肥後橋ビル

 

大同生命肥後橋ビルは、かつて日本の大阪府大阪市西
区にあった建築物である。大同生命館、大同生命ビル、
大同ビルとも称された。
大同生命保険会社により本社
社屋として建築が企てられたもので、用地は大同生命
創立者たる広岡久右衛門の邸があったかつての大阪府
大阪市西区土佐堀通一丁目1番(現・大阪府大阪市西
区江戸堀一丁目2
番1号)の地である。建築設計はヴ
ォーリズ建築事務所、構造顧問は内藤多仲に委嘱とさ
れた。この計画に当たって、ヴォーリズと大同生命広

岡恵三社長は1920年4月より8月までの間、アメリカ
への視察旅行を行い、当地において幾多の生命保険会
社を見学したのであった。建設は1922年10月4日着手
された。然るに工事途中突発した関東大震災をふまえ、
暫時工事中止の上、耐震の向上のため当初計画の10階
建てを9階建てにするなどの設計変更が加えられるこ
とを経て、1925年6月6日落成した。

大同生命肥後橋ビルとの個人的な接点は、菅南中学校
(廃校)と自宅との間の通学路にあったこと、そして
従兄弟(故人)の実家の近くという以外に、曾根崎小
学校の1.2年時代の下校途上の寄り道コース――肥
後橋で休憩し折り返し自宅(北区野崎町)に帰ったも
ので、ビル街とはいえのどかな時の流れを残している
記憶とともにこの大同ビルや住友銀行ビルなどがあっ
た。


 

【脚注及びリンク】
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1.ヴォーリズの思想、理系おじさんの社会学
ホウィリアム・メレル・ヴォーリズ展-信・望・愛
  -理想の居場所をつくる

3. 一粒社ヴォーリズ建築事務所 公式ホームページ
4. ヴォーリズの思想と事業 ―ヴォーリズ住宅に込め
  られたミッション 大橋二郎 2010.01.30

5. 兄弟愛社会の構築へ―賀川豊彦とヴォーリズをつな
    ぐもの― 加山久夫 
2009.11.12
6. 湖畔の声 粒社ヴォーリズ建築事務所 公式ホーム
  ページ

7. ウィリアム・メレル・ヴォーリズ INAX REPORT
8. ヴォーリズの系譜 ― 『失敗者の自叙伝』における
  系譜の検証と補正 奥村直彦

9. ヴォーリスアカデミー 近江兄弟社学園
10.ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展in近江八幡
11.
ヴォーリズ 大丸大阪心斎橋
12.大丸心斎橋店/大阪の近代建築・洋風建築/ヴォ
    ーリズの建築

13.大丸心斎橋店、建て替えへ 築81年「大正モダン
    建築」2014.01.11 朝日デジタル

14.阪大丸百貨店(大丸心斎橋店) 一粒社ヴォー
  リズ建築事務所

15.大同生命本社屋ビル 一粒社ヴォーリズ建築事務所
16.大同生命肥後橋ビル
17.ヴォーリズを訪ねて 大同生命大阪本社ビル 

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