靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

子育てノート、喜びを見出す

2013-04-21 05:02:35 | 子育てノート
何でも嫌々するより、楽しみながら取り組むのならば、歩き始めた地点からいつの間にかはるか遠くにたどり着いている自分に気がつきます。長い電車旅行も、稜線にゆっくりと沈む太陽のグラディエーションを眺め、徐々に増える民家の灯りを数え、一つ一つの灯りの中でどんなドラマが繰り広げられているかと想像することで、豊かに楽しむことができます。山道を行く車の中でも、言葉遊びに夢中になることで、あっという間に目的地にたどり着くものです。じっと我慢して揺られているよりも、少し発想や視点を変えるなどの工夫次第で、楽しみを見出していくことができます。

苦手なマッシュルームも、自分で育ててみることで口に入れるのが嬉しくなり、山積みの宿題も、細分化し小さなゴールを散りばめることで、達成感の嬉しさを積み重ねていくことができます。気が向かない仕事も、愛する家族に健やかな環境を与えられるようにと思えば、有難い機会に見え、掃除も、家族やゲストが気持ちよくくつろぐ笑顔を思い浮かべると、嬉しくなるのです。だだをこね言うことを聞かない子供も、自我が育っている証拠、家が散らかるのも、子供が元気に遊んでいる証しと思うのなら、余裕を持って子供達に接することができるでしょう。

目を凝らせば、目の前のあらゆるものに、「喜び」を見出せます。喜びを見出し続けるのならば、努力を努力とも思わず、はるか遠くに進んでいくことができます。

小さな子供が、片づけが嫌だというのならば、「この電車は車庫に帰る時間だね、しゅっぱ~つしんこ~、しゅっしゅっぽっぽ」「お人形さんもう眠いみたいだね、ミルクをあげてベッドで寝かしてあげよう」などと声をかけ、お風呂が嫌なら泡遊びの楽しさを思い出させます。「イヤイヤ」と首を振る幼い子にも、「楽しみ」や「喜び」を並べることで、しかめっ面に、輝く笑顔が戻り、喜んで取り組み始めます。 

 小中学生の子供でも、より現実的論理的に「喜び」を思い出させることで、前向きに物事に取り組み始めることがあります。部屋の掃除をなかなかしないのならば、整理整頓し、窓を開けフレッシュな空気を取り入れたときの気持ちよさを思い出させ、ジャンクフードを好んで食べ続けるようならば、ヘルシーな食べ物がいかに身体の糧になるのかを共にリサーチしてみるのもいいです。



子育ての「喜び」

 毎日やるべきことが山積みの子育て生活。五人の子供を抱える我が家でも、分刻みで時間が過ぎていきます。早朝から六人分の弁当作り、寝ぼけ眼の子等の背中を押し着替えさせ、朝ごはんを食べさせ、学校に送った後は、人数が多いだけ汚れ方も半端ではない家中の掃除、山積みの洗濯、夕食の準備、日用品や食料の買出しに、小学校のボランティア、次男の図書館での読み聞かせやプレイデートなどのアクティビティーもあります。四人の子供が学校を終える昼過ぎからは、水泳やダンスなどの習い事の送り迎え、車の中で昼間に用意したおにぎりなどのスナックを食べさせ、帰宅した後は一人ずつ宿題を見、予習復習をし、弱い部分を補強し、得意な部分には次のレベルの課題を与え、順番に見てもらうのを待っている子や終わった子にはくつろいだ時間を持たせてやり。一段落したら揃って夕食です。食後も後片付けはひとまず横に置き、引き続き勉強を見つつ、下の子達を風呂に入れ寝る準備を整えさせ、そうしていると就寝時間です。毎日私は家事育児従事者兼、送迎運転手に家庭教師です。

こういったスケジュールに組み込まれたこと以外にも、子供の世話は次から次へとノンストップ。駄々をこねる子をなだめ、無理難題を主張する子を諭し、気のそれた子を揺り起こし、境界を越える子を叱り、その日あったことを延々と話し続ける子に耳を傾け、友達関係の相談に乗り、ままごとで店を訪ねた客になりプラスティックのベーコンをかじり、ちょっと何度目の「もう一回!」だっけ? と思いながらカードゲームを続け。

ああ、自分の時間なんてこれっぽちもない! しかも毎日毎日自分の持てる力をこれほど出し尽くし続けたとしても、世間に何ら認められるわけでもない、それに寝てる時以外はほとんどノンストップで労働力もかなりなものであるはずなのに、贅沢できるお金が手に入るわけでもない、社会の隅で誰の目に留まることもなく日々年を取って行く、ああもう嫌だ。そうしゃがみこんでしまうことが今まで何度もありました。

それでも進み続けるための力を与えてくれたのが、「喜び」でした。はるか遠くを見上げ、そこにあるだろうと想像する「喜び」などよりも、今この目の前に「喜び」が溢れている、徐々にそう感じるようになっていったのです。


1.生活の中に散りばめられた喜び

朝焼けに、スヤスヤと眠る子供達の寝顔。薄暗い台所に響く包丁の音に目を覚まし「ママおはようと」抱きついてき、切ったばかりのオレンジをまだ半分閉じた目で嬉しそうにほお張り、幼い下の子のぐずる声に寝室へ行き抱き上げると、「ママあ」と肩に顔をうずめ。上の子が下の子の朝食を手伝ってやる姿、「今日のお弁当美味しそう!」と叫ぶ表情、学校の前で車から降りる時に交わすハグ、「いってきま~す!」と手を振る満面の笑み、手を繋いで校舎に歩いていく背中。朝日の差し込む居間には白木の積み木が重ねられ、物干し竿には手の平に乗るほどの靴下から私のよりも大きな靴下が並び。文字が読めるようになったと大はしゃぎのちびっ子とABCの歌を大声で歌いながら掃除し、膝に座らせ絵本を読み聞かせ、絵本に登場するウサギの真似をして一緒に部屋中飛び回り、買い物に出かけたスーパーで「あと一つ何買うか忘れちゃった」とつぶやくと「牛乳!」と大きな目をして教えてくれ。駐車場を歩きながら握る小さな手、車から「よいしょよいしょ」と荷物を降ろし一生懸命冷蔵庫に詰めようとするピンクの頬、夕食を作り始める傍でミニカー競争に夢中の小さなつむじ。学校に迎えに行った車に勢いよく乗り込む上の子達のほっとした表情、水泳のバタフライができるようになった、なかなかできなかったステップが踏めるようになったと習い事の帰り道の車で興奮して話し、食卓に向かいぺこぺこのお腹をさすりながら「いっただっきま~す」と勢いよく食べ始め、目を合わせ「美味しいね」と頷き合い、その日あったことを話しながら皆で椅子から落ちそうになるくらい笑い転げ。額をくっつき合わせうんうん唸りながら英文法や算数の図形問題に取り組み、窓の外の銀世界を眺めながら蜂蜜入りホットミルクを飲み、小さな歯を一本一本磨き、ベッドの上に皆でくっ付きあって感謝の言葉を言い合い。

日常に喜びの瞬間が溢れています。


2.限られた時期を共に過ごしているという喜び

長いスパンで見たら、こうして密に共にいられるのは、本当に限られた一時のこと。子育てを終えられた先輩方が、「ああ今が一番いいときなのよ」と目を細めて言うことがありますが、そんな視点から今を眺めてみる。ものすごいスピードで成長を続ける子供達、今こうして過ごす一瞬一瞬は、二度と戻ってこない。


3.子供達の思い出作りをしているという喜び。

子供達が大きくなり、懐かしく思い出すのは、自分自身を振りかえって見ても、大好きな玩具を買ってもらったり、、豪華なクルージングの旅といったものよりも、一つ一つの何気ない日常風景なのではないでしょうか。共に過ごす一時一時が、子供の内に思い出を築く限られた機会、そう思うのならば、また日常の一瞬一瞬が輝き始めます。


4.未来の世界作りの喜び。

そしてこれからの世界を創っていくのは、子供達だということ、その子供達の土台となる大切な最初の一時を、共に過ごしているのだという子育ての原点を思い出すとき、またはっと目が覚めます。未来の世界を創るという壮大な計画の片隅に、日々こうしているのだという緊張感、それもまた深い喜びの一つではないでしょうか。


子供達と過ごす一瞬一瞬に、「喜び」が溢れています。状況はアップダウンを繰り返し、次から次へと課題にぶちあたり、子供の世話というのは目の回るような毎日。それでもその大変さばかりに気を取られ、喜びを見出す目を曇らせてしまったら、何とももったいないこと。

また、ああだったらこうだったら喜びが手に入るに違いないと想像の世界に浸り、今この目の前にある喜びに気がつかないのでは、本当にもったいないことでもあります。

は~とため息をつく横には、未来を見つめキラキラと輝く瞳があります。

日常に溢れる一つ一つの喜び、それらの「喜び」にフォーカスするのならば、先にそびえるどんなに高い山も、どんなに険しく深い谷も、力強く越えていけます。



「喜び」には様々な層が

 一つの物事を前にしても、幾層もの喜びを見出すことができます。例えば夕焼けを前にして、空に描かれるオレンジやピンク、ゆっくりと流れるくもの形など、まずは五感で捉えられる造形的な喜びがあります。そして目の前に広がる夕焼けの美しさを、大好きな人々と分かち合うといった他者と感動を共有する喜びもあるでしょう。この美しい景色を次世代に残していきたいと、目的や意義を持つ喜びもあるかもしれません。感動を絵に描いたり、言葉に表現してみたりと創造の喜びを持つこともできるでしょう。また太陽が光を放ち、その周りを地球が自転と公転を繰り返しているという、夕焼けの背後にある壮大なスケールの「不思議」に触れる喜びもあります。何層もの喜びに目を向けるのなら、あらゆる物事は喜びに溢れたものになります。

十年ほど前、精神と身体を病んだ時のことです。強烈な恐怖と不安感に、毎晩眠ることができず、パジャマで裏庭を徘徊し、頻繁に起きる回転性めまいに運転もできず、三歳と一歳の乳幼児を抱え、お腹の中には新しい命。日常生活もままならず、世界がひっくり返ってしまうような苦しみでした。それでも今振り返ると、あの体験がいかに自分を強くし、今生きる上での支えになっているかを思います。

あの体験があったからこそ、今こうして普通に暮らせることへの感謝の気持ちに溢れ、何を選択することで自分の精神と身体を傷つけてしまうのかを学んだのです。あの辛い体験があったからこそ、どちらの方向へ進んだらいいのかが見え始めたのでした。それまでの私は、すぐに心が折れてしまい、病気がちで、あのままでは五人の子供を育てることなどできなかったかもしれません。子育てというのは、日々様々なことが起こります。病気になる以前の私だったら、心配と不安とでとっくに動けなくなっていたでしょう。

 今困難や試練に出会うと、辛いながらも、ああ今度は何を学ぶ時期なのだろう、そう思うことができます。目の前にそびえる壁は、また乗り越える術を学ぶ機会です。一つ壁を乗り越える度、次の壁を乗り越えるための智恵と筋肉がつくのです。今では、難しい状況の中で、悲しみ苦しみながらも、よしまた鍛えられ力がつく機会だ、そう心の底で喜びにも似た気持ちを持つ自分がいます。

「喜びを見出す」とは、例え目の前の状況に涙を流しながらも、深く心の底から湧き上がるこんな喜びも含まれます。そしてこんな喜びこそが、どんな状況に置かれても、また進み続ける力を与えてくれます。



「喜び」にフォーカス

サッカー場をイメージしてください。端に置かれたゴールからゴールまで、かなりの距離があります。サッカー選手は試合中、ジグザグや円や直線や、様々な軌跡を描きつつ何度も何度もこの間を行き来します。それでももし「ボール」がなかったのならば、動きはすぐにストップしてしまいます。「ボール」なしで、これらと同じ動きをすることはできません。「ボール」があるからこそ、「ボール」を手にする前には想像もつかなかった動きを、想像もつかなかったほど長い時間、続けることができるのです。

この「ボール」こそが、「喜び」です。目の前のあらゆる物事は、幾層もの喜びの宝庫です。「喜び」にフォーカスすることです。そうすれば、「喜び」を手にする前には想像もつかなかった距離を、行くことができます。


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4 コメント

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Unknown (旅人パンダ)
2013-04-21 08:07:45
喜び~勉強になります!
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旅人パンダさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2013-04-21 23:57:17
私も日々思い出し、学び続けていきたいです!
ありがとうございます。
新しい一週間の始まり、良き日々を!
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Unknown (ヨーキ)
2013-04-30 11:33:05
現実に即した文章は輝いていますね。心に響くものがありますよ。
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ヨーキさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2013-05-05 07:36:38
ありがとうございます。目まぐるしい日々で、なかなか思うように書く時間を取れないのですが、優先順位を整理しつつ、今は少しずつですが書き続けていきたいです。感謝をこめて。
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