靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、受け取っているものの大きさ

2014-01-12 08:05:46 | 今週の整理
1.新学期始まりました! おかげさまで皆元気に学校生活、と共に、五人それぞれあれやこれやと楽しんでます。最近五人が主に夢中になっていること:長男ロボティック、長女読書、次女スペリング&クラフト、三女ピアノ、次男レゴ。


2・三女があと三ヶ月で七歳というところで初めて歯が抜ける。兄姉、周りの子に比べてもかなり遅い方のようで、「歯が抜ける」ということに人一倍の「憧れ」を持っていた三女。この日を長い間待っていたですが、とうとう歯が半分程ぶら下がり、今にも取れそうになる瞬間、感極まって泣き始める。「嬉しいのか何だかもう自分でも分けの分からない気持ちの高まり」といったものだったよう。結局、その「ちょっと触れば取れるでしょう」というかすかに繋がった状態のまま半日以上過ごしてました。(笑)

夜、小さな透明の袋に入れ、いそいそと枕の下へ(こちらでは歯の妖精が抜けた歯とお金を交換してくれると多くの子が信じている)。この袋、妖精に開けられるかな? 大丈夫、歯の妖精ってね、強いんだよお~、と次男との会話。(確かに骨格しっかりで強そうよね、笑)

我が家に来る歯の妖精は、かなり忘れっぽいようで、子供達、いやあきっと昨晩は抜けた子たくさんで忙しかったんだねえ、今晩はいけるんじゃないかなあ、と朝何も変わっていない歯を前に、母に説明されることもかつて何度かあり。今では上の子達が繰り返し寝る前に確認してくれたり、自分達が早く起きたら換えておいてくれたり。(笑)

朝起きて一番、枕の下を確認する三女と次男。二人、眼をまん丸口を大きく開けて顔見合わせ。

家の中にファンタジーがあるのって、いいですね。


3.昨日はスケートへ。友人の三歳息子君、この日スケート靴初めて。次男も滑るというより、歩く転ぶ歩く転ぶの段階。冬の間こちらで老若男女に身近なスケート、平日は、子供連れ家族以外にも、仕事の合間にちょっと一滑りといった会社勤め風の人々も見られる。

 子供達を見ていて思うのは、本当に転んで転んで滑られるようになっていったということ。大人があんなふうに転んだら、きっとどこか骨や筋がおかしくなってる・・・、と思うようなスッテンコロリンを何度も何度も。それでしばらくすると、いつの間にかす~いすいと滑られるようになっている。転ぶほど上手に転べるようになり、転ぶほど上手に起き上がれるようになり。

 日々子供に接しつつ、転びながら学ぶ、このイメージ覚えておきたいです。


3.先週末ミニゴルフへ。上三人は本格的に点を記して競うんですが、メラメラ闘志で、言葉や声のトーンが険しくなる場面も。勝ち負けは楽しみの一つ、そう思い出させ。じゃあ他の楽しみとは? こうして休日の午後共に過ごせること、前回よりできることが増えたこと、一緒に冗談言って笑えること、など出し合って。一つの尺度から顔を上げ見回せば、楽しみは他にもたくさん。



4.次男と三女に挟まれくっついて眠ることが多いのですが、この二人の温もりに、どれほど癒されるか。次男の柔らかい肩、三女の握る手のぷよぷよ。私がこの子達に何を与えられるか? 普段そう親として思うわけですが、実は、私がこの子達から受け取っているものほど大きなものはなかったり。そう気づかされる夜のひと時です。ありがとう。


今日は、長男早朝からロボティックス。これから三女と次男連れプレゼント買って友人君の誕生日会。その後はロボティックス会場の様子を覗き、明日は長男も長女も友人宅でチームプロジェクト。残り組みはソリかスケート!

皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



歯抜け六歳。



スケート!


転んで転んで、


ふ~、


お友達のソリ押して。


それ~。


乗せてもらったりも。


あ、寝ちゃった・・・。


スナックタイム!

海苔。(笑)


ミニゴルフ!


よしっ、


こんなになっても。


やった!。



昨夜のファミリーディナーパン!

パパとママのチューリップパン by 次女、 おにいちゃん by 三女

ぴかぴかのカーテンレール

2014-01-12 08:05:02 | 子育て風景
週の初めの夕食前、壊れたカーテンレールを直しに業者の人がやってきた。コケージャンの夫さんとアジア出身の奥さんと二人で。夫婦二人、二十年近くカーテンレールを取り付ける仕事をしているそう。

夫さんがスクリューやらドリルやらを操る横で、あちらを拭き、部品を渡しと奥さん。息の合った様子でちゃくちゃくと仕事が進む。

背後できゃ~きゃ~と走り回る子供達。デイケアしてるの? いやあの全部家の子なんです、え~! なんて会話を交わしながら。(笑)



仕事の手が空くと、横で料理したり子供の宿題を見たりとしている私に、気さくに話しかけて下さる奥さん。あなた何年アラスカに?十四年です。どこから?日本から。私達は三十年よ、結婚して三十一年。

行ったり来たりと入れ替わる子供達の一人一人に、お名前は?何歳?と聞いて下さり。

私達夫婦に子供はいないのだけれど、私には十二人の兄弟姉妹がいてね、でもね半分くらい死んじゃったのよ。生まれて数ヵ月後に双子が、あと五歳と六歳と八歳で弟妹がね。フィリピンの小さな山の上の村で、病院なんてものも無かったからね。病気になったり怪我をすると、もうね、どうしようもなかった。苦しんだり痛がったりする傍で、ただただ撫でたり手を握ったり。今でもね、あの子達のこと思い出すと涙が出るのよ。

四十年くらい前の話だけれど、今も地域によっては同じような状況かな。米国や日本とは、全く違う世界よね。貧困ってね、残酷なものよ。



三女と次男がきゃっきゃとふざけ合いながら傍に来る。「ママ~、おなかすいた~、今日の夜ご飯な~に?」

ぱっと明るい表情になり、冗談を言って二人を笑わせる奥さん。あなたは大きくなったら何になりたいの? と尋ね、目を細めて三女が答えるのを聞いている。

ぴかぴかのカーテンレールが取り付けられ、しゃっしゃとカーテンを開けたり閉めたりと点検するお二人。お礼をいい、雪の中に笑顔で手を振る姿を見送り。



いつもと同じ夕食風景、それでも、何だか全く違って見える。

「いただきま~す!」と子供達。

「いただきます」の一文字一文字が、心に響いた。


出会いに、感謝をこめて。

日本への原爆投下について

2014-01-12 08:04:42 | 子育てノート
長男の友人のお母さんと話していて。 ○○(長男)、夏に日本へ行くって聞いたわよ、最高ね、日本のどこ? 名古屋と広島と東京の予定。えっ、広島? そうなの私の母方が広島で。そうだったの! ○○(息子君)の歴史プロジェクト(今八年生が取り組んでいる)ね、「原子爆弾についての権利と責任」がテーマなの。もう少し話聞かせてもらっていい?

そこから原爆の話になり。

母方の親戚は母も含め皆被爆手帳をもっている、伯母が一人即死、母は胎内被曝、私も三世、子供達は四世。



その夜、子供達とも話し合いました。

まず、こちら米国で主流の考え方: 一般市民の多くが無残に亡くなり痛ましいこと、それでもあの戦争を止めさせるためにはやむを得なかったんです。もしあそこで原爆を落としていなければ、日本本土決戦となり、日本米国両者により多くの死者を出すことになっていたでしょう。

子供達も、周りのこうした圧倒的な雰囲気を感じています。

日本と米国の「日本への原子爆弾投下」についてのウキペディアを見比べても愕然とするのですが、「あの大戦を終わらすためにやむを得なかった」という論の「不当性」についての言説や調査は、米国側からも出ているにも関わらず、ほとんど触れられておらず。

・連合国側からの海上封鎖などが効果をあげており、日本は当時戦力も既に随分と落ちていて、降伏は時間の問題であったこと。

・無人の地に落とすなど核の威力を見せ付けることで、もし降伏しないのならばこれを落とすとすれば十分であったこと。(「マンハッタン計画:第二次世界大戦中連合国側による原爆製造計画」の科学者もそう提案)

・「戦争を止めさせる」が目的ならば、日本への原爆投下について極秘を保つのでなく(直前までトップシークレットとされた)、日本側にも何度か警告することで十分に効果を得られたはず。

少し詳細を見ていくと、本当に「やむを得なかった」?と疑問が湧いてきます。他に理由があったんじゃない?と。

例えば、

・広島ウラン型、長崎プルトニウム型と違う種類が用いられたのですが、「トリニティ実験」(日本原爆投下約一ヶ月前の七月十六日に米国で行われた人類初の核実験)ではプルトニウム型のみが用いられ、ウラン型との比較実験データが欲しかった。

・米国の威力を世界に見せ付けるためだった。

といった説もあります。

私自身は、こうした米国の野心が大きく絡み、その上で、各地の戦線の状況から「最後の一人になるまで闘うだろう有色人種日本人」というイメージが行き渡るなど、世論を納得させられる状況が揃っていたため、ということだったのだと思っています。




そして、歴史や世論と言うのは、勝者側によって作られるとも思っています。

「ドイツがアメリカに原爆を落としたとしましょう。その後ドイツが戦争に負けたとします。その場合我々アメリカ国民の誰が”原爆投下を戦争犯罪とし、首謀者を極刑に処す”ことに異議を唱えるでしょうか?原爆投下は外交的にも人道的にも人類史上最悪の失敗だったのです。」

そうマンハッタン計画参画の科学者 レオ・シラードが言うように、もし敗者側が原爆を落としていたのなら、原爆投下に関わった人々、軍上層部からエノラ・ゲイの乗組員から逐一戦争犯罪の裁きを受けていたでしょう。





こうして米国側の問題を並べましたが、同時に、世界の状況を見るとき、枢軸国であった日本も随分ひどいことをしていたのも事実であり。天皇を「神」とし(天皇の本意かどうかは別として)、「大日本帝国」を広げようと周辺諸国へ侵略し。そこでの行為のひどさの度合いについては、様々な意見もありますが、決して許されるべきではないことも多く含まれていたと思っています。




子供達には、次の三点を覚えておいて欲しいと話しました。

1.大多数の人々が「正しい」と思っていることを鵜呑みにせず、様々な方面から情報を集め、「本当のところは分からない」というスペースを残しておくこと。

2.いい面美しい面だけを見るよりも、弱く間違った部分を見、それらを良くしていくために自分にできる限りをすることこそが、その人その国を愛しているということ。

3.生身の人の温もりを決して忘れないこと。こうしてテーブルに向かい合い、こちらでは何万人の被害で、あちらは何人死傷者が出たと話しているけれど、その一人一人の流す血の赤さを痛みの大きさを想ってみる。日本であろうと米国であろうとアジアの周辺諸国であろうとヨーロッパであろうと、そこに暮らす一人一人も、愛する人々と共に、あなたたちのように全く同じ温もりを持った日々を過ごしている。



 長男は七年生の時、科学のプロジェクトで「マンハッタン計画」を選んだのですが、製造に関わった多くの科学者が、原爆投下前に何とか投下を止められないかと米国政府に働きかけ続けたこと、投下後も平和運動に熱心に取り組む科学者がいたことを話してました。

 そして、日本が犠牲になることで、その後ジュネーブ条約にも核爆弾を用いてはいけないという条項が付け加えられ(「非戦闘民に手を加えてはいけない」という条項がそれ以前にもあるので米国による都市への絨毯爆撃、原子爆弾は既に違法ではあるのでしょうが)、用いられなくなった。もしあの時日本に落とされていなかったら、ベトナムか中東か朝鮮に広島長崎の何倍もの威力の核爆弾が落とされていたかもしれないよと。

 長男、夏に広島へ行く前に、引き続き話し合っていこうと思っています。

エピローグ、あの子は大丈夫

2014-01-12 08:04:01 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
「プロローグ」と対をなすものなのですが、このプロローグからエピローグまでの「間」を推敲し続けてます。



エピローグ

 ネイティブ・アラスカンの「姉」が、村を出、二人の子供達とアンカレッジに引っ越してきました。十年振りの再会。一時的に身を寄せているという福祉施設に車で迎えに行き、最近オープンしたばかりの日本人の経営するラーメン屋へ。

 車を降りると、マイナス二十度の冷気が肌を刺します。思わず首をすくめる私に、「村の冬に比べたらね、暖かいものよ、風もないし」と微笑む「姉」。

 テーブルにつき、味噌ラーメンを二つ注文すると、村の親戚について一人ずつ報告してくれます。一通り村の様子を聞き終わり、「姉」自身の話に差し掛かったところで、ウェイトレスがやってきました。初めて見るという「ラーメン」の盛り付けに、「きれいねえ、食べるのもったいない」と溜め息をつくと、胸の前に手を組み、目を閉じ、キリスト教のお祈り。そして「アーメン」と言い終わると、麺をすすりながら、再びぽつりぽつりと話し始めました。辛い出来事が続き、何年もの間、涙を流し続けたと。

 ネイティブ・アラスカンを取り巻く状況は、厳しいです。親戚や知り合い、すぐの身近に、アルコール中毒、ドラッグ、自殺、暴力、犯罪が渦巻いています。渦に呑み込まれるには、まだあまりにも早すぎる十五歳の「姪」も、更生施設から出たり入ったりを繰り返しています。

「大丈夫、あの子は、自分が誰なのかを分かりつつある」

 溢れる涙の果てに、「姉」は、そう一語一語力を込めて言いました。そして涙を拭いながら、尋ねます。

「マチカ、あの子の心の奥で、誰が支えになっているか分かる?」

 しばらく黙って、目を見つめるだけの私。すると、「アパよ」と。

「アパ」とは、「おじいさん」のこと。寡黙な「父」の顔から、微笑が消えたのを見たことがないのを思い出します。

「アパは、どんな時でも、私達を見守ってくれている。どんなことをしたって、いつもあの温もりで、包んでくれる。アパを思い出すと、あの子の頬を透き通った涙が伝うのよ。あの子は、大丈夫」

「姉」の顔に、温かい微笑が溢れます。

 混み始めた店を出て、車へと歩きながら、外はこんなに寒いのに、身体の芯からぽっかぽかだねと笑い合い。

「姉」の住居の前で車を止め、ハグを交わし。

「村からサーモンを送ってきたら、すぐに連絡するからね。マチカに、目玉を譲ってあげる」

 そうウインクして手を振り、戸口の向こうに消える背中。

 車を走らせながら、長男を妊娠中に、偶然驚きの再会をした「父」が、私の突き出たお腹を指して言った言葉を思い出します。
 

この子が 世界を必要とするように

世界は この子を必要としている

だから命というものは 宿るんだよ

   

アパの微笑を胸に。 

自身にとっての「真」と共にあり続けるということ

2014-01-12 08:02:12 | ファミリーディナートピック
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

共に行くということ (“Ruth and Arpah: A Tale of Two Daughters-In-Law” by YY Jacobsonを参考に):

ユダヤの町JudeaのリーダーだったElimelechは、飢饉になると、自身の富を分け与えることに堪えられず、家族でモアブ(Moav)という町へ移る。リーダーとしての責任を逃れ、家族でひっそりゆったりと暮らすという願いをかなえたElimelechは、やがて亡くなり、妻のナオミと二人の息子が残される。二人の息子はモアブ人の王室の娘二人と結婚。十年して二人の息子共に亡くなる。ナオミと義理の娘二人アルパとルースが残される。

ナオミはJudeaに戻ることを決意。旅の途中、二人の義理の娘に、あなたのオリジンに戻りなさい、あなたの母の元へ帰りなさいと説得。ナオミを慕う二人は泣き叫んで拒否。あなた達はまだ若いのだから新しい夫に嫁ぎまた新しく家族を始めなさいと諭すナオミ。泣き喚いて拒否。私の子宮にはもう赤子はいない、あなた方の夫になる子供はもういないのです、そして例え今から子供を育てたとしてもその子達が大きくなるまであなたがたは待てるはずがない。そう「三度」、モアブへ戻るよう話す。

アルパは承諾し、泣きながらナオミにキスし去る。ルースは言う、「あなたがどこへ行かれようと、私は行きます。あなたが住まれるところに、私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神。あなたが死ぬ地で私も死にます、そしてそこに葬られるのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」そしてナオミと共にJudeaへ。
『トラ』より

(ユダヤ教では、改宗したいという者に対し「三度」断ると決められており、それはこのシーンからの学びだとされる。)

当時、モアブは退廃した町として知られていた。快楽を追い求め偶像崇拝に浸る人々に溢れていたと。十年ナオミの家で暮らし、アルパもルースも全く違う暮らし方があるのだと体験し、知り、その新しい価値観や慣習を讃え感謝し愛していた。だからこそナオミをそれほどまで慕い。

それでもナオミは今では財産も何ももっておらず、貧しい暮らし。それはJudeaに戻っても同じこと。一方、モアブの実家に戻るのならば、アルパもルースも何不自由ない恵まれた暮らしができる。

アルパは戻ることを選び、ルースは共に行くことを選んだ。


ルースはJudeaで裕福な裁判官のボアズに嫁ぎ後に王となるダビデの祖母となる。アルパはナオミから離れたその晩に百人の男と関係し、その後嫁ぎ四人の巨人を産む。三番目の子がゴライア。少年ダビデと無敵の強さで人々を震撼させたゴライアは対峙し、ダビデが投げた石の額への一撃でゴライアは崩れ落ちる。『トラ』より

(こちらで子供向け物語などでもよく聞く「ダビデとゴライア」にそんな関係があったとは驚きでした)。

 何らかの「真」に触れたと心の底から感じ、深いインスピレーションにこれが私の進む方向だと確信し。それでも「本当にこれでいいの?戻った方がいいよ」と思わされる試練は、幾度となくある。それでもその一つ一つの試練を越えることが、その道を行くために必要な覚悟と決意を鍛える。

 そして進む過程で表に表れる美やロマンスだけでなく、それらを支える犠牲やハードワークや努力にも同じように「喜び」を見出しているか。美やロマンスだけを見ているのならば、根のない草花のように、少しの風で宙に舞う。「ナオミ」というのはヘブライ語で「スイート」という意味を持つ。「スイート」な面だけを見ていていたのか、それを支える見えない部分をも見ていたか。

 アルパは、ナオミから去った後の空虚さをどんなことをしても埋めることができず(「百人の男」という極端な行動に走るも)、その「空しさ」を次世代へと渡し、憎しみの塊ゴライアを産むことになる。ゴライアは母が触れたにも関わらず背を向けた「真」を心の奥に受け継いでいたからこそ、あれほどの強烈な憎悪の塊になったと。強い愛が強い憎しみを生むように。


触れてまでも、まだ元に戻ろうとするのか? 自身に問いかけていきたいです。

前に広がる「喜び」の圧倒的な大きさを思うなら、軽やかに踏み出せます。共に前へ。