滋賀県米原市の中央部(旧山東町)付
近から流れ、途中で夜高川や梓川など
と合流しつつ、旧米原町と旧近江町の
町境付近で琵琶湖に注ぐ。大阪府の天
野川と同じく、天の川伝説発祥の地と
の説がある。天野川上流・中流部のゲ
ンジボタルは国の天然記念物に指定さ
れ、観光名所の一つとなっている。
米原市西境と岐阜県養老の境の山中に
発し北流、米原市伊吹南部に至り大き
く曲流し、再び山東に入り南西流、醒
井からは旧中山道の北に沿って流れ、
能登瀬との境を流れるあたりから平野
に出て、朝妻筑摩との境で琵琶湖東岸
に注ぐ。一級河川の起点は米原市柏原
の犬ノ尻。別称・息長川。
支流も多く複雑に流入している。天野
川(国道21号線沿い)にゲンジボタル
の棲息地がある。1926年に、現在の守
山市と米原市の天野川で、滋賀県下で
は先駆けて、ゲンジボタルを守る運動
が始まり、以来、ホタルを取りにくる
人が増え、ホタルが減少してきたので、
ホタル番が始まり、1928年には、滋賀
県天然記念物に指定され、1944年に国
の天然記念物に指定されました。そし
て、1952年に国の特別記念物に指定さ
れ、1972年に「山東町蛍保護条例」が
制定され、保護地域を全町に広げる改
正が1977年4月に施行され、さらに米
原市誕生後、2007年)10月1日、市全
域を保護区域とする「米原市蛍保護条
例」が施行され。
また、黒田川沿いには蛍の棲息地であ
る三島池がある(蛍発生時期)。例年
4月になると、マガモは、生まれ故郷
のシベリアへ旅立ち少数のマガモが池
に残ります。その頃、三島池の周辺の
サクラは満開になり、多くの花見客で
賑わいをみせ、池の東側はサクラのト
ンネルとなり、風流な夜桜見物もでき
る。新緑に包まれる夏には、一番心地
よい季節を迎え、池のコイも水鳥たち
も子育ての季節に入りカイツブリやバ
ンがヨシ原の中でひなを育てます。ま
た、子をつれたマガモの親子連れも時
々見ることができる。秋になるとコザ
ギ・ゴイサギ・カワセミ・カワウなど
が魚類も求めて多く飛来し冬鳥の渡来
が始まると、池畔に毎日1回餌をまく
という。
厳しい冬の自然を避け、餌を求めて集
まったマガモたちは池の全面が氷結す
ると、池の中央に集まり風雪がおさま
るまで、じっと待つ。この池で見られ
る水鳥のほとんどはマガモでオナガガ
モ・ハシビロガモ・キンクロハジロな
どもみられる。この様に1年を通して、
この三島池では四季折々の動植物を見
物でき街のシンボルとなっている。
【米原市の観光・文化財】
崇峻元年(588年)、飛鳥寺の造営がは
じまって以来、畿内を中心に伽藍をそ
なえた瓦葺の寺院が次々に建立されて
いく。7世紀後半の白凰時代に、全国
的な規模で、まさに爆発的に寺院が造
営され、近江ではおおよそ、60ヶ所の
白凰期創建寺院遺跡が知られている。
地方寺院建立の背景に、大化元年(645)
の「仏法興隆詔」などの仏教興隆策が
あり、地方に突然あらわれた瓦葺の壮
大な寺院建物は、天皇を頂点とする律
令国家形成と不可分な関係にあった(
田中角栄の「日本列島改造論」の古代
版?)が、早くも霊亀2年(716年)に寺
院併合令が発令され、律令国家の成立
とともに、その役割を見直されること
になる。
米原市の古代寺院は天野川流域に集中
しているといわれ、この川の流域には
古代東山道が通過し、河口には朝妻湊
が営まれ、この地は「壬申の乱」や「
聖武行幸」といった歴史のうねりの表
舞台ともなったといわれる。
山津照神社古墳
滋賀県指定史跡、山津照神社古墳、昭
和44年9月12日指定。天野川右岸の丘
陵上にある式内山津照神社境内に位置
する当古墳は、明治15年に社殿の移転
に際し、横穴式石室が発見された。墳
丘は一部が削平をうけているが、全長
約63mと推定できる前方後円墳である。
古墳は天野川下流の古代朝妻郷内に所
在する人塚山・後別当・塚の越・狐塚
古墳など前方後円墳とともに息長古墳
群を形成し、息長氏と推定される首長
系譜を明らかにする古墳といえる。
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【反省】短時間で広域にまたがる河川
流域をみるには充分な準備が入る。カ
ーナビが便利になったといえ、過疎地
帯にいけば、それも無効になる。次回
は地図を携帯する。
伊吹山系を北端に南方に流域を集中し
南北に細長く流れ、旧近江町西方の琵
琶湖に流入する。その意味では物質収
支を補足しやすい地形で行政地区だと
みる(彦根市とは対照的)※3。
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【参考】
※1「米原市都市計画マスタープラン」
※2「湖北地域の農業水利施設」
※3「流動場-生態系結合数値モデル
による琵琶湖の水質解析」