靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、「闘魂」という熱い力

2014-01-26 11:38:10 | 今週の整理
他州は厳寒、北極の気候が降りてきた!と騒がれる中、アラスカ、記録的な暖かさです。スキー場も閉鎖に。日中零下にならない日もあり、昼雪解けて、夜凍った翌日など、もうそこらじゅうつっるつる。ここ最近、小学校に迎えに行くと、四つんばいで歩道を這って進む子に何人か出会います。(笑)



.今週は夫出張。普段分担している学校や習い事やアクティビティーの送迎、そんなスケジュールに組み込まれたこと以外にも、学校にあれがいるから買いに行かないと、友達とチームプロジェクトに集まらないと、髪を切りに行かないとなどなど、予定外送迎もちょこちょこ加わり。一体どこへ何時に何回送迎すればいいのお~!と叫びたくなることもしばしば。どうしても二つ以上のアクティビティーの時間が重なってしまい、一人運転で無理な場合は、子供達のクラスメートのお母さん方にお世話になったりも。ありがたいです、助かりました。

 そして昨日戻るはずの夫、アラスカ南東の島にいるのですが、天候不良で飛行機キャンセル。今日の夕方には飛んでくれるはず。ということで、朝から再び送迎の週末です。(笑)



.夜すっかり暗くなりへっとへとのぼんやりとした頭でハンドルを握っていると、後ろ座席から三女と次男の話し声。あの車ハッピーだねえ、あの車は何で怒ってるんだろ、ああこの車悲しそう、あの車きっと何かいいことあったんだよね。

 車の後部、確かに「顔」に見えたりする。テールランプの形や角度から、つり目下がり目、怒って見えたり笑って見えたり。二人の話し声を聞きながら、ちかちかと点滅するテールランプに囲まれ、何だか楽しい気持ちに。きちきちに詰まった目の前が、ぱっと開けた瞬間。ありがと。



.ウィークデイの日中使われていない間、自転車やらスクーターやら持ち込んで子供を遊ばせてもいいことになっている体育館に、昨日次男と出かけた。九月に床を張り替えて以来初めて。「新しいルール」が書かれた紙があちらこちらに貼ってあった。

 靴は脱いで下さい、親が必ずついていて下さいここはデイケアではありません、食べ物飲み物はコートの中に持ち込まないで下さい(コートの外ではOK)などなどの項目が並び、その一番下に、「ひまわりの種は、コートだけでなくこの建物全てにおいて持ち込み禁止です」と。

 えっ、「ひまわりの種」? なぜそんな特定してまでの禁止? しばらくルールを前に考えるも、どうしても理解できず、写真にまで撮ってしまった。(笑) 

 家に戻り子供達に尋ねても、首をかしげ。ピーナツアレルギーは良く聞くけれど、ひまわりの種アレルギーの深刻な被害というのは聞いたこともないしねえ。掃除面が問題なら、他にも困るナッツ類ってあるだろうし。だいたい「ひまわりの種」って食べ物にしては、かなりマイナーだろうに。同じくらいマイナーだけれど、かぼちゃの種ならいいんだろうか。「オーナーに何か特別な思いがあるのだろう」とひとまず落ち着き。今度訪ねた時、聞いてみます!



.次男、以前は家にいてもトイレに一人でいけないなんてことがよくあったのですが、それも今ではほとんどなくなり。日中二人の時でも、私があちらこちら家事にと動き回る間、いつもくっついていたのですが、次第に一階二階と離れても大丈夫なように。

 昨日はサンドイッチを作っていて、「あ、バターなくなっちゃった、ガレージに取りに行かないと」と言うと、隣で「ぼく、とりにいくよ!」と。「ほんとお!ママ助かっちゃうなあ。ありがとお!」と答えながら、ああ、一人で階下の真っ暗なガレージの冷蔵庫まで取りに行けるまで成長したんだなあ、と感慨深く次男の誇らしげな表情を見つめ。すると「うん!ママといっしょに!」と元気よく。・・・。まあ焦らず、ゆっくり、いきます。(笑)



.こちらの中学部活、二ヶ月程ごとに提供されるものが変わり、その中から興味あるものを選ぶことになってます。長男長女、今まで陸上(長距離短距離幅跳び)、クロスカントリースキー、CPR(救急訓練)、バレーボールなどに参加してきたのですが、今月から長男、レスリング。去年はこの時期、「僕はきっと弾き飛ばされちゃうだろうし」と、迷うことなくレスリングではなくクロスカントリースキー(今長女はこちらに参加)を選んだのですが、今年はなぜか燃えてレスリング参加。毎日練習が楽しみでしょうがないというくらい、はまってます。

 何でも体重別にグループ分けされているらしく、ここ十日程、「あと二キロ増えたら上のグループに入れられる、そしたらね、皆マッチョですごいしね、ちょっと僕の命に関わっちゃうかも」と少し情けないことを言いながら、間食絶対しないダイエット敢行。

 無事グループに留まることができ、そのグループ内三人との試合を勝ち抜き、各体重グループから一人選ばれる選抜チームへ。木曜日に市内中学対抗初めてのレスリング競技会。ところが蓋を開けてみると、長男の体重グループに属する子がおらず、二つ上の体重グループの子を試合相手に割り当てられる。ああ、十日間のダイエット・・・。(笑)
 
 身体も一回り以上大きい相手。試合開始合図の瞬間から羽交い絞めにされ(後ろに回って足を掴むと長男なりに作戦を練っていたようですが、笑)、そのまま頭をマットに何回も打ち付けられ、「ああもう僕はこのまま脳震盪を起こしてしまうのだろうか」と思いつつも、必死に抵抗。五分近く、あらゆる攻めにあと少しでアウトギリギリのところでのがむしゃら抵抗を続けていると、相手が疲れ始めたらしく。「あの子ね、何か疲れちゃったみたいでね。あの子のコーチ『Stop getting tired!(疲れるな~!)』って何度も叫び始めて」。長男、よれよれ脳震盪起こしかけ意識朦朧の中、最後の力を振り絞り攻めに出て、勝ち。
 
 二人目女の子(混ざってするんですね)、「されるがままで、何か全然抵抗しないんだよね」と勝ち。三人目、長男曰く「レスリングその場で初めて」の初心者だったらしくルールも分かっていなかったようで勝ち。帰りの車の中、まあ理由はともあれね、全試合勝つって珍しいらしいんだよねえと、鼻息荒く喜んでました。(笑) 

最近の長男を見ていると、こうした「闘魂」的な熱さが、実は彼には合っているのかもしれないなあと思ったり。論理的に説明するのもだけれど、そこに、目の前の壁なんてねえ、おりゃ~って砕いていこうよ、ブレイクスル~、やってやろうじゃないの~などと声をかけると、かなりやる気になるんですね。(笑) この試合の後、夜九時過ぎに帰宅したのですが、この勢いで、プロジェクトにテスト勉強にと二時過ぎまで机に向かってました。勉強面も、彼なりに頑張っているようです。

昔私の兄がプロレスやボクシングを見て燃えていて、隣で何でこれが面白いんだろうと全然分からなかったのですが、こうした何とも言えず血が騒ぐといった感覚、自分なりにうまく方向付け、生かすというのも一つの手なのかもしれないなあ、と思ったり。

ちなみに長男、この試合の日以来、間食だろうと何だろうともりもり食べてます。(笑)



7.長男が今年五月の半ばから日本へ。名古屋の実家の他に、一番上が長男と同じ年という三人の息子君がいる中国地方の親戚の家に泊まらせてもらう。その中国地方の田舎にある中学校に、息子君について三日間ほど通わせていただくことに。一昨日、女性の教頭先生と電話で話をさせていただいた。日本語でフォーマルに話すの何年ぶりだろう。(笑)

 実家から、何をしたいか、どこを見たいか教えてと。京都や東京や、二週間という限られた日程の中詰め込んでいく。とてもじゃないけど、足りな~いとぼやきながら。そこで、今回の旅の目的をもう一度吟味。それは何といっても、「ルーツを辿る」ということだろうと改めて思い。祖父祖母に、親戚に会い、自分の母がどういったところで育ち、自分の中に何を受け継いでいるのか、それを身体で感じる旅。ということで、観光的なことは最小限にし、まずは身近に関係のある場や地を訪ね、身近な人々に会うということに絞る。

すっきり。

14の夏、こんな体験ができて幸せです。



今朝はNPOに長男長女の送迎の後、俳句会に顔を出し(希望)、ロボティックスへ。夫も夕方には戻られるとのこと。明日は、課題宿題、その合間に散歩でもできたら!

皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



日常風景:
近所の小学校のアイスリンク、解けてます。


氷も水溜りになりつつ。


そり、アイス表面だと結構きついので、クッション敷いてみたんですが・・・。

この日かなり高くジャンプして、クッションは飛び去り、そのまま地面に尾てい骨打ちつけ、三日ほど痛かった!


月曜日はマーティンルーサーキングJrの誕生日で休日。朝からジムへ。
平均台に、


鉄棒に。



食料&日用品買出しカート。

これを雪と氷に覆われた駐車場で押し、車に積み、降ろし、二階のキッチンに運び、収納、なかなかいい運動です!(笑)


床張り替えた体育館(パビリオン)。

スクーター乗って、

バトミントン!

次男お友達と。


三女と次女でお絵かき。


次女輪ゴムブレスレット、このところクラスの女の子からも注文を受け付け(色や編み方や)、日々せっせと作ってます。(笑)

こんなのや、


こんなものも!

あなたを信じているという姿を見せ続けること

2014-01-26 11:29:26 | 子育てノート
長男が、社会科の時間に、iPhoneを取り上げられた。

中学校には、用いてはいけない時に使っていると、「取り上げられる」というルールがある。

長男曰く、「落としてしまったので、拾い、そのままスクリーンの点滅を眺めていた。操作をしていたわけでもなかったのに」と悔しそうに。

学年初めの九月にも、同じ社会科のクラスで取り上げられたという「前科」があるので、二回目からは、本人ではなく、親がオフィスに取りに行かなくてはならない。

授業中ゲームで遊んでたんじゃないの? と一瞬思いつつも、言葉を呑みこみ。

「疑わしい行為」を避ける。「疑わしい行為」から嫌疑をかけられ、思わぬ罪を着せられるということ、社会に出てからもあるからね、そんな話をする。

体験から、嘘をついているかの検証が難しい場合は、黙って子供の言葉を信じる姿を見せるのがいいと思う。どうせ分からないのだし、「ホントは遊んでたんじゃないのお?」と言葉をかけられても、どちらにせよ自分は信じられてないんだなあという気持ちを持つだけ。

といって子供が嘘をついている時の様子というのはだいたい分かるので、今回は多分本当なのだろう。



運転しながらそんなことを思っていると、昔出会った親子のことを思い出した。

私は教える側にいて、クラスには、学生や社会人に混ざって高校生もいた。セメスターも半ばを過ぎたある日、その高校生のお母さんから電話があった。「息子のクラスでの様子はどうでしょうか?」 実はその男の子、初めの数クラス出席しただけで、その後の二ヶ月程顔を見ることがなかった。そう告げると、絶句するお母さん。「週二日のクラスの度、一クラスも欠かすことなく、建物の前に車で送り迎えしてきたんです」と。

大学の授業というのは、特にゼミなどのより専門的な課題に教授と共に密に関わるようになる以前の一般教養レベルならば、小中高の義務教育(こちらは高校も義務)のように、わざわざ休んだ学生に連絡をとるということはしない。途中来なくなったとしても、大人なのだし、それぞれ事情があるのだろうなという程にしか捉えない。

それでも彼は高校生だし、もう少し気を遣った方がよかったかなとも思いつつ、電話を切り。するとしばらくしてもう一度かかってくる、一度三人で会ってもらえますかと。


授業が終わり、約束の時間に、その日またもや顔を出すことのなかった息子さんと共に、教室に現れるお母さん。ニコニコと「息子は頑張っていますでしょうか?」と。いつものように迎えに来て、何気なく立ち寄ったという雰囲気。隣の息子さんの、もう何とも言えない表情。二人を見比べ、ちょっと私の頭の中混乱しながらも、座りましょうかと勧め、出席簿を見せ説明する。

えっ! どういうことでしょうか?!と驚くお母さん。呆然とした顔で、息子さんの顔を見つめている。黙ってうつむく息子さん。

それから、その時点での成績、これから休んだ分を取り戻すことは可能か、それにはどれほどの課題をこなし、どれほどの点数をテストやクイズで取り続ける必要があるかなど、具体的に話し合う。

帰り際、息子さんに先に教室を出て行かせ、「ありがとうございます」とお母さん。ウインクして、微笑み。

その日以来、息子君、見違えるように真面目に出席、とてつもない量のエキストラの課題もこなし、無事セメスターをパスした。最後の授業で、「よく頑張ったねえ」と声をかけると、本当に嬉しそうに頷いた。



当時、長男が三歳で長女が一歳とまだ子育て始めたばかりだった私、年齢もちょうどお母さんと息子君の間くらい。一連の流れが、全くよく分からなかった。

なぜお母さんは、電話で話したにも関わらず、わざわざ演技して知らなかったふりをしたのだろう?

どうして息子君は、その日以来、がらりと態度を変え、あれほど頑張れたのだろう?



今、いい親子だったなあと思う。そして思春期の子供達を前に、あのお母さんの気持ちがより分かる。

あなたを信じているという姿を、見せ続けること。

それは、そんなものが「本当のあなた」じゃないのよ、

そう教え続けることでもあるのかもしれない。

そんな眼差しに触れ、はっと目が覚める瞬間。




あれから十年以上たち。

あのお母さんと息子君の笑顔を想いつつ。

「できない」理由には様々ある

2014-01-26 11:23:09 | 子育てノート
バルミツバ会場にて。長男一年長女一年次女を過去二年間担任して下さり、今も次女の算数を受け持ってくださるL先生が、儀礼が終わり、バッフェの前の列に並んでいると「あら!は~い」と近寄ってハグして下さる。ちょうどメールを送ろうかと思っていたのよと。

学年初めの「次女の学習の穴」についての話し合いで、気になる面を様々具体的に出してくださったL先生。

「最近の○○(次女)を見るたび、あの時話した言葉を全部訂正したくなるのよ。読解力も、算数の力も、最近の○○の伸びはすごいわ。それをね、メールであなたとハズバンドに伝えたかったの」

 その二日前、学校の廊下でプログラムのコーディネーターに止められ、同じようなことを言われたと夫が言っていたのを思い出す。

 感謝の言葉を伝え、実は私達も少し驚いていて、と正直に話す。話合いの場で、家でサポートしますとは言ったものの、それが何らかの結果に結びつくという確信などなく。もし穴が大きくなるようだったら、ホームスクールとまで考えていましたから。

引き続き夫と共に様子を見守っていきますねと伝え、L先生と別れ。



 一連の出来事を振り返り、今私自身が感じるのは、次女にとって「メンタル面」のサポートが大きかった、ということです。

・「分からないこと」に対する姿勢の練習
 「分からない」ということに極端に反応し、少しでも納得できないと、もう全て分からない! と投げ出してしまうところのある次女。深呼吸して、落ち着いて、「分からないこと」「うまくできないこと」に向き合う姿勢を、繰り返し練習。一気に分からなくても、少しずつ分かろうと、様々工夫しつつ(読解では、図に描いてみる、キーワードーにしるしをつけてみるなど)、忍耐強く向き合い続けるよう励まして。

・私自身の対応を変える
 私自身、次女の感情の起伏に引きずられ取り乱すことなく、落ち着いて忍耐強く向き合うよう心がけ。「何でこんなの分かんないの?もっと頭使って考えてみなさい」と突き放すのではなく(時間に追われているとついそんな対応になってしまっていたことも)、次女自身が、どんな問題でも、サポートしてもらえると感じられる対応を心がける。

もう一つは、私の説明に日本語を混ぜず、英語に絞ったこと。これは上二人には問題なかったのですが、日本語の蓄積が難しい我が家という環境の中、少し不器用なところのある次女には、混乱の原因の一つだったように感じています。


今回たまたまこうしてうまくいったともいえますが、子供が「できない」理由には様々あるということを、しみじみ思います。単に能力的なこと以外に、その子の行き先を遮ってしまう因がある。そして、何十人を一緒くたにはかるテストなど、次から次へと手にする「できない」という評価を前に、自分も周りもそのまま「できない」と思い込んでしまう。そうして「できない」ままになってしまっている子が、世の中には山のようにいるのではないか、そんなように感じています。

結果はその子をできる・できないとジャッジするためではなく、どうしたらより良くできるかという過程の糧として用いる、そう自身に声をかけ続けていきたいです。

子供達のマインドセットを変えることで子供は伸びるといった研究をされている心理学者Dweck博士の言葉にも、こんなものがあります。

「もし学校が、興味があろうとなかろうとテストをし、あなたが賢いか賢くないかを審判する場と捉えられているのなら、誰も行きたいなんて思わないでしょう。もし学校が、難しいことをすることでより脳を鍛え、脳を成長させる場だと捉えられるのなら、皆こぞって行きたがりますよ」

 確かに一人一人それぞれの「できる範囲」というのはあり、十メートルがやっとの子に百メートル走れとはいきませんが、その子なりの最大限の力を発揮できるところまでもっていけたら、そう思っています。

 まだまだこれから勉強も難しくなり、嵐のような日々も続きます。これからもこつこつと、できる限りを!

バル・ミツバ、成人への通過儀礼

2014-01-26 11:19:20 | 子育て風景
先週末は知り合い息子君のバル・ミツバへ。長女がキンダーから一緒のJ君。

「バル・ミツバ」とは、ユダヤの通過儀礼。女の子は12歳で(バット・ミツバ)、男の子は13歳で。この儀礼をもって、成人への仲間入りとみなされる。ヘブライ語で「ミツバ」は「法」を、「バル」と「バット」は、「息子」と「娘」を意味する。法を理解し法に従う者と見なされる節目であり、もうこれからは自分のしたことには自分で責任をもつのだよ、そう本人に自覚を促し、その子に対する周りの姿勢も変わる。

バルミツバ会場の「ユダヤ・センター」に着くと、入口でその日の主役J君の弟君、妹ちゃんが「Jのバルミツバへようこそ!」と迎えてくれる。男性にはキッパ(頭に乗せる小さな帽子)が渡され、二階の会場へ。部屋の中央に仕切りが立てられ、男性と女性で座る席が分けられている。

『トラ』(ユダヤの聖典)のスクロールが箱(ark)から取り出され、会場を一周。キスしたり触ったりする人々も。

その週の「トラ・ポーション」(ユダヤ歴に則り、一年で『トラ』を読み終えるよう、週ごとに『トラ』の箇所が区切られている)をヘブライ語でリズムに合わせて読むJ君。その週は、モーセが十戒を受け取る箇所!

ゲストが一斉にキャンディーを投げる! 祝いの歌。その後J君の家族が『トラ』を掲げ、『トラ』にちなんだ仮装をし、J君、『Hftarah(ユダヤの他の聖典)』をヘブライ語で詠唱。そして親族が『トラ』を持って会場を行進し、箱にしまわれる。

ラビ、J君、お父さんお母さんのスピーチ。そして毎週土曜日の「シャバット(Shabatt)」の礼拝。

と、全部で二時間ほどの儀式。その後バッフェ形式のランチへ。



アラスカでおじいさんの代から事業を続けてきたJ君の家系。各方面に顔も広く、ユダヤコミュニティー以外にも、政治家から学校関係者から地域の人々何百人も集まっていました。学校の先生方、本格的な「バル・ミツバ」は初めてという方も多く、「感動したわ」と口々に。

アンカレッジにはオーソドックス派とリフォーム派といった二つのユダヤコミュニティーがあり、前者は教えや戒律により忠実、後者はより現代の暮らしに溶け込みフレキシブル。J君家族は、前者のコミュニティーで活発な活動を続けています。

今回の「バル・ミツバ」を支えたオーソドックス派のラビ一家、まだアラスカに来たての20年近く前から夫と知り合い。長男長女もユダヤ人でないにも関わらず、ちょこちょこサンデースクールに参加させてもらったりとお世話になりました。

オーソドックス派といえば、かなり閉じた世界なのですが、そこはアラスカ。夫もユダヤ人でないし私達のような部外者でも、接する機会があるのですね。

ラビご夫婦、四人の子供さんをホームスクールされ、年頃になると他州のユダヤの学校へ送られ。2012年の長女さんの結婚式は、「初めてアラスカでユダヤのオーソドックス派の結婚式」と地元のメディアにも取り上げられていました。結婚されアラスカに戻った娘さんご夫婦、今はお父さんお母さんに加わり、ユダヤコミュニティーを支える活動をされています。

一般世間とは全く違った生活を送るラビ一家、いつもお会いするたびに、ああ、こういった生き方というのもあるのだなあと思わされます。

このラビとの『トラ』の勉強会に一度だけ参加させていただいたことがあるのですが、その時ラビの言っていた言葉が今も心に残っています。「結局ね、いかに『セルフレス』になれるかということなんですよ」




J君のスピーチ、感動でした。お父さんが、「Jがシャイさのかけらもない性格で申し訳ない」と会場を笑わせるほど、J君は普段からどんな人の前であろうとどんな場であろうと物怖じせず飛びぬけたパフォーマンスを見せてくれるのですが、今回のスピーチも会場中が聞きほれました。身振り手振り交え声の抑揚といい、こういうのを生まれながらのギフトというのだろうかと感心するようなしゃべりっぷり。

これまで育ててくれた両親、親族、兄弟、そしてコミュニティーへの感謝の言葉から、ユダヤの知恵の解説。そして、自分がいかにユダヤ人であるということに誇りを持っているか、自分を通しユダヤの知恵がユダヤだけでなく、ユダヤ以外の人々の役にも立つのならこれほど嬉しいことはない。ユダヤもユダヤでない人も力を合わせ、これからの世界を創っていくんだ。僕は僕のルーツを生かした貢献をしたい。僕はこの生まれに感謝している、そして、学校の友人達(ユダヤでない子がほとんど)が、僕の意見や僕のすることに喜び、ありがとうと言ってくれるたびに、僕は神に感謝を捧げる。皆さん、今日はこうして祝ってくださり本当にありがとうございます。

これからの世界を担うリーダーとしてのJ君、ありありとその姿を描けます。



ユダヤコミュニティーに触れいつも思うのは:

・コミュニティーで子供を育てるということの価値と大きさ
。J君、キンダーの頃から、学校が終わると毎日のようにユダヤコミュニティーで過ごし、『トラ』や文化慣習を学び、冠婚葬祭、年間行事や祭りを共に祝い。

・その人その人にそれぞれの役割が与えられているということ。ラビ一家のように、世間とは大きく距離を持ち、教えのコアを守り伝える人々、それらの教えを学び内と外とを行き来し、教えや知恵をより広い範囲で生かす人々、外から知恵を学びユダヤではない自らが立つ場に生かす人々。どの立場も尊く、皆が同じになる必要はない。それぞれがそれぞれの立場を生かし、よりよいもの(世界)を創っていくことこそが大切。




その夜のパーティー、それは楽しかったと長男長女。ユダヤの歌や踊りを初め少し、その後は、今時のティーンなパーティーに皆大はしゃぎ。食べ放題飲み放題、DJが次から次へと大音響のリズムを流し、紫のシャツに紫のジーンズのJ君囲んで、踊って踊る。その後は、長男も長女も、それぞれの友人宅でスリープオーバー。はじけた週末でした。




金曜日の日の入りから土曜日の日の入りまでは「シャバット」(六日働いた後の完全なる休息日)、電化製品などのスイッチをいれてはいけないという戒律もあり、儀礼会場ではカメラ撮影禁止。日の入り後の夜のパーティーは、長男長女だけ参加。ということで当日の様子を写した写真はないのですが。

儀礼ではこんな英語とヘブライ語で書かれた冊子を渡され、英語のフレーズを目で追いながらJ君の詠唱を聞いてました。


パーティーには、こんなぷりくら?撮り放題マシーンも置かれていたそうで。

友人達とはじける長女。

喜びを示すなら、穴から飛び出し走り出す

2014-01-26 11:09:50 | 子育てノート
金曜日は小学校で、年に二度の「explorationの日」。学年ごちゃまぜで、一つのテーマについて掘り下げようという行事。チェス、水彩画、ロボティックス、手品、漫画や映画作りなど教室でできるものから、ハイキングやスキーに出かけるというものも。上四人も今まで、ケーキ飾り、海賊、台所化学などなど楽しんできた。

どのテーマに取り組みたいか、一ヶ月程前に三つまで希望を出せるようになっている。次女が今回選んだのが、1.「パーシージャクソンシリーズ」にちなんだギリシア神話について、2.折り紙、3.裁縫。三女は、今回は一年生とキンダー合同でアラスカの野生動物について調べる、ということにあらかじめ決められていた。

希望を書き込む用紙を受け取った翌日に提出すれば、第一希望を割り当ててもらえる確率が高まる、と次女張り切って提出。ところが二週間程前、第三希望に割り当てられたと知らされる。人数の調整の結果、こういったこともあるもの。当日が近づくにつれ、ため息をついては、何でこんなことに、この日は学校を休んでもいいかな、知ってる子も誰もいないよう、そうぶつぶつ繰り返していた。そして数日前には、泣きながら休みたい!とまで。

大丈夫だって、行ってみたらきっと楽しいって。そんなぐちぐち言って取り乱してたら、余計苦しくなるだけじゃない。文句言ったってどうにかなるわけでもないのだし、さっぱり割り切っていこうよ。あなたができなかったおかげで、入りたかった子が入れたのかもしれないじゃない。

などなど声をかけるも、全くききめなく、悲しみ苦しみはますます増すばかりのよう。


水曜日の夜、「裁縫」クラスの詳細が書かれた紙を片手に、または~と大きなため息をつき、休みたい、絶対休むと言う次女。その手に持つ紙を読んでみる。

「フェルトの枕を作ります」とある。 フェルトお~! ママねえ、あなたよりもう少し大きいくらいの時、フェルトで色々作るのにはまったことあるのよお。フェルトってほつれないしね、手触りも気持ちよくて、カラフルなの合わせて、糸とかも色変えたりしてねえ、ああ何作ったけなあ、袋や人形やアップリケや、もう楽しくてしょうがなかったのよお、あれでママは縫い物を覚えたのよお。

自分の思い出に浸って話し続け、はっと気がつくと、次女の表情が少し明るくなっている。おっ、やった、と思いつつ、ねえねえ、ちょっとネットで調べてみようよと誘い。「フェルトの枕」と検索すると、素敵な作品出てくる出てくる。あ~、こんなのいいじゃな~い。きゃーこれ素敵~! と二人で言い合いながら。

コンピューターを閉じる頃には、すっかりフェルトで頭が一杯になった様子の次女。飾りを何にしようか、ボタンもよさそう、とアートセクションでごそごそし始める。

結局当日も、嬉々として登校。(笑)



そんなとこにいたってしょうがないじゃない! そんなところにはまり込んでたらよくないって! そう穴から出なさいと、手を引っ張り、後ろから押し。

それでも穴を出たところにある「喜び・楽しさ」を見せることで、自分から勢いよく飛び出し、走り出すんだなあと、しみじみ思った出来事でした。

覚えておきます。


昨日持ち帰ったフェルトの枕。

手での裁縫は初めてだったのですが(ミシン縫いはワークショップで習ったことがある)、自分で縫えるようになり楽しいようです。

今日夕方出張から戻るだろう夫に作ったもの。

Welcome back!

夫と妹へ。