Hidenori Nodera 野寺秀徳『輝く路の上で』

SHIMANO Racing野寺監督のブログ

3選手がチームを離れます

2013-12-13 19:08:08 | インポート

シマノレーシングから今季限りで離籍する3選手が発表されました。





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2_up 鈴木譲

2009年にそれまで所属していた『愛三工業レーシングチーム』からシマノレーシングへ移籍してきた彼は、自らの仕事を静かに淡々とこなすタイプの選手でした。我が強い人間が集まるスポーツの世界で、控えめな彼の性格が災いしたか、トレーニングで見せる力強さを、レースでの結果に繋げる事が中々できずにいたように見えました。Win Win_3 

そんな彼の才能が開花したのはシマノ加入3年目あたりでしょうか。2012年にはJプロツアーのクリテリウムでの勝利や、日本最大のステージレースで6位という結果(国内選手最高位)までオールラウンドな場面で勝利できる、強力なチームエースの一人となりました。

彼がチームに加入した2009年『ツール・ド・北海道』のチームメンバーに入れなかった私と彼は、期間中、2人でトレーニングに出たと見せかけて、‘大阪のカフェめぐり’をするというグレた行動に出たことを思い出します。Photo_4

Photo_3「おれ、縁側すきなんですよね」忘れられない彼の言葉。縁側マイスターの意思は確かに私が受け継ぎます。

















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3_up 青柳憲輝

私と同じ大学の自転車部出身であった彼は、高い意識を持ちながらも大学時代から苦労する場面が多い選手でした。シマノレーシング加入は私が監督となり最初の年。才能ももちろんですが、秘めた闘志を持つ選手としてシマノレーシングに加入。Win_5 Yanagi  1年目のシーズン最後のに走った『台湾カップ』では欧州プロツアー選手を跳ね除け見事優勝。ヨーロッパのレースでも物おじしない走りが認められオランダのアマチュアチームへ加入、ヨーロッパのレースへ挑戦をしました。その後、体調を壊す場面が多かったのは本気のチャレンジが祟った結果でしょう。Photo_5


彼は別名、『チェロ柳』自転車の上で見せる闘志とは裏腹に、チェロを持てば高貴な音色を奏で、その優美な旋律はチームの印象と合致していたため(しない?)、チームには欠かせない存在でした。その他にも色々な隠れた才能を持つ彼の離脱は痛みを伴います。






Photo_7 ついに実現しなかった、彼のチェロと、私のカスタネットによるセッション…心残りでなりません。














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7_up安井雅彦

彼は、日本が誇る名門『東京大学』出身という経歴の持ち主でした。Photo_8 大学の先輩である西薗良太選手(現チャンピオンシステム)も同じ世界に居るため、特別な事のように感じませんが、誰もがスタートラインに並ぶ‘学び’の世界で頂点といって良い位置まで上り詰めた者だけが入門を許される場所から、それとは対極にあるようなプロスポーツの世界に立つ事は、ごく稀。Tt 大学4年間で学生タイムトライアルチャンピオンまで上り詰めるには、相当な才能と努力が必要であったことは想像に難くありません。Photo_11 僅か1年の活動でしたが、ラストレースとなった『ツール・ド・沖縄 UCI1.2』でも素晴らしい走りで山岳賞を獲得しました。Photo_9

シマノレーシング加入以前は東京大学の工学部で計数工学’を専攻、修善寺工業高校機械科出身の私とは同じジャンルの学を得ていたため(ない?)、よく話が合いました(絶対あってない?)。『東大=理論派』という我々が抱いていたイメージは、1年の活動で『安井=ファイター』というイメージに。Photo_10 激しく実践派な男でした。「やっぱジブリは『耳をすませば』でゲス!」という彼、もうよくわかりません。そもそも計数工学ってなんだ?























とにかく。

濃密な時間を共に過ごしてくれてありがとう。

今後は新たな道を進む事となりますが、お互い頑張りましょう!!

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