靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、「これからも私は幸せであるだろう」

2013-04-28 01:54:57 | 今週の整理
1.雪でなく雨!が降ったり、晴れても強風だったりと、屋内で過ごすことも多かった今週。それでも日中5度以上になる日が続き、そうなるとアロハシャツにショーツで道を行く人を見かけたりと、もうアラスカンは春を飛び越え夏に向けまっしぐら。「タラの芽」摘みに、カヤックに、キャンプにと、夏の楽しみが頭を駆け巡る今日この頃です。

2.今日はこれからマラソン大会(Heart Run:心臓病患者の支援ファンドレイジングや、心臓疾患への喚起を呼び起こすためのイベント)に参加することになり。長男以外はタイムが出ることもなく、ほとんど歩きになるでしょうが、三キロ。三歳児六歳児連れて完歩なるか。昨日ゼッケンを取りにいった夫と長男によると、ものすごい参加者数だったらしい。アンカレッジで一般向け本格的マラソン大会というと、去年秋以来だからでしょう。まだ道路わきには雪がたくさん残り、朝はまだ0度ちょっと上くらいの気温ですが、行ってきます!

3.これから三週間ほど、学校での行事続きに、週末は上四人合わせて七つの誕生日会プラスプレーデートなどが入り。そしてそのまま夏休み突入。夏の間、五人と一日中外を走り回り、太陽をたくさん浴びて、身体的には健やかではありますが、コンピューターに向かう時間の調整がなかなか難しくなります。それでも、細々とでもブログの更新続けていきたいです。読んでくださる皆様に感謝を込めて

4.火曜水曜木曜と日中次男のプレーデート。木曜日は、海に面した山の上の公園のはずが、ものすごい風(子供たち向かい風に前へ進めない状態)で急遽家に移動。そのまま仕事帰りの友人、友人の夫さんも加わり、タコスの夜。私は夫が夜のミーティングで遅かったので、長男陸上と長女ダンスの送り迎えに出たり入ったり。ちびっ子たちも車であちらこちら連れ回されず友達とはしゃぎまくれて大喜びでした。夜八時でも明るく、「明日そういえばまだ学校だよね」と思い出し合いながら、わいわい賑やかに楽しい夜でした。

5.友人の夫さんと話していて、きつい状況が続いたという最近の出来事をシェアしてくれる。「でも、これで自分は色々なことを学んだんだよ、どんなことでも結局はより良くなるために起こっているのかもしれないな」そう最後につぶやいて。「Everything is for good、私もそう信じている」そう窓の外で遊ぶ子供を眺めながら言い、彼に視線を戻すと、暖かな微笑みがあった。ぽかぽかな日差しが辺りを包んで、くっきりと残った春のワンシーン。

6.最近は電話がなると、上三人の友達からのことがほとんど。宿題についてから、その日学校であったこと、趣味のこと。一昨日は電話を取った次女が興奮した大声で「○○ちゃんのお母さん妊娠だって。五人目!」と。お友達がママから聞いたその場で大喜びで電話をかけてきたよう。嬉しいニュース、おめでとう!

7.長男のラングエッジアートクラスの宿題で、「二十五年後の自分について」のエッセイをA4二枚に書いてくるというものがあった。たまたまコンピューターに残っていたのを読み、こんなこと思い描いているのねと新鮮だった。本人の了承を得つつ引用: 「37歳。ビーチに面した家に、美しい妻と六歳の女の子四歳の男の子(具体的名前も!)と暮らしている。毎日家族でビーチを散歩する、この前は息子に泳ぎを教えたところ、最愛の妻とは定期的に二人で出かけ映画を見に行ったり食事をしたり。目指していた人の役にも立つ仕事につき(以前から口にしている具体的職種名。一応ここではふせておいて)、最愛の家族を不自由なく養う十分な収入を、こうして生きがいを感じる仕事で得ることができている。そして今、あの七年生のエッセイにビジュアル化したことが、いかに現実に近いものであったかに驚いている。中学時代の友人達とは今でも交流が続いている。私の家族は人生を楽しみ、私も楽しんでいる。人生はハッピーなローラーコスターのようなもの、楽しみもあれば辛いこともある。それでも今までもそうであったように、今もそうであるように、これからも私は幸せであるだろう。」

今零下2度ほど。マラソン、行ってきます! 吐く息白い早朝のアンカレッジより。

皆様の一週間が、素晴らしい日々でありますように!

Have a wonderful week!


日常風景:

湿原へ!


友人息子君二人も一緒に。

あっ、鳥の巣!


それ~。


氷、解けてる~。              


長男と次男。

一緒に出かけると二人ぺったり。

気持ち~ね。


このこおりね、もってかえろうとおもうんだけどね。


歩いて歩いて。


スナック!


木曜日のタコスな夜。


トランポリンでも遊ぶ。


デザートタイム!

友人差し入れもちアイスクリーム!


三女、秋から毎週キンダークラスで作ってきたパン。最後は自分独自のレシピを作ってみようというプロジェクト。

三女考案、りんごとレモネード入りパン!


子育てノート、共にいる喜びを感じさせる

2013-04-28 01:54:06 | 子育てノート
長男もティーン、長女もプリティーン。

彼・彼女の発する言葉や態度そのものだけを見ていたら、そっけなかったり、ぶっきらぼうだったり、高飛車だったり、むやみに反抗的だったり。こちらも何それ!と怒りたくなったり、き~!となることもあります。

昨日は長女にその態度はないでしょ!と踏み込んで話した後、長女と夫がぶつかり、長女は部屋にこもりいじけて眠ってしまい。

夕食が始まり、寝起きの長女も席に着き。その日あったことから少し哲学的なことまで様々なトピックについて話し合い、冗談を言い合っては笑う内、長女の表情も次第にほぐれ心も開き。夕食後はソファでくっついてマッサージし合い、その日作ったレゴの飛行機を得意げに見せる次男や、今日はこんな文章が読めるようになったと大声で読み上げる三女の様子に、互いに目配せして微笑み。

友人関係や異性関係や、ピアプレッシャーにホルモンの変化に。ティーンは、あれやこれやと自分の外側を塗りたくり、飾り立て、周りに自分というものをどう見せようかと様々試しているようなところがある。こんなんじゃだめだ! とイライラして落ち込んで、何てうまくできたんだろう!と舞い上がり。

それでも彼・彼女の心の奥に耳を目を澄ませると、ピュアで透明な部分が常に変わらずあるのが見えてきます。そのピュアなままでいいのだと、ほっとさせる時間を持つ。そんなに一生懸命覆わずとも、その素の部分でこそが最も美しいのだと安心させる時。

それは、どんなあなたでも底のところでは受け入れ無条件に愛していると感じさせるということなのでしょうが、そういった観念的なことよりも、まずは親自身が、その子と共にいることを心から喜び楽しんでいると感じさせる、それが大きいように感じています。

すぐに切り替え、その子の素のピュアな部分にフォーカスし、共にいることを心の底から喜び楽しんでいるのだと感じさせる、そうすることで、その子は奥深いところで安心感を取り戻し、ピュアであれる強さを取り戻す

「I love you」と抱きしめ、腕や背中をさすり、手を繋ぎ、腕を組みといった、喜びを凝縮して表す時も、日常生活に散りばめつつ。寝る前、別れの時、帰宅した時、それ以外にもランダムに。

こうして共にいられる喜び、それは「子育ての喜び(例えば)」に日々立ち返ることで、心の底から湧き上がり溢れ出てきます。

今こうして共にいられる喜び、親自身の喜びを感じさせること、それは、小さな子に対しても、ティーンに対しても、とてもパワフルで確実な変化を生み出すと感じています。

子育てノート、喜びを見出す その二

2013-04-28 01:52:55 | 子育てノート
子供達が「喜びを見出す」姿勢を身につけるために役立つヒント&方法例:


身近な周りを見回す
 普段当たり前に通り過ぎてしまうようなことに、たくさんの喜びを見つけます。真っ青な空、面白い形をした雲、雨上がりの虹、銀色の雪雲、サラサラな新雪、まん丸な月、果汁の滴るフルーツ、新鮮な野菜の甘さ。忙しく動き回る日常にふと立ち止まり、「きれいだねえ、あの形不思議だねえ、美味しいねえ」と嬉しそうに感動してみせます。子供は日々の生活の中に、喜びの芽がたくさんあるのだと感じるようになります。


笑う
 クスクスからお腹を抱えてゲラゲラまで、日々共に笑う機会をもつよう心がけます。子供は親が楽しそうにしているのが大好きです。親が笑うことで子供も自然と笑顔になります。思春期に入り、時にギクシャクする親子関係も、一緒に笑う機会を持つことでスムーズになります。「笑い」は凝り固まった見方を一気に広げ、再び喜びを見出すための潤滑油です。あれやこれやと立て込み、忙しくきりきりと張り詰めたときこそ、生活のあちらこちらに冗談を散りばめ、ふっと緩める時を共有していきましょう。


目的を見つける
 日常の「やるべきこと」も、必ず何らかのより大きく高い目的に繋がっています。目の前の漢字ドリルに取り組むのも、提出期限に間に合わせるためだけでなく、漢字を使いこなすことでよりたくさんの情報を理解できるようになるため、目の前の人参を口に入れるのも、好き嫌いを言うとママに叱られるからだけでなく、大好きな追いかけっこのできる健康な身体を作るためです。毎日の子育ても、未来の世界を創るための一歩です。より大きな目的を見つけることで、また一つ喜びが生まれます。


あげる・助ける喜び
 もらう喜びだけでなく、あげる喜びを体験させます。少し多めにお菓子などを持っていたら、周りの子にあげるように促します。子供というのは「あげる」のが大好きです。嬉しそうに配ってまわるでしょう。家の中でも年齢に応じたお手伝いなど、「してあげる」体験をさせます。小さな子供でも、靴箱や本箱の整頓、食事前に箸を整えたり、食べ終わったら流し台に皿を持って来ることができます。切った野菜を鍋に入れたり、お米を計って炊飯器に入れることもできるでしょう。「ああ助かったわ、本当にありがとう」そう喜んで見せることで、子供はもっとお手伝いしたいと思うものです。

 家の中だけでなく、悲しんでいる子を笑わせてあげたり、仲間に入りにくそうにしている子を入れてあげたことを一緒に喜んでやります。親戚や周りの人々の誕生日にカードやプレゼントをあげたり、まだ使えるけれど使わなくなったものを必要とする人々に寄付するのもいいです。電車やバスで席をゆずったり、重そうにしている人の荷物を持ったり、親も子供の前で率先してそんな姿を見せることです。病気の人や老人ホームを訪ねたり、ホームレス支援センターを手伝いに行くこともできます。ごみ拾いや掃除のボランティアなど、コミュニティーの活動に参加するのもいいでしょう。自分のもてるものを、周りの人々に差し出す喜びをたくさん体験させましょう。


教え伝える喜び
 こうしたらうまくいった、ああしたらうまくいかなかった、そんな体験が周りの人々の役に立つのは嬉しいことです。掛け算の覚え方、しっとり焼けたバナナブレッド、背泳ぎを早くする手や足の動かし方、必要とする人に体験をシェアすることで、失敗は生かされ、成功の喜びは増します。

 子供が積み重ねた体験や知識を、その子より年下や経験の浅い子に伝えさせる機会を持ちます。「教えることが、最高の学習方法」と言われるように、他人に教えることにより、内容を消化できよりしっかりと身につけられるということもありますが、何より大きいのは、目の前の問題を、また違った角度から眺められるようになることです。他人に教えよう伝えようと意識することで、目の前の問題は、また一つ何らかの解決方法を提案できる機会に変わります。教え伝える喜びをたくさん体験させます。そうすれば問題の渦中で悲しみや苦しみに浸り留まり続けるよりも、どうしたらこの問題を解決することができるだろうと、解決策に目を向ける習慣が培われていきます。


創る喜び
 創る楽しみをたくさん体験させます。玩具も、既に出来上がったのものよりも、なるべく創る過程を楽しめるものを与えます。組み立てて様々な形ができるものや、クラフトのキットなど、お友達や親戚へのプレゼントにも喜ばれます。安全に扱える年齢になったのならば、クレヨンや色鉛筆や色紙やはさみやのりなどの工作用具を、いつでもすぐ手の届くところにおいておきます。我が家でも子供達が家で過ごす多くの時間、切って貼ってと夢中になって過ごしています。

 料理も食卓に並べるだけでなく、共に作ります。野菜を切ったり、巻き厨子を巻いたり、稲荷ずしに寿司飯をつめたり、子供でも年齢に応じてできることはたくさんあります。小学校中学年にもなれば、クッキーなども、親はオーブンの出し入れを手伝うくらいで、自分で作ってしまえるものです。家でもインターネットでレシピを見つけては、休日の度、上の子達三人で代わる代わるお菓子を作っています。

 子供達が何かを創っているときの集中力や熱意というのはとても強いものです。五人の子や周りの子を眺めていても、創る喜びというのは、人の奥深くに備わっているものなのだとつくづく感じています。小さな頃から創る喜びをたくさん体験させてやりましょう。創造する喜びは、その後の人生を豊かで幅のあるものにしてくれるでしょう。


温もりを体験させる
 子供時代に温もりに包まれる体験をたくさんさせましょう。子供達が大きくなり幸せだったと思い出すのは、周りの大人たちが、自分と向き合い過ごしてくれた何気ない日常の風景です。最新式のゲーム機を買ってやる、日本一のジェットコースターのある遊園地へ連れて行くというような、物質的で刺激に溢れた楽しみでではありません。今度はあれを買ってやろうあそこに連れて行ってやろう、そういった特別なことはそれほど必要ではないのです。

 心の奥深くに残る温もりを、たくさん感じさせてやることが大切です。母と手を繋いで歌いながら散歩したこと、父と車の中でしりとりし合ったこと、叔母とよく熟れたフルーツを美味しいねと食べたこと、夕暮れの校庭で逆上がりができるようになったと父に見せたこと、仕事帰りの母とその日あった出来事を話しながら夕焼けの中帰宅したこと、湯気の上る台所で夕飯を作る祖母の手伝いをしたこと、髪をなでる母の匂いに包まれて眠ったこと。そんな何気ない日常の中に、温もりが溢れています。子供と向き合い、共に楽しむ時間を毎日の生活に散りばめましょう。それが子供達の奥深くで、喜びというものの原型を形作ります。


周りの大人がモデル
 周りの大人が手本です。不平不満や文句ばかりになっていないか、身の回りの物事に喜びを見出す余裕を持てているか、立ち止まり見直してみます。コップに半分の水を見、ああ半分もないと思うか、半分もあると思うか。もう半分をどうしたら満たせるかと試行錯誤する喜びを見出せる自分であるかです。

 辛く苦しかった時を思い出すのならば、今こうして普通に暮らせることへの喜びが湧き上がります。壁を乗り越えた自分を思い出すのならば、目の前の壁もまた次の壁を越えるための訓練だと喜ぶことができます。そしてもしこうして壁に向き合った体験が、少しでも他人の役に立つのならば、これほどの喜びはありません。

肩の力を抜き、ほっと一息つきながら、周りに溢れる喜びを一つ一つ胸に抱いていきましょう。どんな物事もより大きな目的と繋がっています。未来の世界を担うのは子供達です。目の前の課題溢れる育児も、世界の創造への一歩。そんな一歩を踏み出せる喜びを、日々かみ締めていきたいです。

夫婦は、一人が痛いなら、両方が痛い

2013-04-28 01:46:02 | 夫婦ノート
昨夜のファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)



「潤す時」を生活のサイクルに組み入れる

道端の井戸。そこにいけば、渇いた喉を、潤すことができる。

そんな井戸に戻る時を、生活のサイクルに組み入れる。

朝こうして何兆もの細胞が働き、心臓が規則正しく血液を送り出し生きていることの不思議を思い、食べ物を前に「いただきます」「ごちそうさま」と感謝の気持ちを思い出し、眠る前にその日あったことそれまであったことへの感謝の言葉を言い合い、周りの人々の最善を祈り、週に一度のファミリーディナーには少し着飾り人生について話し合い、年に一度の祭りを繰り返し祝い。

それは、旅路に立ち止まり、どこから来て、どこへ向かっているのかと見直す時。

長いドライブに「いつつくの~?」「あとどれくら~い?」と、き~き~言い出す子供たちが、途中ところどころ休憩し、少し散歩して外の澄んだ空気を吸うことで、リフレッシュする時のようなもの。

そんな井戸に赴き水を汲む時を、生活のサイクルに組み入れる。



夫婦間の話し方について心に留めておきたいこと。(将来のために上の子たちも交えて)

結婚し、子供を持ち、つくづく思うのは、結婚生活や子供を育てるということが、現実的にどういうことなのか、どうしたらよりよいかの知恵やヒントを、若い時分からもう少し学ぶ機会がないものかということ。

以下(aish.com, Emor 5771)より: 夫婦は二人が一つの存在になるということ。一人がうまくいかないのならば、両方がうまくいかない。一人が痛みを負うなら、両方が痛みを負う。ある夫婦が病院へ行き、医者が「どこが痛むのですか?」と聞くと、夫が「妻の足が痛むということが痛いんです(Her foot is hurting us)」と。

1・とにかくまずは聞く (単に気持ちを聞いて欲しいこともあるもの) 

2・相手を遮らない  

3.声を荒立てない (忘れて相手が荒立て始めたら、手をそっと相手の手の甲におき思い出させるなどあらかじめ決めておいたり)  

4.もし主張を通したいのならば、質問形式にしてみる。 (やめて!でなく、あなたがそうされたらどう思う?など)

5.非難しない。相手のせいにしない。 (これは本当につくづく思うこと。非難からはどこにも行き着かない。「せい」にしている間に、どう解決していけるか、解決のために自分が何をできるか相手をどう助けていけるかを話し合う)

6.問題の元は他にあるかもしれない。(ジャムのふたを閉めてない!と怒る理由は、三日前の約束事を忘れていることにあったり)

7.相手の言ったことを繰り返すことで、理解していると示す。(あなたの言いたいのは、こういうことなのよねとまとめてみる)

8、問題に対する解決案を尋ねる (自分の言い分をレクチャーするだけでなく、相手の案を聞きだす)

9.常に覚えておくこと:何十億と地球上にいる人々の中から、この人を相手に選んだのだということ。相手の輝く部分にフォーカス。欠けた部分を補い合い、共に成長していくためにこうして一緒にいるのだということ。