靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、今年の抱負、家族とこれからの根固めと

2014-01-05 07:29:07 | 今週の整理
.冬休み今日と明日でおしまい。母以外はこれといった怪我も無く(笑)、よく身体を動かし、行事あれこれ、笑い溢れた楽しい日々でした


.次男四歳も今年か来年、学校へ通い始める(予定)。いずれにしてもこうして日中密にいられるのもあともう少し(のはず)。冬休み中べったりだった兄姉がいなくなる週明けから、また二人でこつこつと日常を積み重ねていきます。キンダー入学に向けての準備、レゴなどの組み立て制作、エキソサイズ、プレーデートといったリズムで。私の今年の抱負の一つは、このもうすぐ学校へ上がる「次男との時の充実」です


.元旦は、家族でああ幸せだねえと豪華御節をほくほくいただき、午後は友人家族と散歩。二日目は、長男は友人家族とアンカレッジから四十分程の本格的スキー場へ、長女次女は友人君達と地元のスキー場。残りの三女と次男を連れ、食料買出しにあちらこちらの雑用済ませ、そり。年初めから雪の上を転げ回ってます! 


.長女次女のアルペンスキー装備はレンタル、長男の装備は中古のものを去年購入したのですが、本格的スキー歴長い長男の友人君、一目見て、僕のを貸してあげるよと。長男に質の良いスキーで滑る感覚を知って欲しいと。本格的装備で本格的スキー場初体験の長男、大興奮で帰宅。よかったね、ありがとう!


.昨夜から大の仲良しのクラスメートの家にスリープオーバー誕生会に参加する予定だった三女、この日をここ二週間ほど指折り数え楽しみにしていたのですが、昼ごろから気持ち悪く頭が痛いと横になり始め。仕事から戻った夫に一人預け、残り組でそりに。夕方には随分とよくなりましたが、結局誕生日会はキャンセルに。思い通りにならないものだと少し悲しそうではあったものの、学校初日にプレゼント渡すの!と張り切り始め。「二週間前から楽しみにしていた大好きなお友達が集まる場に当日突然行けなくなるなんてどれほど辛いか」、そりの帰り道の車でそう心配していた長女と顔を見合わせ呆れました。(笑) あっさりと次へ行く三女の切り替えの早さには、いつも驚かされます。



.五人の育児家事に自分の目指したいこと。「夫との時間」はどうしても後へ後へと後回し。さして特別に何をするわけでもなく日常を空気のように一緒に暮らす、それだけでお互いに満足ならばいいとして、どちらかが満たされなく感じているなら何とかする必要があり。

周りを見ていても、特に日本人以外の配偶者は、「夫婦二人だけの時」というのを、とても大切に捉えているよう。

家も、ラテンイタリアンジャーマン混ざった夫と日本育ちの私の間に、ギャップ。私は日本育ちの中でも、結婚記念日も気をつけていないと忘れてしまうほどの、多分かなりあっさりタイプ。忙しさにかまけていると、このギャップがどんどん広がっていきます。

年初めに胸の内を話し合い。何時から何時までは学校、何曜日の何時にピアノレッスンといった同じくらいの太枠で、「夫婦の時間」を設定しようと心に決め。ちょっとやそっとのうす~い枠では、あっという間に次から次へと予定が入り込み埋まってしまうので、頑丈な分厚い鉄の太枠! これがもう一つの抱負


.残りの抱負は、子供達一人一人についてフォーカスしていきたいことそれぞれ、そして自分のこれからの活動について。内輪ブログも日々続いており、こつこつと根固めを続けます


今日は朝から今年初めてのNPO活動に長男長女を降ろし、残り組みでそり、夕方から長男ロボティックス。明日はチケットをいただいたのでミニゴルフしてその後そり。まあ場所はいろいろと違うのですが、これだけ毎日そりでも飽きないものですねえ。(笑) 


皆さんの新しい一週間、素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!




日常風景:

御節作りの前夜、しみがついたこの子供テーブルの表面がどうしても塗りたくなり、


皆寝静まった後、


こんなことに。朝起きて言葉を失う子供達。

田作り担当で、まだまだ片づけやら何から準備たくさんなのに、こんなことをしている時ではないでしょ、という頭の声を何度も聞きながら。(笑) 塗る時は、こうした突然衝動が多く、以前は持ち家だったので、壁がキャンパスになってしまったり・・・。


長女と次女のアルペンスキーを待つ間、

そりな次男と三女。


へへへ。


暗くなりスキー場にて待つ二人。正座・・。


友人君達と、六時間滑り続けた!


翌日も、そり。

長男と次男。

次女がトイレに行きたいというので、長女に後を頼み、近くのスキー場に行き戻ると、

頼まれたことすっかり忘れ、偶然出会ったクラスメートときゃ~きゃ~長女。


ちびっ子達も勝手に自分達で楽しんでました。(笑)

「時々スイッチを切る」という秘訣

2014-01-05 07:28:12 | 思うに
やるべきこと、したいことに溢れ、二十四時間短すぎる、身体がついていかない、としゃがみ込みたくなることもしばしば。そんな時思い出すのが、大学院時代に知り合ったある先生。

認知心理学の教授として、テレビなどにも出演していた方で、当時五十近くで大学での地位もそれなり。それでもそれぐらいになると学生の指導などをゆったりこなすだけとなる教授陣も多い中、海外の研究雑誌へも定期的コンスタントに研究論文を発表し、とにかくエネルギーに溢れていた。

その方、四十代初めに大病され、それ以来、身体に気をつけるようになったとおっしゃっていたのだけれど、その秘訣が、「日常に散りばめる仮眠」と。

これが、「ちょっと横になる」といったものではなく、ついさっきまでソファーで足を組み話していたそのままの姿勢でとか、向かい合って座る机に肘をついたままとか、食事をしている最中箸を持ったままとか。今の今まで結構な勢いで話していたのにす~ぐ~と寝息立てていたり。初めの内は、ね、寝ちゃった? 困ったどうしよと思っていたけれど、こちらも慣れてきて、あ、まただと手持ちの本を読むなどして待つようになった。(笑) いつもだいたい五分ほどしてすっきりした表情で活動再開。「疲れたら無理せず眠ることにしているんだよ」と。大事な席ではそういったことはなかったので、本人がおっしゃられていたように、「コントロール可能」なのでしょう。



この、「時々スイッチを切る」感覚、なるほどなと思います。あの方のように一瞬にして深く眠ってしまえれば、また回復も大きいのかもしれないけれど、「眠る」とまで行かずとも、目を閉じて頭と身体の力を緩め、休んでみる。一分でも、三分でも。これで随分違ってくる。

日常に緩める時を散りばめて、今年も一歩一歩、踏み出していきます!

「靴を脱いで渡す」という交換方法

2014-01-05 07:27:53 | ファミリーディナートピック

お金や物を超え「大切なもの」を見出すこと(“Why Do the Highest Souls End Up Sometimes In the Lowest Places?”を参考に):

何かを手に入れるための手段といえば、お金で買う、物々交換などがあるけれど、その昔、ユダヤの慣習では、「靴を脱いで渡す」というものがあったそう。
それはあまりにも不釣合いに見える取引に用いられた。あの家を手に入れたい、靴を脱いで渡す、あの食器が必要、靴を脱いで渡すといったように。

「靴」は、ユダヤ神秘主義カバラでは、地上的な汚れや危険から身を守るもの、また、地上と魂を隔てるもの、つまり目に見える物質的なものと永遠に続くものを隔てるものと捉えられる。そして「聖なる場」では「靴を脱ぐ」ことになっている。そこではもう「靴」など必要でなく、地上の物質的なるものと、永遠に続くものが一体となる。

また夫が亡くなると、その夫の兄弟に嫁ぐのが善行(mitzvah)とされる慣習がユダヤにはあり、もしそれができないならば、その兄弟が特別な「靴」を履き、その未亡人が脱がすという儀礼がされた。兄弟に嫁ぐことがよしとされるのは、兄弟と未亡人の間にできる子供が、亡くなった夫の魂を生かすことになるためとされ、それができないならば、未亡人が「靴を脱がす」ことにより、亡き夫の魂が地上的な縛りから放たれると信じられていた。

交換の際「靴を脱ぐ」とは、目に見える物質的な「はかり」を超えた場を作り出すことを意味する。地上的な縛りを解き、お金や物には代えられない「大切なもの」を見出す場。それは、関係、愛、友情、家族、子孫、未来の世界、魂などであるかもしれない。あの家はあの食器は、確かに物質的にはこれほどの価値だろう、それでも、その交換によって生み出される「大切なもの」を見ていこうという姿勢。

ルースと結婚しないかと申し込まれる男二人。一人は、自分のような立派で地位もあり金持ちで人気のある者が、ルースのような生まれもユダヤでなく(改宗者)、貧乏で、不人気な女と一緒になるわけがないと断る。もう一人のボアズ(Boaz)は、裁判官で世間的にもう一人の男と同じようではあったが、「靴を脱いで渡し」、ルースと一緒になった。そうしてルースとボアズの間に生まれたのが、後にユダヤを救うことになるダビデ王だった。(『トラ』より)

チャーチルは言う「資本主義は富を不平等に分配することになり、共産主義は惨めさを(misery)を平等に分配することになった。」



ユダヤには、「低いところへ、高い魂が送り込まれる」といった考え方がある。魂は殻に覆われており、その魂(神性)が崇高であればあるほど、幾層もの悪しき殻に包まれている場合があるという。なぜなら、殻が存在するには中心の魂(神性)の力が必要であり、より厚く悪しき殻が生を受けるには、より強い魂(神性)が必要となるため。そして、その悪しき殻を破り神性を引き出すのに必要なのが、より悪しき苦しく汚い「低きところ」。「低きところ」から悪しき殻を突き抜け放たれる神性は、殻を破る必要もほとんど無く善き美しき「高きところ」から放たれるものとは、比べものにならないほど、とてつもない力を持つことがある。

宝石商と泥棒が同じ宿に泊まることに。宝石商に気をつけるようにと注意する知人。宝石商は高価な宝石を全て隠し寝床に。案の定、その泥棒は宝石商が寝入ったと思いきや、起き上がり、宝石を探し始める。部屋中隅々、宝石商の衣服や布団まで探すも、見つからずとうとう明け方になって諦める。宝石はどこに隠されてあったか? 泥棒のカバンの中。唯一泥棒が探さなかったところ。


大切なものは、最も予期しなかったところにある場合がある。それは自分の内でもあるのかもしれない。

お金や物や世間的な上下の価値を超えたところにある「大切なもの」を見てみること、「靴を脱いでみる」、子供達とそんな話をした夜でした。

指を切った正月

2014-01-05 07:26:39 | 出来事や雑感や (その他)
大晦日、友人が包丁を研いでくれた。御節作りに持ち寄られた何本もの包丁、そして家にある10本ほど全部。一時間程ずっと、しゅっしゅと電動研ぎ機で。

研ぎ続ける周りで友人達と、皆料理をしていて一度はある「包丁で指を切った話」になり。私自身も小指の先がとれかけ救急病院に夜走りこんだことがあるのだけれど、友人達も、指の先をそぎ落としてしまい咄嗟にくっつけたとか、夫の指先が台所に置いてあったとか、ひえ~、きゃ~と言いながら。

それで正月二日目の夜、一日中スキーにそりにと駆け回りくったくたの中、酒かす汁(友人夫さんの手作り日本酒からとれたもの、美味!)で気持ちよく意識ほんわり状態で皿洗いしていると、やってしまいました。

右手中指から小指にかけて、ざっくり。

ぎゃ~、やっちゃった~、いたいたいたい~、どうしよ、どうしたらいいんだろ、指の付け根を押さえ、咄嗟にペーパータオルを巻きながら、横にいた長男にしどろもどろで聞く。

まずは指を高く上げて!と言いながら救急箱を持ってきてガーゼを渡してくれ、夫を呼びに行く長男。

落ち着けと自分に言い聞かせながら傷を見る。薬指と小指は大丈夫そう、中指の傷が深い。救急へ行くかどうか相談しながら、何だかちかちかとめまいがしてきて、吐き気もしてきて、指を押さえながらソファに横になる。

「ママ、真っ青・・・」

顔を覗き込みながら娘達。バンドエイドを夫にぐるぐると巻いてもらい、よろよろとベッドへ。下へ向けると出血してしまうので、右手を額に乗せたまま子供達に囲まれ、そのまま眠ってしまいました・・・。

朝元気回復。おかげさまで傷口、くっついたようです。神経も大丈夫のようで動きます。ほっ。

この何と言うか「気絶」といった感覚、長男が手首複雑骨折し「あり得ない形」をした手首を支えながらレントゲン室について行った時以来でした。「頑張ろう」という気持ちはあるものの、もう私のキャパシーティーいっぱいいっぱいです、さようなら、と意識が遠くなってしまうんですね。

指一本でこれほどあたふたな自分、謙虚にさせられます。回復した今では、また一つ、家族の笑いの種に。(笑)


反省点:
疲れたらあれもこれもと動かず休む。
シンクに水をはった中に包丁を入れない。


それにしても、怪我をする度に思うのは、「人の順応性」。中指一本が使えないことの不便さ、それでもしばらくすると無くても何とかなってくる。何度か悲鳴をあげたあと、いかに中指に触れることなく、力を込めることなく、物事をこなせるかを学習。もう一つは、「人の身体の回復の力」。朝よりは夜、夜よりは翌朝と痛みが緩み、できることも増えてくる。最初はバンドエイドをはがす時少し指が引っ張られるのさえ強烈な痛みで堪えられず、こうしてタイプするのも無理、それが今では中指の先も使えるように。


なかなかエキサイティングな一年の始まりでした。(笑)

無事回復中でありがたいことです。よく切れる包丁のほうが、傷の回復もスムーズだと友人談、研いでくれた友人に感謝!

皆様もお気をつけください!

元旦の散歩

2014-01-05 07:25:19 | 風景・散歩・旅
元旦!

素晴らしい御節をいただき、午後は友人家族と散歩。

クロスカントリースキーを履く子に、歩く子に、走る子に。

木々を抜け、


進む。


繋げてみたり、


それ~と引っ張り。


どこまでも!



休憩。


ほっ。


気持ちのいい一年の始まりです!

御節作り2014!

2014-01-05 07:25:00 | 
大晦日!

一人一品&煮しめの材料を持ち寄り、皆で煮しめ作り。

にんじん切って、


レンコン!


里芋剥いて、


紅白かまぼこ合わせ。


皆の包丁を研ぎ続けてくださる!


皆さんキッチン、立ちっぱなし!


一段落したら、

つきたて餅を丸めて、醤油に、黄な粉に、餡に、大根おろしに、


ほっといただき。


Hさんつきっきりで煮しめが出来上がる頃、


続々とテーブルに並べられる皆さんの力作。


黒豆、海老の旨煮、たたきごぼう、田作りに、


酢れんこん、


鶏肉松風焼き、


八幡巻きに数の子、


昆布巻き、


伊達巻、


他にも紅白なますに栗きんとん。

十一家族分、それぞれ圧巻の量です。

詰める!



子供達も、

食べたり、
 

そりやトランポリンや、


要塞作り。


ちびっ子ちゃん達ちびっ子君達に、


めろめろな娘達でした。



夫さん手作りの酒からとれた酒かすの差し入れも。Hさんありがとう!

小分けするacupofteaさん。  


Yちゃんのお重拝見、


素晴らしい。

                          

              
皆様、お疲れ様でした、そして本当にありがとう!

おかげさまで最高の一年のしめくくり、一年の始まりとなりました。                                       

こんな会が今回も実現したこと、感謝! 

大掃除、手放す手放さない

2014-01-05 07:24:10 | 子育てノート
大掃除、いつの間にやらホントあれもこれもと溜め込んでいて。今回もたくさん整理しました。まだ使えそうなものは寄付したり周りの方々にもらっていただいたり。

掃除していて気がつくのは、物を手放すことにそれほど頓着しない子と、手放したくないという気持ちの強さに驚かされる子がいるということ。

それは、特定の物についてというよりも、ずっと使ってないものや、普段気に留めてないものを含めた持ち物全般に渡って。

家では男の子二人が「幼い頃は」どうもこの手放したくない!タイプのよう。長男は今では使わないものに関しては全く頓着しませんが、次男は長男がかつてそうであったように、とにかく一度自分の身近にあったものは、手放すのが難しい。あることを忘れているものでも、見せれば悲しむので、気づかないように処分したり。

女の子達は、どちらかというとあっさりから、かなりあっさりまで。えっ、もったいない!とこちらが叫びたくなるほど、どんどん手放す子も。



友人関係にも、少しその特徴が見られるかなとも思います。長男は随分前に引っ越していった友人についても、何年も会いたいなあ、今ここにいたらなあ、今度いつ会えるかなあと言い続けます。

物であろうと人であろうと、対象への思い入れが強いのでしょうね。



「どんどん手放す」、「できるだけ手放したくない」、これは、「潔く男っぽい」、「女々しい」といったジェンダー的な性質とも重なるのかもしれませんが、女の子にもそういった頼もしさ、男の子にもそういった優しさが育ち、将来的に自身の内に両性のバランスを取っていってくれたらな、そう思ってます。


大掃除が終わり長女一言、「私が大人になったら、こんなに物を持たないようにする」

「五人子供いたらね、こうなっちゃうのよ」と開き直る母。(笑)


数は少なくても、一つ一つを大切にしていこうねと話した大掃除でした。



クラフトセクション整理:


ボタンやカラフルな石、


各種毛糸、


こんな木の棒(毛糸を巻いてGod's Eyeなどに)、


フェルトや厚紙、


パイプクリーナーなどもクラフト材料に。


各種ビーズはネックレスやブレスレットにしたり、


こうした板に模様を作りアイロンをかけ溶かし固めたり。


カード類、付箋、小さなノートブック、シール、ステンシル、クレヨン、色鉛筆、マーカーなど。



キッチン近くのスペースには、

カーペットでは避けたい絵の具や粘土やシャボン玉。



玩具もすっきり!

俳句会鍋、譲り派のあなた

2014-01-05 07:23:11 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
年末、友人宅で俳句会忘年会鍋!

カメラを向けると「職人の表情」をしてくれるacupofteaさん(「今日のご飯」はこちら

ずっと鍋につきっきりのお二人。すっかり客気分でした。

これはセリかセロリかと揉めたり。

セロリもセリ科なので似ているのだそう。

鍋を待つ子ら

仲良しMちゃんと三女。

鍋の分配を待つ子ら。


ほくほく。


この後闇鍋。暗くて写真撮れず。暗闇の中で各家族順番に入れ、食べ。

イカにキュウリにトウモロコシにバナナありました!家はレモンとチーズで参加!ぎょえ~、きゃ~、と盛り上がり。


ちびっこに囲まれる長男、


スパイダーマンとスターウォーズのオビ=ワンにやられっぱなし。



さてさて即興俳句、


友人手作りデザートいただきながら!


いやあ、ふざけ俳句しかできないわと言えば、いつも同じようなものじゃないと突っ込まれ(笑):

譲り派のあなた譲らない派の私 
(この日兼題だった「ゆずり葉」:初夏に新葉を出し、古い葉は新しい葉が生長するまで木に残り、あとを譲るように落ちる。それが無事に代替わりする縁起のよいものとされ新年のお飾りに用いられる。新年の季語。)


禁断の失言集め年惜しむ

この度も勝ちっぱなしの寒中水泳

押し鍋て沈黙の罪闇の鍋

生魚のハートつかみて福来る





一年振り返り、悲しかったことも辛かったことも嬉しかったことも楽しかったことも、鍋に入れて、ことことことこと。

ぎゃはぎゃはと皆で笑い転げ、ありがとう! 

新しい年に向けて、また元気をもらいました。