十和田湖

2011年02月27日 | 文化と琵琶湖




 

湖沼名

十和田湖

ローカル名

 

大  陸

日本列島

国  名

日本

成因

カルデラ湖

周囲長(km)

46.0

面積(km2)

61.6

最大水深(m)

327.0

平均水深(m)

71.0

容積(km3)

4.19

標高(m)

400

湖沼型

 貧栄養湖 

淡水汽水

淡水

40°28′N 140°52′E 

十和田湖は、青森県十和田市、秋田県鹿角郡
小坂町にまたがる湖。十和田八幡平国立公園
内にある。日本の湖沼では12番目の面積規模
を有する。内水ながら、国の地方港湾である
子ノ口港、休屋港の二港がある。十和田火山
の噴火で形成された二重カルデラ湖。現在も
活火山として指定されている。最大深度327m
は日本第三位
。流出河川は奥入瀬川。胡桃を
半分にした形。湖の中央、御倉山と中山半島
の間にある中湖とよばれる水域が最深部であ
り、御倉山の東側の東湖や中山半島の西側の
西湖と呼ばれている水域の水深は50~ 100m
ほど。



大きな噴火は、5万5000年前、2万5000年前、
1万3000年前に起こったと考えられている。十
和田湖の原型(外縁)は、約3万~2万5000年
前の十和田火山の大噴火と陥没(第一カルデ
ラ)によってできたと考えられている。東湖
や西湖はこの第一カルデラの一部である。1万
3000年前の噴火の火砕流は青森市付近まで到
達している。さらに約1万年前に十和田カルデ
ラの東南部で噴火によってカルデラ内部に五
色岩(または五色台)火山が形成された。五
色岩火山は初期に玄武岩を噴出し山体を成長。
安山岩・デイサイトを経て流紋岩を噴出する
ようになった。それに伴い爆発的噴火が多発
し火口を拡大していった。5400年前の噴火で
火口壁が崩壊し第一カルデラの湖水が火口に
流入した。これにより中湖ができたと考えら
れている。915年(延喜15年)、十和田火山は
大噴火を起こした。このとき毛馬内火砕流が
周囲20kmを焼払った。この噴火は過去2000年
間、日本国内で起きた最大規模の噴火であっ
たと見られている。

Betula ermanii 01.jpg

【生態系】

十和田湖周辺は、冷温帯林(ブナ林)や亜寒
帯林(ダケカンバ林)が広がり、クマタカや
イヌワシ、ツキノワグマなどの野生動物が生
息している。これらの生息が重要であること
から、国指定十和田鳥獣保護区(大規模生息
地)に指定されている(面積37,674ha、うち
特別保護地区19,366ha)。人間が魚の放流を
開始する以前に生息していた魚介類は、サワ
ガニのみと考えられている。従って、現在生
息している魚類の全てが人為放流された物で
ある。記録に残る最初の放流は、1855年のイ
ワナとされている。1960年代に行われた調査
では、下記が確認されている。魚類:ヒメマ
ス、ニジマス、イワナ、サクラマス、コイ、
フナ、ウナギ、カジカ、ヨシノボリ甲殻類:
スジエビ、サワガニ。ワカサギ、ウグイ、ア
ユは定着に失敗した。現在は閉山しているが、
かつて同湖西岸には17世紀中頃に発見された
鉛山鉱山と十輪田鉱山があり鉛、亜鉛、銅を
産出していた。この廃鉱山からの流入水は現
在も湖水の亜鉛含有量に影響を与えていると
考えられる。

「十和田湖および奥入瀬渓流」として文化財
の特別名勝及び天然記念物に指定されており、
1936年、周辺の奥入瀬渓流八甲田火山群と共
に十和田八幡平国立公園に指定された。紀行
文作家大町桂月はこの湖の美しさについて「
山は富士、湖は十和田湖、広い世界に一つず
つ」と評している。ヒメマス養殖は、1903年
に和井内貞行らによりヒメマスの最初の放流
が行われた。十和田湖へのヒメマスの定着以
降は、本州各地の湖への移植用卵及び稚魚の
供給源として中禅寺湖とともに重要な位置を
占め、1960年或いは1967年の調査で、流入河
川ではなく湖底に産卵床を形成し産卵してい
ることが確認されている。湖畔の秋田県側の
小坂町の生出(通称:和井内)地区には、ヒ
メマスの孵化場がある。



【エピソード】

シラス洪水と十和田湖伝説


三湖伝説は青森県との県境の「十和田湖」か
つて日本琵琶湖につづき日本第2位の大きさ
を誇った「八郎潟」、岩手県との県境で日本
一の深さの「田沢湖」。これら秋田県を舞台
とした三湖にかかわる物語(各地に異類婚姻
譚、変身譚に残る伝説)。『
三湖伝説 時空を
超えた大浪漫
』は「十和田湖」付近に残され
ている八郎太郎と南祖坊の話、「八郎潟」付
近の没落していった宿の話、「田沢湖」近辺
の八郎太郎と辰子の話など、それぞれ秋田県
全土に八郎太郎を主人公とした伝説が数多く
存在していて、この秋田県を舞台とした伝説
を様々な文献や地元の方のインタビューをも
とに一本化したものだ。

八郎太郎と南祖坊のすさまじい格闘の場面を
十和田火山の噴火、敗走を火砕流の流下と見
なし、この伝説は十和田湖の噴火の様子、大
湯川に降り注いだ軽石流、やがてシラス洪水
となって流れ下る情景をそのまま物語にした
ものと考えられている。大湯軽石の噴出直後、
毛馬内火砕流が流下したことが近年の研究(
平山・市川1966・大池1974)によって判明。
この火砕流は
大湯川流域から毛馬内を通って
米代川流域の最底位の河成段丘を構成。能代
平野まで連続して分布。遺跡から出土した品
や火砕流に押し倒された木片から千年ほど前
の噴火だと判明した。

 

脚注及びリンク集
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(1)
世界の大湖沼
(2)「
世界湖沼会議」(財)国際湖沼環境委員会

(3)「
世界の湖と琵琶湖
(4)「十和田奥入瀬インハウス講座 PDF版
(5)「千年前のシラス洪水 発掘された十和田
  
湖伝説」産総研、地質ニュース
(6)「十和田湖の水質の現況」青森県

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