城郭都市設計史Ⅱ

2015年12月10日 | 湖と城郭都市

 

 

 

 ● ヘルダーリンの故郷  6

  家の天使よ 来れ! すべての生の血脈に

  すべてを同時に喜ばせ 神の力が分たれるように!

   神の力よ 高めよ! 若返らせよ! 人間の善の一切

 一日刻限の一切が 朗きらかな天使を伴うように

 愛し合う者が再会する時の喜びが

 場にふさわしく清められているように。


 我らが宴を祝う時 誰の名を私は呼べばよいか。

 一日のいそしみから憩う時 どのように感謝したらよ
 いか。


 至高者の名を呼ぶのか? 神は不躾(ぶしkつけ)を
 好まない。

 神を捉えようにも 我らの喜びはさやかに過ぎる。

 口をつぐまねばならない。神聖な名が脱け落ちている。

 心ははずむ しかし言葉はついて行かない。

 だが 絃楽はすべての時に音を恵み

 近づく天上の者に 喜びを与えもしよう。

 その用意が整えば 歓喜に忍びこんだ

 憂愁も ほとんど宥和されている。

 憂愁を 否応なしに歌人は

 心の内に荷わねばならぬ 世の人々とは異って。

   
       フリードリヒ・ヘンダーリン 『帰郷』 



Engel des Hauses, zu kommen! Möge die Macht des
Himmels
Spread


Durch alle
Adern des Lebens, Veredlung und belebend


Und Abgeben
Freude! So dass fröhliche Engel besuch-
en
auf


Menschliche Güte
jede Stunde des Tages, und das


Eine solche
Freude, wie ich erlebe jetzt, wo Lieben


Korrekt
wiedervereint, in geeigneter Weise geheiligt
werden
.


Wenn
wir segnen das Mahl, auf wen soll ich sagen,


Und wenn
wir uns ausruhen nach der Tagesaktivität,
sag mir,


Wie werde ich
bieten dank? Soll ich das Höchste beim
Namen
?


Ein Gott, der
nicht mag, was ungeeignet ist. Vielleicht-
unsere Freude


Ist nicht groß genug
, um ihn zu erreichen. Wir müssen
oft schweigen,


Eine
heilige Sprache fehlt - Herzen schlagen und doch


Speech
kann nicht entstehen? Aber der Klang der Strei
chmusik


Resonanz
von Stunde zu Stunde, und vielleicht gefällt


Die
Annäherung an Götter. Beginnen Sie die Musik
und
die Sorgen


Fast
verschwinden, die unsere Freude beeinträchtigt hätte.


Willig
oder nicht, muss Dichtern oft beschäftigen sich


Mit solchen Dingen
, jedoch nicht mit anderen.


        Friedrich Hölderlin "Homecoming" 

 

 

 

【佐和山城郭都市考】  


● 石田三成の居城佐和山城 

    石田三成の銅像

 まず、琵琶湖と東近江平野とその里山あるいは鈴鹿山
系を後背とした新しい城郭田園都市構想するには、佐和
山城とその城郭都市を温ねる必要がある。

 石田治郎少輔三成は永禄三年(1560)滋賀県坂田
郡北郷里村石田(現長浜市石田町)
に生まれました。こ
れは、ちょうど今川義元と織田信長の桶狭間の戦の年
あった。

 石田町には、いまも石田屋敷跡と呼ばれる空地があり
昭和十六年(1941)に発足
した石田三成公事跡顕彰
会が建立する出生地を示す石碑がある。その空地の横に
周囲三〇ぴほどの池が、石田屋敷の濠であったといわ
れ、
田家は藤原系で、京極家に仕え、曽祖父を蔵人人道
妬沢、祖父は陸奥人道清心、父は
隠岐守正継といい、屋
敷跡の広さから推測しても相当の旧家であったことがわ
っている。


 
三成の幼名は佐吉、天正二年(1574)15歳のと
き羽柴(後の豊臣)秀吉に召し出
され、微るいお茶から
次第に熱いお茶に代えて所望に応えた、いわゆる「ニ椀
の才」を認めら
れたことは、有名なはなしとして伝わっ
ている。実はその場所が坂田郡誌では大原村の観音寺で、
伊香郡誌では古橋村の法華寺であるとして、本家争いを
しているが――
それはともかく、湖北の旧家の二男にす
ぎなかった佐吉が、18歳で小姓頭になり、以
後その才
幹を秀吉に認められ、25歳の若さで豊臣内閣の首席大
臣に上り詰める、従五位下治部少輔に任ぜられ、五奉行
の一人になり、二十三万有の佐和山城主となった。



 ここで、佐和山城の変遷について見ておこう。創始は、
鎌倉時代。佐々木十代之屋形太郎判官定綱が初めてこの
地による。佐保山と称していましたが後世、佐和山と
改名、佐波山、沢山とも書く。永正年間(1500頃)
京極氏の臣、上坂景重が湖北で勢力があって六角氏と年
々戦た地。大永年間(1520頃)六角氏の勢力下築城
。小川左近大輔が城主となる。浅井亮政は、六角氏の守
将を逐い、磯野伊予守貝吉、次いで養子丹波守貝昌まで
二代これを守る。

 元亀元年(1570)6月28日、城生貝昌は浅井勢
として姉川合戦で戦う。浅井勢の敗退により織田方の氏
家、安藤の二隊を突破して本城に帰還。七月一日織田信
長は本城攻撃を開始、員昌よく防戦。信長はは強襲の不
利を察して長囲の策をとります。東百々屋敷方面に丹波
長秀。南、水野下野守。北、市橋九郎左衛門。西彦根山。
河尻与兵衛を配置して守らせます。員昌は、八か月龍城
を続けた。



彦根城天秤櫓より佐和山城跡を望む(中央の山が佐和山城跡、その向うが鈴鹿
山系の山なみ)


 信長は、浅井長政と妥協開城。そこで、信長は員昌に
高島郡一円を与える。そして丹波長秀を守将に、大正十
一年(1583)秀吉は堀秀政を城主とし九万有に封じ
ている。大正十三年、秀政、越前北の庄に移るや近江坂
本から堀尾古蹟佐和山城主となる。
 大正十八年(1590)古蹟は遠州浜松へ転封。石田
三成は水口で四万石の城主でありましたが、その臣島左
近に一万五千石を与えて士を愛する名将と謳われました。
秀吉は、石田三成が関東征伐に大功があったとして、佐
和山城主とし、江北二十三万石を領せしめました。

  石田正継

 それから関ケ原役までのまる10年間が彼の城主時代
であり、三成は五奉行の一人として中央の政治に参画し
ていたから、領地に帰ることは殆どなく、父の隠岐守正
が城代として殆ど取りしきっているが、城の修築には
彼自身が総指揮を行っているという。
 鳥居本を大手に、松原内湖(現桧原干拓地)に面する
蛇ケ谷を搦め手とし、五層の天守の聳える本丸を中心に
西の丸、二の丸、三の丸、太鼓丸、鐘の丸、法華丸の城
壁を備え、搦め手の大利一帯に重臣の邸宅を構え、一般
の家臣の官舎は松原にまで並び、大利一帯を城下町に造
りあげました。また内湖には幅六八、長さ六〇〇びの百
聞橋を架けた。

 島左近の邸は、いまの清涼寺のところにあったという。
このように堂々たるものでしたが、内容は極めて質素で、
どちらかというと実用本位とし、城の居間などは板張り
で、壁も荒壁のままだったといいます。この近くの西明
寺に残る板絵は、この佐和山城を写し描いたものだとい
われる。ここの城主としての三成の民政ぶりは、後世ま
で伝わるほどの仁政を布くが、学者肌だったという父正
継の性格も大いに反映していたともいわれる。


[佐和山城]彦根市古沢町 ・0749-24-7971 彦根市教育
委員会)     
                          
①姉川合戦

姉川は滋賀県東浅井郡 を流れる川。伊吹山に発 源、
琵琶
湖に注ぐ。元亀 元年(1570)織田信 長が浅
井長政・朝倉
義景 を破った合戦。


【エピソード】  
 

    

          16年度新年会(案) 

日時 2月中の日曜(夕食・昼食のどちらか選択願いま
   す)

場所 彦根市内西今町 『水幸亭』050-5871-1454
会費 未定(希望の料理を選択願います)
送迎 幹事が責任もって手配します。

                    幹事敬白  

   

 【脚注及びリンク】
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  1. 中山道 高宮宿 彦根観光協会
  2. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  3. 宿駅散策 近江中山道中絵巻:高宮宿 
  4. 中山道 道中記 第64宿 高宮宿
  5. 中山道 高宮宿/高宮宿から愛知川宿
  6. 滋賀県彦根市 高宮宿 Japn Geographic
  7. 彦根市西葛町籠町~高宮宿-街道のんびり旅
  8. 高宮町~鳥居本宿-ひとり歩み-ひとり歩きの
    中山道 2004.4.9
  9. 彦根文化遺産 中山道と宿場町 高宮宿高宮ま
    つり・高宮布
  10. 日本写真紀行 鳥居本宿~64高宮宿
  11. 中山道高宮宿 馬場憲山宿
  12. 高宮宿 栗東歴史民族博物館民芸員の会のブログ
  13. 新高宮町史 自費出版デジタル
  14. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版部  2002.9.20
  15. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  16. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体コ
    ンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣府
     経済社会総合研究所
  17. ボーデン湖 Wikopedia
  18. コモ湖 Wikipedia
  19. ネッカー川 Wikipedia
  20. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  21. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  22. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
  23. いのちの神様 多賀大社 Wikipedia
  24. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  25. 割れ窓理論( Broken Windows Theory )Wikipedia
  26. How New York Became Safe: The Full Story, George
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  29. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千夜千冊
  30. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思索
    頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.09.06
  31. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  32. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  33. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光局公
    式日本語
  34. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
  35. 城郭都市 Wipipedia
  36. ハイデルベルグ Wikipedia
  37. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  38. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  39. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論としての『
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷』 、詩文楽
  40. リンダウ - Wikipedia
  41. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  42. 城郭都市 Wikipedia
  43. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  44. 八幡神社  滋賀県彦根市田附町488
  45. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  46. 「清涼寺・七不思議 」/『日本伝承大鑑』
  47. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
  48. エーグ=モルト (Aigues-Mortes)Wikipedia
  49. カルカソンヌ、仏蘭西南部都市、Wikipedia
  50. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  51. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  52. 万里の長城 世界史の窓  
  53. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  54. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  55. 佐和山城 Wikopedia
  56. 石田三成 Wikipedia
  57. 佐々木十代之屋形太郎判官定綱 Wikipedia
  58. 第一章 鎌倉・南北時代の石部近江守護佐々木氏
    の成立
  59. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  60. 石田 正継 Wikipedia

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